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25-3

 王立魔法学校の訓練場は、静まり返っていた。


 つい先日まで、四か国対抗戦の決勝が行われていた場所である。

 観客の熱気も、各国関係者の怒号も、国王の声も、今はもう残っていない。


 地面には踏み荒らされた跡があり、防壁に弾かれた魔法の痕跡が焦げ跡となって残っている。


 だが、人の姿はなかった。


 国王の世界支配宣言。

 各国関係者の混乱。

 そして、エインとフレッドの逃走。


 そのすべてが過ぎ去った後の訓練場は、祭りの跡というには、あまりにも不穏だった。


 その中央に、ひとつの魔道具が現れた。


 落下音はなかった。

 何もなかった地面の上に、最初からそこにあったかのように置かれている。


 通常の通信魔道具とは似ても似つかない形だった。

 金属板と水晶と、用途の分からない細い部品が、無理やりひとつに繋ぎ合わされている。洗練された魔道具というより、壊れた部品をかき集めて、どうにか動くようにした何かだった。


 魔道具が、かすかに震える。


 次の瞬間、底面から淡い光が広がった。


 訓練場の床に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。


 白い線が地面を走り、円を描き、いくつもの文字列が噛み合っていく。

 だが、その形は、王家の儀式で使われる整然とした魔法陣とは違っていた。


 どこか継ぎ接ぎで、無理やりで、そして妙に実用的だった。


 魔法陣の中心で、魔道具の水晶が光を帯びる。


 その光は訓練場の中だけに留まらず、王都全体へ向けて、見えない波のように広がっていった。


    ◆


 この日、王都の人々は、同じものを見た。


 市場で野菜を並べていた商人が、ふと手を止める。

 通りを警備していた兵士が、槍を握ったまま空を見上げる。

 宿屋の二階で窓を開けていた旅人が、目の前に割り込んできた光景に息を呑む。


 それは、幻覚のようだった。


 けれど、意識を奪われる感覚はない。

 身体が勝手に動くわけでもない。

 ただ、視界の一部に、別の場所の光景が強引に映し込まれていた。


 どこかの平原。


 背後には、山肌を削った巨大な鉱山がある。

 周囲には、混乱した労働者たちと、帝国兵らしき者たちの姿が見えた。


 その中心に、二人の少年が立っている。


 一人は、黒髪の少年。

 もう一人は、茶髪の少年。


 しばらくして、黒髪の少年がこちらに向かって手を振った。


『やあやあ王都の皆さん、見えてるかな? 聞こえてるかな?「エインとフレッドのガキの使いやあらへんで」の放送のお時間です。さあ、はじまるザマスよ!』


 王都のあちこちで、空気が固まった。


 市場の商人が、持っていた大根を落とす。

 兵士の一人が、反射的に槍を構える。

 窓辺に立っていた旅人は、目の前に割り込んだ光景を理解できず、ただ息を呑んでいた。


 映像の中で、フレッドが慌ててエインの肩を掴む。


『ちょっ、何を言ってるの!? 真面目に始めなさいよ!』


『ほら、王都の皆さんも見てるから、多少は退屈しないようにって』


『そういうのいいから!』


 フレッドはエインを押しのけるようにして、前へ出た。


 その顔には、疲労が色濃く浮かんでいる。

 だが、声は震えていなかった。


『王都の皆さん、突然すみません。本当は、国王陛下にだけこのメッセージを届けたかったんです。でも、国王陛下だけに確実に届く方法がありませんでした。だから、通信用の魔道具に【精神感応】(テレパス)の魔法を組み込んで、王都全体へ届ける形になっています』


