19-3 大きな多きな賢将
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「よし、今日から君の名前は──アルノンだ」
ぼくがいちばんむかしにおぼえていることはこれでした。
めのまえにおおきないきものがいてさいしょはたべられちゃうかとおもいました。
でもたべられなかったのでよかったです。
「いくぞ、アルノン。【精神伝播】」
そのかわりにぼくはなにかをたべました。
くちをあけていないのに、なにかがからだのなかにはいってきました。
からだがすこしあたたかくなりました。
でもおなかはふくれませんでした。
「それじゃあセカンドに感染させるぞ」
おおきないきものはぼくのまえにぼくのなかまをもってきました。
なかまはおなかがすいています。
ぼくもおなかがすいています。
なかまはおかあさんがおなじなのでなかまです。
ほかにもなかまとなかまとなかまがいました。
「いいぞアルノン、ご褒美だ」
おおきないきものはぼくにむかってあるのんといいます。
さいしょはわからなかったけど、ぼくのことをよんでいるのだとわかりました。
ぼくはあるのんというらしいです。
「またボタンを押したな、次のご褒美だ」
かたいまるいのにさわるとおおきないきものはごはんをくれます。
おおきないきものはぼくをたべないし、ごはんをくれるのでいいいきものです。
でもなかまにもごはんをあげてほしいです。
べつのおおきないきものは、こわいいきものです。
「サード、ショートにも感染させるぞ」
なかまが、なかまとなかまといっしょになりました。
ぼくもいっしょです。
なかまがいっしょになるのはうれしいです。
「実験大成功だな! 感染型精神魔法の基礎術式、これで実証完了だ!」
おおきないきものがうれしいので、ぼくもうれしいです。
でも、ぼくがうれしいのはおおきないきものにはわからないので、ぼくはうれしくないです。
「さて、みんなご苦労だったな。もう帰っていいぞ」
おおきないきものが、ぼくたちをだしました。
おおきないきものがとおくなったのでさびしかったです。
でも、なかまとなかまとなかまがいるのでさびしくなかったです。
◆
緊急集会の後、寮に戻った僕はベッドに腰を下ろした。
この時間なら、廊下には生徒たちの足音が聞こえているはずだった。
談笑する声。魔法の練習をする音。誰かが部屋の前を走り抜ける気配。
けれど今は、何も聞こえない。
「アルノン……」
先ほど壇上で見た白いマウスの名前を、僕は呟いた。
「新校長」として紹介された、あの小さな動物。
(間違いない。エイン君が実験で名前をつけていた、あの白マウスだ)
彼の研究室で行われた、あの実験。
【精神伝播】という未知の魔法を使い、ネズミたちに思考を共有させたあの日。
僕自身も助手として立ち会い、その危険性を肌で感じていたはずだった。
「やっぱり、あの時……」
実験が終わった後、エイン君は「もう帰っていいぞ」と言って、ネズミたちを野に放った。
僕はそれを止めようとした。けれど結局、強く言い出せなかった。
「可哀想だから」という、安易な感情に流されて。
(僕が、もっと強く止めていれば。あるいは、あの場で処分していれば……)
こんなことにはならなかったかもしれない。
「でも」
僕は顔を上げ、拳を握りしめた。
後悔している場合ではない。事態は、もう進行している。
学校どころか、王都全体が危険にさらされている可能性だってある。
(僕には、【解呪】が効いた)
集会の最中、思考が塗り替えられそうになった時、咄嗟に自分へかけた【解呪】。
それによって、僕は正気を保つことができた。
ということは──。
「他の人にも、【解呪】が効くはずだ」
希望はある。
支配されているとはいえ、彼らは完全に自我を失ったわけではないはずだ。
強力な【解呪】を使えば、術式を強制的に解除できるかもしれない。
「まずは、レオナルド先生だ」
かつての校長であり、大陸でも指折りの実力者であるレオナルド・グリムフォード。
レオナルド先生を正気に戻すことができれば、きっと打開策が見つかるはずだ。
先生なら、この異常な魔法に対抗する術を知っているかもしれない。
◆
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あのにんげんににがされてから、ぼくたちは、いろいろなことを知りました。
ひとつめは、ご飯はもう、目の前に出てこないということです。
だから、ぼくたちは、じぶんでご飯をさがさなければならなくなりました。
はじめは、どこにあるのか、わかりませんでした。
土のにおいをかいだり、暗いところをのぞいたり、かべのすみに鼻を入れたりしました。
でも、見つかる日は少なくて、見つかっても、いつも少しだけでした。
おなかがすくと、体はうごきたくなるのに、体は重くなりました。
走ると、すぐに息が切れました。
ねむっても、すぐに目がさめて、ご飯のことばかり考えました。
ふたつめは、あのおおきな生きものは、「にんげん」だということです。
にんげんは、あのにんげんみたいに、いつもご飯をくれるわけではありませんでした。
ぼくは、まちがえました。
近づけば、なにかもらえると思って、近づいてしまいました。
