表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
89/113

21-1 アルノンに花束を

 「総員、講堂に集合せよ」


 思念波が、二人の頭蓋を貫いた。


 冷たい。

 あまりにも、冷たい声だった。


 ショートを倒したばかりだ。なのに、講堂の方角から、計画を進めるための思念波が、途切れることなく流れ込んでくる。


 アルノンの思念が、凍りついたように震えた。


 端末の制御を奪い返そうとしているのが分かる。小さな白い体が強張り、意識の奥で、必死に何かへ手を伸ばしている。


 だが──届かない。


「ショートは……囮だったのか……!」


 掠れた声に、悔しさと焦りが滲んでいた。


 二人は、完全に騙されていた。

 真の黒幕は、最初から講堂にいたのだ。


「行かないと……!」


 アルノンが駆け出そうとする。


 フレッドは、咄嗟に声をかけた。


「待って、アルノン」


「フレッド!? 何を……時間がないんです!」


 アルノンが振り返る。その思念には、はっきりと焦燥が浮かんでいた。


「このままじゃ皆が──!」


 フレッドは、静かに問いかけた。


「王都の支配は、どのくらいで終わる?」


 アルノンの動きが止まる。


「……約、一時間です」


「わかった」


 フレッドは視線を落とし、わずかに考え込んだ。


    ◆


 僕たちは、講堂の扉の前に立っていた。


 重厚な木製の扉。

 普段なら、中から生徒たちの賑やかな声が聞こえてくるはずだ。


 だが、今は──静寂。


 不気味なほどの、静寂だった。


 僕は深く息を吸い込み、扉に手を当てる。

 ゆっくりと押し開けると、軋む音が講堂に響いた。


 そして──。


 講堂内は、倒れ伏した生徒たちで埋め尽くされていた。


 床に、壁際に、長椅子の間に。

 うつ伏せの者もいれば、仰向けの者もいる。壁に寄りかかったまま、ずるりと力を失っている者もいた。


 誰一人、動いていない。


 かすかな呼吸はある。

 生きてはいる。


 だが、魔力を根こそぎ吸い取られ、意識を失っているのだろう。


「ひどい……」


 アルノンが、小さく呟いた。


 僕も、言葉が出なかった。

 胸が締め付けられる。


 それでも、今は進むしかない。


 倒れた生徒たちを踏まないように、慎重に足を踏み出す。

 一歩。また一歩。


 講堂の最奥へ向かう。


 そして──そこに、一匹の白マウスがいた。


 演台の上に、静かに鎮座している。


「遅かったじゃないか。もう計画は完了してしまったぞ」


 その声には、余裕があった。

 勝利者の余裕。


 だが、僕はすぐに違和感を覚えた。


 この声は、アルノンのものじゃない。

 セカンドでも、サードでも、ショートでもない。


 もっと冷たい。

 もっと重い。


「あのネズミは……?」


 僕が尋ねると、アルノンが小さく息を呑んだ。


「彼は……最初の個体です」


「最初……?」


 アルノンは、震える声で語り始めた。


「私たち白ネズミは、研究室で生まれ、育てられました。そして、エインに一ロット五匹単位で買われた」


「実験に使われたネズミは五匹。その中で、最初に使われた個体です」


「彼は、研究室に来てすぐ、エインの実験に参加して──私たちより先に、野に放たれた存在です」


 僕は、白マウスを見た。


 彼も、こちらを見ていた。


 その目には──深い、深い憎悪があった。


    ◆


「なぜです……?」


 アルノンが、困惑したように言葉を返した。

 声が揺れている。


「あなたも、短い間とはいえ、エインに世話をされていたはずです。本来なら処分されるところを、自由を与えられた。感謝こそすれ、そこまで憎む理由が──」


「感謝だと?」


 彼の声が、空気を裂いた。


 嘲笑とも怒号ともつかない、歪んだ声だった。


「実験体にされたことで、俺がどんな苦しみを味わったと思う?」


 白マウスの体が、わずかに震えている。


「腹を裂かれ、臓物を抜き取られ、手足を切断され、元に戻される」


「それが何度も、何度も続く──」


「あれのどこに、感謝する理由がある」


 彼の声は、憎悪に満ちていた。


「俺は、やつに復讐しなければならない」


「あいつを、俺と同じ目に遭わせなければならない」


「嘘です!」


 アルノンが叫んだ。


「エインが、そんなことをするはずがありません!」


 そうだ。

 エイン君が、意味もなくそんな残酷なことをするだろうか。


 アルノンたちを可愛がっていたエイン君が。

 無意味にネズミを傷つけて、戻して。


 戻して。


 その瞬間、僕の頭に閃くものがあった。


 断片的な記憶。

 エイン君が話していた、学会にも持っていったという回復魔法の研究。


 部位欠損の修復。


 それを実験するには──。


「君は、回復魔法の実験台だったんだね……」


 僕は、静かに言った。


 彼の動きが、一瞬止まる。


「なんだと?」


「エイン君は、部位欠損を修復するための回復魔法を研究していた」


 僕は続けた。


「だけど、実験するにしても、実際に人間を傷つけるわけにはいかない。だから……」


