18-2
僕とエイン君は、徒歩で王国軍の前線基地へ向かっていた。
村から離れた森の中を、木々の間を縫うように獣道が続いている。頭上では枝葉が揺れ、そこからこぼれた日差しが、木漏れ日となって僕たちの足元を照らしていた。
「みんなに黙って出てきたけど……大丈夫なのかな」
不安になって呟くと、エイン君はいつもの調子で答えた。
「戦いに行くわけじゃないんだから、大丈夫だろ」
その気楽さが、今は少しだけ羨ましかった。
森を抜けると、視界が開けた。
木々の向こうに、王国軍の基地が見えてくる。
見張り台が立ち、そこから旗が風に揺れている。いくつものテントが整然と並び、その間を兵士たちが行き交っていた。武器を手に警備に当たる者。荷物を運ぶ者。剣の訓練をしている者。
そこは、村とはまるで違う空気に満ちていた。
僕は、緊張で喉が渇くのを感じた。
基地の入口に近づくと、歩哨の兵士が槍を構えて立ち塞がった。
「止まれ。ガキがなんの用だ」
僕は一歩前に出て、できるだけ丁寧に言った。
「あの、エクス村のことで、聞いてほしい話があるんです」
「ガキの悪ふざけに付き合ってる暇はない。さっさと帰れ」
兵士は取り合わず、追い払うように手を振った。
「待ってください! 本当に大事な話なんです!」
「帰れと言っているだろうが!」
それでも、僕は必死に食い下がった。
このままでは、村がどうなるか分からない。せめて話だけでも聞いてもらわなければ──。
押し問答が続くうちに、周囲の兵士たちもこちらを見始めた。
やがて、騒ぎを聞きつけたのか、奥から一人の男が現れる。
魔法師団の制服を着た、貫禄のある初老の男だった。灰色の髪に、鋭い目つき。胸元には、副団長の階級章が光っている。
「なんの騒ぎだ」
「バルド副団長! こちらの子供たちが──」
兵士が、簡単に状況を説明する。
バルド副団長。
そう呼ばれた男は、面倒くさそうに溜息をついた。
「儂らは忙しいんだ。ガキの相手をしている暇は──」
言いかけたところで、男の視線がエイン君に向いた。
その瞬間、彼の顔色が変わった。
目が見開かれる。眉が吊り上がる。顔が、見る見るうちに赤く染まっていく。
「……貴様は」
震える指が、エイン君を指した。
「貴様……! あの時の……!」
副団長の声が、怒りに震える。
「あのときは、よくも、よくも儂に恥を……!」
その表情を見て、僕はようやく思い出した。
あの人は……カツラ剥ぎ取り事件の……!
◆
◇43:名無しの元引きこもり
失敗した
44:名無しの転生者
はい
45:名無しの転生者
フラグ回収早すぎる
46:名無しの転生者
何があったんだよ
◇47:名無しの元引きこもり
それがな、交渉しようと思ったら責任者が急にキレて追い出されたんや
48:名無しの転生者
責任者って、軍隊のトップのことけ?
◇49:名無しの元引きこもり
そう、そいつがハゲ三兄弟の末っ子
50:名無しの転生者
いや誰?
◇51:名無しの元引きこもり
ほら、クラス分け試験のときにハゲ晒したやろ
校長とハゲ教授と、あともう一人
そいつが王国軍の責任者やったんや
52:名無しの転生者
そういやそんな事あったな
◇53:名無しの元引きこもり
ほんでその時のことをまだ根に持ってたみたいなんや
たった一回ハゲ晒ししただけなのに心狭すぎやろあいつ
またハゲ晒ししたろかな
54:名無しの転生者
草
55:名無しの転生者
やっぱりイッチのせいで交渉失敗しとるやんけ!
56:名無しの転生者
もう詰んでねーか?