 王都の人々は、誰も言葉を返せない。


 問い返したところで、向こうに声が届くのかも分からない。

 だが、見えている。

 聞こえている。


    ◆


 王都の人々に映し出された光景の中で、平原の騒ぎが大きくなっていった。


 鉱山から離された労働者たちは、最初、何が始まったのか分かっていないようだった。

 手足の枷は外されている。見張りも、彼らを坑道へ戻そうとはしていない。

 それでも、長く命令されることに慣れた者たちは、自由になっても、すぐには動き出せなかった。


 やがて、労働者の一人が黒髪の少年に気づいた。


『あ、あいつらだ! 俺達の鉱山で暴れたのは! 俺達を鉱山から追い出しやがったんだ!』


 その声をきっかけに、周囲の視線が一斉に少年へ集まる。


 黒髪の少年は、労働者たちを見た。


 その表情に、罪悪感はなかった。

 助けた相手へ向ける慈愛もなかった。


『帝国からつれてこられた鉱山奴隷どもか』


 その声が、王都全体に響いた。


 聞いていた者たちは、意味が分からないまま息を呑む。

 映像の中の労働者たちも、動きを止めた。


 黒髪の少年は続ける。


『いつかは労働から解放されたいと、希望を持っていたな』


 労働者たちの中に、ざわめきが広がった。


 誰かが顔を上げる。

 誰かが逃げるべきか迷う。

 誰かが、まさか本当に解放されるのかと、信じきれない顔をする。


 少年は、笑った。


『解放されるといいなぁ』


 そして、背後の鉱山を指さした。


 山肌を削り、坑道を穿ち、帝国と王国が奪い合おうとしていた場所。

 労働者たちが働かされていた場所。

 戦争の火種となった場所。


 王都の人々は、その指先を見た。


 何をするつもりなのか、まだ理解できなかった。

 理解したくなかった。


 少年の声だけが、あまりにも明るく響く。


『よく見ろ、シャバに行ってもこんな面白いショーは見られんぞ』


 次の瞬間、鉱山が消えた。


 光が走った。


 最初に見えたのは、白だった。

 昼の光よりも白く、炎よりも眩しい光が、鉱山の中心から真上へ突き抜ける。


 遅れて、轟音が来た。


 放送越しであるにもかかわらず、王都の人々は反射的に耳を塞いだ。

 実際に音が鼓膜を打ったのか、それとも見せられた光景がそう錯覚させたのか、誰にも分からない。


 鉱山は砕けたのではなかった。

 崩れたのでもなかった。


 上へ吹き飛んだ。


 山肌が、岩盤が、坑道が、積み上げられた資材が、まるで見えない巨大な槌で真下から叩き上げられたように、空へ向かって爆ぜた。


 衝撃波が平原を走る。


 ただし、不自然なほど横には広がらなかった。

 近くにいた労働者たちは、尻餅をつき、悲鳴を上げ、土埃に包まれたものの、吹き飛ばされはしない。


 その代わり、鉱山のあった場所から、岩も土も坑道も、まとめて空へ吸い上げられるように噴き上がっていた。


 王都が、静まり返った。


 鍛冶屋の炉の前にいた男が、火箸を落とす。

 パン屋の娘が、焼き上がったパンを抱えたまま動かなくなる。

 通りの兵士が、槍を構えたまま膝を震わせていた。


『たーまやー!』


 放送の向こうで、黒髪の少年が笑っていた。


 高く。

 楽しそうに。


 その笑い声だけが、王都の空気を凍らせていく。


 やがて、映像の中で、小さな皇帝が震える声を漏らした。


『お主、今、何をしたのじゃ……?』


 黒髪の少年は、当然のように答えた。


『何って、ただ魔法で鉱山をふっとばしただけだが? 苦労したんだよ、周囲に被害が行かないように真上だけに吹っ飛ばすのは』


『馬鹿な、そんな魔法あるはずない! どれだけの魔力を使ってもこんな威力が出るわけない!』


『それがあるんだよなぁ~』


 黒髪の少年は、どこか得意げに胸を張った。


『俺が教師だったときに開発した、反物質を生成する魔法だ。反物質って便利だよぉ。魔力量が俺みたいに一般人並みでも、対消滅のお陰であれだけの威力が出せるからねぇ』


 映像の中で、誰も動かなかった。


 帝国兵も、労働者たちも、小さな皇帝も、ただ少年を見ている。

 王都の人々も同じだった。


 鉱山を消し飛ばした魔法。

 それを、少年は便利な道具を紹介するような調子で語っていた。


『しかも原理は結構簡単なんだよ。反物質のことを理解していれば、【水球】みたいな、物質を生み出す魔法と難易度は同じだからね。普通の物質と違って生成する量も少なくて済むし』


