三十話 騎士団長の職務
騎士団本部は、王都中心部に存在する。
王城すぐ側の巨大な建物で、第一から第七までの騎士団が詰めており、昼夜関係なく人々の安寧を守るために奔走している。おかげで喧噪が途切れることはない。
ただし、本日の第一騎士団本部は勝手が違っていた。
すべての窓には分厚いカーテンが引かれ、昼間だというのに薄暗い。
居並ぶ騎士たちはみな暗い顔で口を噤み、まるでお通夜のような空気が流れている。
そんな場の中央にロベルトがいた。
最奥に位置する執務机に腰掛けて、じっと頭を抱えている。
その顔には色濃い死相が浮かんでいた。
「やはり……大当たりか」
「はい」
前に立って報告するのはオスカーと眼帯騎士だ。
彼らは書類の束をめくり、淡々と続ける。
「博物館館長や先日摘発した麻薬組織、その他様々な線から裏が取れました。ハイザン卿は間違いなく違法貿易に手を染めています」
「あの後妻も手配者みたいだな。なんだってあんな堂々としてやがるんだ」
「それが、かなり顔を弄ったようで……ほら、手配書と今の写真じゃ別人ですよ」
「女は怖いねえ。色仕掛けで結婚前の素行調査もねじ伏せたみたいだし」
彼らのやり取りは軽快そのもの。
だがしかし、内容は信じられないものだった。
ロベルトは机に飾った写真をそっと撫で、ため息をこぼす。
「俺は……一体どうすればいいんだ」
「団長……」
オスカーは眼帯騎士と目配せし、こそこそと尋ねる。
「まさかとは思いますけど、奥様に余計なこと言っちゃったりしてませんよね? ハイザン卿が疑われているとか、奥様にも影響があるかもしれないとか」
「……」
「呆れた! あんた本当奥様が絡むとポンコツですね!?」
「ああそうだ……ポンコツだ……俺は騎士失格だ……アリアの夫にふさわしくないゴミカスなんだ……」
「あ、ダメだ。完全に参っちゃってるな、この人」
際限なく落ち込み続けるロベルトを、オスカーは慌てて宥める。
「大丈夫ですよ。奥様は限りなく白です。多少取り調べさせてもらうだけですよ」
「当たり前だ。アリアが薄汚い犯罪者かもしれないなんて、そんな心配はしていない」
ロベルトはいささかムッとして眉を寄せる。
そうしてふたたびアリアの写真に目を落とした。
写真の中では、自分とアリアが幸せそうに寄り添っている。
「この騒動が、俺たちの関係を変えてしまうことは間違いないだろう」
「そりゃまあ……ね」
オスカーは言葉少なにうなずいた。
騎士団長の妻が犯罪者の身内となれば一大事だ。
たとえアリアの無実が証明されたとしても、市民の目がある。
彼女との離縁を勧める声が多く上がるだろう。
下手をすれば国王から直々に命令が下る。
(アリアがいなくなったら、俺はどうやって生きていけばいいんだ……)
あの夜会で彼女と出会って、ロベルトの人生は一変した。
言葉を交わすだけで胸が高鳴り、ひと目見るだけで幸福を覚える。
もはやその愛を知る前の自分に戻れるはずがなかった。
アリアを失ったら最後、きっと廃人同然になってしまうことだろう。
そんな予感に苛まれつつも、ロベルトはふっと自嘲気味な笑みを浮かべてしまう。
(まあ……そもそも夫婦らしいことなど、ひとつもできていないがな)
ほとんど家に帰れていないし、新婚旅行もまだ。
もっと言えば初夜に済ませるべき夫婦の儀式もまだときた。
これで夫婦と名乗っていいのかどうかは自信がない。
(こんな男より、彼女にはもっとふさわしい夫がいるかもしれない……が)
ロベルトは机に両肘を突いて想像する。