◇57:名無しの元引きこもり
大丈夫やろ、まだ交渉する当てはあるし
◆
森の中の道を、僕は肩を落として歩いていた。
足取りが重い。王国軍との交渉は、始まる前に終わってしまった。
「悪いな、フレッド。俺のせいで……」
エイン君が、珍しく申し訳なさそうに言った。
「いいよ。どうせ、話を聞いてもらえなかったと思うから……」
そう答えたものの、胸の中は沈んだままだった。
どうしよう。
このままじゃ、村は……。
その時、エイン君がふと立ち止まった。
「そうだ。帝国の方にも行こうぜ」
「え?」
驚いて顔を上げる。
「でも、敵国だし……まずいんじゃないか?」
「まだ戦争になってないし、俺らはガキの見た目だ。いきなり攻撃されるわけじゃないだろ」
エイン君は、相変わらず楽観的だった。
「それに、あっちが引けば、王国軍も引くかもしれないだろ」
僕は、少し考えた。
確かに、その通りかもしれない。
可能性は低い。危険もある。けれど、何もしないよりはましだった。
「……分かった。行ってみよう」
僕たちは王国軍の基地を避けるように森を迂回し、帝国側の陣地へ向かうことにした。
◆
◇67:名無しの元引きこもり
なんか帝国に捕まって捕虜になってもうたんやけど
68:名無しの転生者
いきなりで草
69:名無しの転生者
なんでだよ
◇70:名無しの元引きこもり
いや、普通に帝国の陣地に向かおうとしたら、普通に斥候に見つかって捕まった
71:名無しの転生者
そらそうよ
72:名無しの転生者
まぁ敵国側から向かってくる民間人とか怪しすぎるからな
73:名無しの転生者
フレッド君は止めへんかったんか?
74:名無しの転生者
ちゅーても軍人でもない一般市民じゃそこまで考えつかんやろ
◇75:名無しの元引きこもり
そうやで !ワイらは無害な一般市民やぞ! ジュネーヴ条約はどうなってるんだ、国際法違反やぞ!
76:名無しの転生者
無害?
77:名無しの転生者
お前みたいな一般市民がいるわけねーだろ
78:名無しの転生者
そもそも捕虜の価値なんかあるのかこいつに
79:名無しの転生者
またなんかやらかす前に収容所送りにしたほうがいいだろ
◆
帝国軍の陣地。
フレッドとエインは、縄で縛られたまま天幕の中へ連れてこられた。
内部は薄暗い。だが、奥に座る男の存在感だけは、はっきりと分かった。
貫禄のある体格。鋭い眼光。黒い髪に混じる、幾筋もの白髪。顔には戦場で刻まれたらしい傷跡があり、肩には将軍の階級章が輝いている。
「ヴォルフ将軍、不審者を連行しました」
兵士が敬礼する。
ヴォルフは、値踏みするように二人を見た。
「……これが、不審者か?」
「はっ。国境付近で発見しました。それぞれフレッド、エインと名乗っています」
ヴォルフは眉根を寄せる。
「兵士でもなんでもない。ただのガキじゃねぇか」
部下の兵士が、気まずそうに視線を逸らした。
ヴォルフは興味深そうに二人を眺めた。指で顎を撫でながら、じっくりと観察している。
「で、何しに来た」
エイン君が、臆することなく答えた。
「俺たちは商人だぜ。ものを売りに来たんだよ」
天幕の中に、短い沈黙が落ちた。
ヴォルフの目が、わずかに細められる。
面白い。
彼は内心でそう思った。
この小僧は、まったく怯えていない。普通なら、泣き出すか、震え上がるか、そのどちらかだ。だが、こいつは堂々としている。
「……商人?」
ヴォルフの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「興が乗った。解放してやれ」
「しかし、将軍!」
「構わん。話を聞いてやろう」
兵士が渋々、二人の縄を解く。
「商品が入ってるんだろう? 没収していた荷物を返してやれ」
ヴォルフが命じると、兵士が二人の荷物を持ってきた。
フレッドは一礼して荷物を受け取り、深く息を吸い込む。
