17-1 アイスブレイク義務
僕の部屋に、故郷からの郵便が届いていた。
エクス村からの封筒が二通。
いつもなら一通だけなのに、今日はなぜか数が多い。
まず手に取ったのは、見慣れた両親の丁寧な字で宛名が書かれた封筒だった。封を切って中を確認すると、そこにはいつも通りの近況が綴られていた。
村の様子。家族のこと。そして最後は、決まって同じ言葉で締めくくられている。
『村は平和だから、私たちのことは気にせず、魔法学校の勉強を頑張りなさい』
そして、同封されていた妹ミリーからの手紙も、やはりいつもの調子だった。
『おにいちゃんへ。
にんじんをのこしたら、おかあさんにおこられました。
はやくかえってきて、かわりにたべてください』
思わず笑みがこぼれる。
僕が魔法学校に行くと決まった日、ミリーはこの世の終わりのように泣いていた。けれど手紙では、いつもこんな調子だ。
先月はたしか、「せんたくもので、おおきなどろだんごをつくったら、おかあさんにおこられました」だった。そして最後は、やはり決まって「はやくかえってきて」で終わる。
変わらない平和な便りに、ほっと安堵の息が漏れた。
自然と肩の力が抜ける。
そんな気持ちのまま、僕はもう一通の封筒へ手を伸ばした。
だが、その封筒を見た瞬間、首を傾げる。
差出人の名前は、ミリー。
消印も同じエクス村。けれど、同じ日に、わざわざ別の封筒で送ってくる理由が分からなかった。
封を開け、手紙を取り出す。
その瞬間、僕は思わず言葉を失った。
『むらがたいへんなのではやくかえってきてください』
明らかに、いつもの調子ではない。
短い文面なのに、そこにはミリーらしい無邪気さが微塵も感じられなかった。
僕は二通の手紙を机の上に並べ、見比べた。
同じ日、同じ村、同じ妹から届いたはずなのに、まるで別人が書いたもののように見える。
けれど、両親の手紙には、はっきりと「村は平和」と書かれている。
父さんと母さんがそう言っているのに、ミリーだけが「大変」と訴えている。
もちろん、ミリーはまだ小さい。
些細なことを、大げさに感じただけかもしれない。
(でも、この震える文字は……)
もし冗談なら、笑って叱れば済む。
けれど本気なら、僕はどうすればいい。
コンコン。
控えめなノック音に、僕は手紙から顔を上げた。
「エイン君……?」
扉を開けると、当の本人がそこに立っていた。
「よう、フレッド」
「どうしたの?」
「ちょっと学校を離れるから、挨拶にな」
そう言いかけた彼は、僕の顔を見るなり首を傾げた。
「……それより、お前の方が元気ないじゃないか。何かあった?」
僕は視線を手紙に戻した。
「……家族から手紙が来たんだ。でも、ちょっとおかしくて」
二通の手紙を差し出しながら、僕は事情を説明した。
「ミリーは、ふざけたことばかり書く子だけど……こんな冗談はしない。でも、両親の手紙には何も問題ないって書いてある。僕が、勝手に騒いでるだけかもしれない……」
迷いをそのまま口にすると、エイン君は机に置かれた手紙へ視線を落とした。
そして、あっさりと言う。
「村に帰ればいいじゃん」
まるで昼飯の献立でも決めるような、あまりに軽い言い方だった。
けれど、その声は驚くほど真っ直ぐだった。
僕は思わず、ぽかんと彼を見つめる。
「……え?」
「だから、帰って確かめれば済む話だろ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の中で固まっていたものが、ふっとほどけた気がした。
そうだ。
僕は、何を迷っていたんだろう。
こんなに簡単な話だったのに。
「……そうだね」
自然と、言葉がこぼれた。
「僕、帰るよ。エクス村に」
エイン君は、ふっと口元を緩めた。
