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12-x 空っぽの境界

「新任教師エイン先生の歓迎会会場はこちら」


 そんな手書きの張り紙が、会議室の扉に申し訳程度に貼られていた。


 扉を開けて入ってきたエインは、上機嫌な足取りのまま声を張り上げた。

「こんにちは! 歓迎会に来ました!」


 しかし次の瞬間、ぴたりと足を止める。室内の空気が、あまりにも異様だった。


 新校長ギルバートの姿こそなかったが、レオナルド、スザンナ、ハーゲン――主要な教師陣がずらりと並び、まるで法廷の裁判官のような配置で待ち構えている。

 表情は全員一様に硬く、室内の空気は氷のように冷え切っていた。


 テーブルの上にあるのは、花も装飾もない。ぽつんと小さな箱が一つ置かれているだけだ。


「あれ……?」

 ようやく違和感を覚えたらしいエインが、困惑したように首を傾げる。

「……もしかして俺、来るの早すぎました? まだ準備中とか?」


 その言葉に、ハーゲンの眉がぴくりと跳ねた。

 しかしそれを制するように、レオナルドが一歩前に出る。その表情には決意と、そしてどこか申し訳なさそうな色が滲んでいた。


「……いや。時間通りだ、エイン君。まずは、教員への就任、おめでとう」

「あ、どうもです」


 レオナルドはテーブルの箱を恭しく手に取り、エインに差し出した。

「これは、君の就任を祝して学校から贈られる記念品だ。――歓迎会の、メインイベントだよ」


「お、マジすか!」


 目を輝かせたエインは、嬉々として箱を開けた。

 中から現れたのは、継ぎ目のない銀色の腕輪。中央に透明な魔石が一つ埋め込まれた、洗練されたデザインだ。


「おお、かっこいい! さすが王立学校、待遇いいな!」


 心底嬉しそうに、エインは腕輪を自らの手首にはめた。

 カチリ、と小気味よい音が鳴り、腕輪はぴたりと肌に密着する。


 その様子を見て、レオナルドはわずかに目を伏せた。

 対照的に、後方のハーゲンは抑えきれない愉悦の笑みを浮かべている。


 エインが腕輪を眺めて悦に入っていると、スザンナが冷静な声で告げた。

「……それは“誓約の腕輪”。一度装着すれば、装着者の魔力と完全に融合し、物理的に外すことはできません」


 エインは腕輪を見つめながら、のんきに首をかしげる。

「え、そうなの? 体洗うときどうしよう……?」


 スザンナはそんな心配を無視するように、淡々と続けた。

「その腕輪には、制御装置を介して“命令”を魔力的に刻み込むことができます。刻まれた命令に反する行動を取ろうとすれば、腕輪が強制的に阻害します」


「へぇ~、便利な機能ですね~」


 のんきな感想を漏らすエインに、ついにハーゲンが前へ出た。声は、長年の恨みと喜びに震えている。


「そうだとも!」


 一歩踏み出したハーゲンは、怒気と愉悦を滲ませながら言い放つ。


「その腕輪は、あの忌々しきクラス分け試験の後、我々が手配しておいたものだ!」


 誇らしげに胸を張り、鼻を鳴らして続ける。


「禁制品ゆえ、届くまでに時間がかかってな……ようやく届いたと思った矢先、貴様は退学になっていた。間の悪い話だと思ったが――」

 そこで口元を吊り上げた。

「まさかすぐに、教員として戻ってくるとはな。まったく、運がいいのか悪いのか分からん奴だ」


 ハーゲンは腕輪を指差し、腰のポーチから小型の魔道具を取り出した。

 それは手のひらに収まるほどの円盤型の装置で、表面には複雑な魔法陣が刻まれている。


