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二十三話 大怪盗を雇用する

 アリアは口元を拭いながらアスタロトを睨み付ける。

 だが、柔和に微笑み返されるだけで終わった。


 今思えば、彼は認識阻害魔法をかけたガーくんの正体を見破っていた。

 ということは……アリアの仮面も効いていなかった可能性が非常に高い。


 だからこそ、こうして接触を図るため求人に応募してきたのだ。

 だがしかし……なんのために?


(まさか、ロベルト様にバラす気なの……!?)


 さーっと血の気が引くが、アスタロトは微笑んだままだ。

 余計なことをゲロる様子はない。今のところは。

 彼と一緒にやって来たセバスがにこやかに問う。


「いかがでしょうか、旦那様。彼を雇っても?」


「まあ、家のことはセバスに一任してあるしな。セバスが確かだと言うのなら……」


 ロベルトは少しだけ咳き込んだあと、アスタロトをじっと見つめた。

 それと同時にその身から鮮烈な殺気が放たれる。アリアも思わず息を呑むほどだ。


「アリアに何かよからぬことをしてみろ。地の果てまで追い詰めてやるからな」


「ご安心ください。わたくし、心に決めたひとがおりますので」


 アスタロトはそれをさらりと受け流し、平然と微笑み返した。


 アリアは(絶対嘘でしょ……)と白い目を向けるばかりだが、ロベルトの方は意外にも「ほう」と感心したように目を見張る。


「口からでまかせではなさそうだな。ならば試用期間ということで一時的に雇ってみよう」


「ありがとうございます、旦那様。誠心誠意、仕えさせていただきます」


 アスタロトは優雅に腰を折り、お辞儀してみせる。

 指先一つとっても無駄のない動きだ。服装もよく似合っている。


 構成要素のすべてが執事としてやけに様になっていて、ひたすらに癪だった。


 ともかくこうしてアスタロトは見事シュトザイン家の執事見習いに就任した。

 アリアが異論を挟む余裕もなかった。


(嘘でしょう!? こいつとひとつ屋根の下!?)


 わなわなするアリアに気付くことなく、ロベルトはセバスを見やる。


「それで……あとひとつの用件はなんだ」


「……これは伝えていいものか迷いましたが」


 セバスは少しだけ目線を泳がせたあと、観念したように口を開く。


「下にオスカー様がいらしています。『薬の件に動きがあった』とのことです」


「っ……すぐ行く!」


 それを聞いた瞬間、ロベルトの目に強い光が宿った。そのまま勢いよくベッドから飛び出していこうとするので、アリアは慌ててその逞しい腕にしがみついた。


「待ってくださいロベルト様! そんな体で行ってはいけませんよ!」


「だがしかし……俺は行かねばならないんだ」


 ロベルトは苦しげに眉を寄せる。


「そうだ、あなたの魔法では治せないのか……?」


「できるならとうにやってます! 風邪に回復魔法は御法度なんです!」


 風邪というのは、人間の体に病原菌という悪いものが入り込んだ状態だ。

 回復魔法を掛けてしまえば、その病原菌も元気になり、ますます病状が悪化してしまう。

 それゆえ、風邪などの病には魔法薬を使って体の内側から治すのが鉄則だ。


(薬の調合なんてしたことないし、まして薬草なんて持ってないもの!)


