17-3
その日の夜、野営地では焚き火が赤々と燃えていた。
周囲は静まり返り、木々のざわめきと、ぱちぱちと薪のはぜる音だけが響いている。【精神支配】を受けた盗賊たちが夜警を務める中で、僕は昼間のことを考え続けていた。
精神支配。
確かに、命は救った。物理的な傷も与えていない。
でも──これで良かったのだろうか。
ふと、軽い足音がした。
「今日はありがとうな、フレッド」
隣に腰を下ろしながら、エイン君がそう言った。
「え? 何が?」
「精神魔法のことだよ。お前、精神魔法を使うの嫌だったのに、俺のために使ってくれただろ」
エイン君の声は、珍しく真剣だった。
「本当は俺も、殺しなんて嫌だったんだ。でも、お前が助けてくれた。信念を曲げてまで、俺を救ってくれたんだろ? ……ありがとう。本当に」
言葉に詰まる。
彼は、そんなふうに僕のことを思ってくれていたのか。
「それだけ言いたかったんだ。俺はもう寝る。明日も早いから、フレッドも寝たほうがいいぞ」
そう言って、エイン君は早々に横になってしまった。
僕は一人、焚き火を見つめ続ける。
夜の闇の中で、人形じみた表情の盗賊たちが、無言で歩哨の役目を果たしていた。まるで魂だけを置き忘れた、精巧な人形のようだった。
やがて、御者が僕の隣に腰を下ろした。
焚き火に照らされた彼の顔には、深い皺が濃い影を作っている。
「坊主、あの時は悪かったな。盗賊を殺せ、なんて言っちまって」
彼は炎に視線を注いだまま、静かに口を開いた。
「連れの坊主にも、余計な覚悟を背負わせちまった。本当は大人の俺がやるべきだった。だけどな、お前には俺と同じ思いをしてほしくなかったんだ」
「……同じ思い、ですか?」
思わず顔を上げる。
御者は焚き火ではなく、もっと遠くを見ていた。
「俺は孤児でな。物心付く前に傭兵団に拾われて、若い頃から傭兵をやってた」
炎がぱちぱちと音を立てる。遠くからは、虫の鳴き声がかすかに聞こえていた。
「もう何年も前になるが……ある戦争で、敵軍の若い斥候を捕らえたことがあった」
彼の手が、無意識に足をさすっている。
「そいつ、泣きながら『もう戦争なんて嫌です』って言うんだ。『故郷の家族のために仕方なく兵になりました』ってな」
御者の声が、少しだけ重くなった。
「俺は情けで、そいつを見逃してやった。縄を解いて、武器まで返して、『もう二度と戦場に立つな』って説教までしてやったんだ」
僕は息を呑んだ。
「三日後、その斥候は大勢の仲間を連れて戻ってきた。俺たちが油断しているところを襲われて……仲間は皆殺しにされた」
彼の拳が、ゆっくりと握り締められる。
「俺だけが生き残った。足に怪我を負ってな。それで傭兵は引退することになった」
御者は少し間を置き、それから続けた。
「……『家族のため』なんて言葉も、どこまで本気だったのか、今でもわからん」
「本当にそうなら、あんなこと、できるはずがないと思うんだがな」
「俺はそこで学んだよ。情けは身を滅ぼすってな。甘さは、守るべき人間を死なせるんだ」
静寂が場を支配した。
焚き火の火だけが、変わらず赤く揺れている。
「御者さん」
躊躇いながら、僕は口を開いた。
「僕は……今日、精神魔法を使ってしまいました」
彼が僕を見る。
「あの盗賊たちに。意識を奪って、人格を踏みにじって……」
抑えていた感情が、か細い声となって漏れ出ていく。
「これで良かったのでしょうか。誰も死ななかったけれど、僕がやったことは正しかったんでしょうか」
御者は、しばらく僕を見つめていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「そうか……それで悩んでいたのか」
彼は夜空を見上げた。
「俺も昔は同じだった。初めて人を殺した時、何日も眠れなかった」
しばらくの沈黙があった。
「考えてみれば」
御者は続けた。
「お前たちの【精神支配】……結果だけ見れば、理想的だったのかもしれん」
意外な言葉に、僕は目を見開いた。
「誰も死なず、誰も傷つかない。俺のような古い人間には使えない芸当だが、本当はああいう解決法が一番いい」
その言葉に、僕はますます複雑な気持ちになった。
「だがな、坊主」
御者の声が、不意に鋭くなる。
「なぜあいつらを『護衛』にしたんだ?」
その問いかけが、胸に突き刺さった。
「奴らは盗賊だ。罪を犯した悪人だ。自首させるのが筋だったろう。それを、護衛だと?」
言葉が出てこない。
でも、黙っているわけにもいかなかった。
「それは……彼らが護衛になれば……その方が安全だと思って――」
言いかけたところで、御者が遮った。
「嘘だな」
冷たい声だった。
「本当は、そんな理由じゃないだろう」
僕は口をつぐんだ。
「だが、まぁいい」
御者は肩をすくめた。
「こいつらに護衛をさせるってのも、確かに理にはかなってる。あんたは本来お客さんなんだ。明日からは、少しはゆっくりしてな」
焚き火がぱちぱちと音を立てる。
揺れる炎が、僕の顔を照らしていた。
──。
翌朝、僕たちは昨日と変わらず街道を進んでいた。
【精神支配】を受けた盗賊たちは、まるで訓練された兵士のように馬車の周囲を警護している。彼らの目に人間らしい光はなく、ただ命令を遂行するためだけに存在していた。
