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16-z ふしぎなまほう ひろまって ▼

 王都調査局・第三分室の日常は、今日もまた、くだらない雑用に費やされていた。


「で、なんで俺たちがペットの猫探しなんか……」


 人通りの多い王都の街角で、若手捜査官ロイスは心底うんざりしたようにため息をついた。


 隣を歩く年配の捜査官グレアムは、そのぼやきを気にも留めず、淡々と答える。


「“調査局”だろうが。迷子の子猫一匹、調査対象としては十分だ」


「そういう問題じゃないですよ! もっとこう、凶悪犯罪とか、国家を揺るがす陰謀とか……そういうのを解決するのが俺たちの仕事じゃないんですか!」


「最近は書類整理ばかりだったからな。身体がなまっていたところだ。散歩にはちょうどいい」


 グレアムは、どこか楽しむような皮肉を口元に浮かべた。

 ロイスが天を仰ぎ、さらなる不満を口にしようとした、まさにその時だった。


「グレアムさん、ロイスさん!」


 石畳を蹴る軽やかな足音とともに駆けてきたのは、新人のフィーネだった。

 額にはうっすら汗がにじんでいるが、その表情には達成感が満ちている。


「見つけましたよ!」


 小走りで近づいてくる彼女の腕の中には、白くふわふわした毛玉のような子猫がいた。

 まん丸な瞳に、ピンク色の小さな鼻。依頼主が血眼になって探していた“タマちゃん”に間違いない。


「魚屋さんの裏で、お魚の匂いにつられてたみたいです!」


 嬉々として報告するフィーネの腕の中で、子猫が「ニャー」と小さく鳴く。

 人懐っこく丸まるその姿は、通りすがりの市民までもが思わず足を止めるほど愛らしかった。


「おお、よくやったな」


 グレアムが満足げに頷いたその時、ロイスの表情にかすかな陰が差した。


 無邪気なフィーネは、それに気づかず子猫を高く掲げる。


「ほら見てください、ロイスさん! めちゃくちゃ可愛いですよ!」


 タマちゃんのまん丸な瞳が、真っすぐロイスを見つめた。

 すると彼は、わずかに口元を引きつらせながら、一歩だけ後ずさる。


「あー、うん……可愛いな……」


 明らかに気まずそうに視線を逸らしながら、さらに半歩下がる。


「あれ?」


 フィーネが首をかしげた。


「ロイスさんって……もしかして猫、苦手なんですか?」


「いや、別に……そんなはずは……」


 戸惑いの表情を浮かべながらも、ロイスは無意識にまた距離を取ってしまう。

 自分でも理由が分からないらしく、その顔には本気の困惑がにじんでいた。


「避けてますよね?」


 フィーネがじりじり近づくたび、ロイスもじりじりと後退していく。

 そんなやり取りを、グレアムは面白そうに眺めていた。


「前は平気だったと思うがな。いつからだ?」


「わかりません……急に、なんでこんな……」


 ロイスの声には、自分でも理解できない変化への戸惑いが滲んでいた。

 だが、当の猫は変わらず「ニャー」と呑気に鳴いているだけで、特に害意などあるわけもない。


「まあいい。飼い主のところに届けてこい」


 グレアムが、飄々とした調子で指示を出す。


「えー、せっかく仲良くなったのに……」


 フィーネは名残惜しそうに子猫を見つめたが、素直にその場を離れていく。

 遠ざかるタマちゃんの鳴き声を聞きながら、ロイスはどこか安堵した表情を浮かべた。


 だが、そんな和やかな空気は、街の向こうから響いてきた喧騒によって、あっさりと断ち切られた。


「あれは……」


 グレアムの視線の先では、数人の衛兵が一人の男を取り囲んでいた。

 男は衛兵に腕を掴まれながら、必死に何かを訴えている。


「ま、待て、これは明らかな誤認逮捕だ! この論文を書いたのは私じゃない!」


 興味を持ったグレアムが歩み寄る。


「おい、ジョンソン。どうした?」


 衛兵の一人、ジョンソンがグレアムに気づくと、ぱっと表情を明るくした。


「おおっ、グレアム! ナイスタイミング!」


 まるで救世主でも現れたかのような勢いで、ジョンソンは男を引きずったまま駆け寄ってくる。


「さっきこの男を国家反逆罪で逮捕したんだが、厄介な案件……いや、忙しくて連行する暇もないんだ! 引き取ってくれ!」


 そう言いながら、ジョンソンは男の腕を掴んだまま、グレアムに押し付けるように突き出した。


「いや、ちょっと待て。詳しい事情を──」


「ほら、証拠の論文もある! じゃ、あとは任せた!」


 グレアムが言い終えるより早く、ジョンソンは衛兵たちを引き連れ、逃げるように立ち去ってしまった。


「……国家反逆罪、か」


 押し付けられた男と論文を見下ろしながら、グレアムがぽつりと呟く。


「良かったな、ロイス。念願の“国家を揺るがす陰謀”の登場だ」


 振り返って皮肉を飛ばすグレアムの横で、ロイスは深いため息とともに頭を抱えていた。


    ◆


「──で、状況を整理すると」


 王都調査局の取調室に移動したグレアムは、手元のメモをめくりながら淡々と口を開いた。


「氏名、ギルバート・モーリス。職業、王立魔法学校校長……だった男」


 その肩書きからして、すでに面倒の匂いがする。

 グレアムはうんざりした様子を隠しもせず、さらに続けた。


「生徒のエインが問題を起こして逮捕されたので、ついでに退学処分にした。そのどさくさで前の校長に責任を負わせ、自分が新しい校長に就任。ところが、そのエインが今度は“教職志望”とか言い出して戻ってきたので採用した」


