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二十九話 けじめ

 ハイザン領は、王都から少し離れた場所にある。

 酪農が盛んな地域で、よく言えば牧歌的。悪く言えば寂れた田舎だ。


 そんなのどかな風景のただ中に建つ大きな屋敷が、ハイザン家の住まいだった。

 本邸の執務室に向かいながら、イゾルデは傍らの夫へと笑みを向ける。


「次の商談も上手くいきそうね、あなた」


「ああ」


 ハイザン卿は軽くうなずき、あごに手を当てて感慨深げに続ける。


「例のオークション会場で騎士団長殿と出くわしたときは肝を冷やしたが……未だ捜査の手が伸びてこないあたり、手をこまねいているようだな」


「何よりだわあ。あなたを見捨てて逃げるにしたって準備がいるし」


「前の組織から金を持ち逃げしたときのようにか?」


「言いっこなしよ。そのお金を元手に商売を広げられたんじゃない」


 イゾルデは夫の腕に抱き付いて妖艶に笑う。


「でももう潮時ね。そろそろ外国でバカンスと洒落込まない?」


「それも悪くはないな。そちらでまた事業を興すか」


 ハイザン卿はニヤリと口の端を持ち上げる。


 奴隷に違法薬物、特殊な魔物……法で禁じられた様々な品物を運ぶのが、彼の裏稼業だった。


 もともと真っ当な貿易商として活動していたところ、イゾルデに出会って裏の世界に入ることとなった。通常の仕事の何倍も稼げることが分かり、すぐにやみつきになった。


 これまでに培った人脈があれば、次の仕事も軌道に乗ることだろう。


(ようやく運が向いてきた。私の時代だ)


 ハイザン卿は高揚感に包まれながら、執務室のドアを開いた。

 そうして飛び込んできた光景に我が目を疑った。


「叔父様、ごきげんよう」


「……アリア?」


 嫁に出したはずの姪が、ソファで悠々とくつろいでいた。

 傍らに執事らしき若い男を従えて、膝に子猫を乗せている。

 ティーカップを傾ける所作には無駄がなく、淑女として非常に洗練されていた。


 ハイザン卿は戸惑うしかない。姪が住んでいるのは王都の中央部だ。馬を走らせても丸一日かかる。おいそれと帰ってこられるような距離ではない。


 まして、自分と姪との関係は良好とは決して言えない。

 イゾルデも不審を覚えてか、刺々しい目を向ける。


「はあ? どうしてあんたがここにいるのよ」


「用事があったものだから、少し立ち寄ったの。叔母様もごきげんよう」


「だから! おばさんなんて呼ぶなって、いつも言っ……て」


 イゾルデは声を荒らげるものの、次第に尻すぼみになってしまう。


 アリアが平然と微笑み続けていたからだろう。イゾルデに怒鳴られる度、顔を伏せてじっと堪えていた少女と同一人物とは思えなかった。


 イゾルデはごくりと喉を鳴らす。


「あんた、本当にあの小娘……?」


「いやだわ、叔母様ったら。可愛い姪の顔を忘れたの?」


 アリアはくすくすと笑う。

 膝上の子猫も追随するように「にゃー」と鳴いた。若い執事も笑みを深め、ハイザン卿とイゾルデのことを値踏みするような目でじっと見つめてくる。


 ここはハイザン卿の執務室であり、城であった。

 そのはずなのに、この場を支配するのは紛れもなく姪とその従者たちだった。


(これは何だ。いったい何が起こっている)


 冷たい汗が背中を流れるのを感じながら、ハイザン卿は声を張り上げる。


「用事とはなんだ。早く済ませて帰るがいい」


「もちろんそのつもりよ。叔父様に聞きたいことがあるの」


「私に……?」


 ハイザン卿は眉をひそめる。

 かつてこれほどまで姪と言葉を交わしたことがあっただろうか。

 明るくハキハキとした彼女の声は、まるで死神の足音のようだった。


 ハイザン卿とイゾルデが身構えるなか、姪はどこからともなく一冊の分厚いファイルを取り出して無邪気に微笑む。


「ねえ叔父様。この帳簿はなあに?」


「そ、それは……!」


 ハイザン卿は大きく息を呑んだ。

 それは紛れもなく、自分たちが裏取引で使っていた帳簿だった。

 この執務室の隠し金庫の中に、取引先からの手紙や金貨などと一緒に隠してあったはず。


(金庫の番号は私とイゾルデしか知らないはず……!)


