18-4
翌朝。
バルドは、いつものように目を覚ました。
天幕の外から、朝日が差し込んでいる。兵士たちが起き出す気配。武器の触れ合う音、足音、話し声──いつもと変わらない朝だった。
バルドは身支度を整えようと、何気なく鏡を手に取った。
そして──凍りついた。
髪がない。
完全に、ツルッパゲになっていた。
つるりとした頭皮が、朝日を反射して光っている。
「な、なんだこれは……!」
バルドは慌てて頭を触った。
指先に返ってくるのは、つるりとした感触。髪が、跡形もなく消えている。
カツラを外したまま寝たのか。
いや、そんなはずはない。
彼は周囲を見回した。寝台の周り。床。テーブルの下。どこにもカツラはない。
どこだ。
どこにやった。
その時、天幕の外から声が響いた。
「大変だああああああ!」
わざとらしいほど大きな声。
まるで芝居じみた叫びだった。
「副団長がツルッパゲになってるうううう!」
バルドは慌てて天幕の外に出た。
兵士たちが、こちらを見ている。
驚愕の表情で口を開けている者。目を見開いて固まっている者。状況を理解できず、互いの顔を見合わせている者。
そして──誰かが、ぽつりと呟いた。
「言い伝えの……災いだ……!」
「呪いだ! 山の呪いだ!」
兵士たちがざわめき始めた。
どよめきが、波紋のように広がっていく。
バルドは慌てて否定した。
「ち、違う! これは呪いなどではない! 断じて!」
必死に声を張り上げる。
「迷信だ! そんなもの──」
そこへ、兵士の一人がぽつりと呟いた。
「でも……副団長、ハゲてるじゃないですか」
空気が、静まり返った。
その沈黙の中で、兵士たちが再びざわつき始める。
「そうだよ……」
「これが、呪いじゃなきゃ何なんだよ……」
バルドは拳を握りしめた。
威厳を保たなければならない。
このままでは、兵士たちの間に不安が広がる。
屈辱と葛藤が胸を渦巻く。
沈黙の中、彼は喉の奥から絞り出すように言った。
「違う……。わ、わしは……」
声が引きつる。
「最初から……カツラだったのだ……」
言い終えた瞬間、バルドの肩が崩れ落ちた。
どよめきが起こる。
「カツラだったんですか……?」
「え、初耳なんですけど……」
「副団長がカツラだったって、公言してましたっけ?」
「ていうか、そのカツラはどこ行ったんですか? 今はないですよね?」
素朴な疑問が、どこまでもバルドを追い詰めていく。
その時、年配の兵士が小さく呟いた。
「村長が……言ってたよな」
周囲が静まる。
「『大切なものが失われ、最終的には命が奪われる』って……」
別の兵士が、震える声で続けた。
「副団長の髪は……『大切なもの』だったのか……?」
「じゃあ、次は……」
「……命?」
誰も、その言葉を否定できなかった。
◆
◇315:名無しの元引きこもり
よっしゃ、第一段階は成功や
316:名無しの転生者
何やったんや
◇317:名無しの元引きこもり
そらズラ剥がしよ
フレッドに【消音】かけてもらって、寝てる副団長のズラを【魔路切断】で引っ剥がして回収したんや
318:名無しの転生者
馬鹿みたいな作戦だな
319:名無しの転生者
なんでそんな無駄に高度なイタズラしてんだよ
320:名無しの転生者
スパイに手引してもらってまでやることか……?
◇321:名無しの元引きこもり
まあ、まだ第一段階やからな
本番は──ここからや
◆
翌夜。
フレッドとエインは、再び野営地の外で待機していた。
だが、昨夜とは様子が違う。
見張りが増えている。松明の数も多い。野営地全体が、昨日よりも明らかに警戒を強めていた。
そのとき、通信用の魔道具が淡く光った。
スパイからの連絡だ。
『見張りが増えた。地上からの手引きは無理だ』
フレッドの顔に、焦りが浮かぶ。
「どうしよう……」
何か。
何か方法はないのか。
フレッドは必死に考えた。
地上からは無理。見張りが厳重すぎる。
なら、地下から。いや、トンネルを掘る時間などない。
だったら──。
上から、行く?