 隣でメモを書いていたロイスが、露骨に眉間の皺を深める。


「さらに、そのままエインに論文を書かせ、学会で発表しようとしたが……当日、論文の中身が差し替えられていて、今度は自分が国家反逆罪で現行犯逮捕。──で、今に至る」


「にわかには信じがたいですが、当人はそう主張しているようですね」


 ロイスがペンを止めて顔を上げる。


「本当なのです!! 私は完全に騙されたのです! あの小僧……エインという名の悪魔に!!」


 傍らでギルバートが、怒りと屈辱の入り混じった声を上げた。

 しかし、ロイスは露骨に眉をひそめ、ため息をひとつ吐くだけだった。


「仮に話が全部本当だとして……【啓導の光輪】なんか研究して、いったい何がしたかったんだか」


「俺も魔法学校出身だから分かるけど、あれってただの光る儀式だろ? 入学式の演出用。あんなもんを論文にまとめる必要なんて──」


 そこまで言いかけて、ロイスはふと机の上に視線を向けた。


 先ほどまで、確かに置いてあったはずの“物証”が見当たらない。


「……論文、どこ行った?」


 その時、背後から紙をめくる音が聞こえた。


 振り返ると、いつの間に戻ってきたのか、フィーネが分厚い論文のページを夢中でめくっていた。

 その表情はまるで、寝る前にお気に入りの絵本を読んでいる子供のようだった。


「こらっ!」


 ロイスが慌てて駆け寄り、彼女の頭をぺしりと軽く叩いてから論文を取り上げる。


「あいたっ」


 フィーネが頭を押さえながら振り返る。

 その顔には、叱られた子供のような困惑と、どこか楽しげな悪戯笑いが浮かんでいた。


「勝手に物証を見るな」


「だって、面白そうだったんですもん」


 フィーネの答えは屈託がない。

 しかし次の瞬間、彼女の目が何かを思いついたように輝いた。


「あ、そうだ!」


 勢いよく立ち上がった拍子に、椅子がガタンと音を立てる。

 そしてフィーネは、取調室の真ん中で両腕を高く広げた。


「すべてを統べる王、エルディスの名のもとに──ロイスよ、我に従えっ!」


 演劇の舞台に立つ役者さながらのポーズ。

 芝居がかった口調。

 妙に真剣な顔。


 室内の空気が、すっと凍りついた。


 数秒の沈黙。


 グレアム、ロイス、そしてギルバートの三人が、揃って「……何やってんだ、こいつ」という目でフィーネを見つめる。

 だが、当のフィーネはどこ吹く風だった。王女気取りの芝居を、まだ引っ張る気らしい。


「その論文は私がまだ読んでいたものです。すぐに返しなさい」


 フィーネが続けてそう言った瞬間、異変が起きた。


「……ん? なんだ?」


 ロイスの身体が、まるで見えない糸で操られる人形のように動き出した。

 彼の意志とはまったく関係なく、手に掴んでいた論文を、そのままフィーネへ差し出してしまう。


 自分の身体が自分のものでなくなる。

 その感覚に、ロイスの顔から血の気が引いた。


「……え?」


 小さく漏れた声が震えていた。

 自分の行動の意味が、まるで理解できなかった。


「おおっ!」


 対照的に、フィーネの目は輝いていた。

 まるで新しいおもちゃを手にした子供のような、無垢な興奮だった。


「すごいすごい! 本当に書いてあった通りに動いた!」


 手を叩いて喜ぶ彼女の声が、取調室に弾ける。

 だが、その無邪気さとは裏腹に、空気は急速に重くなっていった。


「ねえねえ、さっきのお返しです! ロイスさん、スクワット百回やってください!」


「ちょっ……待て、それは──うわああああっ!!」


 ロイスの身体が、またも勝手に動き出す。

 ピシッと直立したかと思うと、カクン、と膝が曲がり、腰が沈んだ。


 そして、淡々とスクワットを始める。

 まるで訓練された兵士のような、妙に規則正しい動きだった。


「や、やめろ……! なんで……体が勝手に……!」


 恐怖と困惑が混じったロイスの声が、スクワットのリズムに合わせて苦しげに漏れる。

 自分の身体が自分のものでないという異常が、じわじわと彼の理性を削っていく。


「あはははは! 面白いっ! 本当に動いてる!」


 フィーネの笑い声が無邪気に響いた。

 まるでショーを楽しむ観客のように、危険性などこれっぽっちも理解していない。


「おい、フィーネ! 何をやった!」


 普段冷静なグレアムが、初めて声を荒らげた。

 長年の調査官としての経験をもってしても、目の前の事態は明らかに常軌を逸していた。


「この論文にやり方が書いてありましたよ」


 フィーネが無邪気に答える。

 その口調は、面白い手品の種明かしをするように軽かった。


「俺にも見せてみろ」


 グレアムが低い声で言う。

 彼はすでに、事態の深刻さを理解し始めていた。


「はい!」


 フィーネが素直に論文を差し出す。

