X-1 そして誰も被れなくなった【出題編】
「カツラは偽りだ!」
「ありのままの頭皮に誇りを!」
「ハゲを隠すな、解放せよ!」
赤いのぼりを掲げ、拳を突き上げる市民たちの叫びが、王都の空を震わせていた。
数十人規模のデモ。その中心には、大きな横断幕が掲げられている。
『頭皮に解放を 自然美推進協会』
その一帯を、王国の衛兵たちが無言で取り囲んでいた。
重苦しい空気が漂っている。
だが、妙に眩しかった。
午後の日差しが、彼らの頭部で乱反射している。フードも、ターバンも、帽子もない。全員が堂々と、つるつるの頭を晒していた。まるで磨き上げられた鏡のように、光を弾き返している。
「……何だ、あれは」
ロイスが思わず足を止めた。
茶色の髪を無作法に撫でつけながら、険しい目でデモ隊を見やる。王都調査局の捜査官。真面目で正義感が強く、職務には忠実な男だった。
「最近流行りの自然派ってやつですかね」
隣でフィーネが目を丸くしていた。
栗色のポニーテールを揺らしながら、どこか楽しそうな口ぶりでつぶやく。新人で、明るく純粋だが、時に空気が読めない。
「天然ワカメでも撒けば喜ぶんじゃねぇの」
グレアムが皮肉げに言った。
黒髪に無精髭、くたびれたコートの男。王都調査局第三分室の室長だ。煙草を咥えたまま、兵士たちの間を抜けていく。
デモの中心にあるのは、王都屈指の高級ホテル、グランド・マジェスティカだった。
三人が正面玄関をくぐった瞬間、外の喧騒が嘘のように遠ざかる。
大理石の床が足音を吸い込み、天井のシャンデリアが柔らかな光を降らせていた。壁には高価そうな絵画が並び、空気さえ静謐に感じられる。
ここに一泊するだけで、庶民の月給が吹き飛ぶ。
グレアムが身分証を見せると、受付嬢は丁寧に一礼し、三人を奥へと案内した。
厚手の絨毯が足音を包み込む。
廊下の突き当たり、重厚な扉の前で足が止まった。
扉が開かれる。
中には、革張りのソファから立ち上がる男の姿があった。
「ようこそ、王都調査局の皆様。お待ちしておりました。カルヴァン・ルミナスです」
カルヴァン・ルミナス。
グレアムはその名を内心で反復した。ルミナス家といえば、王国屈指の魔道具貴族である。王家や貴族に、代々魔道具を納入し、献上してきた名家だ。
「グレアムだ。こちらはロイス、フィーネ」
簡単な挨拶を交わし、三人はソファに腰を下ろした。
カルヴァンがティーポットに手を伸ばしかけたが、グレアムは片手でそれを制する。
「時間がない。要点を頼む」
「……はい」
カルヴァンは姿勢を正した。
その動きには、わずかな硬さがあった。
「実は……本日、このホテルにて、ルミナス家の新作カツラの発表会を予定しております」
「……カツラの、発表会?」
フィーネが思わず声を漏らした。
ロイスも困惑した表情のまま、言葉を失っている。
カルヴァンは苦笑した。
「あなた方には必要ないでしょうから、驚くのも当然です。ですが、ハゲている者からすれば……カツラは人生を左右する重大事なのですよ」
その声には、自嘲と諦めが混じっていた。
「だが、表の連中は気に食わないようだな」
グレアムが煙草の灰を落とした。
窓の外では、相も変わらずデモ隊が騒ぎ続けている。
カルヴァンが目を伏せた。
「ええ。自然美推進協会です。カツラを否定し、ありのままを肯定せよと訴える団体で……各地のカツラ工房や販売店が襲撃されています。我が家も、何度か標的になりました」
「なのに、今日開催するのか?」
ロイスが尋ねる。
「本来は、限られたお得意様だけに知らせ、密やかに開く予定でした。それが、どこからか情報が漏れてしまいまして……」
カルヴァンが苦い表情を浮かべた。
その時、窓の外から怒号が響いた。
「カルヴァン! 出てこい!」
「隠れるのは頭だけにしとけ!」
「ハゲを解放せよ!」
フィーネが窓の方を見た。
「……あの人たちに、何かしたんですか?」
「さあ、私も知りませんよ。とにかく、困っているのです」
カルヴァンが肩をすくめる。
「それで、デモ隊から警備してほしい、ということか?」
グレアムが尋ねた。
「だが、それなら衛兵だけで十分だ。外にも配置されているし、中にも警備員がいるだろう。なぜ調査局に?」
カルヴァンの動きが止まった。
数秒の沈黙のあと、意を決したように口を開く。
「……今、王都を騒がせている予告状はご存知ですか?」
「予告状?」
グレアムが眉を動かす。
ロイスが応じた。
「怪盗ファントム……ですね」
王都を騒がせる神出鬼没の怪盗。
数日前、王城に宛てられた予告状が新聞各紙で報じられていた。
『満月の夜、秘密を覆うヴェールを頂きに参上する』
