表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
109/113

24-2

 青い光が弾けた。


 次の瞬間、エインとフレッドは硬い床の上に転がっていた。


「ぐえっ」


「いっ……!」


 二人が落ちたのは、訓練場ではなかった。


 壁に掛けられているのは、花や風景画ではなく、軍旗と古い戦場図。

 部屋の中央には重厚な机が据えられ、その上には茶器ではなく軍務書類の束が積まれている。


 帝国軍将軍ヴォルフ・アイゼンフェルトの執務室だった。


 机の向こうで書類に目を通していたヴォルフは、羽ペンを置き、突然現れた二人を見下ろした。

 驚きがなかったわけではない。だが、声に出たのは叫びではなく、低い確認だった。


「……早すぎる」


 ヴォルフは短く言った。


「そもそも、それは一人用の転移魔道具だ。なぜ二人いる」


「あ、それは改造したらもう一人くらい乗れそうだったので」


「そういう問題ではない」


 ヴォルフの視線が、エインからフレッドへ移る。


「対抗戦はどうなった」


「エイン君と僕とで、引き分けです」


 フレッドが答えると、ヴォルフの目がわずかに細くなった。


「では、なぜお前たちだけがここにいる。ジークはどうした」


 フレッドは息を整えた。


 すべてを細かく説明している時間はない。

 国王が【啓導の光輪】を起動したこと。

 会場にいた各国関係者の一部が支配されたこと。

 エインが一度支配され、秘匿式を改良させられたこと。

 国王がエインの殺害を命じたこと。

 そして、ジークが支配されながらも二人を逃がしたこと。


 必要なことだけを、短く伝えた。


 ヴォルフは最後まで遮らなかった。

 聞き終えると、静かに席を立つ。


「皇帝陛下へ報告する。来い」


「え、俺たちも?」


「当然だ。お前たちが一番詳しい」


「でも俺、今ちょっと横腹が痛くて……」


「歩け」


「あっはい」


 エインは素直に立ち上がった。


 移動は速かった。


 屋敷を出て、帝国宮城へ向かう。

 ヴォルフは余計な問いを挟まない。既に聞くべきことは聞いた。後は、皇帝の判断を仰ぐだけだ。


 しかし、帝国宮城の中枢へ近づくにつれ、空気は変わっていった。


 兵の足音が乱れている。

 廊下の奥から、押し殺した怒号が聞こえる。

 普段なら整然としているはずの宮城内に、焦げついたような緊張が漂っていた。


 会議室の前にいた近衛兵は、ヴォルフを見るなり顔色を変えた。


「将軍閣下!」


「中は」


「皇帝陛下が……!」


 最後まで聞く前に、ヴォルフは扉を開けた。


 会議室の中央から、悲鳴じみた声が飛んでくる。


「おお、ヴォルフか! よく来てくれた! 早く妾を助けてたもれ!」


 部屋の中央で、皇帝が刃を突きつけられていた。


 喉元に短剣。

 それを握っているのは、側近らしき男だった。


 周囲には近衛兵や文官たちがいる。

 だが、誰も動けない。


 相手は外敵ではない。

 皇帝のすぐそばに立つことを許された、信頼された側近である。その男が今、皇帝の命を握っていた。


「お前! 何をしている!」


 ヴォルフの声が低くなる。


 側近の男は、青ざめた顔で首を横に振った。


「私にも分からないんです! 急に身体や口が勝手に動いて……!」


「言い訳する前に刃をどけるのじゃ! 首がひやひやするのじゃ! 妾は痛いのも怖いのも嫌いなのじゃ!」


 皇帝は涙目で叫んだ。


 そのあまりに情けない声を聞き、エインは皇帝本人へ目を向ける。


「皇帝ちっちゃ!」


「ちっちゃい言うなー!」


 刃を突きつけられたまま、皇帝は即座に怒鳴った。


 実際、皇帝は小柄な少女だった。

 背丈はエインやフレッドよりさらに一回り低い。豪奢な服装と冠を身につけているものの、身体が小さいせいで、服に着られているように見える。


 威厳を出そうとしている気配はある。

 ただし、現在進行形で涙目になりながら「助けてたもれ」と叫んでいるため、威厳はあまり残っていなかった。


「そこの無礼な小僧は誰じゃ! 妾が危機に瀕しているのに、第一声がちっちゃいとは何事じゃ!」