言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「……僕たちの村が、いま王国軍に占拠されています」
声が少し震えた。
それでも、フレッドは続ける。
「家も畑も奪われて、村の人たちは避難生活を強いられています」
ヴォルフの表情に、かすかな変化があった。
だが、まだ黙って聞いている。
「王国軍が来たのは、国境近くで見つかった鉱山のためだって聞きました。だから──もし帝国軍の皆さんが鉱山を放棄して撤退してくれれば、王国軍も理由を失って、村から引いてくれるかもしれないんです」
フレッドは一度エイン君を見てから、再びヴォルフに向き直った。
「それが、村を守る一番平和な道だと思って……僕たちはここに来ました」
天幕の中に、短い沈黙が落ちる。
フレッドは荷物の中から一枚のスクロールを取り出した。
両手で掲げるようにして、ヴォルフの前に差し出す。
「そのために──これをお渡しします」
そして、はっきりと言った。
「このスクロールを使えば、鉄を大量に生成できます。鉱山にこだわる理由は、なくなるはずです」
周囲の兵士たちが、嘲笑った。
「馬鹿なことを言うな」
「ガキの戯言だ」
「将軍、こんな連中はさっさと──」
「まあいい」
ヴォルフが片手を上げ、兵士たちを制した。
「試してみよう」
どうせ、嘘だろう。
だが──退屈しのぎにはなる。
ヴォルフはそう考えていた。
フレッドは、地面にスクロールを置いた。
裏返しにして、深く息を吸い込む。手のひらをスクロールに当て、魔力を流し込んだ。
次の瞬間──地面から、鈍い銀色の光が広がった。
天幕の床が、壁が、次々と鉄に変わっていく。
ごつごつとした質感。金属特有の、冷たい光沢。
兵士の一人が、恐る恐る床を踏んだ。
硬い。
本物だ。
その場が、静寂に包まれた。
ヴォルフは目を見開いていた。
これは──。
フレッドの魔力量は、相当なものだ。
あの年齢で、この出力。そして、このスクロールの性能。
彼の頭の中で、計算が回り始める。
しばらく沈黙が続いた。
ヴォルフは床に目を落としたまま、何も言わない。フレッドは息を詰め、固くスクロールを握っていた。
その横で、エイン君がちらりとヴォルフの様子をうかがう。
そして──タイミングを見計らったように、一歩前へ出た。
「お客様! 商品はこれだけじゃありませんよ!」
静寂を破る声が、天幕に響いた。
「今ならなんと! こちらの造幣スクロールもお付けします!」
「……は?」
ヴォルフが、ゆっくりと顔を上げる。
わずかに眉をひそめていた。
だが、エイン君はまったく気にしない。
懐から別のスクロールを取り出すと、ヴォルフの眼前の机に、ばんっ、と叩きつけた。
「このスクロールは金貨を作ることができるんです! 実演してみせましょう!」
エイン君はスクロールを拾い上げ、そのまま地面に押し当てた。
魔力を流し込む。
光が弾けた。
「では、ご覧ください!」
エイン君が、スクロールを剥がす。
そこには──金貨があった。
地面に埋め込まれるようにして、黄金色に輝いている。
エイン君は金貨を拾い上げ、ヴォルフに差し出した。
「ほら、この通り! 簡単でしょう? 期間限定ですよ! 二枚セットで撤退一回、いかがですか!」
周囲の兵士たちが、唖然とする。
ヴォルフは差し出された金貨を手に取った。
じっくりと眺める。重さを確かめる。
「……ほう」
しばらくの沈黙。
ヴォルフは顔を上げ、エイン君を見据えた。
「だが、本物より質が高い偽物など、都合が悪い」
冷静な声だった。
先ほどの「商人」のペースを、一気に引き戻す声。
「本物と寸分違わぬ金貨が作れるなら、“撤退”について考えてやろう」
エイン君は、にやりと笑った。
「そうですか! わざわざ下位互換がお望みとは、通なお客様ですね!」
