17-2 All for You Need Is Kill
馬車の車輪が石畳を叩く音が、単調なリズムを刻んでいた。
窓の外をぼんやり眺めているのに、なぜか心は落ち着かない。今朝から胸の奥で小さなざわめきが続いていて、それが時間とともにじわじわ広がっていくような気がした。
王都を出てから、それなりの時間は経っているはずだ。窓の外では、太陽もだいぶ西に傾いている。
「御者さん」
僕は前方の御者台に声をかけた。
「エクス村まで、どれくらいかかりますか?」
「そうですねぇ」
御者は振り返ることなく答えた。
「他にお客さんもいませんし、馬車が軽いもんで……五日ってところでしょうか」
思っていたより、ずっと長い。
「へぇ、意外とかかるんだな」
隣に座るエイン君が、いつものように気楽な声で言った。
「まぁ焦らず行こうぜ、フレッド。暇だし、また魔法教えてやるよ。【精神支配】とかどうだ? 精神魔法の基礎ができてるお前なら……」
「いや、僕はそういうのは……」
慌てて手を振る。精神魔法なんて、そんな物騒なものを使いたくはない。それに──。
「そんな暇はありませんよ」
御者の声が、僕たちの会話に割り込んだ。
「あんたらは客だが、護衛でもあるんだ。ちゃんと気を張ってもらわなきゃ困りますよ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、前方から複数の人影が現れた。
四人組の男たちが、まるでこちらを待ち構えていたかのように馬車の進路を塞いでいる。粗末な服装だが、全員が武器を手にしていた。そのうち一人は、すでに弓を構えている。
「よう、お疲れさん」
先頭の男が片手を上げ、馬車を止めさせた。薄汚れた髭を生やした顔に、油断のない鋭い目つきが浮かんでいる。
「ちょっと通行料を頂きたくてな。そんなに取りゃしないから、素直に出してくれや」
盗賊だ。
しかし、エイン君は慌てる様子もなく、むしろ面倒臭そうな顔で懐から金貨を取り出した。
「はいはい、これで足りるか?」
彼が放った金貨が宙を舞い、盗賊の足元に落ちる。
「さっさと通してくれ。急いでるんだ」
けれど、盗賊たちの表情は緩まなかった。むしろ、獲物を見つけた狼のように、目つきが一段といやらしくなる。
「ほうほう、随分と気前がいいじゃないか」
盗賊の一人が金貨を拾い上げ、仲間たちと意味深な視線を交わした。
「こりゃあ、たんまり持ってそうだな。悪いが、もうちょっと出してもらおうか」
エイン君の表情が険しくなった。
「調子に乗るなよ。金はもうないし、作ってる暇もないんだよ」
そう言って、彼は一枚のスクロールを盗賊たちに投げ渡した。
「ほら、これをやるから、お前らで勝手に作ってろ」
盗賊はスクロールを受け取り、中身を確認した。
「“ぞうへいごっこ”だと……?」
彼は一瞬呆然とし、それから顔を真っ赤にして叫んだ。
「ふざけるな! 俺たちを馬鹿にしてんのか!」
空気が一変した。
盗賊たちが武器を構え、明らかに戦闘態勢に入る。弓を持った男は弦を引き絞り、他の者たちは剣や斧を手に、じりじりと馬車へ近づいてくる。
「フレッド! やるぞ!」
エイン君の声が聞こえた。
胸の奥で、心音が早鐘のように響く。いつかの実戦を思い出す。今度はうまくやれるだろうか。
弓を構えた盗賊が、こちらを狙っている。
迷っている暇はなかった。
「【防壁弾】!」
光の盾が一直線に飛び、弓を構えた盗賊の胸に直撃する。