 グレアムが緊張した手つきで、彼女の読んでいたページを確認すると、そこには想像を絶する内容が記されていた。


『──以上が、【啓導の光輪】の主な術式である。なお、支配術式の起動には二通りの方法がある。一つは登録した術者の魔力をキーにして遠隔起動を行う方法。もう一つは、登録された特定の言葉をキーとして支配対象に聞かせる方法である。いずれのキーも術式に平文で示されているため、顕現さえしてしまえば解読は容易で、セキュリティ的にはお粗末である。さて、この【啓導の光輪】をセキュリティ面でも改善して、ご家庭で安全に利用する方法だが──』


「なんだ、これは……」


 グレアムの声が震えた。


 一方、スクワットを終えてへとへとになったロイスも、横からその内容を覗き込んで戦慄していた。


「また、厄ネタじゃないですか……。最近、こんなんばっかり……」


 疲れ果てた身体に、さらなる絶望がのしかかる。

 ロイスの声には、諦めにも似た響きが滲んでいた。


「……まず、おそらくこの論文を書いたエインとかいう奴から話を聞く必要がある。ギルバートの件の重要参考人として手配しておこう」


 グレアムが額に手を当てながら、どうにか冷静に対応を組み立てる。


「だが、このまま立件すると、例のごとく俺たちの立場がやばい。別の罪で立件するしかないな」


「私は何も悪いことはしていない! 全てはあの小僧の狡猾な策略なのだ!」


 ギルバートが机を叩いて主張する。

 だが、もはや誰も信じる雰囲気ではなかった。


「別件って言っても、何をやったか分からないし、証拠もないでしょう?」


 ロイスが困惑した声を上げる。


「……いや」


 グレアムの目に、冷徹な光が宿った。


「ちょうどいい方法があるじゃないか」


 そう言って論文を手に取ると、グレアムは先ほどのフィーネの真似をするように、大仰なポーズを取った。


「すべてを統べる王、エルディスの名のもとに、ギルバート・モーリスよ、我に従え。今まで犯した罪を白状しろ」


「ば、馬鹿な……私はそんな……うああああ!」


 ギルバートの身体が震え出し、意に反して口が動き始める。


「裏口入学の斡旋をしました! 金額は一人当たり金貨百枚! しかし、これは学校の運営費のためで……」


「言い訳はいらん。続けろ」


 グレアムが冷たく促す。


「搬入業者との談合もしました! 備品の納入価格を三割水増しして、差額を受け取っていました!」


「それから?」


「クラス分け試験の結果改ざん……修繕費の不正請求……教材費のピンハネ……」


 怒りと屈辱に満ちた顔を浮かべながらも、ギルバートの口は止まらない。

 自動書記のように、次から次へと不正が暴かれていく。


 その間、フィーネは再び論文に夢中になっていた。

 グレアムとロイスがギルバートの自白に集中している隙に、興味深そうにページをめくっている。


「……これで十分だな」


 グレアムが満足げな様子で取り調べを終える。


「ば、馬鹿な……私は……こんなはずでは……」


 ギルバートは、なおも震えたまま椅子に沈み込んでいた。


「汚職、背任、横領……罪状には事欠かない。国家反逆罪で死刑にならなかっただけ、ありがたいと思えよ」


 冷酷に言い放つグレアムの顔には、皮肉な笑みが浮かんでいた。


「あのー」


 その時、フィーネが遠慮がちに手を上げた。


「この論文、最後にかわいいおまけがついてますよ」


「……かわいい?」


 グレアムとロイスが、同時に顔をしかめる。

 緊迫した尋問の直後に飛び出した言葉としては、あまりにも場違いだった。


 受け取った論文の最後のページには、それまでの内容とは明らかに違う、妙に軽い調子の文章が添えられていた。


『発表はいかがでしたか? おまけとして、最近改良したばかりの魔法のスクロールを配布します。誰でも遊べるおもちゃになっていますので、お子様と一緒に遊んでみてくださいね』


 論文の後ろには、確かにスクロールが数枚添付されている。

 その上部には、子供向けらしい可愛らしい文字で説明が書かれていた。


『おうちでかんたん ぞうへいごっこ』


『すくろーるのうえにいらないものをのせて、まりょくをながしてみよう! なんと、きんかがれんせいできるぞ! これできみもりっぱなまほうつかいだ!』


 グレアムとロイスが絶句する中、部屋の隅で小さな金属音がした。


 カラン。


「やった! やりました! これで私も魔法使いですよ!」


 いつの間にか、床の上には丸く平たい金属が転がっていた。


「グレアムさん、これってまさか……」


 それは、本物以上に重く、本物以上に輝き、本物以上の価値を持つ──本物を超えた偽物だった。

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