「――せっかくだ。この場で“命令”を刻んでやろう」


 ハーゲンがにやりと笑いながら装置を構えると、教師たちの間にわずかな緊張が走った。

 ハーゲンは装置に魔力を込め、腕輪に向ける。


「聞け、小僧。貴様に与える命令はこうだ!」


 重々しい声が部屋に響き渡る。


「“教師として勤務していない間は魔法使用禁止。勤務中も、職務を遂行する目的でなければ魔法使用不可”!」


 ハーゲンの宣言と同時に、制御装置が強く光り、腕輪の魔石も鋭く明滅した。

「――どうだ、就任祝いとしては十分だろう?」


 エインは腕輪とハーゲン、そしてその手に握られた制御装置を交互に見つめ、渋い顔をした。

「えぇ~……いらないよ、こんな記念品」


 その言葉に、ハーゲンは意地悪く口元を吊り上げる。

「嫌でも受け取ってもらうぞ。我々の“気持ち”だからな」


 エインは不満そうに顔をしかめながら、腕輪を握りしめた。

「クソッ、こんな魔道具なんかすぐ外してやる……!」


 魔力を指先に集めかけた瞬間――


「アッヅ!!?」


 エインが飛び上がった。

 腕に走った鋭い衝撃に涙目になり、必死に腕を抱える。


 その情けない様子を見て、ハーゲンは声を上げて笑った。


「ハッハァ! 見たか! それが貴様を縛る“安全弁”だ!」


 満足げにエインの肩を叩き、意趣返しを噛み締めるように言い放つ。


「――それじゃあ“同僚”として、改めてよろしく頼むぞ、エイン“先生”?」


 高笑いとともに、ハーゲンは意気揚々と会議室を去っていった。

 他の教師たちも、肩の荷が下りたように安堵の息をつきながら、次々と部屋を後にしていく。


 やがて残されたのは、エインとレオナルドの二人だけだった。

 レオナルドは、まだじんじんと痛む腕をさすっているエインを、無言で見つめている。


 しばらくして、エインがふと顔を上げた。


「……あれ? 皆帰っちゃった? ってことは、もう歓迎会終わり? というか、最初からなかった?」


 ようやく察したらしいその一言に、レオナルドはかすかに眉をひそめ、そっとため息をついた。


 教師たちの不安は、ひとまず“形”にはなった。腕輪の縛りは、確かに強力だ。


 ――だが。


(我々は、ただ“首輪”をつけただけなのかもしれん。その扱い方を、本人が覚えるまでの……ほんの時間稼ぎに過ぎんのではないか)


 目の前の少年は、これまでも常識という枠を、いとも容易く飛び越えてきたのだから。


    ◆


◇415:名無しの元引きこもり

 騙された


 416:名無しの転生者

 知ってた


 417:名無しの転生者

 おかえり


 418:名無しの転生者

 で、どうなったんだよ


◇419:名無しの元引きこもり

 歓迎会はワイを呼び出すための作戦だったんや、あり得ない……


 420:名無しの転生者

 バカみたいな作戦だな


 421:名無しの転生者

 イッチもバカだから引っかかったわけだが


 422:名無しの転生者

 そこまでして呼び出して何がしたかったん?


◇423:名無しの元引きこもり

 もらった腕輪が罠で、“教師としての業務以外で魔法使用不可”って誓約かけられた。

 文字通り手枷ハメられたわ、ワイを騙してこんな事するなんてひどすぎやろ。


 424:名無しの転生者

 いや普通に妥当だろ


 425:名無しの転生者

 むしろ今まで野放しにされてた方が異常


 426:名無しの転生者

 まだ足枷と首輪が足りないんじゃないか?


