14-4
校舎裏の木陰で、アメリアはしばらく一人で泣いていた。
感情のまま訓練場を飛び出してから、どれくらい経ったのだろう。しゃくり上げるたびに、誇らしげだったツインテールが頼りなく揺れる。怒り、屈辱、そして何より──自分自身への嫌悪が、胸の内でぐちゃぐちゃに渦巻いていた。
(私って、最低……)
エインへの怒りは確かにある。だが、それ以上に胸を締めつけていたのは、自分が同じクラスの仲間を「出来損ない」と呼んでしまったことへの後悔だった。ラングフォード家の誇りを守ろうとして、結果的に自分が一番恥ずべきことをしてしまったのだ。
後悔と自己嫌悪、それでも拭いきれないプライドが絡み合い、熱い涙になって溢れ出す。
そこへ、息を切らしたリリィが追いついた。
「はぁ、はぁ……アメリアさん。よかった、ここにいたんですね」
不器用な声かけに、アメリアは顔を上げない。
「……ほっといてください。どうせ私なんて……みんなの言う通り、調子に乗った嫌な奴ですから」
その自嘲に、リリィの胸が痛んだ。いつも気丈で誇り高かったアメリアが、こんなにも自分を責めている。
「そんなこと──」
言いかけて、リリィは口をつぐむ。安易に否定するのではなく、まずはこの痛みを受け止めるべきだと思ったのだ。
そして、おずおずと──しかし決意を込めて──アメリアの隣に腰を下ろした。
「……辛かったですね。一人で、ずっと」
その真っ直ぐな言葉に、アメリアの肩がかすかに震える。
しばしの沈黙の後、リリィはそっと問いかけた。
「何があったのか……話してもらえますか?」
アメリアは涙に濡れた瞳でリリィを見つめ、それからぽつりぽつりと、誰にも言えなかった後悔を語り始めた。
「……エインのせいなんです。あいつが試験を滅茶苦茶にしたから」
その言葉に、リリィは眉をひそめる。
「エイン先生のせい、とは……?」
「朝から練習していて、魔力はギリギリだったんです。でも【紅蓮槍】一発分だけは残してあって……だから、試験は成功してたはずだったのに……!」
悔しさに声を震わせながら、アメリアは続けた。
「……あいつが試験官の記憶を消して、試験そのものを『無かったこと』にしたんです」
リリィの目が見開かれる。
「再試験では、回復薬を飲んでも魔力が足りなかった。なのに……みんなが見てる前で、家の誇りである【紅蓮槍】を選んでしまった」
言葉が嗚咽に途切れる。
「でも失敗したんです。術式は崩れて……それが、私の実力です。Eクラスなんて、当然の結果だった……」
しばらく黙り込んだあと、アメリアは自分を責めるように続けた。
「でも……本当は分かってる。あいつのせいだけじゃない。私が弱かったから。プライドにすがって、自分をごまかして……」
拳を強く握りしめる。
「悔しさをどうしていいか分からなくて……関係ないみんなにぶつけて……」
「『出来損ない』なんて……ひどいことを……」
声がかすれる。
「……本当に、最低です……」
リリィはそっと手を伸ばし、アメリアの肩に触れた。
「アメリアさん……一緒に戻りましょう。訓練場に。ちゃんと謝れば、きっとみんな……」
その言葉に、アメリアの顔がみるみる青ざめる。
「無理です。私にはできません。……また失敗したら……また、みんなの前で恥をかくのが怖くて……」
「大丈夫です。私も、ついています」
優しい励ましに、アメリアの瞳が揺れた。だが、次の瞬間──怒りが灯る。
「先生に、私の何がわかるって言うんですか! 先生だって、いつも震えてるくせに! あいつが怖くて、何も言えないくせに! みんなに嫌われるのが怖くて、いつも逃げてるくせに! なのに、なんで私には『戻れ』なんて言えるんですか!」
その叫びに、リリィははっと言葉を失った。
アメリアの言葉は、すべて図星だった。
自分もまた、恐怖に支配されていた。
「……その通りです」
リリィは静かに頷いた。
そして、ゆっくりと自分の弱さを言葉にしていく。
「私も、ひどい教師でした」