 慌ててイゾルデを振り返るが、そちらも真っ青な顔で呆然としていた。裏切った……わけではなさそうだ。そもそもそんなことをする意味がない。


 叔父たちが狼狽えるのにもかまわず、アリアは帳面をぱらぱらとめくる。


「メスの人魚一匹、マンドラゴラ三鉢、キマイラ五匹……叔父様がやってる貿易の記録かしら。あら? でもこういうのって確か売買禁止じゃなかったかしら」


「そのとおりです、奥様。人身売買に禁止植物の持ち込み、魔物の違法売買……これだけの件数でしたら極刑は免れないかと」


「あらまあ大変」


 アリアはわざとらしく目を丸くして、ハイザン卿へと目配せする。


「こんなのが公表されたら、叔父様ったらもうお日様の元を歩けないわね」


「っっ……返せ!」


 ハイザン卿は姪へと飛びかかり、無理やり帳簿を奪った。

 だがしかし、アリアは小馬鹿にするように肩をすくめてみせる。


「残念でした。そっちはコピー。本物は騎士団に送っておいたわ」


「はい。すでに手配済みです」


「なんだと……!?」


 恭しく頭を下げる執事に、ハイザン卿は愕然とした。

 こんな決定的な証拠が明るみに出てしまえば、ロベルトの盾も機能しないだろう。


 つまり一巻の終わりだ。

 ハイザン卿は頭を抱えたあと、アリアの胸ぐらを摑んで叫ぶ。


「分かっているのかアリア! 私が捕まれば……おまえにだって累が及ぶんだぞ!」


「それが何よ」


 アリアはわずかにも動じなかった。

 至近距離でハイザン卿を睨み付けたまま、低い声で告げる。


「あなたたちの悪事を見抜けなかった以上、私だって同罪だわ。だったら潔く償うまでよ」


「こ、この小娘が……!」


 ハイザン卿は声を荒らげる。

 殴り飛ばしたい衝動に駆られるが、体が上手く動かなかった。


(あいつと……姉と、同じ目だ!)


 確固たる自信に満ちた、強く輝く紅の瞳。

 それが封じたはずの記憶を呼び起こし、ひどい頭痛に襲われた。

 そんな中、イゾルデが肩を震わせて笑いだす。


「くはははは! 小娘のくせにやるじゃない!」


「イゾルデ……」


「でもねえ……ツメが甘いわよ」


 イゾルデは笑みをすっと引っ込めて執務机のベルを鳴らす。すると屋敷中にけたたましい警報が鳴り響き、物々しい足音がいくつもこちらに向かってきた。


 ものの十秒もかからずに執務室には多くの人間が集結する。


 庭師風の男や、メイド服の女……出で立ちだけ見れば使用人でしかない彼らはみな、ナイフなどの武器を構えて鋭い目をアリアに向けた。


 イゾルデは得意げに仲間たちを見回す。


「ここの使用人はみーんな裏社会の人間なの。あんたは袋の鼠よ」


「口封じ? ちょっと遅いんじゃなくって?」


「殺さないわよ。今のところはね」


 イゾルデはアリアを睨め付け、居丈高に笑う。


「あんたは人質よ。私たちが外国に逃げるまでは生かしておいてやるわ。それまでは嫌というほどに可愛がってあげる。手足の一本や二本、覚悟することね」


「まあ、怖い」


 イゾルデの挑発にも、アリアはまるで動じなかった。


 女たちが睨み合い、鮮烈な火花がバチバチと鳴り響く。部屋の温度が一気に上がったように感じ、ハイザン卿は額の汗をおろおろと拭った。


 お茶会の誘いに乗るように、アリアは優雅に微笑んだ。


「いいわ。地獄の果てまで付き合ってあげる」

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