23-5
審判が、試合開始を告げた。
「【防壁牢獄】!」
フレッドは開始と同時に魔法を詠唱した。半透明の障壁がエインの周囲を囲み、上下左右の逃げ道を塞ぐ。
だが、エインは慌てなかった。
「デトロイト市警だ! 開けろ!」
障壁の内側で一歩踏み出し、足を叩き込む。その瞬間、障壁はガラスのように砕け散った。
「……どうやって破ったの? まさか今まで筋トレでもしてたの?」
「んなわけあるか! 魔法の制御を奪っただけだ!」
「【電撃】!」
「うおっ、アブねぇ!」
エインが片手を差し向け、走ってきた電撃を逸らす。紫電がエインの脇をかすめ、床を焼いた。
「すごい。本当に制御を奪えるんだ」
「テメッ、不意打ちとは卑怯だろ!」
「君の場合、いつも言動が不意打ちでしょ!」
「失敬な! 大体、最初に使った【防壁牢獄】だったか? さっきの試合でも使ってただろ。ワンパターンなんだよ。一回使った手が俺に通じると思ってんじゃねーぞ!」
「じゃあテンパターンだ!」
フレッドが、【防壁牢獄】を十重に重ねて展開する。
「俺はマトリョーシカかよ!」
エインが次々と障壁を蹴破る。
一枚割れるたびに、次の障壁が現れる。割れた端から、フレッドが新しい障壁を貼り直す。
「いい加減にしろ! 無駄に疲れるじゃねーか!」
「そっちこそ諦めなよ! こっちだって別に、最初から君を一気に押しつぶすこともできるんだからね!」
「それで言ったらこっちだって、最初に【昏睡】を撃ってたら終わってたからな!」
「そんなの防いでみせるさ!」
「はぁ!? 言っとくけどこれガー不だからな! 【防壁】でも【精神防壁】でも防げないからな! いくぞ、【昏睡】!」
エインの指先から、光も音もない魔法が放たれる。
「【土壁】!」
土の壁がせり上がり、魔法を塞いだ。
「あっ」
「魔法での防御が貫通されるなら、物理的に防げばいいだけでしょ。というか、【防壁】でも【精神防壁】でも防げないって、どんなふざけた魔法なのさ」
「魔法防御への対策を内蔵した、命令する精神魔法と、生体電流を流す電撃魔法の複合だよ。【防壁】には精神魔法として振る舞い、【精神防壁】には物理魔法として振る舞うようにしてある。これなら誰が相手でも勝てると思ったのに!」
「精神魔法、って、また……」
フレッドは露骨に顔をしかめた。
「流石に今回は嫌とは言わせないぞ。単に気絶させるための精神魔法だ。ルールにも違反してない。なんの問題がある! 前から思ってたけど、フレッドは精神魔法を嫌悪しすぎだろ! お前に精神魔法の本質を教えてやる!」
エインは競技中にもかかわらず、急に講義を始めた。
「精神魔法の基本は、精神に対する命令だ。【忘却】は、忘れろと命令。【昏睡】は、眠れと命令。【精神支配】は、命令を聞けと命令。本来は同じ術式なんだよ。目的ごとに最適化されてるだけだ! ほら、もう一発、【昏睡】!」
「うわっ! 【土壁】!」
講義の途中で、二発目が飛ぶ。
フレッドの反応は遅れたが、土壁は間に合った。壁の向こうで、見えない魔法がまた弾ける。
「不意打ちやめなよ!」
「いやー悪いね。さっきのでおあいこだろ」
「一発なんて嘘つくのもね!」
「は?」
「【土壁】!」
土壁が背後から生え、フレッドの背後から迫っていた魔法を遮った。
「なんで分かったんだよ!」
「【隠形看破】を最初から使ってたからね! 君が魔法を撃とうとする射線が、ずっと見えてたんだよ!」
「はぁ!? 何だその使い方!」
エインの声が、一段上がった。
「【隠形看破】はカツラを暴くための魔法だ! 神聖な魔法をそんな不敬なことに使いやがって! もう許さねえぞ!」
「カツラ暴きに使うほうがよっぽど不敬でしょうが! それよりいい加減降参しなよ! 君が撃とうとする魔法の射線はすべて見えてるんだ!」
「だったらどうした! 射線が見えてしまうなら、最初から射線が存在しなければいいんだ!」
エインの魔力の流れが変わった。
フレッドに見えていた、外から伸びる射線が消える。
代わりに、フレッドの身体の内側に、魔法の発生点が結ばれた。
「えっ……これは、“僕の中だけ”に射線が存在する!?」
「そうだ! もう一度講義をしてやろうフレッド! 魔法の射程は二つある。一つは、魔法が届く範囲の有効射程! もう一つが、魔法を発生させられる距離の発生射程だ!」
エインは、指を突きつけた。
「本来は発生射程を伸ばすと馬鹿みたいに魔力食うんだぞ! それをお前は、離れたところから俺をバカスカ【防壁牢獄】で何度も囲みやがって、魔力量多すぎだろ! どうにかしろよ!」
