15-4
そして翌日。
俺は人払いを済ませた交流棟の廊下で、エインと合流した。
「準備はいいか?」
「面倒くせぇけどな」
エインはいつも通り気だるそうに返してきた。だが、その瞳だけはどこか冴えている。
俺たちは、カイルのお茶会が開かれている部屋の前に立つ。
扉の向こうからは、かすかな談笑が漏れていた。カイル派の中核が集まっているはずだ。
(……これで、一気に形勢を覆す)
手がかすかに震える。
だが、もう後戻りはできない。
俺は扉を勢いよく開け放った。
「失礼する」
カイルを中心に、数人の貴族たちが優雅にティーセットを囲んでいた。
突然の侵入者に、全員が驚きの表情を浮かべる。
「お前たちは……?」
カイルが鋭い目つきでこちらを睨んできた。
その威圧に、一瞬たじろぎそうになる。
だが、その刹那だった。
「【精神支配】」
エインの声が、部屋の空気を切り裂いた。
次の瞬間、カイル以外の全員がぴたりと動きを止める。
時間が凍りついたかのように、彼らは焦点の定まらない目のまま沈黙していた。
「な……っ!?」
カイルが愕然と声を漏らす。
つい先ほどまで談笑していた仲間たちは、今や人形のように立ち尽くしている。
「どういうことだ! 貴様ら、一体何を──!」
怒声が響く。だが、洗脳された者たちは誰一人として反応しない。
「ルークの命令だ。悪いな」
エインが何の感慨もなく、淡々と言い放つ。
その軽さが、かえって恐ろしかった。
俺は震える声で命令を下す。
「今日から……お前たちは、ルーク・スライ・エルディスの派閥に属する。カイルへの忠誠は捨て、俺に従え」
「……はい、ルーク様」
抑揚のない声で、全員が揃って応じた。
ぞっとするほど統一されたその返答に、悪寒と快感が同時に全身を駆け上がる。
カイルの顔が、青ざめていった。
「貴様……正気か……?」
「お前に恨みはない」
俺はカイルの目を真っ直ぐ見つめ、静かに告げた。
「だが、これは……俺が王になるために必要な一手なんだ。悪く思うな」
そう言い捨てて、俺は踵を返す。
エインも、気だるそうにその後をついてきた。
部屋を出る直前、ふと俺は振り返った。
カイルは、こちらを見ていた。
怒りでも、絶望でもない。
その眼差しにあったのは──まるで、哀れなものを見るような静かな憐れみだった。
(……なんだ、その目は)
胸の奥に、説明のつかないざらつきが芽生える。
だが俺は、それを押し殺すように目を逸らした。
関係ない。勝ったのは俺だ。
どんな目を向けられようが、それは敗者の視線にすぎない。
俺は扉を閉め、次の標的へ向かって歩き出した。
◆
そこからは、もう止まらなかった。
次のお茶会。その次のお茶会。
俺たちは交流棟を渡り歩き、片っ端から標的を洗脳していった。
だが、そのたびに、俺の中から何かが確実に削り取られていく感覚があった。
最初にあったのは興奮だけだった。だが、今は違う。
洗脳された貴族たちの、死んだような目を見るたびに、胸の奥がじわじわと冷えていく。
(俺は……一体、何をしているんだ……)
その疑問が頭をよぎるたび、何かが軋んだ。
だが、それでも止まれない。
王座への渇望が、あらゆる躊躇いを呑み込んでいく。
◆
さらに翌日。
お茶会に参加していなかった数人の貴族を狙い、俺たちは仕上げに入った。
「……最後の一人だ」
俺が指差したのは、ベイル派の重鎮、アレン・グラディウス。
侯爵家の御曹司であり、兄上の右腕と呼ばれる男だ。
彼は生徒たちと談笑していた。周囲には常に人の姿があり、一人になる気配はまるでない。
(アレン……)
幼い頃、兄上と俺と三人でよく一緒にいた。
訓練場では兄上が剣を教え、アレンは笑ってそれを見守っていた。
「ルーク様も立派な王子様になりますよ」──そう言ってくれた、優しい声を今でも覚えている。
(なのに、今では……)
アレンは、もはや俺など眼中にない。
かつての仲間は、今や兄上の忠実なしもべだ。
そんな中、不意に背後から声がかかった。
「ルークか」
振り返ると、兄上がいた。
表情は静かだったが、その視線だけが鋭く俺を射抜いている。
「まだエインと親しげだな。……何を企んでいる?」
数日前と同じ問い。
だが、その目に宿るものは──あのときよりもずっと深い、何かだった。
俺は平然を装って答える。
「何もありませんよ、兄上」
「そうか……」
短い沈黙のあと、兄上はわずかに顔を曇らせた。
「じゃあな」
最後にそう呟いて、兄上は廊下の向こうへ消えていく。
別れ際の横顔には、かすかに寂しげな色が差していた。
(……まるで、別れを告げられたみたいだ)
胸の奥が疼く。
だが、立ち止まるわけにはいかなかった。
計画は、もう最終段階に入っている。
「……さて、仕上げといこうか」
俺は改めてアレンの様子を確認する。
兄上が去ったあとも、彼は相変わらず人目のある場所にいた。貴族たちと談笑し、教師とも親しげに言葉を交わしている。隙など一切ない。
「なかなか一人にならないな……」
苛立ちを滲ませて呟いた、そのときだった。
隣でエインが、だるそうにため息をつく。
「ああ、もう、めんどくせぇ」
そしてそのまま──何の躊躇もなく、アレンへ向けて【精神支配】を発動した。
「おい! 何をしている!」
思わずエインの腕を掴む。
周囲の目がある。こんな大胆なことを、まさか本当にやるとは……!
