二十五話 亜空間での共闘
「はっ……こんなことしてる場合じゃないわ! ロベルト様を助けなくっちゃ!」
アスタロトをぽいっと投げ出して、アリアは眼下の扉を睨め付ける。
ロベルトと魔法使いが飲み込まれたあと、すぐに扉は閉じてしまっていた。騎士たちはそこに縄をくくりつけて全員で引っ張ってみるのだが、扉はビクともしない。
「ダメです! 全然開きません!」
「こりゃ魔法隊を呼ぶしかないか……亜空間魔法とは厄介な」
「一刻も早く招集を! 団長の一大事です!」
彼らは大声を上げ対処を急ぐ。
亜空間魔法というのは、この世から独立した別空間を生み出す魔法だ。
隠れ家に便利な魔法だが、維持するのに莫大な魔力を必要とする。そのため使える魔法使いは世界でもほんの一握りだし、使えたところで小さな部屋が関の山。
あの杖はそんな亜空間を内蔵している。扉を出すのにごく少量の魔力を必要とするだけで、広大な空間を使い放題なのだという。
その有益性から多くの権力者が杖を求め、今現在は所在が分からなくなってしまっている……というのが、アリアが本で得た知識である。
実際に亜空間魔法を見るのはこれが初めてだった。
アリアはアスタロトへとそっと尋ねてみる。
「あの亜空間魔法、外から破れる?」
「理論上は可能です」
締め上げられた首をさすりつつ、アスタロトは鷹揚にうなずく。
「ですが、中にいる者の安全は保証できません」
「そうなると内側から助ける必要があるわね」
アリアはあごに手を当て少しだけ逡巡する。
さすがにこれ以上は介入しすぎかもしれないが……。
(あの状態のロベルト様を放ってはおけないわ!)
アリアは覚悟を決めて、お供のふたりに宣言する。
「ちょっと行ってくるわ。あなたたちはそこで待っていて」
「騎士たちの前だぞ、主。いらぬ騒ぎになるのでは?」
「平気よ。えいっ」
訝しむガーくんの前で呪文を唱え、アリアは魔法を使う。
ぽんっという軽い音とともにその姿がかき消える。
「は? 主、どこに行ったのだ」
「ここよー!」
「……は?」
キョロキョロと辺りを見回していたガーくんだが、足元に目を落としてきょとんとする。
そこでは小さくなったアリアが手を振っていたからだ。元の大きさの、だいたい二十分の一に縮んだ計算になる。
ガーくんは目を見張ってギョッとする。
「まさか主、我の魔法を完コピしたのか!?」
「ええ。こっそり練習してた甲斐があったわ」
「そんなバカな……白銀竜のみが使える種族魔法のはずなのだが」
「まったく器用なものですねえ」
小さくなってコソッと行く計画だ。単純ながら、騎士たちは非常事態に狼狽えているし、十分目くらましになるだろう。
アスタロトは恭しく頭を下げる。
「お申し付け通り、こちらにて待機しております。動きがあればサポートしますので」
「我もそこまで小さくはなれんしなあ……留守番だな」
「よろしくね。アスタロトはあとで覚悟してなさいよね!」
ふたりにそう言い残し、アリアは天井の梁からぴょんっと飛び降りた。
風魔法で落下速度を調整し、ゆっくりと降下する。二十分の一から見える世界は周囲の何もかもが巨大で、まるで別世界に迷い込んだようだった。
なかなか新鮮な光景だが、それを楽しむ余裕はなかった。
眼下に広がる扉をじっと見つめる。すると周囲に数々の文字が浮かび上がってきた。魔法を構築する魔法文字だ。それを読み解くと、魔法の理論がおおよそ掴めた。
これならこじ開けることは可能だろう。
アリアは即席の魔法を作り上げ、力ある言葉を解き放つ。
「《開け》!」
呪文に応え、固く閉ざされていたはずの扉がゆっくりと開いていく。
周囲の騎士たちが騒然とする中、アリアはわずかにできた隙間へとその身を滑り込ませた。
軽い目眩とともに極彩色の光の洪水がアリアを襲う。
しかしそれも一瞬のことで、気付いたときには開けた場所に立っていた。
多くの棚が並んでいて、どの段にも適度な間隔で植木鉢が整列している。まるで植物園のような光景だ。真上には太陽が浮かんでいて、うららかな春の日差しが降り注ぐ。
「ここが杖の中……?」
アリアがぽつりと呟いた真後ろで、扉がゆっくりと閉じていった。
即席の魔法では、あの隙間を生み出すのが関の山だったらしい。
オスカーたちが入る余裕はなかったようだ。
(やっぱり私がロベルト様をお助けしなきゃ!)
