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昼休みが終わり、訓練場に集まった生徒たちの前へ、満足げな表情を浮かべたエインが現れた。手には、何やら資料らしき紙束を持っている。
その中で、一人だけ俯いたまま動かない少女がいた。アメリアは午前中の出来事を引きずったまま、ぼんやりと床を見つめている。
「やあ、お前ら。それじゃあ今日は、火魔法の実技カリキュラムを全部終わらせるぞ」
エインは手元の資料に目を落とし、事務的な口調で読み上げた。
「ええと、まだ残っているのは……【火矢】三百回、【火球】二百回、【爆炎】五十回だ」
生徒たちの顔が、一斉に土気色になる。毎日練習しても数週間はかかる量を、一日でやれと言っているのだ。
「ちょっと待てよ!」
一人の生徒がたまらず声を上げた。
「全部って、無茶苦茶だろ! 魔力も時間も足りないよ!」
「そうだよ! そんなの無理に決まってる!」
当然の反発に、エインは面倒くさそうに答える。
「魔力なら昨日と同じように補給すればいいだろ。時間についても、そのために今朝、効率のいい方法を教えたんじゃないか」
その言葉に、一人の生徒が震える声で問い返した。
「じゃあ……午前中に【火球】の魔法を教えたのは……」
「そうだよ。このためだよ」
エインはあっさり認めた。
「明日からは全部の属性のやり方を教えて、魔力補給しながら一日ずつカリキュラムを終わらせるからな。効率的だろ?」
訓練場が、死んだように静まり返る。
生徒たちは、午前中の親切な指導がすべて罠だったのだと悟った。絶望が、じわじわと顔に広がっていく。
その、あまりにも呑気な悪魔の合理性に、生徒たちが顔を歪める中、一人の教師が震えながらも前へ出た。担任のリリィ・ミストだ。
「ま、待ってください、エイン先生! 実技には決められたカリキュラムがあります! こんなに一度に……!」
必死に制止しようとするリリィに、エインは心底面倒くさそうに返した。
「早く終わるに越したことはないでしょ? それに今でも遅れが出てるんだから、取り戻さないと」
腕を組み、もっともらしい理屈を並べ立てる。
「で、ですが! 生徒たちも、まだ昨日の疲労が……!」
「それならなおさら早く終わらせた方がいいですね。昨日より魔力の供給速度を上げましょう」
その提案に、リリィは言葉を失った。
訓練場に重い沈黙が落ちる。エインの異常な発言に、生徒たちはただ立ち尽くしていた。だが、その沈黙の奥で、怒りと恐怖が静かに膨らみ始めている。
このままでは、本当に昨日以上の地獄が始まる。
誰かが、何とかしなければならない。
そんな切迫した思いが訓練場を支配する中、自然と視線が一人の少女へ向けられた。
「アメリア!」
「お前からも何か言ってくれよ!」
「そうよ、いつものアメリアなら絶対に黙ってないじゃない!」
クラスメイトたちの期待が、一斉にアメリアへ注がれる。
その瞬間、彼女の脳裏に記憶が蘇った。みんなの期待を背負って立ち上がり、そして無残に打ち砕かれた、あの屈辱的な瞬間が──
(また……みんなが私に期待して……でも私は……)
アメリアは口を開こうとした。いつものように、毅然とした声で反論しようとした。
だが、喉が詰まったように言葉が出てこない。
午前中のエインとのやり取りが、鮮明によみがえる。完璧に論破され、家の誇りを踏みにじられ、何ひとつ言い返せなかった、あの無力感。
「アメリア?」
クラスメイトの声が、まるで遠くから聞こえてくるようだった。期待の眼差しが重い。息が苦しい。
「私は……」
かすれた声が、ようやく漏れる。
言わなければならない。何か言わなければ。
でも、何を言っても無駄だと分かっていた。エインの前では、自分の言葉など何の意味も持たない。
また失敗する。
また恥をかく。
また、みんなをがっかりさせる。
その恐怖が、アメリアを完全に支配した。
「私は、あんたの授業なんか受けたくない……」
そう呟くと、アメリアは顔を伏せた。訓練場が静まり返る中、追い詰められた彼女は、途切れ途切れの声でリリィに訴える。
「リリィ先生……お願いします……私のクラスを変更してください……」
その悲痛な訴えに、クラスメイトたちがざわめいた。
「ちょっと待てよ、アメリア!」
「自分だけ逃げるつもりかよ!」
「俺たちを置いて行くのか?」
アメリアは顔を上げた。クラスメイトたちの冷ややかな視線が突き刺さる。
(違う……私は本来、こんなところにいるはずじゃなかった……)
ラングフォード家の娘として、もっと上のクラスで学ぶべきだった。優秀な生徒たちと切磋琢磨し、家の誇りを背負って──それなのに、なぜ自分がこんな場所に。
リリィは困惑した表情を浮かべる。
「え、あの……でも、クラス変更は校長先生の許可が必要で……それに、理由もなしには……」
申し訳なさそうに言葉を濁すリリィ。その様子を見て、エインが口を挟んだ。
「リリィ先生の言う通りだ。試験の結果でお前はEクラスに配属されたんだぞ。実技をやりたくないからって逃げちゃダメだろ」
その瞬間、アメリアの中で何かが弾けた。
「そもそも……!」
声が感情で震えている。
「そもそも、あなたが試験を滅茶苦茶にしたせいで、やり直しになったのが全ての原因じゃない!」
訓練場の空気が、しん、と凍りついた。
激昂したアメリアは、もう止まらない。
「あなたのせいで……! あなたさえいなければ、私がこんな……こんな出来損ないの連中と、同じクラスになることなんてなかったのに!」
瞬間、訓練場の空気が完全に変わった。
それは、侮蔑だった。
Eクラスの、他の全生徒に向けられた、あまりにも明確な。
それまで遠巻きに見ていたクラスメイトたちが、今度はアメリアに軽蔑の視線を向ける。
「……なんだよ、出来損ないって」
「自分が一番偉いとでも思ってんのか?」
「ラングフォード家だからって、調子に乗るなよ」
突き刺さる敵意の視線。容赦ない囁き。もう味方はどこにもいなかった。
アメリアの顔が、みるみる青ざめていく。自分が何を言ったのか、ようやく理解し始めたのだ。
(私は……なんてことを……)
ラングフォード家の誇りと、Eクラスに落とされた屈辱。その二つが絡み合った果てに、彼女の口から飛び出したのは、同じ境遇にいるクラスメイトたちへの侮蔑だった。
アメリアは唇を強く噛んだ。謝りたい。だが、プライドが邪魔をして、言葉にならない。
耐えきれなくなった彼女は、その場から逃げるように訓練場を飛び出していく。
「アメリアさん! 待ってください!」
アメリアが飛び出したのを見て、リリィも衝動的に彼女を追いかけようとする。その背中に、エインの平坦な声が飛んだ。
「授業はどうするんですか?」
リリィの足が止まる。振り返ると、そこにはエインと、不安そうに自分を見つめる生徒たちがいた。
その瞳に、一瞬だけ迷いがよぎる。
「……あなたに、任せます」
上ずった声でそう言い残し、リリィは足早に訓練場を出ていった。
後に残されたのは、最悪の教師と、彼に取り残された生徒たち。
希望の逃げ道すら閉ざされ、絶望だけが訓練場に漂っていた。