衝撃で盗賊の体が後方へ吹き飛び、背中から地面に叩きつけられた。呻き声を上げたまま、彼は動かない。手を離れた弓だけが、くるくると宙を舞って落ちた。
戦闘訓練の授業でよく使っていた魔法だ。実戦でも、どうやら通用したらしい。
「【痛覚刺激】」
エイン君も、すでに動いていた。
その声は冷静だった。近づいてきた盗賊の一人が、突然悲鳴を上げて身悶えし始める。
すぐに彼は、次の標的へ手を向けた。
「【痛覚刺激】」
しかし、先ほどの光景を見た盗賊は警戒していたらしい。横へ飛び退き、魔法を避ける。
「くそっ」
エイン君が舌打ちした。
体勢を崩したその盗賊に向けて、僕は二発目を放つ。息を整え、狙いを定めた。
「【防壁弾】!」
光の盾が盗賊の脇腹に激突した。盗賊は横向きに勢いよく吹き飛ばされ、木に背中を強打して地面に崩れ落ちる。そのまま動かなくなった。
「ただのガキかと思ったら魔法使いかよ!」
残った最後の盗賊が、恐慌状態で御者に向かって突進する。
僕がもう一度魔法を放とうとした瞬間、御者が素早く動いた。
彼は足元にあった拳大の石を掴むと、鋭い動作で投げつけた。石は一直線に盗賊の額へ飛び、正確に命中する。
鈍い音とともに、最後の盗賊も地面に崩れ落ちた。
戦闘は終わった。
時間にして、一分もかからなかっただろう。
深く息を吐く。実戦は初めてではない。それでも、手の震えはまだ止まらなかった。
気がつくと、盗賊たちは全員縄で縛られていた。御者が手慣れた様子で、あっという間に縛り上げていたらしい。
「よし、じゃああんたらはとどめを刺してくれ」
「えっ」
僕は耳を疑った。
「まいったなぁ、俺は平和主義者なのに」
エイン君も困った表情を浮かべている。けれど、その困り方は、僕とはどこか違っている気がした。
「無力化したのに、殺さなくても……」
声がわずかに上ずった。
縛られた盗賊たちを見下ろす。とどめを刺す。そんなことが、この人たちにとっては当たり前なのか。
「じゃあどうしろってんです?」
御者は当然のような顔で言った。
「王都まで戻って衛兵に引き渡せとでも? 時間の無駄でしょう。どうせ死刑になるんだ。さっさとここで殺しちまったほうがいい」
言葉が出ない。
論理だけなら、彼の言う通りなのかもしれない。でも、それでも──目の前にいるのは、生きている人間だ。さっきまで話していた人間なのだ。
「フレッド」
エイン君が静かに口を開いた。
「元はと言えば、護衛無しで出発させたのは俺だ。お前が嫌なら、代わりに俺が全員殺す。俺がやったことだから、俺が責任を取る」
彼は少しだけ考えるようにしてから、言葉を続けた。
「といっても、人を殺す魔法なんて今まで考えもしなかったからな。今から作るから、ちょっと待ってろ」
胸の奥がざわめく。
エイン君が人を殺す。想像するだけで胃が痛くなる。彼だって、本当は嫌なはずだ。それなのに、僕のために引き受けようとしている。
「君なら、殺さないこともできるんじゃ……」
喉がひきつりながらも、かろうじて言葉を紡いだ。
エイン君は少し考えた。
「そりゃ精神魔法を使えばできるけど、フレッドはそういうの嫌だろ?」
口を開きかけて、止まる。
何と言えばいいのか分からなかった。
エイン君は、僕の気持ちを察して、自分が嫌な役目を引き受けようとしてくれている。でも、僕の気持ちを完全には理解していない。
僕が本当に嫌なのは──。
「危ないから近づくなよ」
彼は僕の沈黙を答えと受け取ったのか、縛られた盗賊に手を伸ばした。
まさか、本当に……!