決意に燃えたアリアが拳をぐっと握ったところで、棚の陰からうめき声が聞こえた。
「ぐっ……う」
「っ、騎士団長殿!」
アリアは圧縮魔法を解除して、慌ててそちらに向かう。
案の定、そこにはロベルトがいた。棚に背中を預けて荒い息をしている。どうやら熱がずいぶん上がっているらしい。鎧に埋もれた顔色はひどく悪い。
アリアは彼の前にしゃがみ込み、そっと声を掛ける。
「大丈夫か、騎士団長殿」
「貴様……は」
熱に浮かされたロベルトの目がアリアを捉える。
その、どこか色っぽい瞳に少しだけ見とれてしまい……気付いたときには、首元に剣を突き付けられていた。ロベルトは低い声で問う。
「どうして貴様が……ここにいる」
「……怪しまれるのも無理はないな」
アリアは両手をゆっくりと上げる。
山道や闇オークション会場での邂逅はまだ言い訳が立つ。
だがしかしこんな亜空間で出くわしたとなると、相当な理由が必要だ。
(ええ……どうしましょう。『あなたの奥さんだから助けに来ました』なんて言えるはずもないし)
こういうのは、言葉に詰まる時間が長くなればなるほど疑われる。
だからアリアは迷うことなく、口から出任せを並べ立てることにした。
「実はだな、私はアスタロト・レメゲトンの大ファンなんだ」
「……大昔の錬金術師か」
「そう。この亜空間を呼び出す杖も、アスタロトの作った魔導具なんだ。それがあるという噂を聞きつけて、はるばるやって来た次第でな」
アリアが言葉を並べても、ロベルトは鋭い眼光を放っている。
それに屈することなく言い訳を続けた。
「この間も、本物が裏オークションに出回るという噂を聞いて乱入したんだ」
「……ならば、最初の竜騒ぎはどうなんだ。あれもアスタロト絡みなのか」
「あれはただの通りすがりだ」
堂々と言ってのけると、ロベルトはしかめっ面をさらに歪めた。
(さすがにちょっと無理があったかも!? アスタロトのやつめぇ……出たら絶対タダじゃおかないんだから!)
アリアはごくりと喉を鳴らして、なるべく簡潔に告げる。
「私はあの杖に興味があるだけだ。だから、あなたと事を構えるつもりはない」
「……本当だろうな」
「ああ。神に誓って」
数秒の睨み合いが、まるで永劫のように感じられた。
やがてロベルトは軽く目をつむって、ため息交じりにかぶりを振った。
そのままゆっくりと剣を下ろす。
「今はその言葉を信じるしかないな……さすがの俺も、この体たらくではおまえに手も足も出ないだろうし」
「体調が悪いんだろう。無理はよくないぞ」
「おまえに心配されるいわれはない」
ロベルトはギロリと睨みを利かせて、よろよろと立ち上がった。
今にも倒れそうだが、手を貸そうとするも無視される。
仕方なく、アリアは彼の数歩あとを付いていって見守るしかない。
周囲を見回すものの、自分たち以外に人の気配はない。植木棚や樹木が並ぶのどかな景色がどこまでも続くだけだ。
「杖の持ち主はどこに消えたんだ?」
「さあな……気付いたときには俺ひとりだった」
「やはり苦しそうだな、薬を煎じてやろうか。幸いここは薬草だらけだ」
「結構だ。何を混ぜられたものだか分かったものじゃない」
ロベルトはアリアを睨み付けつつも、ふと足を止める。
あたりに並ぶ植木鉢をぐるりと見回して掠れた声をこぼした。
「まさかとは思うが……ここにあるのは全部薬草なのか?」
「ああ。図鑑でしか見たことのないような品種がわんさかあるぞ」
鍵を預かった離れには薬草の本も数多くあった。
魔法には直接関係のないそうしたジャンルも手広く読んでいたため、アリアには周囲に並ぶ草花の名前が手に取るように分かった。
「こっちは宵待草だな。体の痺れを取ってくれる。他にも月桂草にハオマにライラソウ……貴重なものだとマンドラゴラなんかがあるぞ」
「なるほど……どう洗っても麻薬の製錬現場が判明しなかったわけだ」
「ここなら誰にも邪魔されなかったろうな」
材料を育てるのも薬を作るのも思うがままだ。
アリアは植木鉢をしみじみ眺める。どの鉢も土がしっとりと濡れていて、雑草ひとつ生えていない。葉もツヤツヤしていて植物はみんな溌剌としていた。
これをすべて、あの魔法使いが育てていたのだろうか。
「……こいつらが麻薬の材料か。ふむ」
「何か気になることでもあるのか」
「いや、なんでもないさ」
アリアは軽く手を振ってみせる。
気になることは気になるが、今優先すべきは魔法使いを確保することだ。
こうしてアリアとロベルトは先へと進んだ。
植物園はどこまでも続き、地図のようなものもない。
しかし要所要所でアリアが魔力を察知して道を示した。ロベルトは疑いの目を向けつつも、他に指針がないこともあってか大人しく従った。
やがて、かすかな声が聞こえてくる。
言い争うような声に、ややくぐもった静かな声。
それらを耳にした瞬間、ふたりは足を止めて目配せし合った。ロベルトは怪訝そうに眉をひそめて小声で言う。
(仲間がいたのか……?)
(いいや、通信魔導具越しの会話のようだ)
アリアは小さくかぶりを振る。
魔法を使った通信機器というものが存在する。
アリアはまだ現物を見たことがないが、遠く離れた場所の相手とも会話ができる夢のような代物だという。
ただし、それなりに値段は張るらしい。特殊な材料が必要とかで自作も難しい。
(そんなものを、ただのチンピラ風情が持っているものかしら?)
訝しみつつも、ふたりは足音を消してそろりそろりと声のする方向へと近づいて行った。
たどり着いたのは大樹が生えた広場だった。見上げんばかりに大きな樹で、幹のほとんどを緑色の蔦が覆っている。相当な樹齢であることが伺えた。
その周囲にいくつもの机が置かれていて、試験管などの実験器具が散乱している。
そして、魔法使いはそこにいた。周囲に人影はなくひとりきりだが、机のほうを向いて身振り手振りを交えて何やら訴えかけている。
「外は騎士どもでいっぱいだ! だから頼む! 助けてくれ!」
『はあ? なんで私たちがそんなことしなくちゃいけないのよ』
鏡から響くのは、嘲るような女の声。
その声を耳にした瞬間、アリアは体が強張るのを感じた。
(今のは……イゾルデさんの声?)
アリアの叔母。その声に、今のはとてもよく似ていた。




