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16-1 EINS;GATE

 校長室の奥に据えられた革張りの大椅子は、ギルバート・モーリスにとって、ただの椅子ではなかった。


 それは権力の象徴であり、レオナルド・グリムフォードから奪い取った勝利の証であり、これから己が築く新たな秩序の玉座でもある。


 ギルバートは深く腰を沈め、机の上で指を組むと、昨日受け取った第二王子ルークからの伝言を思い返した。


 ──「ベイル派閥の吸収は完了した。用済みとなったエインを、そちらに貸し出そう」


(フフフ……長い道のりだったが、ついにここまで来たか)


 自然と、口元に笑みが浮かぶ。


 エインという“駒”さえ手に入れば、自身の計画は最終段階に入る。魔法学校の支配、研究成果の独占、そして王国中枢への影響力。すべてが、ようやく手の届くところまで来たはずだった。


 だが──。


 約束の時刻を過ぎても、重厚な扉は開かなかった。


 高ぶっていた心は、時間とともに苛立ちへと変わっていく。組んでいた指がほどけ、やがて机を小刻みに叩き始めた。


 コツ、コツ、コツ……。


 乾いた音だけが、静まり返った校長室に虚しく響く。


 夜が更け、魔法ランプの光が頼りなく揺らめき始めた頃、ようやく控えめなノックの音がした。


「……入れ」


 現れたのは、待ちに待った男──エインだった。


 しかし、その表情はあまりにも気が抜けている。まるで、呼び出しを受けた者ではなく、散歩の途中でたまたま立ち寄った者の顔だった。


 その瞬間、ギルバートの堪忍袋が爆ぜた。


「遅いぞ! 一体どこをほっつき歩いていた!」


「はあ……何のことです?」


 エインは心底不思議そうに首を傾げた。


 その悪びれない態度が、ギルバートの神経をさらに逆撫でする。


「とぼけるな! ルーク殿下から、この時間に来るよう言われていたはずだ!」


「フレイル君からは、何も聞いてませんよ」


 エインはさらりと返した。まるで本当に知らないと言わんばかりの、涼しい顔だった。


 そして、思い出したように軽い調子で続ける。


「そもそも、自主退学することになるみたいですよ、モーニングスター君。ベイルがそう言ってましたけど、知らないんですか?」


 一拍遅れて、ギルバートの動きが止まった。


「……なに?」


 その言葉が、氷水のように脳を冷やしていく。


 目の前の少年は、冗談を言っているようには見えなかった。いや、正確には、冗談を言う時と同じ顔で、洒落にならない事実を口にしているように見えた。


 呼吸が浅くなる。手の中のペンが、汗でじっとりと湿っていく。


 ──自主退学。


 それはつまり、第二王子がエインの支配に失敗したということか。


 焦燥が、胸の奥からじわじわと広がっていく。己の関与はどこまで露見しているのか。支配すらできなかった相手を、今さらどうやって御せというのか。そして何より、エインを味方に引き込もうとした判断は、本当に正しかったのか。


 答えの出ない問いが脳内を駆け巡る中、エインは深刻さに気づいた様子もなく、ただ静かに立っていた。


 無垢な瞳でこちらを見つめるその姿は、悪意のない災厄そのものだった。


 ギルバートは喉の奥に絡みついた焦りをどうにか押し込み、乾いた唇を動かす。


「……では、何の用で来たのだ」


 声がかすれていた。


 それを悟られまいと背筋を正すが、身体に入った余計な力はなかなか抜けない。


 エインは、そんなギルバートの内面など露ほども知らぬ様子で、あっさりと答えた。


「いやね、最近魔法がたくさん手に入ったので、早速研究しようと思ったんですよ」


 あくまで当然といった顔で、彼は続ける。


「でも困ったことに、俺の研究室がなかったんです」


 淡々とした口調だったが、その言葉には不満と抗議の色がはっきり滲んでいた。


「他の先生にはあって、俺だけ無いなんて、おかしいですよね?」


 そのふてぶてしさに、ギルバートのこめかみがぴくりと痙攣する。


(ふざけるな! おかしいのはお前だ!)


 喉まで出かかった罵声を、彼は寸前で飲み込んだ。


 あの規格外の魔法の才能は、まだ利用価値がある。ここで機嫌を損ねるのは得策ではない。


「……ふむ。それで、今は何の研究をしているのかね?」


 ギルバートは、わずかな期待を声に滲ませて尋ねた。


「……部位欠損を回復する魔法の、燃費改善ですね」


 エインは、あくまで他人事のように言う。


「今の術式だと生贄が必要なんですが、魔力の消費だけで済むように組み直したんですよ。術式自体はもう完成してるんですけど、実験できる環境がなくて困ってるんです」


 その言葉に、ギルバートの思考が止まった。


 ──生贄?


 部位欠損の修復魔法に、そんな代償が必要だったなど聞いたこともない。


 そもそも、それを扱えるのは聖教の最上位の神官だけのはずだ。民衆はそれを“神の奇跡”として崇め、貴族ですら頭が上がらない。そんな秘術を、目の前の少年は、まるで古い家具を修理する話でもしているかのように語っている。


「……その術式、どこで知った?」


「レイモンド君に教えてもらったんですよ」


 エインは軽く首を振って答えた。


「レイモンド? アルジオン家の……」


 ──まさか。


 ギルバートは眉をひそめる。


 アルジオン家は、数十年前に聖教の後ろ盾で成り上がったと囁かれる、謎多き新興貴族だ。表向きは高潔な貴族として振る舞っているが、裏では何かしらの“取引”があるとも噂されている。


 そういえば、聖教が“神の奇跡”を大々的に宣伝し始めた時期と、アルジオン家が勃興した時期は妙に重なっていた。


 もしや──あの【神癒】(エクスヒール)。民衆が崇める奇跡は、アルジオン家が編み出した術式だったのか。


 それも、生贄を代償にした禁断の魔法として。


 戦慄が背筋を走る。


 うかつに関われば、命すら危うい。


「……他には?」


 動揺を隠すように問いかけると、エインは少し考える素振りを見せてから、こともなげに口を開いた。


「誰でも使える金貨を錬金するスクロールとか、周囲の生物に感染して広がる精神魔法とか……」


 一つ挙がるたびに、ギルバートの顔から血の気が引いていく。


(どれもこれも、国家転覆レベルではないか……!)


 背筋が凍りつき、喉が乾いた。


 しかしエインは、その深刻さに気づく様子もなく、のんびりと続ける。


「ああ、空の魔石に魔力を詰め直す魔法陣も、あとは実験だけですね」


 ──その瞬間。


 ギルバートの恐怖は、確かな欲望へと転じた。


 万能の燃料である魔石。その再利用が可能になるとすれば、価値は計り知れない。


 禁忌でもなく、危険もない。それでいて莫大な利益を生む、画期的な技術。


 ギルバートの目が、燃えるように輝いた。


「エイン君」


 興奮を抑えきれずに、身を乗り出す。


「その魔石充填の論文を書き上げ、他の者には一切秘密にすること。それを条件に、研究室を提供しよう」


「えー、論文書くの面倒くさいなぁ……」


 心底嫌そうな顔をするエインに、ギルバートはすかさず追い打ちをかけた。


「助手もつけよう」


「……まあ、それなら」


 エインは、さも大きな譲歩をしてやったという態度で渋々頷いた。


 その表情には、どこか得意げな色すら浮かんでいる。


「ただし、助手は俺が選びます。三人、好きに指名させてもらいますからね」

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