その瞬間、フレッドの脳裏に閃きが走った。
「そうだ。エイン君」
「ん?」
「僕の【防壁】を足場にしたら……上空から侵入できるんじゃないか?」
エインの目が、わずかに輝いた。
「……なるほどな。やってみるか」
フレッドは息を整え、魔力を練り上げた。
「【防壁】」
透明な壁が、空中に現れる。
そっと足を乗せる。
ふわりと浮くような、不思議な感覚が足裏に伝わった。
いける。
もう一枚。
さらにもう一枚。
階段状に、防壁を積み上げていく。
魔力を維持しながら、慎重に、少しずつ。
透明な階段が、夜空へと伸びていく。
月明かりに照らされても、ほとんど視認できない。
やがて二人は、野営地の真上に到達した。
眼下に広がる、松明の海。
見張りの兵士たちは、地上ばかりを警戒している。誰ひとり、空を見ていなかった。
フレッドは、そっと下を覗き込んだ。
これなら……見つからない。
その横で、エインが感心したように呟く。
「いいぞ、フレッド。このまま【防壁】を展開し続けてくれ」
そして──。
エインは、魔法を行使した。
◆
翌朝。
上官の一人が、いつものように目を覚ました。
体が重い。
昨夜はろくに眠れなかった。バルド副団長の一件以来、野営地には不穏な空気が立ち込めている。
身支度を整えようと、何気なく鏡を手に取った。
その瞬間、彼の体が硬直した。
髪がない。
「うわあああああああああ!! 髪が! 髪がああああッ!!」
上官の悲鳴が、天幕を突き破った。
頭を両手で抱える。
つるりとした感触。鏡に映る、異様なツルッパゲの男。
嘘だろ。
嘘だろ。
嘘だろ……ッ!?
そのとき、隣の天幕から別の悲鳴が上がった。
「嘘だろ……俺の髪が……!」
もう一人の上官も、同じく──ハゲていた。
騒ぎを聞きつけた兵士たちが駆け寄ってくる。
「呪いだ!」
「また呪いが発動したぞ!」
「二人同時に……呪いが広がってる……!」
若い兵士が、怯えた声で呟く。
「副団長の時は一人だったのに……」
「呪いが……加速してる……」
別の兵士が、村長の言葉を繰り返した。
「『最終的には命が奪われる』……」
「次は……俺たちだ……」
上官たちの背筋を、冷たい恐怖が這い上がる。
これは。
本物の呪いなのではないか。
バルドが、混乱を鎮めようと叫んだ。
「落ち着け! これは呪いなどではない!」
だが、兵士たちは詰め寄った。
「じゃあ、副団長に続いて、上官二人もカツラだったって言うんですか!?」
「そんな偶然あるわけないでしょう!」
確かに、誰もが知っている。
この二人の上官は──間違いなく地毛だった。
一人の上官が、「カツラではない」と否定しかける。
そのとき、バルドと目が合った。
彼の眼差しが、何かを訴えている。
認めるな。
合わせろ。
その意図が、目から伝わってくる。
上官は、悟った。
そして──深く、深く溜息をついた。
「……実は、私も……」
声が震える。
「カツラだったのだ……」
一拍の間。
もう一人の上官も、崩れ落ちるように言った。
「私も……そうだ……」
二人の上官は、顔を見合わせることができなかった。
沈黙。
そして、ぽつりと兵士の声が漏れた。
「……嘘だ」
「そんなの、信じられるか……」
「やっぱり、これは呪いだ……本物の……」
「次は……俺たちの番かもしれない……」
上官は、崩れ落ちそうな膝を必死に支えながら思った。
これは……もう、止められん……。
◆
◇315:名無しの元引きこもり
第二段階も、無事完了や
316:名無しの転生者
今度は何をやったんや
◇317:名無しの元引きこもり
偉そうなやつの髪の毛をな、魔法でまるっと全滅させたんや
318:名無しの転生者
ヒェッ……
319:名無しの転生者
ハゲ晒しだけじゃなくて、ハゲ変化もできるのかよ……
320:名無しの転生者
意味不明すぎて怖いんやけど
◇321:名無しの元引きこもり
せやろ? でもな、その“意味不明”こそが重要なんや
わけわからんからこそ、兵士も「呪い」やと思ってビビるんやで
◆
翌朝。
野営地に、けたたましい悲鳴が響き渡った。
「髪が……! 髪があああああ!!」
「嘘だろ、なんで俺が……!」
今度は、一般兵士たちだった。
しかも──四人。
全員、ハゲていた。
「助けてくれえええ!」
「呪いだ! 呪いが広がってる!」
