X-2
全ての聴取を終え、ホテル内の調査を続けても、有益な情報は得られなかった。
グレアムはロイスとフィーネと合流し、互いの結果を報告し合う。だが、三人の顔には、そろって疲労の色が浮かんでいた。
「収穫なし、か」
グレアムは煙草を揉み消した。
火が消え、小さな煙が立ち上る。
「仕方ありません」
ロイスが肩をすくめる。
「怪盗ファントムは神出鬼没です。目撃情報がないのも当然かと」
「でも、必ず来るんですよね?」
フィーネが不安そうに言う。
「予告状を出したからには」
「ああ」
グレアムは頷いた。
「来る。問題は、いつ、どうやってか、だ」
やがて、発表会の時間が近づいてきた。
会場となる大ホールには、招待客が続々と集まり始めている。黒いローブで全身を覆った人々が、静かに会場へ入っていった。
グレアムは会場の隅に立ち、全体を見渡す。
出入り口には警備の兵士が配置され、窓も封鎖されている。外のデモ隊は兵士たちに阻まれ、怒号こそ聞こえるものの、ここまでは届かない。
だが、長年の捜査官としての勘が、ずっと何かを警告していた。
「グレアムさん、あれ……」
フィーネが小さく声を上げた。
指差す先には、黒いローブで全身を覆った集団がいる。
数十人。
全員がフードを目深に被り、顔を隠していた。
「怪しいです! 全員逮捕しましょう!」
フィーネが身構える。
だが、ロイスがすぐに彼女を制した。
「待て。あれは……」
ロイスは小声で言った。
「カツラの愛用者たちだ」
「え?」
「考えてみろ。発表会に参加しているということは、新作に興味があるということだ。だが、ここで顔を出せば、カツラを着けていることがバレる。だから、ああして素性を隠している」
「なるほど……」
フィーネは納得したように頷いたが、まだ完全には警戒を解いていない。
グレアムも、あの集団を注視していた。
ローブで顔を隠す。それは確かに、参加者の行動として理解できる。だが同時に、怪盗ファントムが紛れ込むには絶好の隠れ蓑でもあった。
彼は警備の兵士に近づき、小声で指示を出す。
「あの集団を監視しろ。何かあったらすぐに動ける体制で」
「了解です」
やがて、会場の照明が落ちた。
ざわめきが一瞬で静まり、期待と緊張が満ちていく。
暗闇の中、壇上にスポットライトが当たった。
カルヴァン・ルミナスが、ゆっくりと姿を現す。
黒いハットに金縁の眼鏡。理知的な顔立ちは保っていたが、その表情にはわずかな緊張がにじんでいた。
会場の空気が、ひとつに収束する。
全員の視線が、壇上のカルヴァンに吸い寄せられた。
グレアムはホール全体を見渡す。ローブの集団が、会場のあちこちに陣取っていた。全員が壇上を見つめ、フードの奥から無言の視線を送っている。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
カルヴァンの声が、静寂を破った。
「本日、ルミナス家が長年研究を重ねてきた、最高傑作をお披露目いたします」
期待の声が、あちこちから漏れる。
カルヴァンは一呼吸置いた。
そして、ハットを、ゆっくりと脱ぐ。
その瞬間。
「おお……!」
会場が、どよめきに包まれた。
カルヴァンの頭部から、まばゆい輝きが放たれている。
スポットライトを受け、それは眩いばかりに光り輝いていた。
黄金。
文字通り、黄金に輝くカツラだった。
ローブの集団が身を乗り出し、フードの奥で目を輝かせているのが分かる。
「これが、ルミナス家の新作――『黄金の護り』です」
カルヴァンが満足げに宣言した。
拍手が起こる。
会場が称賛の音に包まれた。
だが、カルヴァンは手を上げて、それを制する。
「皆様、まだ説明の途中です」
彼は笑みを浮かべ、自身の頭部を指し示した。
黄金の髪の毛一本一本が、光を反射している。
会場が静まり返った。
「この金色は、カツラの毛一本一本を金箔でコーティングしたことによるものです」
一拍の沈黙。
やがて、会場がざわめき始めた。
「本物の金を使うとは……」
「いくらするんだ、あのカツラ……家一軒分か?」
ささやき声が、会場を満たす。
「これにより、保湿力と耐久性が飛躍的に向上しました。ほとんど劣化することがありません。また、魔術媒体としても高性能です。製品版では、この上から【染色】の魔術を施すことで、お好みの色に着色できます。髪型も含め、完全なオーダーメイド形式です」
カルヴァンの声が、一段と高くなる。
「そして――最大の特徴が、こちらです」
彼は自身の頭部を指し示した。
黄金のカツラが、光を反射する。
「内蔵された【強固固着】の魔術です」
会場の空気が変わった。
【強固固着】。