“ヴェール”が何を意味するのか分からず、調査局の人員はここ数日、王城内の貴重品の確認や警備強化に出払っている状況だった。
「確か、今日が満月でしたね」
ロイスが呟く。
カルヴァンは無言で、机の引き出しに手を伸ばした。
緊張した指先が、一通のカードを取り出す。
それを、グレアムに差し出した。
「……これが、私の元に届きました」
グレアムがカードを開く。
流麗な筆記体で、こう記されていた。
『今宵、秘密を覆うヴェールを頂きに参上する――怪盗ファントム』
ロイスとフィーネが、同時に声を失った。
「もう一つの……予告状……」
「今朝届いたのです。発表会の日に合わせたかのように」
カルヴァンの声が沈む。
グレアムは予告状を見つめた。
煙草の煙が、ゆっくりと立ち上る。
「一体、何を狙っている? まさか……」
「断定はできません。ただ……“秘密を覆うヴェール”という言葉、そして今日の発表会というタイミングから考えると、新作のカツラではないかと」
「カツラを……」
ロイスが困惑の色を浮かべる。
「だが、なぜ二箇所に、同じ時間を指定して予告状を? まさか、複数犯なのか?」
グレアムはカードを見つめたまま、言葉を切った。
数秒の沈黙。
やがて、視線を上げる。
「……とにかく、この予告状の送り主は、デモ隊の混乱に紛れて犯行に及ぶ可能性がある。だから調査局を頼った。そういうことだな?」
「はい」
カルヴァンは深く頭を下げた。
その肩が、わずかに震えている。
「どうか、お力添えを」
グレアムは立ち上がった。
「分かった。関係者の聴取を行う。協力は頼む」
「もちろんです」
「ロイス、フィーネ。お前たちも聞き込みを頼む」
「了解です」
捜査が、始まった。
◆
「不審な人物は見ていません」
ホテルの従業員が首を横に振る。
「デモ隊が騒がしいとは思いましたが、それ以外は……」
グレアムは聴取リストに印をつけた。
また一つ、手がかりが消える。
「変わったこと? 特にありませんね」
宿泊客の老紳士が怪訝そうに眉をひそめた。
「私はただ、静かに過ごしたかっただけなのですが」
何も情報を得られない。
グレアムは廊下の隅で煙草に火をつけ、リストを眺めた。残された名前は、あとわずか。ロイスとフィーネは別のフロアでホテル内の調査を続けているはずだ。
このまま何も得られなければ──。
そう考えかけた時、廊下の奥から二人の姿が見えた。
ロイスが疲れた足取りで近づいてくる。
「グレアムさん」
その顔を見ただけで、結果はわかった。
「こっちも全滅です。誰も不審な人物なんて見てません」
「私もです!」
フィーネが元気よく報告する。
新人特有の前向きさなのだろう。成果がない報告なのに、声だけは妙に明るい。
グレアムは煙を吐き出し、足元に落ちた灰を見下ろした。
「そっちは?」
ロイスが尋ねる。
「同じだ」
グレアムはリストを差し出した。
黒いペンで消された名前が並んでいる。
「残りはあと数人。最後まで当たってみる」
「了解です」
二人は小さく頷き、別のフロアへと向かっていった。
廊下に静けさが戻る。
彼は改めてリストに目を落とした。
発表会まで、もう時間がない。
次の部屋の前に立ち、ノックをする。
「どうぞ」
中から若い声が返ってきた。
グレアムが部屋に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
温度が一度、下がったような感覚。
気配の薄い室内に、ひとりの少年が静かに座っていた。
黒髪に、黒い瞳。十代半ばほどの年齢。
だが、その佇まいには妙な緊張感があった。
グレアムは思わず足を止める。
目が合った。
その瞬間、背筋に冷たいものが走る。
何だ、これは。
長年、調査局で数え切れないほどの人間を見てきた。犯罪者、容疑者、証人、被害者。嘘をつく者、怯える者、隠し事をする者。
だが、この少年は違う。
何かが、決定的に違う。
グレアムの本能が、警告を発していた。
これは、普通の人間じゃない。
少年はゆっくりと立ち上がった。
黒い制服に身を包み、無言のままグレアムを見つめている。
「王都調査局の者だ」
グレアムは身分証を掲げた。
「少し聞きたいことがある」
「いいですよ」
少年は答えた。
調査局と聞いても、肩のこわばりも、視線の揺らぎもない。
「まず、名前を聞かせてもらえるか」
「ステインです」
「ここには何の用で?」
「留学ですよ。王立魔法学校に編入するんです。今は帝国からの使者が到着するまで、このホテルで待機してるとこですね」
返答は簡潔で、よどみがない。
グレアムは魔力を指先に集めた。
【精神感応】。
嘘を検知するための高等精神魔法。
普段はまず使わないが、この少年には使うべきだと直感が告げていた。
