二十八話 妻の務め
その後、ロベルトは夕刻になって無事に屋敷へ帰還した。
先日の竜騒ぎ以来、夫婦生活二度目の定時帰宅だった。帰ってくるなり寝室に籠もり、すぐに寝息を立てて眠りに就いた。さすがに限界だったらしい。
事件収束後、アリアもまた迅速に帰宅して彼の看病を再開した。
水に浸したタオルで額の汗を拭って、氷を取り換えて……寝息を立てて眠り続ける彼の横顔を、陽が沈んでからも飽きずに眺め続けていた。
やがてロベルトがくぐもった声を上げ、ゆっくりとまぶたを開く。
サイドチェアに腰掛けたアリアに気付くと、眠たげな目がわずかに見開かれた。
「……付き添ってくれたのか」
「もちろんです。ずっとお側におりますよ」
アリアはロベルトの手を握ってにこりと笑う。
じんわりと汗ばんだ手のひらは、ほんのりと温かい。焼けそうなほどの熱を持っていた寝入りと比べるとずいぶん回復したようだった。顔色もマシだ。
「さっきセバスさんがスープを持ってきてくれたんです。召し上がりますか?」
「助かる……いただこう」
「どうぞ。少しずつでかまいませんからね」
ロベルトはのそのそと上体を起こす。
ベッド脇の魔法灯を点ければ、ふたりの周囲だけをほのかな光が照らしてくれる。
ロベルトがゆっくりとスープを口に運ぶ隣で、アリアはそっと窓の外を窺う。
庭にも魔法灯が設置されていて、そちらは日没後自動で点灯する仕組みだった。煌々と灯る明かりが、怪しく揺れる一本の木を浮かび上がらせる。
「それにしてもビックリしましたよ。まさかトレントを連れて帰ってくるなんて」
「驚かせてすまないな」
ロベルトは頬をかいて苦笑する。
「とある事件の物証なんだが、訳あって目の届く範囲に置いておきたいんだ。アリアが怖がるようなら、他に預けるんだが……」
「私なら平気ですよ。レントちゃんとは、もうすっかり仲良くなりましたから」
「はは……あなたはやはり強いな」
「当然です。だって騎士団長の妻ですもの」
アリアはにっこりと笑う。
主から引き離されて、レントは少し寂しそうだった。
それでもここの広い庭が気に入ったようで、一番日当たりのいい場所に根を下ろしていた。アリアが話しかけると蔦で応えてくれたし、上手くやっていけそうだ。
(ロベルト様の言っていた『信頼できる者』が、まさか私だったとはね……)
その事実を、アリアはそっと噛みしめる。
そこでふとロベルトが不思議そうな声を上げた。
「うん? アリア、その薬はなんだ? 医者に渡されたものとは違うようだが」
「えっ。こ、これですか?」
卓上の水差し。その陰に、ひっそりと折りたたまれた薬包紙が置かれていた。
アリアはしどろもどろになりつつも説明する。
「えっと、その……あのレントちゃんなんですけど、たくさんの薬草を体に生やしていたんです。それを使って、風邪薬を煎じてみたんですけど……」
薬包紙を開けば白い粉末が現れる。
本を見ながら入念に精製したひと品だ。
だがしかし、アリアはそれを出すつもりは毛頭なかった。
薬包紙を包み直して、胸に抱く。
「素人の作った薬なんて危険です。だからこれは処分する予定で――」
「ありがたくいただこう」
「えええええっ!?」
ロベルトは包みをひょいっと取り上げて、なんの躊躇いもなく中の薬を飲み込んでしまった。
呆気に取られるアリアへと、彼はイタズラっぽい笑みを向ける。
「苦い。よく効きそうだ」
「……騎士団長ともあろうお方が、得体の知れないものを口にしないでください」
「たとえこれが猛毒だろうと、愛する妻が作ったものなら俺の体には良薬として働くとも」
「この人、まだ熱があるわね……もう、早く寝てください」
「分かった分かった」
水を飲んだあと、ロベルトは再び床に着く。
そんな彼に寄り添って、アリアは内緒の話をするように声をひそめて囁いた。
「ロベルト様。愛しています」
「俺もだ……アリア」
アリアの髪を撫でて、ロベルトは目を細める。
そこにはありったけの愛情と、少しの苦悩が浮かんでいた。
熱に浮かされた吐息をこぼし、ロベルトは震える小声を絞り出す。
「あなたを手放したくはない……俺は……いったいどうすればいいんだろう」
「ロベルト様はロベルト様の正義を成してください」
彼の手に自分の手を重ね、アリアはまっすぐに告げる。
「私の望みはそれだけです」
「きみは強いな……俺より、ずっと…………」
ロベルトはそう言って、また寝息を立てはじめる。
苦しそうな寝顔は、熱のせいばかりではないだろう。
(ロベルト様は私のことを信じてくれている。その信頼に報いるために、私ができることはなに……?)