「そっか。じゃあ、俺も一緒に行くぜ」
「えっ……?」
あまりに自然な言い方だったので、思わず聞き返してしまった。
「でも……僕の家のことだし……」
「昨日、解雇されたばっかでな。暇なんだよ。それに、お前には世話になってるしな」
呆れるよりも先に、胸の奥がじんわりと温かくなっていく。
いつも滅茶苦茶で、常識なんて微塵もない。
なのに、こういうときは迷わず手を貸してくれる。
「……ありがとう」
自然と口をついて出た言葉だった。
「じゃあ、馬車乗り場に行こう」
僕たちは、急いで出発の準備を始めた。
◆
陽が高く昇った頃、僕とエイン君は王都の外れにある馬車乗り場へ駆け込んだ。
けれど、そこに広がっていたのは、拍子抜けするほど閑散とした光景だった。
朝の便はもう出てしまったらしく、残っていたのは整備中らしい馬車が一台きり。商人や旅人の姿もまばらで、さっきまでの街の喧騒が嘘のようだった。
「困ったな……」
これでは、今日中にエクス村へ向かうのは難しい。
そう思ったとき、馬車のそばで作業をしていた男が、僕たちに気づいて声をかけてきた。
「お客さん、どちらまで?」
「エクス村方面なんですが……」
「ああ、それなら来週だな。この間、うちの仲間が向かったばかりだ」
来週。
そんなに待ってはいられない。
僕が言葉に詰まっていると、エイン君がすっと前に出た。
「その馬車、今すぐ出せないか?」
「え?」
男は目を丸くする。
「そりゃ、できなくはないが……こいつぁ乗合馬車だ。他の客がいないと出せねぇよ」
「貸し切りでも構わない」
そう言って、エイン君は懐から何気なく金貨を取り出した。
一枚や二枚ではない。手のひらの上に、じゃらりと音を立てて何枚もの金貨が並ぶ。
「これで足りるか?」
金貨の輝きに、男の目が見開かれた。
「こ、これは……」
男は金貨を手に取り、しげしげと眺める。
しばらく黙り込み、僕たちと金貨を交互に見比べた。
けれど、やがて首を横に振る。
「……金は足りる。だが、護衛がいない。今のままじゃ出せねぇな」
エイン君は一拍だけ考え込み、それからあっさりと言った。
「なら、俺たちがやる」
そして軽く手を振りながら、僕の方を振り返る。
「フレッド、それでいいか?」
僕は迷った。
護衛なんてやったことがないし、旅路の危険だって当然ある。そもそも、学生二人を護衛代わりにするのがまともな判断なのかも分からない。
けれど、あの震える文字が頭から離れなかった。
今は、立ち止まっている場合じゃない。
僕はうなずき、男の方へ向き直る。
「僕も護衛をやります。お願いです、馬車を出してください」
男は黙って、しばらく僕の顔を見ていた。
やがて、ため息まじりにうなずく。
「……まあ、いいだろう」
◆
石畳の道を抜け、馬車が未舗装の街道に入ると、景色は一気に寂しくなった。
がたがたと揺れる車内で、僕はエイン君に頭を下げる。
「ごめん、エイン君。僕の問題なのに、お金まで出させてしまって……。このお金は、後で必ず返すから」
「気にすんなって。いつもの礼だって言ったろ?」
そう言って、彼は悪びれもせず続けた。
「それに、この金だって原価はほとんどゼロだからな」
「……え?」
嫌な予感がした。
「どういう意味?」
僕が問い返すと、エイン君はあっさりと答える。
「鉄塊から金を錬金してるんだよ。裁判のときにフレッドが買ってきてくれた法典も、その金だぞ」
思わず頭を抱えた。
「つまりそれって……贋金じゃないか!」
だがエイン君は、首を傾げるばかりで、まるで悪びれた様子がない。
「贋金? 違うぞ。これはちゃんと金でできてる。むしろ、国の貨幣より金の含有量が多いくらいだ」
「そういう問題じゃない!」
