二十二話 看病のひととき
「げほっ、げほっ!」
「ロベルト様、大丈夫ですか?」
夫婦の寝室に咳き込む声が響き、アリアは読んでいた魔道書をパタンと閉じる。
見ればベッドで眠っていたはずのロベルトがいつの間にか目覚めており、苦しそうに背を丸めていた。
その背をさすりながら、傍らの水差しを魔法で温める。
中身をカップに注ぎ、起き上がったロベルトへそっと差し出した。
「はい、ぬるま湯です。これで喉を潤してください」
「すまない、アリア……」
ロベルトはカップを受け取り、ちびちびと口を付けた。顔は真っ赤だし、目もどんよりとしている。いつもの溌剌とした様子は見る影もなく、すっかり弱り果てていた。
ロベルトは昨日遅くに帰ってきて、そのまま玄関先で倒れてしまったのだ。
医者からはただの風邪だと診断され、こうしてアリアが甲斐甲斐しく看病している。
足元ではガーくんが暇そうに転がっていて、ときおり『よくやるなあ』と呆れたような目線を向けてきた。
ぬるま湯を飲み干して、ロベルトはのそのそとベッドに横たわる。
「……無理に看病しなくてもいいんだぞ、あなたにうつしてしまう」
「そんなヤワじゃないから心配ご無用です。氷嚢の氷も足しましょうね」
ベッド脇に転がっていた氷嚢を拾い上げ、魔法で氷を作ってひょいひょいっと入れていく。
そんなアリアの様子を見て、ロベルトはかすれた声で唸ってみせた。
「ずいぶんと魔法が上達したんだな」
「ロベルト様の力になりたくて頑張りました。えっへん」
「俺には過ぎた奥さんだ……」
「はうっ」
ロベルトが初めて見せた弱々しい微笑みに、アリアはすっかり骨抜きだった。
夫婦の寝室で初めてふたり過ごす時間が看病イベント。
色気も何もあったものではないが……。
(これはこれで悪くないかも!)
不謹慎と分かっていても、アリアは胸の高鳴りを止められなかった。
「それにしても、ロベルト様がお風邪を召すなんて珍しいですね」
「物心着いて以来だな……こんなに苦しいものだとは思わなかった」
「お仕事がよっぽどお忙しいんですか?」
「それもある……が」
ロベルトは小さく吐息をこぼして軽く目をつむる。
「アリア……少し聞きたいことがあるんだ」
「なんでしょうか?」
「叔父上、ハイザン卿のことだ」
「っ……!」
アリアが息を呑むと、ロベルトはそっと目を開いた。
その面持ちはひどく硬く、額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「叔父上に関して……何か気になることはないだろうか。たとえば怪しい人物と付き合いがあったとか、不自然な豪遊をしていたとか」
「いえ……私はあまり本邸におりませんでしたので」
ハイザン家にいたころ、アリアは小さな離れを宛がわれてそこで生活していた。
そのため叔父の動向などほとんど知らない。
しかし気になることはひとつあった。
「叔母様……イゾルデさんがやって来たのが五年ほど前なんです。それから叔父様は『新しい事業を始めた』とか……」
「……そうか」
ロベルトは噛みしめるようにしてうなずいた。
彼が何に対して苦悩しているのか、アリアはよく理解していた。
先日の闇オークションで大捕物があり、そこでアリアの養父、ハイザン卿らしき人影を目撃した。からくも捕り逃してしまったが、彼に後ろ暗いことがあるのは確実だろう。
アリアは素知らぬふりをして、そっと眉をひそめてみせる。
「叔父様に何かあったんですか?」
「すまない。捜査中の事例になるから、あなたにも詳細を教えることはできないんだ」
ロベルトは顔をしかめてかぶりを振った。
「ただ、これ以上の捜査を非常に迷っている。もしハイザン卿の身辺を漁って何かが出てきたら……」
「ロベルト様の立場が危うくなりますね……」
騎士は犯罪を取り締まる。それゆえ、一族郎党に清廉潔白が求められる。
ましてロベルトは第一騎士団長だ。
その親族に犯罪者が出た場合、大きな誹りは免れまい。
犯罪に関与していないことを証明するのも一苦労だ。
胸を痛めてアリアは俯くのだが、対するロベルトはわずかに目を丸くした。
「違う。俺の地位なんてどうでもいいんだ。問題なのは……あなただ、アリア」
「わ、私ですか?」
アリアはきょとんとしてしまう。
ハイザン卿をあの現場で目撃してからずっと、ロベルトのことだけを考えてきた。
だから自分の身に何が起こるかなんて、このとき初めて意識した。
ロベルトは低い声で重々しく続ける。
「万が一にもハイザン卿が有罪となった場合、養女であるあなたも取り調べを受けることになる。最悪……俺と離縁になるだろう」
「っ……!」
アリアは大きく息を呑んだ。
なぜ思い至らなかったのかが不思議なほど、それはしごく当然のことだった。
「確認させてほしいんだが……ハイザン卿に子供はいないんだよな」
「……はい。前の奥さんは、若くして流行病で亡くなったとか」
前妻を早くに亡くし、イゾルデと再婚した。前妻と今の妻との間に子供はいない。
跡継ぎを作るため、親戚筋から養子をもらう話もあるが、いまだに実を結んでいない。
「先代も他界しているし、兄弟もいない。そのイゾルデという女はともかくとして……他に疑われるのはアリアだけか」
ロベルトは険しい顔で黙り込んでしまう。
アリアもまた、胸の前で祈るようにして十指を組んだ。
(ロベルト様と離ればなれになるなんて……そんなの嫌よ!)