ぽつりと落ちたその言葉は、自嘲にも似ていた。
「怖かったんです。生徒に嫌われるのが。叱って、反発されて、見捨てられるのが……」
リリィは目を伏せ、ぎゅっとスカートの裾を握る。
「だから、叱れなかった。授業もまともにできなくて……それでも私は、自分を守ることばかり考えていました」
声がわずかに揺れる。
「エイン先生が来て、私の無力さがはっきりした。それでも私は……何もできなかった。見て見ぬふりをしていたんです」
そして彼女は、そっとアメリアの手に触れた。
「でも、あなたの言葉で気づきました。逃げていたら、何も守れないって」
「だから一緒に戻りましょう。私も、もう逃げません。あなたたちを守る。……それが、私の使命だから」
その言葉に、アメリアの瞳が大きく揺れる。
リリィもまた、同じ恐怖を抱えていた。
それでも立ち向かおうとしている。
アメリアもまた、そっとその手を握り返した。緊張でこわばったその手は、確かに温かかった。
「……はい。一緒に」
◆
その頃、訓練場では。
アメリアとリリィが突如抜け出し、しばらく呆けていたエインだったが、すぐに気を取り直して生徒たちへ向き直った。
「えー、一部生徒が欠席しているため、予定していたカリキュラムを進めても意味がありません。……仕方ない。本日の授業はこれにて終了とします! ただし、これはあくまで特例だ。──その分、明日は火魔法だけじゃなく、水魔法の実技も全部終わらせるからね」
その宣言は、到底受け入れられるものではなかった。
「二つの属性を一日で!?」
「そんなの無茶苦茶だよ!」
「死んじゃう……」
恐怖に怯える生徒たちの中で、一人だけ違う反応を見せた者がいた。昨日エインに洗脳されたトムが、にやりと口の端を吊り上げたのだ。
(……やっと、チャンスが来た)
「先生。じゃあ先生のお仕事も、これで終わりですか?」
何気ない問いに、エインは頷く。
「そうだな。今日はもう終わりだ」
その瞬間、トムがゆっくりと立ち上がった。
「そっか。じゃあ今なら、腕輪の制約で魔法が使えないってことだよな」
「は?」
「覚えてるか、みんな。座学の時にあいつが説明してた『誓約の腕輪』のこと。『勤務時間外』では魔法が使えないって」
生徒たちがざわめく。昨日の恐怖を味わった数人の目に、復讐の光が宿った。
「昨日のお礼を、たっぷりしてやる!」
トムの宣言に、エインが反射的に魔法を使おうとしたが──
「ア゛ッ!?」
腕輪が激痛を走らせ、魔法は発動しなかった。
トムは勝ち誇ったように言い放つ。
「やっぱりな。お前はもう魔法を使えない! 自分で『今日はもう終わり』って言ったもんな。ご苦労様でした、先生!」
トムを中心に、昨日の地獄を体験した数人の男子生徒が、じりじりとエインを取り囲む。それぞれの目に、溜まりに溜まった恨みが燃えていた。
エインは腕に嵌められた銀の腕輪をちらりと見て、小さく舌打ちする。
「おいおい、マジかよ……」
戦う手段を失ったエインに、容赦なく魔法が飛んだ。
「【火球】!」
「うおっ!?」
かろうじて避けるが、トムたちの放つ初級魔法は次々とエインの足元や壁に炸裂する。昨日とは威力も精度も段違いで、訓練場の壁には深い焦げ跡が刻まれ、訓練用の的が次々と砕けていった。
「やめろ! 魔法で人をいたぶるなんて、何を考えてるんだ!」
「あんただけには言われたくねえよ!」
完全に形勢は逆転していた。皮肉にも、エイン自身が教えた技術が、そのまま彼を追い詰める武器になっていた。
しかし、激しさを増す攻撃の中で、エインはふと何かに気づいたように腕輪を見下ろした。そして、口元に薄い笑みを浮かべる。
次の瞬間、突然手を前に突き出した。
「【防壁】!」
青白い光の壁が展開され、飛来する魔法をまとめて受け止める。
「え!?」
「魔法が使えた!?」
「どういうことだよ!」
驚愕する生徒たちを前に、エインは薄く笑った。
「俺は優しいからよ。時間外でもお前らを指導してやるよ」