◇427:名無しの元引きこもり

 教師になる→寮に戻れる→造幣できる→教師辞める

 というワイの完璧な計画が崩れた……

 このために教師になったのにどうすればええんや


 428:名無しの転生者

 いやその計画がまず頭おかしい


 429:名無しの転生者

 志望動機ゴミすぎるだろ


 430:名無しの転生者

 やっぱ教師向いてないわコイツ


    ◆


 約束の時間より、少し前。

 新人教師リリィ・ミストは、重い足取りで会議室へ向かっていた。


(はぁ……なんで私が、あんな問題児のお世話係なんか……)


 リリィは新校長ギルバートから、副担任となるエインと事前に顔合わせをするよう、半ば強制的に命じられていた。

 短期間で数々の伝説――主に悪評だが――を打ち立てた元生徒が、自分の“同僚”になる。その事実が、ただひたすらに彼女の胃を締め付けていた。


 指定された会議室の前までたどり着き、深呼吸をひとつ。

 意を決してドアノブに手をかけようとした、まさにその時だった。


「ギャース!!」



 中から、カエルの潰れたような間の抜けた悲鳴が響き渡る。


「ひゃっ!?」


 心臓が跳ね上がり、リリィはびくりと肩を震わせた。

(な、何の音……?)

 最悪の想像が、彼女の脳裏をよぎる。


 おそるおそる、震える手で扉を開けると――


 そこには、椅子ごと床に倒れ込んだエインの姿があった。腕にはめた銀の腕輪を抱えるようにして、涙目でうずくまっている。


「ひぃっ!? エ、エイン先生!? だ、大丈夫ですか!?」


 悲鳴に近い声で駆け寄ると、エインが顔を上げた。


「えっと……リリィ先生……で合ってますよね!? ちょっと魔法使おうとしたら、また失敗しちゃって……とにかく外して、これ! ほんとムリです!」


 どうやら腕輪を外そうとして魔法を使い、またペナルティを受けたらしい。

 尊大な態度は見る影もなく、今はすっかり情けない声で助けを求めてくる。


「ひ、ひぃっ……で、できません! 私、教授たちに“絶ッ対に手出しするな”って言われてるんです!」

「えぇ~!? じゃあこのまま一生……!? なんとかならないんですか!?」

「そ、そんなの私に言われても困りますぅ……!」


 リリィが半泣きで首を振ると、エインは床に突っ伏したまま、しばらく呻いていた。

 やがて観念したように、力なく起き上がって椅子に座り直す。


「クソ、やっぱムリか……」


 まだ不満げに腕輪をさすっているものの、どうにか落ち着きを取り戻したらしい。


(……もう、帰りたい)


 リリィは心の中で嘆息しつつも、仕事を思い出して気を取り直した。

 鞄から書類を取り出し、おそるおそるエインに差し出す。


「え、ええと……こちらが一年Eクラスの時間割と、生徒の名簿。それと、教科指導案のフォーマットで――」

「……ふーん。……へー。……なるほど」


 エインはまだ不貞腐れた顔のまま、気のない相槌を打つ。

 欠伸こそしなかったが、興味のなさそうな態度は隠しようがなかった。


(だめだ……やっぱり、この人とやっていくなんて無理……!)


