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24-1 ファントム・メンテナンス

『人類よ、我に従え』


 その命令は、訓練場の空気を一瞬で塗り替えた。


 誰も声を発しない。

 誰かが息を呑む音だけが、やけに大きく響いた。


 王族観覧区画の中央で、国王ハロルド・エルディスはカツラを握りしめたまま、訓練場を見下ろしている。

 その頭部は、少々眩しすぎた。だが、今この場でそれを指摘できる者はいなかった。


 帝国、聖教国、共和国。

 そして、王国の関係者たちは、まだ事態を飲み込めていない。


 王家の秘匿式。

 世界支配。

 【啓導の光輪】(ルクス・グノーシス)


 先ほどまで妄言のように響いていた言葉が、国王自身の口によって、取り返しのつかない現実へ変わっていた。


 凍りついた沈黙の中で、エインだけが妙に呑気な顔をしている。


「今の聞いた?」


 静寂を割って、エインが隣のフレッドへ話しかけた。

 まるで、珍しい見世物でも見た後のような調子だった。


「『人類よ、我に従え』だって。めちゃくちゃカッコつけてない? どうせもう全員従うようになってるんだから、わざわざ宣言しなくてもいいのに」


 フレッドは返事をしなかった。


 どこから突っ込めばいいのか、整理がつかなかった。


 その時、帝国側の区画から怒号が上がる。


「ふざけるな! これは我が帝国に対する侵略行為だ!」


 続いて、聖教国の神官らしき男も立ち上がった。


「他国の代表者を招いた場で支配術式を使うなど、宣戦布告に等しい!」


 共和国の関係者たちも次々と声を上げる。

 沈黙に閉ざされていた訓練場は、怒りと恐怖の入り混じった声で満たされていった。


 国王は、それらを冷ややかに見下ろす。


『黙れ。我に指図するな』


 瞬間、抗議していた者たちの口が強制的に閉じた。


 言葉を続けようとしていた帝国の男が、喉を鳴らしたまま固まる。

 聖教国の神官も、口を開こうとしているのに、唇だけが不自然に閉じられていた。

 共和国の代表者も同じだった。腕は震え、目には怒りが残っている。


 それなのに、声だけが出ない。


 意思が消えたわけではない。

 身体のすべてを奪われたわけでもない。

 ただ、国王に逆らうための動きだけが、見えない糸で縫い止められている。


 その歪な光景を見ても、エインの反応はやはり少しずれていた。


「今のも何? 『我に指図するな』って。めっちゃ偉そうじゃない? 何様だよ?」


「王様でしょ」


 フレッドは反射的にツッコんだ。


 ツッコんでから、こんな状況で何を律儀に会話しているのかと、自分で自分が嫌になった。


「というか、エイン君。君のせいでこんなことになってるんだけど。何をそんなに呑気にしてるの」


「だってしょうがないじゃん。国王が悪いやつだと思わなかったし」


「そこから!?」


「普通に生きてたら、精神支配を使う機会なんてそう多くないだろ? なのにわざわざ手間暇かけて、人間を支配できる魔法陣を維持してるんだぞ? それって普通、他人のためにいいことをしようとしてるんだなって思うだろ」


「思わないよ! たくさんの人間を支配しようとしている時点で悪いことだよ!」


 フレッドは頭を抱えたくなった。


「そもそも、なんで勝手に【啓導の光輪】を起動したの!? ちゃんと他人のことも考えるって話はなんだったの!」


「いや、サプライズで争いのない世界になったら、みんな喜ぶと思って……」


「そういう気遣いはもっと賢くなってからにしてよ!」


「でもさぁ、さっきも言ったけど国王が全部悪いんだよ。俺が何もしなくても、この後の式典で【啓導の光輪】をやる予定で、計画だっていつかは実行するつもりだったんだろ? 俺はちょっと技術協力をして、結果として計画が早まっただけだ。俺は悪くない!」


「ちょっとどころじゃないよ。君が改良したせいで、全人類に感染して──」


 そこまで言いかけて、フレッドは止まった。


 全人類。

 感染。


 エインは、そう言った。

 国王もその言葉を信じたからこそ、今この場で「人類よ、我に従え」と命じた。


 けれど、本当に全人類へ広がっているのか。


 フレッドの記憶の奥で、白いネズミの群れが動いた。


 静まり返った魔法学校。

 感情を失った生徒たち。

 支配された人間たち。

 そして、それを解除するために、自分が使った魔法。


 【抗体伝染】(アンチドート)


