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二十六話 決意

 棚の陰から様子を窺えば、魔法使いの背中越しに机に置かれた鏡が見える。


 そこには確かにイゾルデの顔が映し出されていた。意地の悪いニタニタ笑いを浮かべながら、彼女は向こう側の鏡を傾ける。


『ねえ、あなた?』


『当然だ』


 鏡に映るのは、しかめっ面の壮年の男。

 アリアとロベルトは同時に息を呑んだ。


(間違いない! 叔父様だわ!)


 アリアはごくりと喉を鳴らし、ロベルトの顔をそっと盗み見る。

 その表情はこれまで見たこともないほどに険しく、ただじっと声を殺して鏡の中のハイザン卿を睨んでいる。


 叔父はそんなこともつゆ知らず、辟易とした様子で語った。


『私たちはドラッグの流通に少し手を貸しただけ。助けてやる義理などどこにもない』


『そうよねえ。世間知らずな貴族のお嬢さん方を薬漬けにするのはとっても楽しかったけど……やっぱりもう潮時よね』


 イゾルデも呆れたように肩をすくめてあざ笑う。

 彼らの台詞に、アリアは腹の奥底が煮えくり返る思いだった。


(やっぱりドラッグに関わっていたんだわ! しかもこの人たち、なんの罪悪感も抱いていない……!)


 イゾルデは特に、まるで手柄を誇るかのような語り口だ。

 嫌らしい含み笑いが混じる声で彼女は続ける。


『だいたいこの魔導具だってボスのものでしょ。緊急連絡が入ったから何かと思えば……ただの末端風情が私たちに助けを求めるなんて、身の程知らずにもほどがあるわ』


「っ……いいのか? 騎士団にあんたらの悪事をバラしてやるぞ!」


『ほう、この私を脅すつもりか。やれるものならやってみるといい』


 魔法使いの脅しにも動じることなく、ハイザン卿はニヤリと笑う。


『私の姪は騎士団長殿の妻だぞ。多少の疑いがかかったところで、彼が勝手に揉み消してくれる。身内から犯罪者を出したくないだろうからな』


「……あんた、どうやって騎士団の身辺調査をクリアしたんだ。結婚の前に相当調べられたはずだろう」


『あらゆる手を使ったまでだ。なあ、イゾルデ』


『ふふふ』


 イゾルデは蠱惑的に微笑む。


『本音を言えば私が騎士団長様の奥さんになりたかったけど……仕事がやりやすくなるのに越したことはないし。いろーんな方面に手を回したものよ』


『おまえがいてくれて助かった。本当によくできた妻だ』


『お褒めにあずかり光栄よ。あなたもビジネスパートナーとしては上々だわ』


 イゾルデにしな垂れかかられながら、ハイザン卿は悠々と肩をすくめてみせる。


『騎士団長殿は姪のことをいたく気に入っているらしい。あの子のおかげで、私の地位は安泰だ』


「けっ……こんな小悪党がのさばるようじゃ、この国も落ちたもんだな」


『なんとでも言うがいい。もう切るぞ。そもそも私はこの手の魔導具が好かんからな』


「あっ! 待ってくれハイザン卿! もう俺にはあんたしか――」


『バイバーイ。あなたはもう用済みよ』


 慌てる魔法使いにも構うことなく、イゾルデは鏡をしまったようだった。


 鏡面に自身の焦り顔だけが映し出され、魔法使いは激昂して鏡を地面に投げ付ける。物々しい音が響き、細かな破片があたりに飛び散った。


 その光景を前にして、アリアはそっとロベルトへと声をかける。


「騎士団長殿。まさかとは思うが、今のは……」


「……ああ」


 ロベルトは眉間にしわを寄せて低い声をこぼす。

 悪鬼のような形相で割れた鏡を睨み付けたあと、アリアに殺気を向けた。


「悪いがこれは俺の問題だ。もしも他言した場合……完全におまえを敵と見なすぞ」


「喋るわけがないだろう。こんな厄ネタ、誰が好き好んで首を突っ込むものかよ」


 アリアは芝居がかった調子でかぶりを振った。

 そうしなければ内に秘めた心が今にも飛び出してしまいそうだったから。


 どうやら叔父はアリアを使ってロベルトに手綱を付けた気になっているらしい。

 そしてその思惑は的中して、ロベルトの顔色はひどく悪かった。


(私がロベルト様の正義を鈍らせているの……?)


 アリアはロベルトの仕事ぶりを覗きに行ったときのことを思い出していた。あのときのロベルトは、正義の御旗の元に人々を守るべく奮闘していた。


 その勇ましい姿に、アリアは惚れ直したのだ。

 今、その信念がアリアのせいで揺らいでいる。


(そんなこと、あってはならないわ!)