 ヴォルフが短く答える。


「前に話した、エインです。隣がフレッド」


「おお、こやつが例の!」


 皇帝の目が一瞬だけ輝いた。


「ヴォルフがやたら評価しておった、王国の妙な小僧か!」


「妙なって言われた」


「妾は今、褒め言葉を選んでいる余裕がないのじゃ! 早く助けてたもれ!」


 その時、側近の口元が歪んだ。


「動くな。騒ぐな」


 声が変わった。


 同じ喉から出ている。

 だが、側近本人の声ではない。


 会議室にいた者たちが、同時に息を呑む。


「先ほども言ったはずだ。我は王国の使いである。我々の要求に従わなければ、皇帝の命はない」


 皇帝の顔が青ざめる。


「嫌じゃ……」


 小さく漏れた声は、すぐに大きくなった。


「嫌じゃ! 嫌じゃ! 嫌じゃ〜! どうして妾がこんな目に遭うんじゃ〜! 椅子に座ってハンコを押すだけで良いと言うから皇帝になったのにぃ〜! 今の時間は母上のプリンを食しているはずだったというのにぃ〜!」


「陛下、落ち着いてください」


「落ち着けるか! 喉元に刃物があるのじゃぞ! 妾の喉は皇帝の喉じゃ! 国家的に大事な喉なのじゃ!」


 皇帝は半泣きだった。


 側近の身体を操る何者かは、短剣をわずかに押し当てる。


「これ以上近づけば、皇帝を殺す」


 ヴォルフは動けない。


 近衛兵たちも同じだ。

 側近を斬れば皇帝が死ぬ。短剣を弾こうとしても、間に合う保証はない。


 皇帝はついに衆目も気にせず大泣きし始めた。


「嫌じゃ〜! 妾はまだ死にたくないのじゃ〜! 誰でもいいから助けてたもれ〜!」


 その情けない叫びが会議室に響いた直後、エインが何でもない調子で言った。


「助けたよ」


 皇帝は泣きながら聞き返す。


「……え?」


「だから、助けたよ。そこの人、もう身体動かせるでしょ?」


 その直後、側近の手から短剣が落ちた。


 乾いた金属音が、会議室に響く。


 側近は自分の腕を見下ろした。

 次に皇帝を見て、慌てて後ずさる。


「陛下! 私は……!」


「よい! よいから離れるのじゃ! 怖かったのじゃ! とても怖かったのじゃ!」


 近衛兵たちが駆け寄り、側近を押さえる。

 皇帝は椅子の背にしがみつきながら、涙目で大きく息を吐いた。


「何をしたのじゃ?」


「何って、無詠唱で【双剋解呪】(ツインディスペル)を使って、そこの人の支配を解いただけだが?」


 エインは当然のように答えた。


 会議室の空気が変わった。


 さきほどまで恐怖に凍っていた帝国の重臣たちが、今度は別のものを見る目でエインを見る。

 皇帝は、ぱっと顔を明るくした。


「おお! おお! 感謝するぞ、エイン! 流石ヴォルフが見込んだだけのことはあるの!」


「さっき妙な小僧って言ってたよね」


「命を救われたので評価を改めたのじゃ! 妾は恩を知る皇帝なのじゃ!」


 皇帝が胸を張る。


 その瞬間、別の声が会議室に響いた。


「全く、一時は役に立ったかと思えば、今度は余計なことをしてくれたな」


 会議室の奥にいた別の側近の男が、静かに口を開いていた。


 全員がそちらを見る。


 男の顔には恐怖が浮かんでいる。

 額には汗が滲み、目の焦点も合っていない。


 それなのに、口だけが穏やかに動いていた。


 皇帝の顔から、再び血の気が引く。


「ま、またか!?」


 ヴォルフ、エイン、フレッドはすぐに察した。


 別の男も、支配されている。


 エインは呑気に頷いた。


「その様子だと、俺の改良は役に立ってるようだな」


 皇帝がぎょっとして振り向く。


「どういうことじゃ」


「本来この支配は、命令を送るだけのシンプルな支配術式だったんだよ。身体に命令を通すだけで、相手がどこで何を見て、聞いているかは分からない」


 エインは、まるで自分の研究成果を説明するように続ける。


「だから、さっき国王に支配されて改良を命じられた時に、意思への干渉を強めて、ついでに視覚と聴覚を一時的に共有できるようにした。あと、支配権限の一部を他人に貸し出せるようにもした。説明してないのに、国王もよく気づいたなぁ」