「そこはどうしようもないよ!」
「だが、俺も魔力を込めれば、お前に届く距離まで【昏睡】の発生射程を伸ばして直接ぶち込める! これなら魔法防御の対策も、精神魔法を複合させる必要もねぇ! ただの電撃魔法でケリを付けてやる!」
フレッドは後ろへ跳ぶ。
無意味だった。
身体の内側に結ばれた発生点は、動いても消えない。
距離を取ったはずなのに、それは最初からそこにあるように、胸の奥で揺れていた。
「なっ……」
「逃げても無駄だ! どこに動いても変わんねぇよ!」
エインが指を突きつける。
「お前の中に電撃を発生させるんだからな! 今度こそガー不だ! さっさとおねんねしちまいな!」
「そうか。だったら僕も……!」
防げないなら、防がなければいい。
エインが自分の内側に魔法を発生させ、眠らせてくるなら、こちらも同じことをすればいい。
そして、精神魔法は精神への命令。
それが本質だと、さっきエイン自身が教えてくれた。
エインが唱える。
「【座標昏睡】!」
フレッドは詠唱しない。
『眠れ!』
二つの魔法が、ほぼ同時に成立した。
次の瞬間、二人は同時に、その場に崩れ落ちた。
◆
目を覚ました時、最初に見えたのは訓練場の天井だった。
頭の奥に、眠気の残滓がまとわりついている。
眠っていたというより、意識の芯を無理やり切られていたような感覚だった。
少し遅れて、決勝戦の最後を思い出す。
エイン君の魔法が、僕の内側に届いた。
同時に、僕の魔法も、彼の内側に届いた。
「……起きたか」
横から声がした。
顔を向けると、そこにいたのはエイン君ではなかった。
帝国の制服を着た少年。たしか彼は、帝国の、元一年代表の。
「ジーク君……?」
上体を起こそうとして、少しだけふらついた。
彼は手を貸さなかった。けれど、倒れそうになれば支えられる距離には立っていた。
「そういえば、試合は……?」
「引き分けだ。お前とステインは同時に倒れた。前代未聞だが、見事な試合だった」
「そうなんだ……」
引き分け。
なんとなく、それが正しいような気がした。
「それで、どうして君はここに?」
ジークは短く息を吐いた。
「お前に伝えることがあってな」
「僕に……?」
「俺がステインと戦った後の話だ。あいつが二つ、謝罪しに来た」
「謝罪?」
「一つ目は、ステインが俺に【痛覚刺激】を使ったことだ。競技で使う魔法としては不適切だった。あいつはそう言って謝ってきた」
ジークは、未だ眠るエイン君へ目を向ける。
「だが、勝負の形式を曖昧にした俺にも非がある。ステインが、ましてやお前が気にすることじゃない。奴にもそう言っておいた」
そういえば、あの時、記憶を処理したのは帝国の上級生たちだけだった。
ジークは倒れていただけで、あの時のことは覚えていたのだ。
「それで、もう一つは?」
「お前が【電撃】で追撃してきた件だ。ステインが殊勝にも、お前の分まで謝罪しにきてくれたぞ」
「いや、それは君の痛みを打ち消すためで……」
「それが『余計なお世話だ』と言っている」
彼の声が、少し低くなった。
「確かに痛かった。人生であれ以上の痛みを味わったことはない。本当に死ぬかと思った」
「だったら……」
「だが、俺はまだ負けていなかった」
僕は口を閉ざした。
ジークの目には、怒りと屈辱があった。
それでも、折れてはいなかった。
「俺はまだ耐えていた。膝をついても、床に倒れても、意識までは折れていなかった。耐え抜いて、反撃するつもりだった。俺は帝国将軍ヴォルフ・アイゼンフェルトの息子だ。将来、戦場に立つ者として、この程度で倒れるわけにはいかなかった」
そこで、ジークは僕を見据えた。
「その俺の覚悟を、お前は台無しにした」
助けたつもりだった。
あのまま苦しませてはいけないと思った。
「……ごめん」
「謝罪が欲しかったわけではない」
ジークは、少しだけ眉をひそめた。
「軍人としては失格だ。戦場であんな真似をすれば、味方の覚悟も、自分の判断も鈍らせる。優しさは、時に命取りになる」
「……うん」
「だが、苦しんでいる他人を見てすぐに動いたことまで、恥じる必要はない」
思わず顔を上げた。
「俺には余計だった。それは間違いない。だが、お前の行動そのものを恥じろと言っているわけではない」
「ジーク君……」
「勘違いするな。褒めて終わらせるつもりもない。お前は俺の覚悟を勝手に取り上げた。だから、余計なお世話だ」
「うん。……覚えておく」
助けたことが間違いだったとは、今でも思えない。
けれど、正しかったと言い切ることもできなかった。