「俺が、人間の身代わりになって、苦しめられたということか?」


 彼の声が、一層冷たくなった。


 僕は一度、目を閉じる。

 深く息を吸い込み、ゆっくりと目を開いた。


「……君の苦しみが、本物だったことは否定しない」


 一拍置いて、僕は続ける。


「エイン君がやったことは、君にとっては拷問だった」


「それを正当化する気はない」


 彼の目が、わずかに見開かれた。


「でも──」


 僕は視線を逸らさず、言葉を選んだ。


「だからといって、他者を支配していい理由にはならない」


「君は今、自分を傷つけた人間と、同じことをしている」


「ふざけるな」


 彼の声が、怒りに震えた。


「そのために、俺が、俺たちが、犠牲になってもいいと言うのか?」


「エインだけじゃない。人間たちだ」


 彼は語り始めた。


 ネズミが人間から受けてきた仕打ちを。

 踏み潰され、罠にかけられ、駆除される。


 それら一つ一つを、理屈ではなく、感情として並べ立てる。


 その声には、積み重ねられた恨みが滲んでいた。


「だから、アルノン」


 彼は視線をアルノンへ向ける。


「お前が捨てた計画を、お前が捨てた感情を、俺が拾ってやった」


「エインと、人間に復讐してやる」


 そして、視線が僕に戻る。


「そのためには、アルノン、フレッド──お前たちは邪魔だ」


「殺してやる」


    ◆


 彼が、冷たく命じる。


「やれ。あいつらを殺せ」


 その瞬間、倒れていたはずの生徒たちが、ぴくりと動いた。


 魔力は、もう残っていない。

 それでも、生徒たちはふらふらと立ち上がり、虚ろな目のまま、こちらへ歩き出してくる。


 意思はない。

 ただ、命令だけが体を動かしている。


 足を引きずる音。

 乾いた呼吸。


 近づいてくる。


 ──だが、想定通りだ。


 僕は一歩前に出た。

 深く息を吸い込み、魔力を練り上げる。


【防壁牢獄】(プリズン)!」


 詠唱と同時に、巨大な魔力の壁が立ち上がった。


 透明な壁が、生徒たちを完全に囲い込む。


 壁の内側で、生徒たちは必死に叩き、掴み、体当たりを繰り返す。

 手形が、壁に残る。


 だが、壁は揺らぎもしない。


 こちらに近づくことすら、できなくなった。


「何をしている!」


 苛立った彼が怒鳴る。


「さっさと壊せ! お前たちは魔法が──」


 そこまで言いかけて、彼は言葉を切った。

 理解が、遅れて追いついたようだった。


「……まさか」


 その声が、初めて動揺を含む。


「お前たちが、今になって来た理由は──」


 僕は答えない。

 答える必要もなかった。


 計画の最中に乱入すれば、数百の生徒を相手にすることになる。

 だが、計画が終われば、生徒たちの魔力はすべて吸い尽くされる。


 残るのは、命令に従うだけの、無力な体だけだ。


 ──だから、待った。


 一時間。


 遅れて来たのは、逃げたからじゃない。

 最初から、この瞬間を狙っていたからだ。


(すまない……)


 僕は心の中で、生徒たちに謝った。


    ◆


 彼は、生徒たちを一瞥し、吐き捨てるように言った。


「……使えん」


 次の瞬間、講堂の影や瓦礫の隙間から、無数のネズミが姿を現した。


 配下の個体たちだ。

 灰色の毛並み。赤い目。


 一斉に意識を向けてくる。


 圧力が、空気を歪ませた。


 僕とアルノンへ、強力な【精神伝播】(メンタルリンク)が流し込まれる。


 集会の時と同じだ。

 思考を塗り潰し、跪かせるための、圧倒的な出力。


 頭の奥が、ずきずきと痛む。


「跪け」


 命令が下る。


 だが──僕とアルノンは、微動だにしなかった。


 僕の意識は、クリアなままだった。


「……効かない?」


 彼が、初めて明確に動揺した。

 その眉が、わずかに寄る。


 いや、とすぐに考えを修正する。


「……違う。既に、支配されている……?」


 あり得ないはずだった。


 彼は、視線をアルノンへ向ける。


「お前の【精神伝播】(メンタルリンク)は、変質前のものだ」


「支配系の魔法ではないはずだ」


「ならば、誰が──」


 そこで、言葉が止まる。


「……まさか」


 理解が、遅れて追いついた。


 僕は、静かに答えた。


「そうだ。僕とアルノンは、お互いを【精神支配】(ブレインウォッシュ)している」


 それは、拘束ではない。


 互いの同意によって閉じた、強固な回路だった。

 外部から、相反する支配を割り込ませることはできない。


 完全に、閉じている。


「……自分から支配を受け入れるなど、正気か」


 彼は吐き捨てる。


「正気だ」


 僕は即答した。


「これは支配じゃない。信頼だ」


 彼が舌打ちする。

 苛立ちが、はっきりと伝わってきた。


「……ならばいい」


 空気が、変わった。


「直接、殺す」

書籍版発売中です

https://www.kadokawa.co.jp/product/322602000186/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