 会議室に沈黙が落ちた。


 皇帝は、さきほどまで命の恩人として見ていた少年を、信じられないものを見る目で見た。


「お主は何をやっておるのじゃあー!」


「仕方ないじゃん。俺も一度支配されちゃって、国王が改善しろって命令してきたんだから。その時思っちゃったんだもん。見えない相手の支配って不便そうだなって。ワンオペで世界征服するのも大変そうだなって。ベストを尽くしたらそうなっちゃった」


 皇帝は頭を抱えた。


「感謝して損したのじゃ〜!」


「感謝って損得でやるものなの?」


「今は損した気分なのじゃ!」


 支配された男の口元が、薄く笑った。


「いや、エインには感謝すべきであろうな」


 その声に、会議室が再び緊張する。


「我の本来の計画は、支配した者を使って一斉に自殺させる、あるいは要人を殺害させることで各国を混乱に陥れ、その隙に攻め込むものだった」


 皇帝の表情が強張った。

 側近たちも、近衛兵たちも、言葉を失う。


「しかし、エインの改良により、直接状況を確認し、交渉できるようになった。お陰で王国は余計な兵力を使わずに済み、帝国側も無駄な抵抗をせずに済む。ありがたい話ではないか」


「ああ、よかった」


 エインがほっとした顔で頷いた。


「またやらかしたのかと思ったけど、むしろ俺のおかげで、たくさんの尊い命が救われたんだな」


 支配された男はエインには反応せず、淡々と言葉を続ける。


「要求を伝える。拒めば、今度こそ帝国は戦火に包まれる」


 ヴォルフが問う。


「要求とは何だ」


「ひとまず、エインを引き渡せ」


 男の目が、エインへ向けられる。


「エインは役に立った。だが、先ほどそいつが支配を解いたように、今後は不確定要素にしかならない。もはや用済みだ。処分する」


「ひどくない?」


 エインが顔をしかめる。


「俺、さっきまで手伝ってたのに」


「敵に回る可能性がある道具を、いつまでも残すと思うか」


 ヴォルフは即座に答えた。


「分かった。こちらで処分して、死体を送ろう」


「おい!」


 エインが叫ぶ。


「それが帝国の答えでよいのか」


 支配された男が、静かに言った。


 ヴォルフは答えなかった。


 その沈黙を、肯定と受け取ったのだろう。


「ならば、こちらも答えよう」


 次の瞬間、遠くで爆発音が響いた。


 会議室の窓が震える。

 床に積まれていた書類がずれ、壁に掛けられた帝国旗が小さく揺れた。


「ひゃっ!」


 皇帝は情けない声を上げ、椅子の背にしがみついた。


「な、なんじゃ!? 今のはなんじゃ!? 妾の宮殿で勝手に爆発するでない!」


 数瞬のち、慌ただしく兵が駆け込んでくる。


「報告! 宮廷魔道士の一人が、周囲の者へ魔法攻撃を行った後、自爆しました! 重傷者多数!」


 会議室の空気が、さらに冷えた。


 誰が支配されているのか分からない。

 その事実が、今の爆発で目の前に叩きつけられた。


 支配された男が、口元だけで笑う。


「見え透いた嘘をつくな。偽の死体を送り、エインを生かしておいて、解呪に使うつもりだろう」


 ヴォルフは無言だった。


「今すぐに、生きたままエインを引き渡せ。監視の目も、裏切り者も、私だけではない」


 皇帝の手が、椅子の背を強く握る。


「ふざけるでない……」


 震えた声だった。


「妾の城で、妾の臣下を勝手に操って、勝手に爆発させて……それで、大人しく従えじゃと……?」


 幼い顔に、怒りが浮かんでいた。

 だが、その怒りの奥にあるのは恐怖だった。


 支配された男は、何の感情も動かさずに告げる。


「拒めば、戦争が始まる」


 それだけ言うと、男の身体は糸を切られたように崩れ落ちた。


 近衛兵が駆け寄る。

 男は意識を失っているだけだった。


 だが、問題は何も終わっていない。


 むしろ、悪化していた。


 帝国中枢の人間が、少なくとも複数名、王国の支配下にある。