 そういうわけで、アリアはせっせと看病に励んでいたのだ。

 ロベルトの熱はかなり高い。無理をしては肺炎を引き起こす恐れだってある。

 そう説得するも、ロベルトはただかぶりを振るだけだった。


「大丈夫だ。片付けたら……すぐに戻る」


「ロベルト様……」


「セバス。準備を頼む」


「……かしこまりました。アスタロトさん、奥様を頼みましたよ」


「承知いたしました」


 ロベルトは足を引きずるようにして、セバスを伴い部屋を出て行った。

 立っているだけでも辛いのだろう。それでもその横顔には使命感という炎が燃えていた。

 アリアはそれをただ見送ることしかできなかった。


「ロベルト様……本当に大丈夫かしら」


「どうも薬物取り引きの現場を押さえるみたいですね」


「っ……《シャドウバインド》!」


 アスタロトがのほほんと口を挟んだので、アリアは素早く呪文を唱える。


 それだけでアスタロトの影から何本もの触手が生え伸びて、彼の体を絡め取った。

 敵の行動を封じる魔法だ。これで彼は指一本たりとも動かすことは敵わない。


 しかしそうだというのに余裕綽々の笑みが崩れることはなかった。

 両手が自由であったのなら、のんびりと拍手を送ってきただろう。


「お見事です。魔法の行使に一切の無駄がない。おまけにわたくしを見ても殺気ひとつ漏らさなかった。百点満点です」


「何が目的なの」


 無駄口には構わず、アリアは低い声で問う。

 出方次第では戦争だ。

 だがしかし、彼はにっこりと笑ってこう答えた。


「目的はもちろん決まっています。勧誘です」


「『かんゆう』……?」


「ええ。言ったでしょう、わたくしは自分の作品を回収して回っていると」


 アスタロトにはふたつの顔がある。

 数多くの魔導具を生み出した天才錬金術師と、その作品専門の怪盗。


 先日は偽の予告状が出されたことを知って様子を見に来て、アリアと鉢合わせたのだ。


 あのときの博物館館長はすっかりご用となり、売り飛ばされた収蔵品も捜索が進んでいるという。本物の怪盗シャノワールが関わっていたことは、アリアだけが知るところだ。


 アスタロトはうっとりするように目を細めて続ける。


「あなたは抜きん出た才をお持ちだ。協力してくれれば、わたくしの仕事もぐんと楽になるでしょう。だからどうです。怪盗家業、はじめてみてみませんか?」


「あなたねえ……誰に物を言っているのか分かっているの?」


「第一騎士団長、ロベルト・シュトザイン殿の奥様です」


「騎士団長の妻が犯罪行為に手を貸すはずがないでしょーが!」


 アリアはあらん限りの声でツッコミを叫んだ。

 ぜえはあと息を切らしていると、ガーくんが肩にのぼって哀れみの目を向けてくる。


「人間の法はよく知らんが、主はもう相当やらかしている部類に入るのでは?」


「うっ……」


 正論にもほどがあった。

 言葉に詰まっていると、アスタロトはにこやかに続ける。


「でも絶対に向いてますよ? 実力も度胸も申し分ないですし」


「絶対にやりません」


 ぷいっとそっぽを向くが、結局すぐにちらっと振り返ってしまう。

 気になることができたのだ。


「まさかとは思うけど……私にそれを言うためだけに潜入してきたの?」


「いえ。一度の勧誘で口説き落とせる相手ではないと思ったので、長期戦を覚悟の上で雇われにまいった次第です」


「暇なの!? だいたいあなた使用人ってタマじゃないでしょ!」


「それにわたくしの作品は強い力を持つ者に引き寄せられるのです。所在の分からない物も多いので、奥様の側にいれば自然と集まってくるんじゃないか……という打算もありまして」


「人を勝手にハエ取り紙みたいに使わないでくれる!?」


 ひとしきりツッコミ疲れてアリアはぐったりと息を切らす。


(ダメだわ、こんなやつのペースに飲まれちゃ……!)


 アリアは意地悪な顔を作って反撃に出るのだが――。


「ははーん? さてはあなた、私に惚れたわね。でも残念でした。私はロベルト様ひと筋なんだから!」


「ははは、間に合っております。わたくしも猛獣と懇ろになる趣味はないので」


「こ、こいつうううう……!」


 結局、にぎった拳を振るわせるだけに終わった。

 そんなアリアの肩をぽんっと叩いてガーくんがかぶりを振る。


「力尽くで追い出した方が身のためだぞ、主。こやつはなんだか胡散臭い」


「全力同意だけど、野放しにしておくのもなんだしねえ……」


 このまま騎士団に突き出してもいいのだが、そうなれば間違いなくアスタロトはアリアの所業をロベルトにバラすことだろう。逆を言えば、アリアが口を閉ざす限りは、彼もまた沈黙を貫くはずだ。