野営地全体が、完全にパニックに陥った。
兵士たちは互いの頭を見回しながら震えている。
次は、自分か。
それとも、隣のこいつか。
バルドが怒号を上げる。
「落ち着け! これは呪いじゃない! 常識的に考えれば──」
誰も聞いていなかった。
本来なら整列しているはずの隊列も、今やバラバラだった。立ち位置だけはかろうじて残っているが、全員が頭を押さえ、ちらちらと周囲を確認している。
何かが起こるのを、待っていた。
そして、その時はやってきた。
一人の兵士が、突然頭を押さえて叫んだ。
「頭が……熱い……!? か、髪が……!!」
一瞬、全体が静まる。
全員が、彼を見た。
その兵士の髪が──抜けていく。
一本。
また一本。
まるで、見えない何かに引き抜かれていくかのように。
ポロ……ポロ……ポロ……。
周囲の兵士が、息を呑んで見守る。
やがて──。
完全に、ツルッパゲ。
光る頭皮。
「………………」
沈黙。
そして──。
「本物の……呪いだあああああああ!!」
全員の顔が、青ざめた。
「俺もだ!」
「うわああああああ!!」
「俺の頭ァァァァァ!!」
次々と、他の兵士たちの髪が抜けていく。
三人、四人、五人……。
もはや数えている暇もない。
リアルタイムで広がる、ハゲの連鎖。
目に見えない呪いが、次から次へと兵士の頭皮を襲っていく。
「村長が言ってた! 『命が奪われる』って!!」
「次は死ぬ! 俺たち殺される!!」
「うわあああああああああ!!」
誰かが絶叫した。
「逃げろ! ここから逃げろ! 呪われる前に!!」
その声を合図に、雪崩のように脱走が始まった。
武器を投げ捨てる者。
テントを蹴り飛ばす者。
仲間を押しのけて走る者。
野営地は、たちまち無秩序の坩堝と化した。
「待て! 逃げるなァァァ!!」
バルドの怒号が響く。
「整列しろ! 持ち場を離れるな! 命令だァァ!!」
だが、もう誰も振り返らない。
「そんな事してる場合か!!」
「あんただけ勝手にハゲてろ!!」
「俺たちまで巻き込むな、呪われハゲ!!」
怒号と悲鳴と足音が交差する中、兵士たちはバルドを置き去りにして、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
◆
◇315:名無しの元引きこもり
やったぁ、ついに王国軍が撤退したぞ
316:名無しの転生者
マジで!?
317:名無しの転生者
ハゲさせるだけで軍隊撤退って、意味わからんすぎて草
◇318:名無しの元引きこもり
今度は寝てる間だけやなくて、時間差で起きてる時に髪の毛全滅させたからな
恐怖もひとしおやったろなぁ……
319:名無しの転生者
それってもう実質、攻撃では?
◇320:名無しの元引きこもり
怪我してへんしセーフやろ
321:名無しの転生者
けがしてないけど、けがないやんけ
◇322:名無しの元引きこもり
大丈夫やって、使った魔法は【毛根休眠】や。
効果時間も短いし、そのうち髪も生えてくるで。
323:名無しの転生者
ほならええか
324:名無しの転生者
よくないですよ(薄毛並みの感想)
325:名無しの転生者
ちなみに毛根の復活はできますか?(ハゲ並みの願望)
◇326:名無しの元引きこもり
>>325
部位欠損みたいにけががあるなら回復魔法で治せるけど、ハゲはけがないからなぁ……
無いもんは戻らへん
327:名無しの転生者
希望は……ないのか……
328:名無しの転生者
髪もない
◆
その日の正午。
帝国軍陣地──。
ヴォルフの天幕に、通信用の魔道具が淡く光った。
スパイからの報告は、すでに何件も届いていた。
王国軍の野営地で発生した“異常”。
最初は一人。次に数人。そして、隊全体へ。
呪いだの災いだのと叫びながら、兵士たちは武器も放り出して逃げ出したという。
報告を受け取るたび、ヴォルフは眉をひそめていた。
馬鹿げた手だ、と。
だが、撤退は完了していた。
王国軍は一人残らず、陣地から姿を消した。
ヴォルフは魔道具を置き、ふっと鼻を鳴らす。
「……本当にやりおったか、あの小僧め」
わずかに笑みを浮かべる。
ハゲさせて追い出す。
冗談のような手段だ。武人として、美しい作戦とは言えない。
だが──事実として、軍は引いた。
無傷で。
誰も責任を問われることなく。