 その諦念に沈みかけた瞬間、突如として天井に備え付けられた魔道具が、けたたましい警告音を発した。


『緊急連絡! 緊急連絡! 中央棟に不審者が侵入! 付近の生徒は直ちに避難せよ!』


「ひゃっ!?」


 リリィは短い悲鳴を上げ、ガタッと椅子を引き倒しそうな勢いでのけぞった。そのまま弾かれるように立ち上がり、声を上ずらせる。


「こ、ここ中央棟ですよね!? つまり、この建物の中にいるってことじゃ……!」


 対照的に、エインは目を輝かせて呟いた。


「おお、面白そう!」


 そう言うが早いか、エインはぱっと立ち上がり、まるで遊びに行くような軽い足取りで会議室の扉を勢いよく開け放つ。


 リリィは顔面蒼白になりながらも、慌ててその背中を追って部屋を飛び出した。


 ――そこに、いた。


 腰を抜かした生徒たちの前で、ナイフを振り回しながら叫ぶ、いかにも怪しい男。


「ヒャッハー! 俺の名はゴツゴウ・シューギ! 校内の金目の物、全部いただいてくぜぇ!」


 あまりにも分かりやすい名前と動機。どう見ても頭のネジが外れている。

 だが、警報の直後に登場とは――不審者にしては空気を読みすぎだろう。


 その空気をぶち壊すように、魔法が炸裂した。


 ――二つの、まったく異なる魔法が、完全に同時に。


 エインはゴツゴウ・シューギを一瞥しただけで、指を軽く弾く。

【痛覚刺激】(ペインシグナル)!」


 リリィもまた、緊張に震える手で空間へ魔力を走らせた。

【防壁】(シールド)!」


 次の瞬間、廊下には二つの光景が広がっていた。

 一つは、白目を剥いて絶叫しながら崩れ落ちる不審者。

 もう一つは、その周囲にいた生徒たちの前方へ、寸分の狂いもなく展開された半透明の防壁だった。


 耳に残る悲鳴がやがて途切れ、場に重い沈黙が落ちる。


 最初に声を発したのは、興奮気味のエインだった。


「リリィ先生すげー! 今、五枚も同時に【防壁】出したでしょ!?」


 無邪気な声で、まるで新しいおもちゃでも見つけたかのようにリリィを褒めそやす。


 しかし彼女の目は、床で泡を吹く不審者ではなく――エインの左腕に嵌められた“誓約の腕輪”に釘付けになっていた。


「あ、あの……エイン先生……?」

 震える声で尋ねる。

「腕輪の誓約で、魔法は使えないはずでは……?」


「え? でも、不審者を退治するのって、教師の立派な“職務”でしょ?」


 エインは、白目を剥いて痙攣する不審者を背に、心の底から“当然”だと信じて疑わない満面の笑みを浮かべていた。


 リリィは引きつった笑みを浮かべながら、震える声でなんとか返す。


「ソ、ソウデスネ……」


 ぐらつく感覚とともに、胸の奥に冷たいものが広がる。

 この男は、危険人物というより、そもそも“人の理”が通じない存在なのではないか――そんな漠然とした恐怖が、じわじわと形を持ち始めていた。


(……落ち着いて。今は、生徒たちを……)


 どうにか自分を叱咤し、ふらつく足取りのまま生徒たちのもとへ向かう。


「み、皆さん、大丈夫ですか……? 怪我は――」


 その時だった。


「「「うわああああああっ!!!」」」


 悲鳴を上げ、生徒たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 その視線の先には――


 白目を剥いたまま、ぎこちなく歩いてくるゴツゴウ・シューギの姿があった。


「ひぃいいい! う、動いてますぅうう!」


 リリィは生徒たち同様に悲鳴を上げ、パニックで詠唱すらできなくなる。


 その背後から、あまりにのんきな声が飛んだ。


「あー、リリィ先生、落ち着いて。それ、俺が操ってるだけだから」

「へ……?」


【自動人形】(オートマトン)という、意識のない生物を操る魔法です。こいつを詰め所まで歩かせて連行するだけ。……何の問題もありませんよ」


 ――問題しかない。


 リリィは一瞬、言葉を選びあぐねてから、おそるおそる尋ねた。


「あの……それも、“職務”なんですか?」

「うん、まあ。効率化って大事ですよね」


 エインは平然とした笑顔で答える。


(この人、本気でそう思ってる……?)


 ぞくりと背筋を寒気が這い上がる。

 リリィは改めて、目の前の光景を見た。


 非人道的な魔法で相手を制圧し、その尊厳すら奪う。

 しかもそれを、「効率的だから」の一言で、何のためらいもなく正当化してしまう――。


「あ……ああ……」


 昨日までの絶望など、比べものにならない。

 リリィは全身の力が抜けていくのを感じながら、その場にへたり込んだ。


 ――これが、これから一緒に働く“同僚”。


(終わった……本当に……終わった……)


 この学校で一番危険なのは、不審者なんかではない。

 目の前にいる、この男だ。

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