 つまり、お互いの首筋にナイフを突き付けているような状況だ。


 これでは下手に動くのは得策ではない。しばし出方を見るべきだろう。


 アリアはため息をこぼして拘束魔法を解き、棘を含んだジト目を送る。


「とりあえず、なんで私がここにいるって分かったのよ」


「博物館の屋上でお目にかかったときから、シュトザイン家の奥様だと存じ上げておりましたが」


「ええ……もしかして、あれより前にどこかで会ってる?」


「おや、てっきりお気付きのものとばかり」


 アスタロトは軽く目を見張ったあと、懐から何かを取り出した。


 小さな手鏡だ。コンパクト式になったそれを開くと、彼の姿が光に包まれる。そうしてゆっくりと光が失せたあと、そこには利発そうな青髪の少年が立っていた。


 どうやら変身魔法の魔導具らしい。

 その姿に、アリアは軽く目を丸くする。


「あなたまさか、博物館の館長とぶつかった……」


「はい。潜入中でした。あのときは庇っていただき、ありがとうございました」


「……助けるんじゃなかったわ」


 脇机に突っ伏し、アリアは瞑目するしかない。

 というか、屋上で会ったときから身元が分かっていたのに、ずっとしらばっくれていたことになる。とことん食えない男である。


「ううう……今ややこしいときだっていうのに、無駄に問題を増やさないでよね」


「これは大変失礼いたしました」


 アスタロトは変身を解いて鏡をしまう。

 そのかわり、今度は新たに小さな革袋を取り出して恭しく差し出す。


「お詫びの印と言ってはなんですが、手土産をお持ちしました。どうぞお納めください」


「いらないわよ。絶対にろくなものじゃないでしょ」


「いいえ。今の奥様が喉から手が出るほど欲しているものですよ」


「私が……?」


 アリアは怪訝そうにしながらも革袋を受け取る。

 怖々と中を見てみれば、なんてことはない。中には白い粉末が入っていた。粒が小さくてサラサラしていて、何の匂いもしない。


「なにこれ。お砂糖かなにか?」


「いえ。最近出回っている違法薬物【死の接吻】です」


「なにそれこわい!?」


 さらっと告げられたヤバげな単語に、アリアは思わず革袋を放り投げてしまった。

 そして、それがあろうことかガーくんの頭に直撃する。


「ぶふっ!?」


 ガーくんは真っ白な粉塵に包まれたあと、とろんとした目をしてふらふらと部屋の中を飛び回りはじめる。


「お、おお……? これはうつくしい、おじょうさん……われといっしょに、ほしぞらのランデブーとしゃれこみませぬか……?」


「なんか見えちゃってる!? ごめんなさいガーくんごめんなさい! 《キュア》!」


 アリアは慌てて彼に浄化魔法を掛けてやった。

 薬物の幻覚に効果があるかは自信がなかったが、ガーくんはすぐに正気を取り戻した。

 だがしかしひどい頭痛が残ったらしく、アリアに抱っこされてぐったりしてしまう。


「ううう……最悪な気分だ……」


「本当にごめんなさいね……」


「ご覧の通り、こちらは精神刺激薬でして。効能は高揚感、幻覚、身体能力の強化。流通価格はやや控えめでゲートウェイドラッグ……いわゆる初心者向けとして、主に貴族の間で流行しはじめています」


 床に転がる革袋をひょいっと拾い上げ、アスタロトは続ける。


「ただし著しい依存性があります。とある国ではこれが蔓延した結果、多くの国民が廃人と化したとか」


「騎士団長の家になんてものを持ち込むのよ!」


「ですが、これこそ奥様がお求めの情報ですよ」


 アスタロトは革袋を目の高さに掲げて、ニヤリと笑う。


「旦那様が向かわれたのは、この取り引き現場です」


「っ……!」


 アリアは思わず息を呑んだ。

 ロベルトが無理を押してでも出ていった理由がようやく分かった。


(ガーくんにも効くような薬ですもの……こんな危険なもの、許せるはずがないわ!)


 アリアですら危機感を抱くのだ。ロベルトは言わずもがなだろう。

 戦慄するアリアをじっと見つめ、アスタロトは自身の胸に手を当てる。


「そして、わたくしはその場所も時間も把握しております」


「なんで怪盗がそんなことを知ってるのよ」


「情報は武器ですよ。あればあるだけ動きやすくなります」


 飄々と言ってのけ、アスタロトは恭しく右手を差し伸べる。


「いかがなさいますか、奥様。わたくしがここで働くことを許していただければ……誠心誠意お仕えするついでに、耳寄りな情報を提供いたしますが」


「ほんっと抜け目ない男ね」


 アリアは盛大なため息をこぼすしかない。

 この男の思い通りになるのは癪だが……今は一刻を争うときだ。

 差し伸べられた右手を握る返す代わり、バシッと叩き落としてやる。


「……いいでしょう。許可するわ」


「では、契約成立ということで」


「ええー……やめた方がいいと思うがなあ」


 にこやかに微笑むアスタロトを尻目に、ガーくんが渋い顔をする。


 アリアもそれは十分に分かっていた。こんな犯罪者を招き入れるなんてデメリットしかないだろう。だが……脳裏をよぎるのは、辛そうに部屋を出て行ったロベルトの姿で。


(叔父様やアスタロトのことも気がかりだけど……今優先すべきなのはロベルト様のご体調よ!)


 アリアは腹を括り、ぐっと拳を握って天へと突き上げる。


「その取り引き現場とやらに行って、ロベルト様を影ながらサポートするわよ! それで、早急にご帰宅いただくの! できれば定時で!」


「承知いたしました、奥様」


「まさか、おまえも来るつもりなのか……?」


 慇懃に頭を下げるアスタロトに、ガーくんは白い目を向けた。

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