どこか楽しげに言い放つ。
「ここからはサービス残業だ。タイムカードはいらねぇからな」
「【反射】! 【反射】!」
エインの魔法によって、生徒たちの攻撃魔法が次々と跳ね返される。反射された火球が味方の近くに炸裂し、生徒たちは慌てて後退した。
「うそだろ!? 魔法が跳ね返ってくる!」
「やばい、これじゃ攻撃できない!」
士気が急激に落ちていく。エインの反射魔法を前に、恐怖で足がすくむ者も現れ始めた。
しかし、その中で一人だけ、なお立っている者がいた。
「みんな、諦めるな!」
トムが大声で叫ぶ。昨夜から燃え続けている復讐の炎は、この程度では消えない。
「あいつをこのままのさばらせていいのか!? 昨日のことを忘れたのか!?」
その言葉に、生徒たちの脳裏で昨日の記憶が蘇る。エインに支配され、恐怖に震えていた一日が。
「俺たちがここで負けたら、明日からもずっと、あいつの好きにされるんだぞ!」
「でも、魔法が跳ね返ってくるんだぞ! どうしろって言うんだよ!」
怯える仲間に、トムは鋭く指示を飛ばした。
「聞け! 反射魔法は一度に一つの魔法しか跳ね返せない! そして跳ね返された魔法は、俺たちが防げばいい!」
生徒たちが息を呑む。トムはさらに続ける。
「マーク、ライアン! お前たちは【防壁】係だ! 跳ね返された魔法を防げ! 他のみんなは散開して囲め! 一斉攻撃で反射を間に合わなくさせるんだ!」
その作戦に、生徒たちの目に再び闘志が灯る。昨日の屈辱が、立ち向かう勇気へと変わっていく。
「そうだ! みんなでやれば!」
「作戦通りにやろう!」
「位置について! 三、二、一……今だ!」
組織立った攻撃が始まった。複数方向からの同時攻撃に、エインの反射魔法が次第に追いつかなくなっていく。さらに、エインの魔力が徐々に底をつき始めているのも見て取れた。
「くそっ……もう持たねぇ!」
息を切らしながら、エインは生徒たちを睨みつける。
「覚えてろよ! 今度は本当に、お前ら全員、きっちり“教育”してやるからな!」
◆
一方その頃、リリィはアメリアと共に訓練場へ向かっていた。
先ほどの対話で決意を固めた彼女の足取りは、普段からは想像もできないほど力強い。震えはまだ残っている。だが、それでも生徒たちを守るという使命感が、恐怖を上回っていた。
「リリィ先生……」
隣を歩くアメリアが、不安そうに声をかける。
「大丈夫です。もう、逃げません」
リリィは小さく頷いて答えた。訓練場まで、あと少し。
その時だった。
訓練場の方から、エインの怒声が響いてきた。
「──お前ら全員、きっちり“教育”してやるからな!」
その言葉が訓練場中に響き渡り、リリィの血の気が引く。
(やっぱり……! エイン先生が、生徒たちを脅迫して……!)
彼女の中で、最後の迷いが消えた。
守るべき生徒たち。
そして、今まさに彼らを苦しめている悪の教師。
「待ってください、リリィ先生!」
アメリアの制止も聞かず、リリィは訓練場へ向かって駆け出した。
バンッ!!
勢いよく扉を開け放つと同時に、リリィは魔法陣を展開していた。
目の前にあるのは、生徒たちに囲まれながら脅迫の言葉を吐いているエインの姿。煙と爆音の余韻が立ち込め、視界は悪い。状況の全貌は見えない。だが、リリィにはエインが生徒たちを一方的に脅しているにしか見えなかった。
「──もう、あなたの好きにはさせません!」
正義感に燃えたリリィが、高らかに宣言する。彼女の前に、普段からは想像もつかないほど力強く、正確な魔法陣が浮かび上がった。
「喰らいなさい! 【聖光懲罰】!」
宣言を果たすため。
生徒を守るため。
リリィ渾身の魔法が、まばゆい光の槍となってエインへ突き進む。
「えっ、なにを──」
自らの怠慢、生徒の反逆、そして最悪のタイミングでの脅迫発言。
そのすべてが重なった刹那──
信念を貫く同僚の光が、容赦なく彼を裁いた。
悲鳴を上げる間もなく、エインは光に呑まれ、静かに崩れ落ちた。