この光景に、慣れるはずがない。
……でも、慣れてしまいそうな自分が、どこかにいる。
「おい、お前ら!」
前方から声がした。
二人の男が、街道の向こうから歩いてくる。昨日の盗賊たちと同じような格好をしていた。
僕の心臓が跳ね上がる。
「なんで昨日はアジトに戻らなかったんだ? 頭領が怒ってたぞ」
男の一人が、精神支配された盗賊に向かって言った。
しかし、操られた盗賊は反応しない。表情一つ変えずに歩き続けている。
「おい、聞いてるのか?」
男の声に苛立ちが混じる。
「それに、そいつらは何だ? 見たことのない顔だが」
その瞬間、精神支配された四人の盗賊が、一斉に武器を構えた。
護衛命令に従い、目の前の二人を脅威と判断したのだ。
「おい! なんのつもりだ!」
捜索隊らしき二人が、慌てて後ずさりする。
「手伝わなくていいか?」
エイン君が馬車から身を乗り出し、御者に話しかけた。
「数で勝ってるんだ。その必要はないだろう」
御者も落ち着いていた。
昨日の話もあって、護衛たちに任せるつもりのようだ。
僕は、精神支配された盗賊たちを見つめた。
彼らの目は相変わらず虚ろで、感情というものが存在しない。まるで兵器のように、ただ命令を実行しようとしている。
そして彼らは、容赦なく攻撃を始めようとしていた。
胸に嫌な予感が走る。
このままでは──。
「待って!」
咄嗟に叫んだ。
今度こそ人が死ぬ。それだけは避けたかった。
「【精神支配】!」
慌てて魔法を発動させる。
今度は、うまくいったようだ。
魔法陣が展開し、二人の盗賊の目も虚ろになる。
「攻撃を中止してください」
僕は四人の盗賊たちに向かって命令した。
彼らは武器を下ろし、元の護衛態勢に戻る。
「フレッド、どうしたんだ?」
エイン君が困惑した表情で僕を見る。
「お前、いつの間に精神魔法が好きになったんだ?」
答えが見つからない。
いや、答えたくなかったのかもしれない。
──。
やがて、エイン君は僕の沈黙を見て、話題を変えた。
「まぁいいか。フレッド、そいつらも仲間にするんだろ?」
軽い調子だった。
まるで新しいペットでも飼うかのような口ぶりだった。
「いや」
御者の声が、鋭く割り込んだ。
「今度こそ、こいつら含めて盗賊は全員殺したほうがいい」
「なぜですか? 昨日はああ言ってたのに……」
驚いて彼を見上げる。
昨日は、あれだけ【精神支配】を評価していたのに。
「状況が変わった」
御者の表情は険しかった。
「こいつら、四人組を探してたし、頭領がどうとか言っていた。ただの野良じゃねぇな。おそらく、それなりの規模の盗賊団が近くにある」
御者は、縛られた捜索隊を見下ろした。
「捜索隊まで消えたとなっちゃ、確実に警戒して大勢で調べに来る。今度は本格的にな」
喉が渇く。
状況は、さらに悪化していた。
「盗賊団だってバカじゃない。死体を残せば、手練れがいると思って深入りしなくなるだろう。だから殺す」
「そんな……」
「心配するな。大人の俺がやる。怖けりゃ目でもつぶってろ」
「でも、なんとか殺さないように……」
御者の声が冷たくなった。
「現実を見ろ。もっといい方法があるのか? そうでもないのに、お前が殺さないという選択を選ぶのは……」
彼は僕を見つめている。
「結局それは、お前のわがままだ。お前は逃げているだけだ。昨日も自首させなかったのは、それが理由だな」
その言葉が、胸に突き刺さった。
何も言い返せなかった。
彼の言う通りだ。
僕は最初から最後まで、決定的な選択から逃げ続けている。殺すことも、見捨てることも、裁くこともできない。ただ問題を先送りにして、自分の良心を慰めているだけだ。
でも。
僕は頭を上げた。
それの何が悪いというのだろう。
確かに現実は厳しい。御者の言うような判断が「正しい」のかもしれない。でも、僕にはどうしてもできない。
人が死ぬところを見ているのが嫌なんだ。誰かに人を殺させるのも嫌なんだ。
それが甘さだと言われても。
逃げだと言われても。
もう、後戻りはできない。
「そうです」
僕は声を張り上げた。
「わがままです。僕は人が死ぬところを見たくないし、人一人殺せない甘ちゃんです」
手は震えていた。
それでも、言葉は止まらなかった。
「だけど、僕は誰にも死んでほしくないし、エイン君にも、あなたにも、人は殺してほしくない。それが現実逃避だと言われても、僕はわがままを通します。殺すよりも、もっといい方法を考えます」
言葉にした瞬間、気持ちは決まっていた。
風が、草を静かになでていく。
そんな中で、エイン君の声が響いた。
「かっこいいぞ! フレッド!」
僕は驚いて彼を振り向いた。
「俺も協力するぞ。一緒に作戦を考えようぜ!」
まるで祭りでも見物しているかのような、軽い調子だった。
でも、その言葉は確かに心強かった。
御者は、僕たちのやり取りを黙って見ていた。
しばらく考え込むような表情を浮かべてから、静かに頷く。
「……しゃあねぇな」
彼は苦笑いを浮かべた。
「客のわがままを聞くのも、御者の務めってやつだ。……ったく、付き合ってやるよ」




