13-2
午後の実技授業。
訓練場には、初級魔法の反復練習という、ひどく退屈な空気が流れていた。
「あ、あの……! もう少しだけ……魔力を込めて……みましょうか……?」
「ま、魔力制御を……い、意識すると、もっと良くなる、と……思います……!」
担任のリリィが、か細い声でおずおずと生徒たちに指導している。だが、その声はほとんど誰の耳にも届いておらず、訓練場では惰性で初級魔法を撃つだけの、締まりのない練習が続いていた。
そんな中、アメリアだけは一人、上級魔法の【紅蓮槍】を繰り返し構築していた。
すでに何度も放っているらしいが、その輝きは依然として不安定で、的には当てているものの、制御は甘く、形状も威力も定まっていない。
リリィが「まずは基礎の反復から……」とおずおず助言するが、アメリアは魔法の構築を崩すことなく、鼻で笑った。
「基礎? ラングフォード家の人間が、そんな退屈な訓練をする必要なんてない! 重要なのは高位魔術への適性、結果が全てよ。基礎なんて、後からどうにでもなるわ」
その言葉どおり、彼女の手が止まる気配はない。
だが次の瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。まるで自分自身へ放った矢が心臓に突き刺さったかのような、鋭く不快な痛みだった。
アメリアはその違和感を振り払うように、先ほどよりもさらに多くの魔力を炎へ注ぎ込み、無理やり【紅蓮槍】を形作ろうとする。
しかし、制御を失った炎は荒々しく揺らめき、輪郭をぼやけさせ、今にも暴発しそうなほど危うい失敗作へと変わっていった。
リリィが「あ、危ないです!」と悲鳴を上げるより早く、エインが前へ出て、軽く指を振る。
「……危険な魔法は使わないでほしいなぁ」
「なっ!?」
アメリアは息を呑んだ。
自分の意志とは無関係に、暴れ狂っていた炎の魔力が急速に静けさを取り戻し、形を変えていく。不安定な揺らめきは消え失せ、輪郭は鋭く研ぎ澄まされ、眩いほどの輝きを放つ完璧な【紅蓮槍】へと再構築された。
それは、アメリアが思い描いていた理想そのものだった。
だが──それは彼女の腕の中にありながら、完全にエインの支配下に置かれていた。
「それじゃ暴発しちゃうでしょ。ほら、こうすれば暴れない」
エインは息を吐きつつ、指先で魔法の動きを整えながら言う。
「それにしても……ものすごい魔力量だな。俺じゃこんな立派な魔法は使えないよ」
「……ふざけないでッ!!」
アメリアは叫ぶと同時に、エインによって完成させられた【紅蓮槍】を、自らの意志で霧散させた。
煮え滾るような瞳でエインを睨みつけながらも、その胸の内には、怒りだけでは済まない、もっと暗く複雑な感情が渦巻いている。
やがて、その唇から絞り出すような呟きが漏れた。
「……よりにもよって、あなたなんかに……!」
それは呪詛にも似た声だった。
今この場の出来事だけでは到底説明のつかない、あまりにも個人的で根深い憎悪が、その一言には滲んでいた。
しかし、心当たりのないエインは、心底不思議そうに首をかしげただけだった。
彼は小さく息を吐き、視線をアメリアから外して訓練場全体を見回す。
問題があるのは彼女だけではない。集中力が続かず、魔法の威力や軌道が安定しない者。魔力不足を言い訳に早々と練習をやめる者。どうせ怒られないと高を括り、リリィの指導を無視して雑談を続ける者──。
その光景を前に、エインの瞳に冷たい不満の色が浮かんだ。
自分が同じ課題で苦しんだ時とはまるで正反対の、あまりにも弛緩した生徒たちの姿。比較すればするほど、彼らの体たらくは際立って見える。
だらけた授業が続き、やがて終了時刻が近づいてきた。
そんな中、最後の練習に取り組んでいた生徒の一人が、疲労から集中力を欠き、【火球】の制御を誤る。炎の球は明後日の方向へ飛び、エインの方へ向かっていった。
彼は反射的に防御しようとした。だが──
「ア゛ッ!?」
腕輪が激痛を走らせる。
代わりに、リリィが咄嗟に展開した【防壁】が火球を防いだ。
「だ、大丈夫ですか……!」
エインは涙目で腕輪を睨みつけた。返事をする余裕もないほど痛むらしい。
その光景を見逃さなかった数人の生徒が、静かに顔を見合わせた。
それから間もなく、授業終了の鐘が鳴る。
ノルマを達成できた生徒は、“優等生”のトムやマーカス、そしてアメリアといったほんの一握りで、リリィは困ったように眉を下げることしかできなかった。
鐘の余韻が訓練場に残る中、立ち直ったエインがゆっくりと顔を上げる。
「……皆さん、今日のノルマ未達成者は、居残りです」
低いが、よく通る声だった。
その宣言に、生徒たちの肩が一斉に強張る。
次の瞬間、だらけていた生徒たちが一斉に反発した。
「はあ!? 無理に決まってんだろ!」