 アリアは深く息を吐いてからロベルトへと問いかける。


「きみは相当な愛妻家だと聞く。本当にあの御仁を捕まえられるのか?」


「腹立たしいくらいに情報通だな。余計なお世話だ」


 ロベルトはアリアを睨み付けたあと、ぽつりと小声をこぼす。


「……躊躇いがないと言えば嘘になるが」


「……そうか」


 そこで会話は途切れた。ロベルトはただ、例の魔法使いの背中をじっと見つめている。

 その目は正義の炎に燃えていたが、色濃い苦悩の霧が掛かっていた。


(だいたい私だって叔父様たちと同罪だわ。誰かを不幸にしたお金で食べさせてもらって……結婚式だって挙げてもらったんですもの)


 叔父夫婦はもちろん大罪人だ。

 そしてアリアも、間接的にだがその悪に加担したことは間違いない。


(……私も腹を括るべきね)


 アリアがそう決意した、そのときだった。


「っ……誰だ!」


 例の魔法使いがハッとして顔を上げる。


「クソ、あの騎士が追ってきていたのか。どこだ、どこにいる!」


 落ち着かなくあたりを見回しながら、あらぬ方向に威嚇の声を飛ばす。

 どうやらこちらの位置がバレたわけではないらしい。


(……今なら背後を突けるな)


(あっ、ちょっと待て!)


 ロベルトがそうこぼすと同時に行動を起こした。


 体を少し前に傾けて、足のバネを使って一息で飛び出していく。アリアは慌ててそれを制止しようとするのだが、すでにロベルトは十分な間合いに踏み込んでしまっていた。


 ロベルトが大きく剣を振りかぶる中、アリアは叫ぶ。


「気を付けろ! その大樹は魔物だ!」


「なにっ!?」


 それとほぼ同時、空を切り裂く音がいくつも響く。


 大樹の幹から伸びた蔦だ。鋭く放たれたそれらの先端がロベルトの手足に絡みついて動きを封じる。その隙に魔法使いはほうほうの体で逃げ出して、大樹の足元にすがり付く。


「レント! ありがとう、助かった!」


《樹樹木木木……》


 大樹は不気味な声を上げ、埋まっていた土の中からのっそりと這い出てくる。

 枝葉を揺らし、蔦をうねらせる様はどこからどう見ても異様だ。

 だがしかしアリアはほうっと感心の声を上げる。


「ずいぶん立派なトレントだな。よほど念入りに世話をしていると見える」


 トレント。妖樹とも呼ばれる、意志を持った樹の魔物だ。

 深い山奥に生息するらしいと本で読んだが、見るのはもちろん初めてだ。

 アリアに気付き、魔法使いはギョッと目を見張る。


「まだ仲間がいたのか! 騎士……ではなさそうだが」


「通りすがりの魔女さ」


「はあ……?」


 魔法使いは虚を突かれたようにぽかんとして、それから慌てて声を上げた。


「なんでもいい! そいつらを排除しろ、レント!」


《樹木樹木樹樹樹!!》


「ぐっ……!?」


 トレントが雄叫びを上げると同時、大きく広げた枝葉から黄色い粉末が落ちてきてロベルトへと降り注いだ。


「げほっ、げほっ! なんだこれは、かふ……ん……」


「騎士団長殿……?」


 ロベルトが激しく咳き込んだかと思えば、突然うな垂れて黙り込んでしまう。

 アリアがおずおずと声を掛けても、四肢を拘束する蔦が外されても無反応だった。


(これは……ちょっとマズいかも)


 嫌な予感に、ごくりと喉を鳴らした次の瞬間!


「悪は……斬る!」


「うわわっ!?」


 ロベルトがアリアめがけて襲いかかってきた。どうやら今の花粉は幻覚作用のある代物らしい。件の麻薬もそうした効果があるというし、原材料のひとつかもしれない。


 ともかくロベルトは完全に正気を失っていた。

 目は虚ろで焦点が合わず、口からこぼれ出るのは意味を成さないうわごとばかり。

 そうだというのに息つく間もなく繰り出される斬撃は、まるでワルツのように鮮烈だ。


(舞踏会のダンスはあんなに下手っぴなのに!)


 何度か一緒に踊る機会があったが、ロベルトは毎度ステップを間違えまくっていた。


 あのときは不器用な旦那様の姿にきゅんっとときめいたものだが……目の前にいるのは、それとはまったく別次元の剣鬼と呼ぶべき存在だ。アリアは回避するのがやっとだった。


(早く解放してさしあげないと!)


 剣筋を紙一重で避けながら、アリアは浄化魔法の呪文を紡ぐ。

 薬を頭から被ったガーくんにも効いたので、今回も多分効果が見込めるはずだった。


「《キュア》四連!」


 人差し指から計四つの光弾が放たれる。

 ひとつ当たれば作戦成功。あとの三つは保険だ。


 ほぼゼロ距離のロベルトめがけて、光弾たちは不規則な軌道を描いて突進する。

 しかし――。


「甘い!」


「へ」


 ロベルトは目にも留まらぬ剣捌きでもってして、すべての光弾を斬り捨ててしまった。

 光の粒がキラキラと舞い散るのを、アリアはその目に焼き付けた。


(人間の反射速度じゃなかったわよ!? さすがはロベルト様!)


 心中で拍手を送るアリアへめがけ、ロベルトが返す刃を振りかざす。


 十分引きつけて浄化魔法を放ったせいで、アリアは体勢を崩している。次に襲い来るであろう強烈な一太刀を回避する術はひとつもなかった。


(……これはダメね。出しゃばった報いかしら)

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