がたがたと揺れる車内に、僕の声が響いた。
エイン君は、まるで僕が何か変なことを言っているみたいに、じっとこちらを見てくる。
「君は、王国の法を破ってるんだ! どう考えたって、悪いことだよ!」
それでもエイン君は、不思議そうに首をかしげるだけだった。
「その“悪い”ってのは、法律が勝手に言ってるだけだろ。俺は悪いことだと思わないけどな」
……話が通じない。
僕がもう一言、言い返そうとしたときだった。
エイン君の声が、少しだけ静かになる。
「それにな、俺が捕まった時は、その“悪いこと”で作った金で買った法典が、俺の命を救ったんだ」
その顔に、いつもの軽薄さはなかった。
「……っ!」
確かに、あのとき彼は死刑になるかもしれなかった。
僕が買ってきた法典がなければ、状況はもっと悪くなっていたかもしれない。
でも、それと今回のことは違う。
違うはずなのに、うまく言葉が出てこなかった。
僕が黙っていると、エイン君は続ける。
「フレッド、お前は早く村に帰りたいんだろ? 金が本物かどうかとか、正しいかどうかなんて、今は気にしてる場合か?」
何も言い返せなかった。
少し間を置いて、エイン君はさらりと付け加える。
「まあ、嫌ならやめるよ。これはフレッドの問題だし、俺は勝手についてきてるだけだからな」
もし、ここで僕が“やっぱり駄目だ”と言ったら。
定期便を待って、出発は一週間後。
その間ずっと、ミリーはあの小さな手で、助けを待ち続けることになる。
法律を守ることは、たしかに正しい。
でも、それで妹を助けられなくなるのなら。
僕は、口を閉ざした。
◆
馬車が王都の門に差しかかったとき、空気が変わった気がした。
「お疲れ様です。身分と行き先をお聞かせください」
門兵が定型文のような調子で聞き取りを始める。
僕が学生証を見せて説明を済ませると、今度はエイン君の番だった。
エイン君が名前を名乗った瞬間、門兵たちの表情が一変する。
「エインだと……? お前、ギルバート・モーリスの不正に関する重要参考人として手配されているぞ。詳しく話を聞かせてもらおうか」
「そんなの知らねぇよ。急ぎの用なんだ。行かせてくれ」
エイン君が面倒くさそうに返すが、門兵は首を横に振った。
「とにかく、詰め所に来てもらう」
「……ったく、めんどくせぇな」
エイン君はため息をつき、僕の方を見て言った。
「すぐ追いつくから、先に行っててくれ」
その一言で、すべてを察した。
また、精神魔法でなんとかするつもりだ。
そういう顔だった。
たしかに、それが一番手っ取り早いのかもしれない。
でも、それはもう、やらせたくなかった。
これ以上、エイン君に罪を重ねさせたくない。
あんなやり方で進ませたくない。
それに。
今度は、僕の番だ。
「させない……!」
気づけば、叫んでいた。
両手を前に突き出す。エイン君が詠唱を始める、ほんの一瞬だけ先に。
「【防壁】!」
魔力の壁が、門兵たちの前に立ちはだかった。
「なっ!?」
門兵たちが驚きに目を見開く。
「エイン君、乗って!」
僕は彼の腕を掴み、勢いのまま馬車に引っ張り込んだ。
「御者さん、出してください!」
僕の剣幕に気圧されたのか、御者は一瞬迷った末、手綱を叩いた。
馬車が門兵の怒声を振り切って、勢いよく駆け出す。
やってしまった。
でも、後悔はなかった。
◆
ガタガタと揺れる車内。
しばらく沈黙が続いたのち、口を開いたのはエイン君だった。
「なあ、フレッド」
「……なに?」
「今のって、普通に公務執行妨害だよな。さすがに悪いことだと思うよ、俺は」
まるで他人事のように、さらっと。
僕の中で、何かがプツンと切れた。
「君にだけは言われたくない!」
僕のツッコミが、静かな街道に虚しく響いた。