「もう魔力なんか残ってねーよ!」
「魔力回復薬だって、在庫がほとんどないって話じゃないですか!」
当然の抗議だった。だが、エインは鼻で笑う。
「回復薬? いらねーよ。──魔力がないなら、俺が分けてやる」
「……は?」
意味のわからない言葉に、生徒たちは呆気に取られる。
エインはそんな彼らを無視して、リリィへ向き直った。
「先生。こいつら、ちょっと借りていきますね」
「え、ええっ!? どこへ……」
「トム、マーカス! 未達成者を全員、講堂まで連れて行け!」
「「はいッ! 先生!」」
エインの号令一下、二人の“優等生”が嫌がる生徒たちを効率よく追い立て、講堂へと強制連行していく。
「ちょっと待ちなさいよ、何をするつもりなの!?」
アメリアも思わず声を上げ、エインの後を追って駆け出した。
ほどなくして、訓練場にはリリィだけがぽつんと取り残される。
◆
講堂に連れてこられた生徒たちは、何が何だかわからないまま、不安そうに周囲を見回していた。
その視線をよそに、エインは一人で舞台へ上がり、中央に立って詠唱を始める。
「【秘式顕現】」
すると彼の足元に、入学式で職員が顕現させたものと同じ、精緻な紋様の魔法陣が浮かび上がった。
さらに、生徒たちの立つホール全体の床にも、巨大で複雑な魔法陣が青白い光を放ちながら姿を現す。
入学式の日に目にした、あの異様な光景が、再び講堂いっぱいに広がっていた。
「あなた、またその魔法陣を……!」
アメリアが怒りに震える声で叫ぶ。
「入学式の時のように、また神聖な【啓導の光輪】を弄ぶつもりなの!? いい加減になさい! あの儀式は、あなたのおもちゃじゃないのよ!」
エインは、心底どうでもよさそうにアメリアを一瞥した。
「うるさいな。お前らが魔力がないってグチグチ言うから、補充してやろうってだけだろ」
「だから! その魔力補充と【啓導の光輪】が何の関係があるのよ!」
アメリアが食ってかかると、エインは面倒くさそうに肩をすくめた。
「ほら、よく見てよ。この魔法陣、『支配の呪い』『魔力奪取の呪い』『魔力転送』の三つの術式が組まれてるでしょ。よくできてるよねぇ~」
「なっ……! そ、そんなはずない! 【啓導の光輪】は何百年も前から続く神聖な儀式であって、呪いだなんて……!」
アメリアが激しく否定するが、エインは気のない声で返す。
「ふーん。まあ、信じないなら試してみればいいだろ」
「何を──」
その言葉が終わるより早く、講堂の扉が勢いよく開き、息を切らした人物がなだれ込んできた。
「はあっ、はあっ……み、皆さん! 勝手な行動は、困ります……!」
そこにいたのは、体力のなさからすっかり息の上がった担任のリリィだった。
エインはこれ幸いとばかりに声をかける。
「あ、リリィ先生。ちょうどいいところに。ちょっとこっち来てもらえます?」
「へ? あ、はい……」
訳も分からぬまま近づいてきた彼女に、エインはふと思い出したように尋ねた。
「リリィ先生って、ここの卒業生でしたっけ?」
「え? は、はい……そうですけど、それが何か……?」
戸惑いながらも頷く彼女に、エインはほっとしたように息を漏らす。
「良かった。それならちゃんと呪いがかかってますね」
「へ……? の、呪い、ですか……?」
リリィがその意味を理解するより早く、エインは彼女の頭上で軽く指を弾いた。
「ええと、大元の術者の魔力を真似ればいいから、【魔力変調】。──はい、リリィ先生。三回回って、ワンって言ってみてください」
「……え?」
突然の無茶振りに、彼女はぽかんと口を開けた。
だが次の瞬間、その身体が自らの意志とは無関係に、くるくるとその場で回り始める。
「きゃっ!? な、何ですかこれ!? 身体が、勝手に……!」
くるり、くるり、くるり。
そして三回転し終えた彼女の口から、か細く、しかしはっきりと、こう聞こえた。
「……わん」
あまりにもシュールな光景に、Eクラスの生徒たちは石のように凍りついた。
一方のリリィは顔を真っ赤にし、涙目のままエインに詰め寄る。
「い、今、何を……!」
「はい、ですから、リリィ先生には『支配の呪い』がかけられてるんですよ。それを今、実演してみただけです」
「し、支配の呪い!?」
自分が呪いをかけられていると知り、リリィは真っ青になる。
「そんな……! 【解呪】! 【解呪】!」
慌てて自身に解呪をかけるが、何も起こらない。
エインはそんな彼女の必死な様子を眺めながら、まるで講義でもするように淡々と説明を続けた。
「呪いと言いましたが、厳密には精神魔法との複合術式です。それを解くにも、解呪と打ち消しを複合させた魔法が必要ですよ」
「そ、そんな魔法、知りません……! 知っていても、そんな高度なもの、私に使えるわけが……!」