その名前に、ローブの集団が反応する。微かに身を乗り出しているのが分かった。
「この【強固固着】は、私の弟でもある、王立魔法学校のハーゲン・ルミナス教授と共同開発した新技術です。従来のカツラに用いられてきた【固着】の魔術には、致命的な弱点がありました」
カルヴァンの声が、一段と重くなる。
「物理的に強い力を加えれば剥がれてしまう。あるいは、魔術による干渉で固着を解除されてしまう。つまり、悪意ある第三者に狙われれば、人前で無理やり剥がされることも可能なのです」
会場のローブの集団から、苦々しいざわめきが起こった。
「私は、酒場で酔っ払いに……魔術で外されて……」
「俺なんか、近所に住んでるクソガキどもに、引っ張られて……」
「なんと、そんな恐ろしいことが……」
参加者の一部は、カツラ剥がしの被害を受けた経験があるのだろう。
突然の襲撃。カツラが外れる恐怖。衆人環視の中での屈辱。
漏れ聞こえる声には、痛切な思いが滲んでいた。
「しかし、この【強固固着】は違います。事前に着用者の魔力パターンを登録することで、カツラは装着者の魔力と擬似的に融合。頭皮に密着し、文字通り一体化します」
カルヴァンは力強く宣言した。
「登録は一度きり。物理的にも魔法的にも、誰からも外されることはありません!」
会場が歓声に包まれた。
拍手、歓声、どよめき。
ローブの集団が身を乗り出し、興奮を隠せずにいる。フードの奥から漏れる声は、希望に満ちていた。
その時――外が騒がしくなった。
「カツラは偽りだ!」
「ありのままの頭髪に誇りを!」
デモ隊の怒号が、急激に激しさを増している。
窓ガラスが振動するほどの轟音だった。今までとは、明らかに違う。
グレアムは窓へ視線を走らせた。
兵士たちが、押し寄せるデモ隊の対応に追われている。
叫び声、怒号、衝突の音。
会場内の警備が、次々と外へ引き抜かれていった。
彼の背筋に、冷たいものが走る。
陽動だ。
その瞬間。
会場の隅――ローブの集団の中から、一斉に人影が飛び出した。
「止まれ!」
グレアムが叫ぶ。
だが、遅い。
ローブの男たちが、壇上へと殺到する。
「カツラを認めるな!」
「ハゲを隠すな!」
自然美推進協会のメンバーだ。
最初から、ローブの中に潜んでいたのだ。
グレアムは駆け出した。
だが、観客たちがパニックに陥り、通路を塞ぐ。
「どけっ!」
悲鳴を上げて逃げ惑う人々が、壁となった。
カルヴァンを守ろうと、警備員たちが襲撃者の前に立ちはだかる。
だが、襲撃者は十人以上。多勢に無勢だ。
そして――。
シュッ。
乾いた音と共に、白い煙が壇上を覆った。
「煙幕!」
視界が、一瞬で奪われた。
真っ白な煙が会場を満たし、何も見えなくなる。
グレアムは煙の中を進んだ。
だが、目も鼻も効かない。
悲鳴、怒号、足音。混沌とした音だけが響く。
歯噛みするしかなかった。
やがて、警備員たちが襲撃者を取り押さえ始めた。
「動くな!」
「抵抗するな!」
数が多くても所詮は素人。間もなく制圧された。
だが、全員ではない。
何人かは煙幕に紛れて、ローブの集団に溶け込んだはずだ。
白い煙が、ゆっくりと晴れていく。
会場に、視界が戻った。
そして――。
静寂。
完全な、静寂。
なぜなら。
壇上のカルヴァンが――ハゲていたからだ。
つやつやと光る頭皮が、スポットライトを反射している。
彼は呆然と立ち尽くし、両手で頭を押さえていた。
誰も、声を出せなかった。
ただ、あまりにも眩しい現実が、そこにあった。
「カツラが……」
フィーネが呆然と呟く。
「消えて……る……」
ロイスの声が、かすれていた。
次の瞬間、会場が爆発した。
「盗まれた!」
「黄金のカツラが消えた!」
悲鳴、怒号、混乱。
完全なパニック状態だった。
「そもそも」
ロイスが呆然と呟く。
「なぜ外れたんだ? 【強固固着】なら、誰にも外せないはずじゃ……」
「後だ」
グレアムが遮った。
彼は即座に指示を出す。
「出入り口を封鎖しろ! 誰も外に出すな!」
「了解!」
警備員たちが動く。
扉が次々と閉ざされ、外への道が断たれた。
グレアムはカルヴァンを見つめる。
顔面蒼白。身体は震え、視線は虚ろだった。
単なる商品を失った表情ではない。
まるで命を奪われたかのような、深い絶望が刻まれている。
何か、ある。
この異様な反応には、理由があるはずだ。
だが、今は考えている時間はない。
グレアムは二人に目を向けた。
「ロイス、フィーネ。捜索を開始する」
「了解です!」
二人が答える。
グレアムは会場を見渡した。
カツラは、必ずこの中にある。
黄金のカツラを巡る、奇妙な捜査が始まった。