「エイン君」


「何?」


「感染する魔法って、一度感染した人間には、別の感染魔法はかからないんだよね」


 エインは、今さら何を聞くのかという顔をした。


「そりゃそうだよ。感染魔法は感染者の中に刻まれるからな。一度除去しない限り、他の感染魔法にはかからないよ」


「……やっぱり」


「たぶん、全人類には広がってない」


 フレッドが言うと、エインは目を丸くした。


「なんで?」


「前に、僕が感染魔法を使ったから。たぶん、その影響で、【啓導の光輪】による支配は全人類には広がってない」


「え? フレッド、お前、全人類に勝手に魔法をかけてたの? なんて勝手な……」


「君も同じことをしようとしたでしょ!」


「俺は平和利用のためにやったんだよ!」


「僕だって平和利用のためだったよ!」


 訓練場の危機感にまったく似合わない言い争いだった。


    ◆


「……先ほどから、何を話している」


 王族観覧区画から、低い声が落ちてきた。


 国王ハロルド・エルディスは、むき出しの頭部に青筋を浮かべている。

 握りしめられた黄金のカツラが、ぎり、と嫌な音を立てた。


 エインは顔を上げる。


「あ、陛下。さっき、全人類が支配済みって言ったけど、やっぱりそんなことありませんでした」


「……何?」


「ごめんね」


 軽かった。


 世界征服の成否を報告しているとは思えない。

 近所の畑に勝手に入ったことを謝るくらいの軽さだった。


「言っておくけど、【啓導の光輪】の術者はあんたでしょ。術者なら、成功してるかどうかくらい自分で確認しろよ」


「貴様……」


「そもそも、【啓導の光輪】自体も古いんだよ。発想は悪くないけどね。魔力を奪って、術式を維持し続けて、必要な時だけ支配できる。そこまではよく考えられてる」


 そこで一度、エインは肩をすくめた。


「でも、肝心の支配方法が雑。身体の自由を奪うだけで、意思を奪えてない。魔力効率も悪い。各国関係者を呼び寄せるのも回りくどい。設置して、集めて、儀式して、やっと発動って、何段階踏んでるんだよ」


「黙れ」


「わざわざ設置しなくても、適当な人間に仕込んで外国に送り出せばいいだろ。というか、感染魔法を使えばそれすら必要ない。それをなに? わざわざ血まで流して、子孫に継承させるって。何百年も維持してるくせに、なんで改善してないんだよ。それって引き継いでるんじゃなくて、ただ放置してるだけじゃん」


 国王の頬が引きつった。


 王家の使命。

 代々受け継がれてきた計画。

 何百年ものあいだ守り、隠し、受け渡してきた秘儀。


 それを、エインは古い道具を見るような目で眺めていた。


「だから最初に計画を手伝うって言ったのに。俺の改良はまだ途中で、感染するようにした後は、最終的に意思まで支配できるようにするつもりだったんだよ。なのに勝手に計画を始めちゃってさぁ。自制心とかないの? 正直、ネズミの方がよっぽどまともな計画を立てられるよ」


 最後の一言で、国王の表情が完全に変わった。


「……そうか」


 国王が、ゆっくりと笑った。


『ならば、貴様が直せ』


 その言葉が落ちた瞬間、エインの身体がびくりと跳ねた。


「え」


『我が命じる。エイン。【啓導の光輪】を改良せよ』


「ちょ、待っ……!」


 エインの足が勝手に前へ出た。

 肩が動く。指が開く。視線が、訓練場の床へ向けられる。


 止まろうとしているのに、止まれない。


「あー、これはこれですごい! 身体が勝手に動くから楽! 自分で自分に使ったら便利そう!」


 エインの口が勝手に動いた。


【秘式顕現】(アンシールライト)