そして、胸を張る。
「ですが、お客様のご要望とあらば──」
エイン君は即座にスクロールを改造し始めた。
羽ペンを取り出し、術式に書き込みをしていく。迷いはない。わずか数十秒で手を止めると、再び魔力を流し込んだ。
新たな金貨が生成される。
ヴォルフはそれを手に取り、検分した。
重さ、質感、刻印──すべてが完璧だった。
「……見事だな」
彼は満足げに頷いた。
「だが、考えたが──」
そこで、わずかに間を置く。
「やはり、紙切れ二枚で軍は動かせないと決めた」
ヴォルフの唇の端が歪む。
「せいぜい、お前たちを解放するくらいの代金にはなるがな」
「は?」
二人が、同時に声を上げた。
「そんな! 話が違います!」
フレッドが抗議する。顔が真っ赤になっていた。
ヴォルフは、冷静に諭す。
「考えると言っただけだ。断らないとは言っていない」
間を置いて、さらに続ける。
「そもそも──我々の目的は、鉱山を奪うことではない」
その声から、からかうような響きは消えていた。
「王国に鉱山を取らせない。それが我々の任務だ。我々が撤退すれば、この鉱山はそっくりそのまま王国軍のものになる。敵に塩を送るような真似はできん」
その言葉は、あまりにも論理的だった。
反論の余地がない。
「それに」
ヴォルフは続ける。
「我々が引いたところで、王国軍が大人しく撤退すると思っているのか?」
フレッドが息を呑む。
「あの連中は確実に鉱山を確保するため、むしろ駐留を強化するだろう。撤退させるべきは、我ら帝国軍ではない。そもそもの原因である、王国軍の方だ」
フレッドは、言葉に詰まった。
ヴォルフは、その様子を黙って眺めていた。
なるほど。
少年の目を見れば分かる。
諦めていない。まだ、何か別の道を探そうとしている。
そして──隣の黒髪の少年。
エインと名乗った少年は、一度も怯んでいない。
魔法の腕、交渉術、度胸。どれも一級品だ。
使える。
ヴォルフは、ふっと口元を緩めた。
「……面白い小僧どもだ」
「……え?」
「いいか。王国軍に出ていってほしいのは、こちらも同じなんだ」
ヴォルフは腕を組む。
「だが、帝国軍が表立って動けば、戦争になる。お前たちの村も戦場と化すだろう」
間を置く。
「しかし──お前たちなら、どうだ?」
ヴォルフは二人を見据えた。
「その頭と魔法で、王国軍を撤退させてみせろ。裏から、必要な支援はしてやる」
フレッドが、不安そうに口を開いた。
「でも……あんな大人数を攻撃したら、バレてしまうのでは……」
ヴォルフは鼻で笑った。
「力押しで勝つつもりか? 随分な自信家だな。だが、そんなことをしなくても、軍を撤退させる手段はいくらでもある」
そう言って、懐から小さな魔道具を取り出した。
黒い球体に、精緻な魔法陣が刻まれている。
「これは通信用の魔道具だ。王国軍の内部に、こちらの“目”が潜んでいる。必要な情報は、私から届けよう」
ヴォルフは、改めて二人を見据えた。
「作戦で困ったことがあれば、遠慮なく連絡しろ。何か手を貸せるかもしれん」
子供の無謀な挑戦など、成功するはずがない。
彼は、冷静に計算を始めていた。
仮に、この作戦が失敗したとする。
それでも混乱は起きるだろう。犯人探しが始まり、疑心暗鬼が走る。そして、いつかは二人にたどり着く。
王国に戻れば、粛清は免れない。
追い詰められた者が最後に頼るのは、逃げ道を用意してくれた者だ。
困ったことがあれば連絡しろ。
言葉は、すでに投げてある。
いずれ、あの少年たちは自らここへ来る。
一方、もし成功したなら──王国軍が撤退し、鉱山への道が開ける。
どちらに転んでも、帝国に損はない。
あの魔法の才は、王国に置いておくには惜しい。
完璧な賭けだ。
少年たちは、自分たちが“駒”として使われていることに、まだ気づいていない。
ヴォルフは、二人を解放した。