ジークは、今度はエイン君の方を見た。
エイン君は、僕の隣で意識を失ったまま寝かされている。
「逆に、ステインは軍人としては完璧だったな」
「完璧?」
「戦場で最も邪魔になるのは迷いだ。倫理観や優しさも、時には足枷になる。あいつにはそれがなかった。自分がそうすべきだと思えば、誰にでも遠慮なく魔法を使う。必要だと判断すれば、敵を苦しめることにも躊躇しない」
ジークの声には、苦々しさが混じっていた。
「親父がステインを欲しがったのは、魔法の実力だけでなく、そういう人格も見込んでいたのだろう」
背筋が冷えた。
僕が恐れていたものを、帝国は価値として見ている。
止めようとしたものを、欲しがる人間がいる。
エイン君がこのまま変わらなければ、いつか誰かに利用される。
そんな予感がした。
「もっとも」
ジークは、少しだけ口元を歪めた。
「お前のせいで、ステインは妙な遠慮を覚えてしまったがな。これでは、連れ帰る価値もなくなってしまった」
「……それは、喜んでいいのかな」
「少なくとも帝国としては損失だ」
皮肉っぽく言って、ジークは背を向けた。
「もう行くの?」
「用件は済んだ」
それだけ言って、彼は訓練場を出て行った。
しばらく、その背中を見送っていた。
「……うう」
小さな声が聞こえた。
エイン君も目が覚めたのか、身じろぎをしていた。
彼は仰向けのまま、しばらく目をしばたたかせる。
それから、天井を見上げたまま言った。
「ここは……どこだ……? 俺は……勝ったのか……?」
「引き分けだよ」
「なん……だと……」
妙に芝居がかった声だった。
少しだけ、肩の力が抜けた。
「エイン君」
「ステインです」
「今さら?」
「今は一応、帝国代表だからな」
エイン君は体を起こそうとして、途中でふらついた。
僕はさっきの言葉を思い出す。
余計なお世話。
一瞬だけ迷った。
でも、エイン君は普通にこちらへ手を伸ばしてきた。
「手貸して」
「うん」
僕はその手を取って、起き上がらせた。
二人で、並んで立つ。
少しの間、何も言わなかった。
互いに、どこから話せばいいのか分からないような沈黙だった。
「フレッド」
「うん」
「俺、結局中身は変わってないんだよ」
声に、さっきの決勝前の勢いはなかった。
自分を卑下するのとも、反省するのとも少し違う。
ただ、事実を確かめるような言い方だった。
「自分と、家族と、友達が良ければそれでいい。今でもそう思ってる。今日だって、別に急に立派な人間になったわけじゃない。面倒くさいことを我慢して、やりたくないことをやっただけだ」
「……」
「相手を苦しめない魔法を選んだのも、お前と戦ったのも、大会を壊さなかったのも、根本から別人になったからじゃない。お前に言われたことを考えて、そうするべきだと思ったから、嫌でもそうしただけだ」
それだけ言って、エイン君は黙った。
胸の奥に残っていたものが、少しだけほどけた。
嘘がなかった。
綺麗な言葉でもなかった。
でも、考えた。
考えたうえで、別の手段を選んだ。
「それでいいと思う」
エイン君が、少し意外そうに僕を見る。
「いいの?」
「うん。少なくとも、一瞬で全部変わる必要はないよ」
「でも、俺の性格は悪いままだぞ」
「それは知ってる」
「知ってるんだ」
「知ってるよ」
エイン君は不満そうな顔をした。
その顔を見て、ほんの少し笑いそうになった。
「でも、性格が悪いままでも、行動は選べるんでしょ」
「……まあ、できなくはない」
「なら、それでいいよ」
エイン君は、少し照れくさそうに顔をそらした。
「じゃあ、仲直りってことでいい?」
「……うん」
「絶交は?」
「してないよ。まだ」
「まだ!?」
「今後次第かな」
「厳しいなぁ」
僕は手を差し出した。
エイン君は一瞬だけ見てから、握り返した。
「これからもよろしく。エイン君」
「ステインです」
「今だけでしょ」
「まあ、今だけだけど」
握った手は、少しだけ土で汚れていた。
僕の手も同じだった。
そのまま、僕たちは少しだけ笑った。
これで終わればよかった。
本当に、そう思う。
でも、エイン君は握手したまま、ふと真面目な顔になった。
「そういえば、まだやらなくちゃいけないことがあったな」
僕の手が止まった。
「……何が?」
「俺は分かったんだよ、フレッド」
嫌な予感がした。
「俺だけが我慢しても、何も解決しない」
それは、エイン君が「いい方法を思いついた」と言った時の感覚に少し似ていた。
けれど、もっと大きくて、もっと悪い。
「今の世の中は、間違ってる」