『待て』


 小さな皇帝の声が震えた。


『それ以上、軽く言うでない』


『え? でも、そこら辺の魔法を使えない子供でも、小一時間勉強させれば、あれくらいできるようになると思うよ。実際、フレッドも五分で覚えられたからね』


 その一言で、平原の空気が完全に凍りついた。


 王都のどこかで、誰かが悲鳴を漏らした。

 それは映像の外の声だったのか、内側の声だったのか、もう分からなかった。


 少年は気にせず、さらに続ける。


『あ、そうだ。論文あるからあげようか? それを読めば誰でも使えるようになるよ! ほら、俺って帝都魔法学校の生徒として卒業までの単位を全部取ってることになってるじゃん。でも卒論は流石に現物があったほうがいいよね? 今度持ってくるよ!』


 誰も返事をしなかった。


 返事ができなかった。


 今この瞬間、王都の人々は理解した。


 目の前の少年は、鉱山を消しただけではない。

 鉱山を消す方法を、誰でも扱えるようにしている。


 その事実が、あまりにも恐ろしかった。


 誰が言ったのかは分からない。


『あ、悪魔だ……』


 その一言が、放送に乗った。


 黒髪の少年の笑いが止まる。


『俺が悪魔……?』


 彼は、少しだけ首を傾げた。


 次の瞬間、胸を張る。


『違う、俺は天使だ。奴隷どもを強制労働という地獄から解放させてやったんだからな』


 誰も突っ込めなかった。


 鉱山は、もうそこにはなかった。

 労働者たちは、確かに労働から解放された。

 その理屈だけを見れば、少年の言葉は間違っていないのかもしれない。


 だからこそ、余計に恐ろしかった。


 小さな皇帝が、震える指で少年を指した。


『こ、殺せ! 今すぐ殺せ! こいつは王国の敵でも、帝国の敵でもない、世界の敵じゃ!』


 悲鳴のような命令だった。


『あんなやつを生かしておいたら、地上は破壊し尽くされてしまう!』


 周囲の帝国兵たちが、一瞬、動きかける。


 だが、その前に将軍が手を上げた。


『待て!』


 鋭い声が、兵たちを止める。


 小さな皇帝が振り返った。


『なぜ止めるのじゃ! 見たじゃろう!? あやつを放っておけば、次は帝国が、王国が、世界中の国が、あの鉱山みたいに吹き飛ぶのじゃ!』


 将軍は、黒髪の少年から目を離さなかった。


『だからだ!』


『何が、だからなのじゃ!』


『離れた鉱山を、あれだけ正確に爆破できる。つまり、ここも爆破できるということだ!』


 小さな皇帝の口が止まった。


 周囲の兵士たちも、完全に動きを止める。


 鉱山は遠くにあった。

 それを、少年は平原から指さして吹き飛ばした。

 しかも、周囲に被害を出さないように調整して。


 ならば。


 ここもできる。


 王都の人々は、同じ結論にたどり着いた。


 今、映像の向こうにいる少年は、鉱山だけを消せるのではない。

 王都も、帝都も、城も、軍も、望めば消せるかもしれない。


 それを止める方法が、誰にも分からない。


 小さな皇帝は、青ざめた顔で少年を見た。


『……では、妾たちは、あやつを殺すことすらできぬというのか』


『少なくとも、今ここで不用意に手を出すべきではありません』


 将軍の声は硬かった。


 その横顔に、後悔のような表情が浮かんでいた。


『……ここまでとは、思っていなかった』

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