彼は立ち上がり、天幕の外へ声をかけた。
「副官を呼べ」
すぐに、若い将校が姿を現す。
「王国軍が撤退した。例の鉱山一帯を封鎖しろ。鉱区として接収する」
間を置き、静かに命じる。
「帝国の管轄として、先に既成事実を作っておくのだ」
「はっ」
副官が敬礼し、足早に去っていく。
ヴォルフは再び椅子に腰を下ろし、静かに腕を組んだ。
「……面白い小僧だ」
彼は、もう一つの通信魔道具を手に取った。
エインに渡したものと対になっている、黒く鈍く光る球体。
魔力を流し込む。
「なんだよ」
エインの声が、淡々と響いた。
「王国軍が完全に撤退した。──見事だったな」
「ああ、こっちこそ」
エインが答える。
「スパイが役に立ったよ。ありがとな」
ヴォルフはしばし沈黙したのち、口を開いた。
「帝国に来ないか」
「は?」
「魔法師団長でも、研究室長でも、好きな立場を用意しよう」
ヴォルフの声は、本気だった。
「お前の才能は惜しい。この帝国で、好きに力を振るってみないか」
エインは少し間を置き──。
「うーん……やめとくわ」
「……」
束縛を嫌うタイプか。
無理強いは逆効果だ。
ヴォルフはそう判断した。
「ならばせめて、恩を売らせてくれ」
彼は言葉を変える。
「欲しいものはあるか? 困っていることでもいい」
「そうだなあ──」
◆
数週間後。
王立魔法学校の職員会議室。
長机を囲み、校長レオナルドと各クラスの担当教師たちが座っている。
教務報告もひと段落し、場の空気が少し緩んだそのときだった。
「では、次の議題じゃ」
レオナルドが切り出した。
「帝国より、留学生の受け入れ要請が届いておる」
視線を、会議室の隅に控えていた男へと向ける。
「帝国の使者殿より説明がある。──よろしいか?」
促され、男が一歩前へ出た。
深紅の外套を着た中年の男だった。
礼儀正しく、口調も穏やかだ。
「帝国魔法省の者です。このたびは、お時間をいただき感謝いたします」
軽く一礼し、話を続ける。
「本件は、当方の若き才能がさらなる高等教育を求めており、貴校の一年生課程への編入を希望しております」
教師たちの間に、ざわめきが広がった。
「一年生から……? この時期に?」
「そんなに優秀なら、わざわざ王国に来る必要があるのか?」
使者は、ゆっくりと首を振る。
「本人は、すでに帝国の課程を修了しております」
教師たちが顔を見合わせた。
「王国の教育体系との比較研究を目的としており、御校の環境でこそ得られるものがあると判断したようです」
沈黙が流れる。
やがて、レオナルドが言った。
「学びたいと願う者に、我らが門を閉ざす理由はあるまい」
そして、静かに頷く。
「──受け入れよう。その志に応えるのが、我らの務めじゃ」
教師たちが、無言で頷いた。
「さて、問題は……どのクラスに配属するか、じゃな」
その言葉に、すかさず反応したのがハーゲンだった。
「私が引き受けましょう」
間髪入れぬ発言に、教師たちが一斉に振り向く。
ハーゲンは咳払いしながら立ち上がった。
「Aクラスは、ちょうど一名減員しておりましてな」
エインが抜けた穴を、優秀な留学生で埋める。
これで評判も回復できる。
ハーゲンは内心で計算していた。
「座席や指導枠に余裕があり、受け入れには最適です」
会議室が静まる。
他の教師たちは、特に反対しなかった。
ハーゲンは、密かに口元を緩める。
「では、Aクラスに受け入れるとしよう」
レオナルドが宣言した。
そのとき、使者がにこやかに口を開いた。
「ありがとうございます」
一拍。
「では──早速ご紹介いたしましょう」
「……?」
「もう来ておりますので」
会議室がざわついた。
「もう来ている……?」
「まだ決まったばかりだぞ?」
教師たちが顔を見合わせる。
扉が、開いた。
「お……お前は……」
ハーゲンが椅子を蹴倒して立ち上がった。
顔面蒼白。
指が震えている。
「ありえん……!」
声が裏返る。
「退学──いや、クビにしたはずだ……!」
「なぜ……なぜここにいる!?」
絶叫。
「エイン!!」
少年はにこやかに、金の紋章が刻まれた学生証を掲げて見せた。
帝都魔法学校の正式な身分証だ。
「俺は“ステイン”です」
そう言って、にやりと笑う。
「でもまあ──エインと呼びたいなら、そう呼んでもいいですよ」