「【心拍停止】」
エイン君の指先から、細い光線が放たれる。
「【防壁】!」
咄嗟に防御魔法を展開する。
光線は防壁に触れ、パチッと静電気のような音を立てて霧散した。
「……フレッド?」
エイン君が困惑した表情で僕を見つめている。
「どうした? やっぱり精神魔法のほうがよかった?」
僕は口を開きかけた。
「それは……」
そうだ。彼に頼めばいい。
精神魔法を使ってもらえば、誰も死なずに済む。少なくとも、血は流れない。
でも、言葉が続かなかった。
御者も、エイン君も、僕の答えを待っている。
盗賊たちも縄で縛られたまま、僕を見上げていた。恐怖に満ちた目だった。
皆の視線が集中している。
責任の重さが、肩にのしかかる。鼓動が耳の奥で太鼓のように打ち鳴らされる。もう逃げられない。
深く息を吸い込んだ。
「僕がやる」
縛られた盗賊たちに近づく。彼らは意識を取り戻しており、青ざめた顔で僕を見上げていた。
震えを押し殺し、拳を握る。
最初の盗賊が僕の表情を見て、何かを悟ったようだった。
「お、お願いします……!」
彼は必死に叫ぶ。
「俺、もう何もしねぇから! 殺さないでくれ……殺さないで……!」
僕の心臓が激しく脈打つ。
この人は、命の危機に怯えている。でも──僕が今からしようとしていることは、殺すことよりも、ずっとおぞましい行為かもしれない。
「それ……何をする気なんだ……? 魔法、か……?」
盗賊は歯の根が合わないのか、言葉がはっきりしなかった。恐怖に濁った目で、僕の手の動きを見つめている。
僕は立ち止まった。
でも、やるしかない。
──これは、僕が初めて使う魔法。
今までエイン君から教えてもらったあらゆる知識。そして、あの裁判の記憶。
そのすべてが脳内でかっちりと噛み合い、一つの答えを示した。
「【精神支配】」
僕の手から魔法陣が展開される。
やはり使えてしまった。術式は不安定だが、確実に発動している。
魔法陣が揺らめいた。
「あ……あれ?」
盗賊が、自分の体に起きている変化に気づく。
「何だ……何が起きて……」
彼の目に困惑が浮かぶ。徐々に、自分の意識が薄れていくのが分かるのだろう。
「や、やめろ……頭の中に……何かが……」
声が掠れる。
瞳から、人間らしい光が少しずつ消えていく。
「俺は……俺は誰だ……?」
恐怖に歪んだ表情のまま、盗賊の目が虚ろになっていく。それはまるで、生きながら魂だけを抜かれていくかのような光景だった。
僕は無理やり魔力を絞り出し、術式を安定させる。
「あなたには……」
一瞬、迷った。
何と言えばいいのだろう。
「僕たちと一緒に、護衛をしてもらいます」
盗賊の目の色が完全に変わった。
ついさっきまで人間の意志が宿っていた瞳は、今や空っぽになっている。
僕が縄を解くと、彼は静かに立ち上がり、馬車のそばに無言で立った。
そこに、もう彼自身の意志はない。
その光景を見て、残りの盗賊たちが絶叫した。
「な、何だ……今のは……!」
「化け物だ……! 仲間に何しやがった!」
「こんなの、人間のやることじゃねぇ……!」
彼らの罵声が突き刺さる。
僕は顔を逸らした。
「……御者さん。これなら……殺さなくて済みますよね」
ごまかすように言った。声が震えている。
「……なるほど、確かにそうだ」
御者は複雑な表情で言った。
「フレッド、お前いつの間に【精神支配】を使えるようになったんだ?」
エイン君は驚いたような声で呟く。
「君と一緒にいた、おかげかな……」
僕は苦笑いを浮かべながら答えた。
そして、がくりと膝をつく。
足に力が入らなかった。
魔力の消耗なのか、精神的な疲労なのか、僕にはわからない。ただ、頭がくらくらして、視界が揺れている。
「おい、フレッド! 大丈夫か?」
エイン君が慌てて僕に駆け寄った。
「無理するなよ。後は俺がやっとくから」
彼は残りの盗賊たちを見て、何気なく手を振った。
「【精神支配】」
あっさりと、残りの盗賊たちも同じ状態になる。
エイン君の魔法は滑らかで、盗賊たちは混乱も焦りもなく、ただ静かに支配された。彼らは何も言わずに頷き、立ち上がって馬車の周囲に配置につく。
誰も死ななかった。
誰も血を流さなかった。
しかし、胸の奥には、重い塊のようなものが沈んでいた。