やっと出会えた大切な人。半身と呼んだって過言じゃない。
そんなロベルトと一緒にいられなくなる未来が来るなんて、考えるだけでゾッとした。
体から熱が失せていき、指先が氷のように冷えて、呼吸すらままならなくなる。
「すまない……怖がらせるつもりはなかったんだ」
ロベルトはハッとしてから優しい笑みを浮かべてみせる。
そうしてアリアの手をそっと握り、いくぶんか声をひそめて言う。
「実を言うと……ハイザン卿に掛けられている容疑というのはだな、ちょっとした税金の滞納だ。事業の利益を実際より小さく申告している疑惑がある。万が一検挙されたとしても、そう大事になることはないだろう」
「そう、ですか」
アリアはぎこちなく笑い返すだけだった。
それが彼の気遣いであることが、嫌というほどに分かったからだ。
怪盗シャノワール――アスタロトは、館長と手を組んでいる人身売買業者がいるらしいとも言っていた。もしもそれがハイザン卿と繋がりがあるのなら、事態はかなり深刻だ。
(……ひょっとしたら、アスタロトならもっと詳しいことを知っているかも)
アスタロト・レメゲトン。
古の錬金術師を名乗るあの男なら、さらなる情報を持っているかもしれない。
ただし接触できる見込みはなかった。あのあと気付いたときには姿を消してしまっていたし、当然のことながら連絡先も知らないからだ。
(もう会うこともないでしょうしねえ……)
アリアが軽くため息をこぼした、そのときだ。
「ご歓談中のところ失礼いたします」
「……セバスか」
寝室のドアが鳴らされ、セバスがそっと顔を出した。
ロベルトは苦しげに咳き込んだあと、のそのそと上体を起こす。
「何の用だ……? アリアとしばらくふたりにさせてくれ……」
「用件はふたつ。申し訳ございませんが、急ぎのものばかりです」
「……聞こう」
「先ほど面接が終わりました」
「面接?」
アリアがきょとんと首をかしげると、セバスはにっこりと笑う。
「実は使用人の求人に、ようやくいい人材が来てくれましてね。執事見習いとして採用してもいいか、坊ちゃまのご判断を仰ぎたく」
「しかし先ほども言ったが、今のややこしい時期に外部の者を入れるのはな……」
「ええ、それは重々承知しております」
渋るロベルトに、セバスは真面目な顔でうなずく。
「しかし彼ならば問題ないでしょう。身元も確かですし、何より優秀です。今確保しておく他ないかと」
「……おまえがそこまで言うとは珍しいな。よほどの人材なのか」
「ええ、気品とスキルを兼ね備えた逸材です。魔法にも造詣が深いようで、アリア様の話し相手にもぴったりかと」
「わ、私なら大丈夫ですよ。そういうのは間に合っておりますから」
アリアはソワソワしつつもなんとかそう答える。
使用人が増えるとボロが出る可能性が高まる。まして魔法に詳しいなんて最悪だ。
しかしそれ以上に、さっきの話が気がかりだった。
(そんな場合じゃないっていうのに……! 叔父様の件、私はどうすればいいのかしら)
あれこれ思案を巡らせているうちに、喉がカラカラに渇いていた。
残ったぬるま湯をそっと口に含む。
その間にも、セバスは新しい使用人候補の有能さを説いていた。
おかげで最初は渋っていたロベルトも少しだけ興味が湧いたらしい。
「それなら一度会ってみよう。呼んでくれるか」
「もちろんです。どうぞ、お入りください」
そう言ってセバスが廊下に呼びかけた、三秒後。
見知った顔が、執事服に身を包んでアリアの前に現れた。
「どうも初めまして、旦那様に奥様。アスタロト・レメゲトンと申します」
「ぶっふーーーーーーー!?」
アリアは力いっぱいに飲んでいたぬるま湯を噴き出した。
キラキラと飛沫が舞って虹が浮かび、足下のガーくんもひっくり返る。
おかげでロベルトはきょとんとするのだ。
「どうした、アリア。何かあったのか」
「い、いえ……昔の錬金術師と同じ名前だったのでビックリしてしまって……おほほ」
「ああ、そういえば博物館で見た気がするな」
ロベルトは無事に納得してくれた。
(なんでアスタロトがここにいるのよ!? っていうかまさか、私の正体がバレてるの……!?)