魔力が少年の精神に触れる。
言葉の裏側を探る。
「若いのに、なぜこんな高級なホテルに?」
「お金だけは持ってましてね。割の良い内職をやってるんですよ」
嘘は、ない。
だが、妙に曖昧な答えだった。
少年はそれ以上、何も付け加えようとしない。
「今日、ホテル内で不審な人物を見なかったか?」
「いえ、特には」
「変わったことは?」
「外がうるさいなとは思いましたが、それくらいですね」
【精神感応】に、反応はない。
その後も、グレアムは質問を続けた。
「最後に一つ、聞く」
「はい」
少年が真っ直ぐこちらを見る。
その瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。
「お前は今まで、罪を犯したことはあるか?」
少年が一瞬、動きを止めた。
きょとんとした顔をする。
質問の意味を測るように小首をかしげ、まばたきを一つ。
そして、当然のことを言うように口を開いた。
「そんなこと、あるわけ無いじゃないですか」
虚偽の反応はない。
少年は本当に、心の底から「自分は一度も罪を犯していない」と信じていた。
疑いも、逡巡も、まったくない。
グレアムは言葉を失った。
人は、誰でも何かしらの後悔を抱えて生きている。子供の頃の悪戯、他人への無神経な言葉、ささやかな裏切り。
それらすべてが、この少年には存在しない。
それは善良さではなかった。
罪悪感そのものが、彼には存在しない。
グレアムがそう結論づけかけた時、少年が口を開いた。
「俺を疑ってるんですか?」
飄々とした口調だった。
まるで冗談を言うかのようだ。
「嘘なんかつきませんよ。【精神感応】まで使わなくたっていいでしょう」
背筋に、冷たいものが走った。
「……なぜ、分かった?」
【精神感応】は、相手の感情を読み取るだけの魔術だ。察知されることはないはずだった。
「そりゃあ、こっちも同じ魔法を使ってたんですから、分かりますよ」
少年はあっさりと言った。
互いの精神に触れていた。
少年は何の躊躇もなく、まるで挨拶でもするかのように、こちらの思考を探っていたのだ。
「それにしても」
少年が、興味深そうに続ける。
「カツラの発表会、怪盗ファントムの予告状……面白そうですね」
グレアムの顔色が変わった。
「貴様……!」
情報を、読み取られた。
いつの間に。
いや、最初からだ。
質問をしながら、同時に彼の内側に手を伸ばしていたのだろう。
一瞬で核心を抜き取られた。
グレアムの技量では不可能な、精密な感応。それを、当然のようにこなしている。
彼は息を呑んだ。
この少年は、危険だ。
だが、今は追及している時間がない。発表会が迫っている。
それに、この少年に敵意は感じられない。
「このことは、誰にも言うな」
グレアムは低く告げた。
「分かってますよ」
少年は軽く頷くと、肩をすくめて言った。
「それにしても、カツラの発表会って興味深いですね。俺も見に行ってみようかな」
グレアムは深く息をついた。
情報を読み取られた動揺は、まだ収まらない。
だが、この少年に警戒心はない。
むしろ、無邪気なほど興味を示していた。
新しい煙草に火をつける。
「……若いのに、大変だな」
彼は皮肉っぽく言った。
この年齢で、もうカツラが必要とは。
「え?」
少年がきょとんとした顔をする。
「そんなんじゃありませんよ。俺、カツラ剥がし職人なんで」
煙草を持つ手が、一瞬止まった。
「……何だと?」
「だから、カツラ剥がし職人です。プロとして、勉強は大切でしょう。この前も、仕事してきたところなんです」
少年は平然と繰り返した。
【精神感応】は、嘘を示さない。
冗談ではなかった。
何だ、それは。
カツラ剥がし職人。
そんな職業が、この世に存在するのか。
しかも、実際に“仕事”を行っている。
「……まぁいい。聞きたいことは以上だ。発表会に参加したいなら勝手にしろ」
グレアムは聴取を切り上げた。
これ以上この少年と話していると、自分の方がおかしくなりそうだった。
「ただし、捜査の邪魔だけはするな」
「もちろん」
少年は軽く手を挙げた。
グレアムは立ち上がり、ドアへ向かう。
扉が閉まり、静寂が戻った。
そのまま深いため息をつき、煙草に火をつけようとする。
だが、手がかすかに震えていた。
情報を読み取られた。
それどころか、こちらの情報まで抜かれた。
だが、それ以上に、あの少年に対する得体の知れない恐怖が残っていた。
それでも、今は立ち止まっていられない。
発表会の時間が迫っている。
怪盗ファントムの予告時刻も、もうすぐだ。
グレアムは体を起こし、次の聴取に向かった。
廊下に残された煙草の煙が、ゆっくりと消えていく。