「慌てるな」
エインは平然とした声で言った。
視線を戻す。
だが、アレンはいつも通りの表情で会話を続けていた。洗脳されたはずなのに、虚ろな目にもならず、言動に不自然さもない。
……だが、それから数分後。
アレンは談笑を切り上げると、まるで自然な流れであるかのようにこちらへ歩いてきた。
「失礼、少しお話があって」
周囲に聞こえるよう、もっともらしい理由を口にしながら近づいてくる。
そして、俺たちの前まで来た瞬間──表情が一変した。
目から光が失われ、完全に命令受付状態へと切り替わる。
空虚な眼差しが、真っ直ぐに俺へ向けられた。
「どういうことだ……?」
俺の問いに、エインは無造作に答える。
「【精神支配】に【精神感応】を複合させた。命令も一緒に乗せられるようにしたんだよ」
「命令……?」
「『周囲に怪しまれず、自然に俺たちの前まで来い』ってな。これなら人前でもバレずに済む」
エインは、まるでどうでもいい工夫でも話すかのような口調で説明した。
「そんなことより、これで最後だろ。命令しなよ」
その軽さは、最後の雑用を片付けろと言っているようだった。
エインにとって、人の心を操ることなど、本当にただの作業に過ぎないのだろう。
俺は黙って、アレンの顔を見つめた。
だが、言葉が出てこない。
喉の奥で詰まり、声にならなかった。
「なあ、どうすんの?」
エインが面倒くさそうに言う。
「命令しないなら、そのまま戻しとくけど」
「待て、それは……」
(……ここで止まるわけにはいかない)
王座への野心が、胸の奥で燃え上がる。
兄の影に隠れ続けた日々。誰からも忘れ去られ、名前すら覚えてもらえなかった屈辱。
(俺が王になるんだ。何があっても)
俺は歯を食いしばり、決意を固めた。
すまない、アレン。
「今日から……お前は、ルーク派閥に属する。王になるのは……ベイルではなく、俺だ」
かすれる声で命令を下す。
「……はい、ルーク様」
アレンが機械のように応じた。
「ルーク様は立派な王になりますよ」
その言葉は、幼い頃に聞いたあの優しい声とまったく同じだった。
だが今それは、魂のない抑揚で紡がれている。
かつての温かな励ましが、今は空虚な賛辞として俺の耳に響いていた。
これで、敵対派閥の吸収は完了した。
勝利を手にしたはずなのに──腹の底は、氷のように冷たかった。
◆
運命の日。
俺は臨時のお茶会を開き、兄上──ベイルを招待した。
部屋の設営は完璧だ。
本来なら同席することなど絶対にあり得ない、ベイル派とルーク派の貴族たちが、ずらりと一列に並んで着席している。
かつて俺を歯牙にもかけなかった連中が、今では恭しく俺の指示を待っているのだ。
その光景だけで、胸の奥が熱く滾った。
(見るがいい……ベイル。これが、俺の力だ)
やがて、重厚な靴音が廊下に響く。
──来た。奴の到着だ。
扉が開かれた瞬間、部屋の空気がぴんと張り詰める。
そこに立っていたのは、いつもと変わらぬ威容をまとった兄上。
だが、その目に映るのは──かつて自らに忠誠を誓った部下たちが、今や俺の前にひざまずいているという、あり得ない光景だった。
それでも、奴の表情は微動だにしなかった。
まるで何も感じていないかのような無表情。
(さすがは兄上……だが、それが逆に愉快だ)
取り繕っているのが見え透いている。
動揺を押し殺すその冷静さこそが、俺の優越を何より雄弁に物語っていた。
「……何の用だ」
ベイルの声は低く、威厳に満ちていた。
だが、もはやその声に、俺が怯える理由はない。
俺はゆっくりと立ち上がり、堂々と告げる。
「今から教えてやりますよ」
この瞬間を、どれほど夢見てきたことか。
幼い頃から積み重ねてきた屈辱の日々が、今まさに報われようとしている。
「お前たち──次の王は誰だ?」
その問いに、洗脳された貴族たちが一斉に声を揃えた。
「ルーク様です!」
その叫びが部屋中に響き渡った瞬間、
電流のような快感が全身を突き抜けた。
(これだ……これこそが、俺の求めていたものだ!)
かつて俺を無視し、軽んじ、存在すら忘れていた者たちが──今は俺の名を、声を震わせて讃えている。
この瞬間こそ、復讐の完成だった。
俺は振り返り、勝者の笑みを浮かべて兄上を見据える。
「どうです、ベイル。これが──現実ですよ」
ふと気づけば、俺が座っていた椅子は玉座へと変わっていた。
黄金の装飾がまばゆく輝き、深紅のビロードが背を支える。
そして──頭上には、確かな王冠の重み。
(ああ、やはり……俺は王になるべく生まれたんだ)
高笑いが腹の底から込み上げてくる。
もう抑えられない。これまでの人生で味わったことのない、至福の絶頂だった。
「ハハハ……ハハハハハッ!」
笑い声が天井を突き抜けていく。
長年胸の底に燻っていた劣等感が、一気に解き放たれていく。
(見ろ、ベイル! 見ろ、カイル! そして俺を笑ってきた全ての者たちよ!
これが第二王子──ルーク・スライ・エルディスの真の力だ!)
玉座に深く腰を下ろし、俺は初めて兄を見下ろした。
この瞬間の快感に、代えがたいものなど存在しなかった。
「ベイル、もういいか?」
「……ああ、もう十分だ」