 皇帝の側近も、宮廷魔道士も、今この瞬間まで味方だと思われていた者たちが、いつ刃になるか分からない。


 命令系統そのものが、信用できなくなっていた。


「……全員、解呪して回ることはできぬのか」


 皇帝が、エインを見た。


 声はまだ震えている。

 だが、さっきまでの泣き言とは違った。


 逃げ道を探す声だった。

 皇帝として、帝国を売らずに済む道を探している声だった。


 エインは首を横に振る。


「無理。発動してるやつなら解けるけど、隠れてるやつは分からない。誰が支配されてるか見分けがつかないし、解呪にも魔力を使う」


 フレッドは、思わず口を挟んだ。


「でも、対象は対抗戦に関わった人たちなんだよね。だったら、出場者とか関係者の記録を調べれば……」


「今すぐその記録を集めるのじゃ!」


 皇帝が飛びつくように言った。


「対抗戦の記録を洗い出せ! 出場者、随行員、その家系、王国と関わった者、全部じゃ! 誰か、すぐに――」


「できません」


 ヴォルフが遮った。


 皇帝の言葉が止まる。


「対抗戦は長い歴史を持ちます。出場者だけではありません。随行員、護衛、教師、運営、来賓、その子孫まで含めれば、対象は膨れ上がる。今この場で特定することは不可能です」


「では、時間をかければ……!」


「その時間を、王国が与える理由がありません」


 ヴォルフは淡々としていた。


「調査を始めた時点で、王国側は帝国が要求を拒んだと判断するでしょう。先ほどのような自爆が、今度は一箇所で済む保証はありません」


 会議室にいた者たちの顔が強張った。


 誰かが喉を鳴らす。

 誰かが隣の同僚から、わずかに距離を取る。


 その動きが、さらに空気を悪くした。


 疑えばきりがない。

 だが、疑わなければ守れない。


 帝国は今、外から攻められているのではなかった。

 内側に、見えない刃を差し込まれている。


「……では、妾はどうすればよい」


 皇帝の声は小さかった。


 さっきまで、あれほど騒がしかった少女が、今は縋るようにヴォルフを見ていた。

 ヴォルフは目を伏せない。


「こうなっては仕方ありません」


 短く、言った。


「今は耐える時です」


 皇帝の顔が歪んだ。


 その言葉の意味を、理解したからだった。


 帝国は弱くない。

 兵力も、魔道士も、兵站も、王国に劣るわけではない。


 だが、内側に刃を差し込まれている。

 誰が支配されているか分からないまま動けば、戦争が始まる前に帝国は自壊する。


 皇帝は唇を噛んだ。


 涙はまだ浮かんでいる。

 それでも、さきほどのように泣き叫びはしなかった。


「エイン、フレッド」


 小さな皇帝が、二人を見た。


「そなたたちには感謝しておる。王国兵を追い出したおかげで鉄鉱山を確保できたし、王国金貨を生み出すスクロールを献上してくれたお陰で、王国との貿易も黒字になった。本当によく貢献してくれておる」


 声は震えていた。


「じゃが、妾はたとえお飾りといえど、帝国の皇帝なのじゃ」


 皇帝は袖で涙を拭った。


「皇帝として、たとえ恩人に弓を向けようとも、民を守らねばならんのじゃ」


 少しだけ、声が詰まる。


「許せとは言わん。理解はしてほしいのじゃあ〜」


 最後の声は、少し情けなく震えていた。


 それでも、皇帝は目を逸らさなかった。


 ヴォルフが、わずかに頷く。


 その瞬間、動いた。


 速かった。


 フレッドが反応するより早く、ヴォルフの手がエインの首筋に落ちる。


「え」


 エインの身体が崩れた。


「エイン君!」


 フレッドが魔法を展開しようとする。


 だが、その前に、ヴォルフが視界から消え、首元に衝撃を感じた。


 痛みはほとんどなかった。

 ただ、意識だけが急速に遠のいていく。

ちなみに、皇帝陛下はエイン達より少し年上らしいです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