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12-1 ミッション:エンプロイメント/フォールアウト

「どうも。新しくお世話になります」


 気の抜けた挨拶とともに、そこに立っていたのは、つい数時間前、自らの手で退学処分にしたばかりの平民だった。


 元生徒エイン。その姿を認めた瞬間、ギルバートは呼吸を忘れた。

 得意げな笑みだけが顔に張りつき、目は現実を拒むように宙を泳ぐ。


 なぜこいつがここにいる──その疑問が形になるより早く、怒気が全身を駆け抜けた。

 彼は椅子を蹴るように立ち上がり、怒鳴りつける。


「き、貴様っ……! なぜお前がここにいる! ここは部外者の立ち入りが禁じられている、神聖な学び舎だぞ!」


「いえ、ですから、教職を希望しに来たんです。俺って魔法得意なんですよ、どうです?」


 エインは悪びれる様子もなく、まるで自室にでもいるかのように椅子へ腰を下ろした。

 背もたれにだらりと身を預け、壁の装飾や書棚の背表紙へと視線をさまよわせる。


「何を馬鹿なことを……! 教職だと? お前はついさっきまで、ここの“生徒”だったのだぞ! 教育の『き』の字も知らん小僧が、一体何を教えるというのだ!」


 怒気が室内に響く。


 だがエインは、怒鳴り声など最初から聞こえていないかのように、部屋の隅へ目を留めた。


「……あれ?」


「聞いているのか、貴様!」


「それより、あの魔法陣、なんかおかしくないですか?」


「は?」


 唐突な言葉に、ギルバートの表情が曇る。


 エインが指さしたのは、壁面の装飾に紛れるように刻まれた、小さな魔法陣だった。

 部屋の意匠の一部として見れば、それ以上気に留めるほどのものでもない。


 ギルバートは即座に吐き捨てた。


「何を言っている! あれは部屋の湿度を一定に保つための、ただの環境維持用術式だ! 話をそらすんじゃない!」


 しかしエインは首をかしげたまま、じっと魔法陣を見つめている。


「いや、やっぱり変だな。表向きの構造に対して、内側の流れが噛み合ってない。なんか、特定の波長しか受け付けないような……?」


 そう言いながら、彼はひょいと立ち上がった。


「おい、やめろ。勝手に触るな、それは──」


「とりま起動してみますね。【魔力変調】(モジュレーション)!」


 軽い調子で指を弾いた、その瞬間だった。


 エインの指先から放たれた燐光が、蜘蛛の糸のように魔法陣へ吸い込まれていく。

 ピキ、と乾いた音が響く。


 魔法陣全体が淡く脈動し、それに呼応するように壁の一部が微かに震えた。


「ま、待て! 貴様、何をした!」


 ギルバートの制止も虚しく、ゴゴゴゴ……と鈍い音を立てながら、壁の一角が四角く縁取られたまま奥へ沈み込んでいく。


 やがて、その内部にぽっかりと空洞が現れた。


 部屋の一部に巧妙に仕込まれた、奥行きの浅い収納だった。


 中には、綴じられた論文の束や手書きの研究記録、年代物の魔法理論書、褪せた羊皮紙の資料などが無造作に詰め込まれている。


「おぉ……」


 思わず、エインとギルバートの声が重なった。


 次の瞬間には、ギルバートが弾かれたように収納へ歩み寄っていた。


 開いた隙間から覗く羊皮紙の端を見つけた瞬間、顔から血の気が引く。


(それは……まさか……!)


 震える手で束を引き抜く。


 一番上に、自分の署名があった。


 見覚えのある案件名。

 消したはずの金の流れ。

 教頭時代の私的流用と、裏口入学に絡む記録。


 表に出れば終わる──そう理解するのに、一瞬もいらなかった。


(どうしてこんなものが残っている……! まさか、レオナルドの奴が……!?)


「へえ、何ですか、その資料?」


 呑気な声がして、エインが中を覗き込もうと一歩踏み出す。


「──採用の話だったな!」


 ギルバートはほとんど悲鳴のような声で叫び、自らの身体で収納を塞いだ。


 そのまま、無理やり話を本筋へ引き戻す。


「え、採用? してくれるんですか?」

 エインの間の抜けた、しかし期待に満ちた声。

 隠し収納のことなど、もう半分忘れているのだろう。その軽さに、ギルバートの思考は急速に冷えていった。


 頭は回るが、先を考えない。才はあるが、無知で加減を知らない。──始末は悪いが、利用の余地はある。


(放っておけば、いずれレオナルドのような連中に拾われかねん)


 冷たい危機感が、じわりと思考の底に滲む。だが、それはすぐに計算へと変わっていった。


 囲ってしまうのは一つの手だ。だが、処分を撤回して生徒に戻すなど論外。そんなことをすれば、自らの権威に傷がつき、レオナルドに口実を与えるだけになる。


 ならば、望み通り“教師”として拾えばいい。


 退学処分は覆さない。

 格も譲らない。


 そのうえで恩を売り、肩書きだけを与えて管理下に置く。

 才能は本物だ。使い方次第では古参どもへの牽制にもなる。

 何か成果を上げさせれば、それを見出した自分の手柄にもできる。


 劇薬ではある。

 だが、野放しにするよりは遥かにましだ。


 ギルバートの中で、恐慌はすでに打算へと置き換わっていた。

「……ふん。馬鹿げた話だと思ったが……いや、実に面白い」


 彼はゆっくりと向き直り、寛大さを装った声音で告げる。


「その才覚、そして不遜さ──嫌いではない。いいだろう。この私が、君の後ろ盾となってやろう」


 芝居がかった仕草で両手を広げる。


「君のような型にはまらない才能こそ、私が目指す“新しい学校”には必要なのだ。採用試験は、私が上手く取り計らってやる。君はただ、形だけ受けてくれればいい。簡単なものだ」


「おお、マジですか! ありがとうございます!」


 エインは子供のように無邪気に喜ぶと、他に何一つ気にする様子もなく、そのまま校長室を後にした。


 その背中を見送りながら、ギルバートは薄く口元を吊り上げる。


(扱いやすい……実に単純な小僧だ)


 危険な狂犬に、首輪をつけた。

 彼はそう確信していた。


 ──もっとも、その狂犬は、首輪という概念すら理解していなかった。

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