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15-1 感覚アマノジャク ~ Impossible Covenant.

 昨日の嵐が嘘のように、Eクラスの教室には奇妙な静けさが満ちていた。


 ──いや、静けさという表現は少し違う。

 そこにあったのは、以前のような無気力な沈黙ではない。張りつめるほどではないが、確かに授業へ向けられた集中の空気だった。


「──はい、そこまで。次の術式に移ります」


 教壇に立つリリィは、もう以前のようにおどおどしてはいなかった。

 凛とした声で的確に指示を飛ばし、その言葉に合わせて、生徒たちが一斉に教科書のページをめくる。


 昨日の一件を経て、クラスには妙な連帯感が生まれていた。

 リリィへの信頼も、今ではかなり確かなものになっている。

 彼女がエインの暴走を止め、教師としての自信を取り戻したことで、Eクラスは驚くほど正常に機能していた。──いや、皮肉なことに、エインが来る以前よりも授業の質は上がっているとすら言えた。


 その一方で、元凶たるエインは、教室の隅で完全に置物と化していた。


 授業の主導権は完全にリリィが握っており、もはや彼の出番はない。

 机に突っ伏し、意味もなく指を回し、窓の外を飛ぶ鳥の数を数える。

 全身から「暇だ」という空気がこれでもかと滲み出ていた。


 その、あまりにも平和な授業風景を裂くように、教室の扉がゆっくりと開いた。


「失礼いたします」


 姿を現したのは、新校長ギルバート・モーリスだった。


 リリィは扉の方を振り向いた瞬間、わずかに身を強張らせた。


「……ギルバート校長」


 警戒を隠しきれないまま立ち上がり、控えめに頭を下げる。


 ギルバートはゆったりと教室へ入り、足を止めて中を見渡した。


「……先ほど少し様子を拝見しておりましたが、随分と見違えましたな。素晴らしい。やはり、エイン先生のお力ですかな」


 穏やかな口調だったが、その声には本物の驚きがにじんでいた。


 リリィは一瞬、返答に迷うような顔をした。

 確かに、エインの存在が結果としてクラスをまとめるきっかけになったのは事実だ。完全な間違いとも言い切れない。


「そう……ですね」


 小さく頷いたあと、彼女は視線をわずかに落として尋ねた。


「……それで、本日は何かご用でしょうか?」


 ギルバートは満足げに頷き、教室を一望してから言った。


「ある生徒から、個人授業をお願いしたいという申し出がありましてな」


「個人授業、ですか?」


「ええ。しばらくの間、エイン先生をお借りして、通常授業をお休みいただきたいのですよ。今のEクラスの様子を見る限り、もはやリリィ先生お一人でも十分に授業を進められるでしょうからね」


 その言葉に、教室の隅で死んでいたエインがぴくりと反応した。

 目に、かすかな光が宿る。


 ギルバートは二人の教師へ視線を向け、柔らかな笑みを浮かべた。


「エイン先生、リリィ先生……よろしいですかな?」


 エインは、その提案にほとんど反射で食いついた。

 退屈な授業から解放される。

 今の彼にとって、それ以上の福音はない。


「マジすか。やります、やります。暇してたんで、ちょうどいいです」


 リリィは一瞬だけためらいを見せたが、やがて静かに頷いた。


「……はい。承知しました」


「それは結構」


 ギルバートは満足そうに目を細めた。


「では、放課後、旧館の三番教室へ」


 それだけを告げて、彼は教室を後にする。


 残されたエインは、ようやく手に入れた「暇つぶし」に、今にも鼻歌でも歌い出しそうな顔をしていた。


    ◆


 人気のない旧校舎の一室。


 木の匂いと、わずかに舞う埃を含んだ静けさが、室内に澱のように沈んでいた。


 第二王子ルーク・スライ・エルディスは、ひとり椅子に腰を下ろし、じっと扉を見据えていた。


 やがて、廊下の奥から足音が近づいてくる。


(ようやく……俺という存在の価値を証明する時が来た)


 栄光も賞賛も、いつだって兄ベイルのものだった。

 自分はその傍らに立つだけの影。誰かが明確にそう決めたわけではない。ただ、世界そのものが、空気のようにそう扱ってきた。


 だが──


 王にふさわしいのは、最初からこの自分だった。

 それを、今ここで証明する。


 扉が開いた。


「あー、こんにちは」


 軽い調子で入ってきたのは、エインだった。

 気だるげに部屋の中を見回し、ルークと目が合うと、気楽そうに笑ってみせる。


「えーと、リュック君……だっけ?」


 ルークの眉がぴくりと跳ねる。

 だがすぐに感情を押し殺し、低い声で訂正した。


「ルークです」


「あー、ごめんごめん。で、今日は個人授業だっけ? 何を教えてほしいの?」


 エインは勝手に椅子を引き、こちらの事情など意に介さぬ様子で腰を下ろした。

 その無防備さが、かえって神経を逆撫でする。


 ルークは静かに立ち上がり、懐から一つの魔道具を取り出した。


「あなたの“ご専門”について、教えていただきたい」


 円盤状の装置が、淡い紫の光を帯びて脈動する。

 そこに刻まれた術式は、まるで呼吸するように明滅していた。


「あっ、それ……」


 エインの表情が一瞬だけ強張る。

 誓約の腕輪を制御する装置。彼にも、それが何を意味するか理解したのだろう。


 だが、もう遅い。


 ルークはそのまま装置を起動した。

 光が奔り、エインの腕輪が呼応するように閃く。


 その瞬間──制約は、完全に解き放たれた。


 ルークはエインを真っ直ぐに見据え、静かに命じる。


「私の命令を聞きなさい」

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