都から遠く離れた田舎で、ひっそりと暮らすアリア。
そんな彼女にひとりの男が寄り添っていて――机の天板がピシッと音を立て、蜘蛛の巣状のヒビが入った。騎士たちが動揺する中、ロベルトは低い声を絞り出す。
「なあ、オスカー」
「なんすか……?」
「俺がアリアの再婚先に殴り込んだら、おまえは止めてくれるだろうか?」
「怖い怖い怖い! ちょっと黙ってた間にどんな妄想に及んだんですか!?」
「こりゃ重傷だねえ」
眼帯騎士が肩をすくめた、ちょうどそんな折だった。
「大変です、団長!」
「む……どうした」
第一騎士団本部に、騎士のひとりが慌ただしく飛び込んできた。
彼は息を切らせながらも、蒼白な顔で叫ぶ。
「ハイザン卿が逃げました! 団長の奥様を人質に取って!」
「なんだと!?」
ロベルトはガタッと席を立ち、オスカーもまた目を丸くした。
「奥さんを攫ったんですか……? そんなのセバスさんが食い止めるでしょ」
「それが、奥様はこっそりとハイザン卿に会いに行ったようで……」
「なんでまた……あっ」
そこでオスカーと眼帯騎士は同時に口を噤んだ。
そうして恐る恐る背後をうかがう。
そこではロベルトがこの世の終わりのような青い顔をして震えていた。
「俺のせいだ……俺が、ハイザン卿の話をしてしまったから」
ロベルトの話を確かめるため、叔父に会いに行ってしまったのだろう。
責任感の強いアリアなら、そんな行動に出てもおかしくはない。分かりきっていたはずなのに……堪えきれずに話をしてしまった自分の落ち度だった。
オスカーたちは気まずそうに目を逸らし、情報の精査に当たる。
「そもそもハイザン卿の屋敷には見張りを付けていたはずでしょう。それでみすみす逃走を許したっていうんですか?」
「それが、想定したよりも仲間が多かったらしく……大多数は捕縛しましたが、ハイザン卿とイゾルデは捕り逃したようです。奥様も救い出せなかったとか」
「ふうん。本格的に捜査の手が伸びる前に逃げちまおう、って腹か」
「団長の奥様っていう切り札を得たから、大胆な行動に出たんですかね」
オスカーは小さくため息をこぼしてから、もう一度ロベルトを振り返る。
「どうします、団長」
「……決まっている」
ロベルトはぐっと拳を握って椅子から立ち上がった。
その身から立ちのぼる濃厚な殺気に、その場の全員が息を呑む。
こんな事態を招いたのは自分が愚かだったから。その反省も後悔も、全部後回しだ。
「俺はもう迷わない。後のことは、アリアを救い出してから考えよう」
「ははは。団長はそれでこそですよ」
「しっかし今から検問を敷いても間に合うかね。もうとっくに国外に逃げてるんじゃ……おや」
難しい顔で考え込んでいた眼帯騎士が、ふと窓に目を留める。
カーテンを開けば、そこには一羽のハトが止まっていた。
ハトはすぐに一通の封筒へと早変わりして、全員が目を丸くした。
「珍しい。封書の魔法だ」
「うわ、初めて見ましたよ。けっこうな上級魔法ですよね」
「しかも俺宛てだと……?」
ロベルトは訝しみつつも封書を手に取る。
何の変哲もない真っ白な封筒だった。指定した人物以外が開けられないよう魔法が掛かっているだけで、他の仕掛けは何もない。
ロベルトは意を決して封を開け、中の手紙を取り出した。
便せん一枚だけの無愛想な手紙に目を落とし、わずかに眉を寄せる。
「誰からです?」
「魔法隊のカルラス殿からか?」
「いや……」
手紙を開いたまま、ロベルトは静かにかぶりを振る。
それは、思いも寄らない相手からの手紙だった。
「二代目……黄昏の魔女からだ」