ついに、彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「あ、その魔法なら、俺は使えますよ」
「でしたら、どうか! 解いてください!」
リリィが必死に頼み込むが、エインは心底面倒くさそうに顔をしかめ、腕に嵌められた銀の腕輪をちらりと見た。
「えー……でも、それって教師の“職務”と関係あるんですか? 腕輪が作動すると面倒なんで、職務外の魔法は使いたくないんですけど」
その無情な返答に、彼女は一瞬、言葉を失った。
一度だけでもこれほどの恥辱だ。この呪いが解けない限り、いつまたエインの気まぐれで、犬の鳴き真似以上の命令をさせられるかもしれない。
教師としての尊厳を守るため、彼女は必死に頭を回転させた。
「あ、あります! ありますとも!」
もはや体裁を繕う余裕もなく、リリィは大泣きしながら必死に説得を試みる。
「わ、私という同僚教師が、このように正常な判断能力を欠いた状態では、生徒たちへの指導に支障をきたします! つまり、私の呪いを解くことは、学校の教育活動を正常化させるための、き、極めて重要な職務なのです!」
「うーん、まあ、言われてみればそうか……」
エインは彼女の苦し紛れの理屈に一応は納得したような返事をすると、大きく、そして心底面倒くさそうにため息をついた。
「……はあ、仕方ないですね。やりますよ、やればいいんでしょ。職務なら」
彼はリリィの前に立つと、これまでとは比べものにならないほど精密で複雑な術式を、指先で編み上げていく。
「【双剋解呪】」
術式がリリィの身体に吸い込まれると、彼女を縛っていた見えない枷が、ガラスのように砕け散る音を立てた。
「あ……!」
呪縛から解き放たれたリリィは、緊張の糸が切れたように、その場にへなへなと座り込む。
エインはそんな彼女を一瞥すると、再び生徒たちへ向き直った。
「──というわけで、今からこの魔法陣を使って魔力を補充します。といっても、今回は魔力の転送先を変更するだけなので……」
「【構文再編】!」
エインが指を鳴らすと、魔法陣の幾何学模様が生き物のように蠢き、その構造を組み替えていく。
そして陣全体が、まばゆい光を放ち始めた。
「うわっ!?」
「な、なんだこれ……!?」
生徒たちの体内に、外から膨大な魔力が流れ込んでくる感覚。
最初は、枯渇していた魔力が満たされていく心地よさに、生徒たちは興奮した。
「すげえ! 魔力が回復していく!」
だが、その興奮はすぐに恐怖へと変わった。
魔力は満タンになってもなお、止まることなく流れ込み続けるのだ。
「ま、待って! もう限界だ! キャパ超えちまう!」
「おい! これ以上魔力が入ったら、俺たちどうなるんだよ!?」
恐怖に上ずった声が次々に上がる。
だがエインは、そんな必死の訴えに悪びれもせず、ただ一言だけ返した。
「え、そこまでは知らない」
あまりにも無責任なその発言に、生徒たちの顔が青ざめた。
このままでは本当に危険だ──そう悟った彼らは、生き残るために一つの結論へたどり着く。
「魔法を使って! 魔力を消費しないと、取り返しのつかないことになるわ!!」
「【火球】! 【火球】! 【火球】!」
「なんでもいいから撃て!」
生徒たちは自らの命を守るため、決死の覚悟で魔法を撃ち始めた。
講堂に悲鳴と魔法の爆音が響き渡る。
その光景を満足そうに眺めるエインの隣で、リリィはただ唇を震わせることしかできない。
それでも、生徒を守るという使命感が、彼女にかろうじて勇気を与えた。
「……あ、あの……エイン先生……! も、もう十分です……! これ以上は本当に危険です……!」
「いつまでこの地獄が続くんだ!?」
「でも、まだ始まったばかりですよ。せめて十分はやらないと」
「誰か助けてえええ!!」
「じゅ、十分!? そ、そんな……! 生徒たちはもう限界だというのに……!」
「やばい、魔力が溢れる!」
「リリィ先生、俺の時なんて回復薬を何本も飲んで夜までやらされてたんですよ。それがたった十分で済むんですから、ハーゲン教授よりよっぽど優しいですよ」
「鬼! 悪魔! 人でなし!!」
「そ、それは……!」
リリィは何も言い返せなかった。
エインの理屈は明らかにおかしい。だが、本人の中ではちゃんと筋が通っているらしい。
エインは、傍らで押し黙るリリィに向き直る。
「それにほら、見てくださいよ」
彼が指し示した先には、地獄の様相が広がっていた。
講堂中に轟音が鳴り響き、天井には無数の焦げ跡が刻まれ、壁には氷の破片が突き刺さる。魔法の反動でよろめく者、魔力切れで倒れ込む者。それはもはや授業でも訓練でもない。自らの身を守るための、生存をかけた闘争だった。
「みんな、すごく真面目に練習してるでしょう? 俺ってやっぱり、教師の才能あると思いません?」
リリィは、目の前の同僚の正気を、本気で疑い始めていた。