ある人は、ぼくたちを見ると、こわがって大きな声を出しました。
ある人は、石をひろいました。
ある人は、棒を持ちました。
ぼくたちは、なにもしていないのに、にんげんは、急にこわい顔になりました。
だから、にんげんには、近づいてはいけないのだと知りました。
みっつめは、そとは、ときどき、とてもきけんがあぶないということです。
ある日、「ねこ」に、なかまがたべられました。
すぐそばにいたのに、なにもできませんでした。
逃げるしかありませんでした。
ほかの日には、ご飯みたいなにおいのするものが、地面においてありました。
なかまが、よろこんで近づいて、さわりました。
すると、そのなかまは、急にうごけなくなりました。
その時は、なにが起きたのか、わかりませんでした。
でも、少しして、にんげんが来ました。
にんげんは、うごけないなかまを持っていきました。
にげたなかまも、いました。
たすけようとして、ちかづいたなかまも、いました。
でも、だれも、なにもできませんでした。
それから、ぼくたちは、よく止まるようになりました。
音がしたら、止まりました。
ひかりが動いたら、止まりました。
においが変わったら、止まりました。
うごかないほうが、見つかりにくいことを知りました。
みえないほうが、たすかることを知りました。
とても、くるしかったので。
誰かに、たすけてほしかった。
そして、ぼくたちも。
たすけたかった。
◆
校内を探し回った末、僕は目的の人物を見つけた。
長い廊下を、一人で歩いている老人。
背を丸め、静かな足取りで進むその背中を、僕は物陰から見つめた。
(……いた)
レオナルド・グリムフォード。
かつて、この学校の校長だった人物。
周囲に他の生徒はいない。
警備員の姿もない。
(支配下のレオナルド先生を元に戻すには、まともにやり合っても勝ち目はない。闇討ちするしかない……!)
僕は息を殺し、背後へ忍び寄った。
距離は十分。今なら──。
「……【解呪】」
詠唱と同時に魔力を放つ。
一直線に伸びた光が、レオナルド先生の背中へと突き刺さる──はずだった。
「【防壁】」
乾いた音が廊下に響いた。
展開された障壁が、【解呪】を正面から受け止め、弾き返す。
「なっ……!?」
背後から、しかも詠唱して放った。
それでも、完全に防がれた。
レオナルド先生は振り向かない。
歩みも止めず、淡々と虚空に手を伸ばす。
「こちらレオナルド。西棟三階廊下にて“ネズミ”を発見した。対処に当たる」
感情のない声で、警備部へ連絡を入れる。
(通報……!)
レオナルド先生が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
その目には、かつての威厳も、優しさもない。
ただ均一で、澱みのない視線だけがあった。
「攻撃を仕掛けてくるとは感心せんな。まだ“教育”が足りておらんようじゃ」
「先生! 目を覚ましてください!」
思わず叫んでいた。
「あなたは操られているんです! 正気に戻ってください!」
「操られている?」
レオナルド先生は、小さく首を傾げた。
「正気じゃないのは、どっちじゃろうな」
先生は両手を広げ、廊下の窓越しに見える学校の風景を示した。
「生徒たちは真面目に授業を受け、身分も関係なく仲良く過ごしておる。争いもなく、無駄な悩みもなく、ただ与えられた役割を全うしている」
淡々とした声だった。
けれど、その言葉には揺るぎない確信があった。
「これこそが正気じゃ。混乱も衝突もない、理想的な秩序。儂が長年求めてきた、あるべき学校の姿だ」
その言葉に。
その狂気に、背筋が冷えた。
「そんなの……間違ってます!」
僕の声は震えていた。
「人の意思を奪って、無理やり従わせるなんて……!」
「意思?」
レオナルド先生の口元が、わずかに歪んだ。
「意思があるから、人は争う。欲があるから、傷つけ合う。ならば、それを取り除けばよい」
先生の手に、魔力が集まっていく。
「これは必要な措置じゃ。君も、余計な迷いを捨てる時が来た」
「やめてください!」
返答の代わりに、魔法が放たれた。
「【火球】」
初級魔法。
だが、その威力と速度は、学生のものではない。
「くっ……! 【防壁】!」
衝撃が走り、身体が後ろへ弾かれる。
「【石礫】」
床が砕け、足場が削られる。
「【水弾】」
壁と床に叩きつけられ、視界が乱れる。
「【風刃】」
逃げ道を限定するように、空間が切り裂かれる。
どれも初級魔法。
だが、全てが僕を殺さず、逃がさず、追い詰めるために組み立てられていた。
(殺す気はない……捕らえる気だ)
僕は【防壁】を張り続ける。
厚みを変え、角度を変え、位置を変える。
だが──。
(読まれてる……)
動こうとする先に、すでに魔法が置かれている。
逃げるたびに、選択肢が削られていく。
「無駄じゃ、フレッド君」
レオナルド先生の声が、淡々と響く。
「抵抗は、君を疲弊させるだけだ。大人しく“正しい側”に戻りなさい」
(……違う)
僕は歯を食いしばった。
(ここで折れたら、みんなは戻らない)
攻撃する必要はない。
倒す必要もない。
狙いは最初から、一つだけだ。
【解呪】で、この支配を──。
(……隙を、作らないと……)