 エインの足元に、光が走る。


 白い線が床を這い、訓練場の外まで伸びていく。

 幾重にも重なった紋様が、訓練場全体の下に眠っていた何かを呼び起こすように広がっていった。


【構文再編】(リライトスクリプト)!」


 浮かび上がった魔法陣の一部がほどけ、別の形へ組み替わっていく。


 それを見たベイルが、歯を食いしばった。


「まずい。エインを止めろ!」


 ベイルが動こうとする。


 しかし、国王の声の方が早かった。


『エイン以外、誰も動くな』


 瞬間、訓練場にいた人間が固まった。


 立ち上がりかけていたベイルも、ジークも、護衛の兵士たちも、逃げ出そうとしていた観覧席の者たちも、その場に縫い止められる。


 声も出ない。

 指先ひとつ動かせない。


 国王の命令が、訓練場を押さえつけていた。


 ただ一人を除いて。


「──ごめん、エイン君」


 フレッドが走った。


 動けるはずのない身体が、まっすぐエインへ向かう。


 国王が目を見開いた。


『なぜ動ける!』


「あんたの策は二番煎じだ!」


 フレッドは短く答えた。


 そのまま助走をつけ、エインの横腹へ全力で跳び蹴りを叩き込む。


「ぐえっ!」


 エインの身体が横へ吹っ飛んだ。


 魔法陣の光が乱れる。

 空中を走っていた線が一瞬だけ途切れ、ほどけかけた紋様がばちばちと火花を散らした。


 フレッドは転がるエインに駆け寄る。


「大丈夫!?」


 エインは横腹を押さえながら、震える手を上げた。


「フレッド……」


「うん」


「さすが俺だ! フレッドが蹴りを入れる前に、改良はもう終わっちゃった!」


「なんでそういう時だけ優秀なのさ!」


「しょうがないじゃん! 俺は言われたことができるいい子なんだよ!」


「いい子は世界征服の手伝いなんかしないよ!」


 フレッドはエインの肩を掴んだ。


『誰の命令も聞くな!』


 短い命令が、エインの内側へ入る。


「もう君は、誰にも支配させないからね」


「なるほどな、命令の先掛けか」


 国王はそれを見て、唇を歪めた。


「だが、既に十分だ。仕事に感謝するぞ、エイン。貴様のおかげで、我が計画はさらに完成へ近づいた」


「はいはい、どういたしまして」


 エインはふてくされた顔で立ち上がる。


「要望通り、意思への干渉もできるようにして、ついでに魔力効率も改善しといたよ」


「よくぞ成し遂げた! 褒美に死をやろう! 貴様はもう用済みだ」


「はぁ!? なんて恩知らずな野郎だ!」


「貴様こそ、恩着せがましい小僧だな」


 国王の声が、訓練場全体へ響く。


「元より、計画はいつか実行する予定だった。貴様はその一助に加われたのだ。むしろ感謝するがいい。そして、それを光栄に思いながら死ね!」


 フレッドの背筋が冷えた。


 まずい。


 そう思った時には、国王の命令が落ちていた。


『エインを殺せ』


 訓練場が、一斉に動いた。


 ジークが歯を食いしばりながら手を掲げる。

 ベイルの手が魔法陣を描く。

 各国の関係者、護衛、兵士、魔道士たちが、意思に反してエインへ殺意を向ける。


 誰も望んでいない。

 それでも身体は動く。


 無数の魔法が、エインへ向かって放たれた。


「【防壁】!」


 フレッドは反射的に叫んだ。


 透明な壁が、エインとフレッドを包み込む。


 炎が弾け、氷槍が砕け、風の刃が防壁を削った。

 衝撃が足元から伝わり、フレッドの膝が沈む。


「エイン! 手を開け!」


 声の主はジークだった。


 彼の身体は、今にも次の魔法を撃とうとしている。

 それでも、喉だけはかろうじて自由を奪われていなかった。


「手?」


 エインが首を傾げる。


 その瞬間、ジークの口が詠唱を紡いだ。


【転送】(アポート)!」


 光が弾ける。


 小さな魔道具が、エインの手元に落ちた。


「元々、お前に渡すつもりだった転移魔道具だ! 衝撃を加えれば起動する! ひとまず帝国へ逃げろ! そして、父上と皇帝陛下に状況を伝えろ!」


 ジークの手に宿った魔力が、意思に反して膨れ上がる。


 放たれた魔弾を、フレッドの防壁が受け止めた。


 ぎし、と嫌な音が鳴る。


「早くしろ!」


 ジークが叫ぶ。


 エインは、手元の魔道具を見つめていた。


「今の、物体を瞬間移動できる魔法!? しかも、この魔道具は長距離転移ができるのか! すごいなぁ! でもこれ、魔力効率に無駄があるな! 【構文再編】! えーと、ここをこうやって……」


「「そんなことしてる場合じゃないだろう!?」」


 フレッドとジークの声が重なった。


「いや、ちょっとだけ待って! 魔道具の改造は魔法陣と違って時間がかかるけど、もうすぐで終わるから!」


「待ってられないよ!」


 防壁の向こうでは、知った顔が、知った声が、知った魔法が、こちらを殺そうとしている。

 けれど、その目には怒りも殺意もなかった。


 ただ、逆らえない苦痛だけがある。


 エインはその横で、緊急事態とは思えない集中力で魔道具をいじっていた。


「よっしゃ出来たぞ! ほら、見てよここ! 転移先の座標を絶対軸じゃなくて相対軸にして──」


「解説はいいから!」


 フレッドはエインの手から魔道具をひったくり、足元へ叩きつけた。


 青い光が弾けた。


 国王の怒号が聞こえた気がした。

 ジークが何かを叫んでいた。

 ベイルも、誰かの名を呼んでいた。


 けれど、それらすべては光に呑まれた。


 次の瞬間、エインとフレッドの姿は、訓練場から消えていた。

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