叔父があの魔法使いと話していたことは、ロベルトだって確認したはずだ。
それなのにまだアリアのことを信じてくれている。
その事実がたまらなく胸を締め付けた。
アリアは小さく息を吐いてから、ふたりの従者を呼ぶ。
「ガーくん、アスタロト」
「なんの用だ、主」
「お呼びですか、奥様」
音も気配もなく、ふたりが背後に現れる。
そちらをそっと振り返り、アリアは「うげっ」と声を上げてしまった。アスタロトが当然のように手にしていたのは、例の魔法使いが所持していた亜空間魔法の魔導具だ。
「あなたそれ、騎士団が押収したはずでしょ。まさか盗んできたの?」
「明日の朝までには返しますよ。少し確認したいだけですから」
「本当でしょうね……まあいいわ。今はそれどころじゃないから」
一旦処遇を保留にし、アリアはふたりの顔を見比べてニヤリと笑う。
「ふたりに相談があるの。聞いてくれる?」
「おっ、なんだケンカか? ケンカだな?」
「うふふ。ガーくんったらなんで分かったのかしら」
「いつもの獣の目をしているからな。今回暴れられなかった分、手助けしてやらんでもない」
「ありがとう。持つべきものはお友達よね」
ガーくんの頭をそっと撫で、ぎゅーっと抱きしめる。
アスタロトもまたにこやかに頭を下げた。
「わたくしも喜んでお付き合いいたしましょう。して、奥様。ターゲットはどなたでしょうか」
「私の叔父、ハイザン卿よ」
「ほうほう。あの、奴隷商としてここ五年の間で頭角を現しはじめた彼ですか」
「やっぱり腹立たしいくらいの情報通ねえ……待って、ここ五年ですって?」
「ええ。それまでは無名の貿易商だったはずが、急に裏社会と関わりだしたようで」
「五年前……やっぱりイゾルデさんが来た頃と一致するわね」
アリアがあごに手を当てて考え込むと、アスタロトはそっと補足する。
「イゾルデ・フロスト。西の方で結婚詐欺などの容疑で指名手配されている人物ですね。一時期、奴隷商人の大規模組織に出入りしていたとか」
「なるほど。あの人が叔父様を唆したのかしら」
ともかくこんな状況は不健全だ。
ロベルトが正義を成すには迷いを断つ必要がある。
それを導くのも妻の勤め……なのかもしれない。
(離縁がなによ! ロベルト様は正義に燃えてこそ! そのためなら、私はなんだってやってやる!)
アリアは拳を突き上げて、小さな声で旗揚げを宣言する。
「叔父様たちに天誅を下すわ! 騎士団長の妻として、悪は絶対に見過ごせないもの!」
「主君に付き従うのが執事の務め。どこへなりともお供いたしましょう」
「主の敵は我が敵だ。もちろん粉砕あるのみよ!」
こうして三名は結託し、断罪計画を練ることになった。




