十九話 夜の逢瀬
窓に伸ばしかけた手を止め、アリアは声のした方をそっと見やる。
そこに立っていたのは鎧に身を包んだ人物だった。兜を被っているものの、その下からはありありとした敵意が放たれる。
その人物は剣を構えたまま、ゆっくりとこちらへ近付いてくる。
「貴様が怪盗シャノワールだな。大人しくしろ」
「むう。厄介なことになったぞ、どうす――」
「《パラライズ》!」
ガーくんの小さなぼやきを皆まで聞くことなく。
アリアは間髪入れずに雷撃魔法を唱え、鎧の人物へとぶちかました。
槍のような稲妻が夜闇を切り裂いて、まっすぐ敵へと襲いかかる。
「……ほう?」
バヂィッ!
間一髪、鎧の人物は半歩退いてそれを回避する。
人間相手なので威力をかなり絞ったが、屋根が焼け焦げてひどい臭いが立ちこめる。
おかげであたりには緊迫の糸が張り巡らされ、ガーくんがキャンキャンと声を荒らげた。
「血迷ったか、主! 騎士団とやり合っては面倒なことになるぞ!」
「違う」
アリアはゆっくりとかぶりを振るった。
目の前の人物をしかと睨んだまま、低い声で言う。
「騎士の気配ではない。おまえは誰だ」
「……なるほど。これは恐れ入りましたね」
鎧の人物は冑を脱ぎ捨てて外套を翻す。
果たしてその刹那の後、そこには騎士とは似ても似つかない人物が立っていた。
短く切りそろえた紺藍の髪に、ぼんやりした月明かりの下でも分かるほど端整な顔立ち。
年頃はアリアより少し上。線の細い体にまとうのは、今から夜会にでも繰り出せそうなほど洗練された黒のタキシードとマントだ。
一見すると眉目秀麗な美青年。
だがしかし、浮かべる笑みはぞっとするほどに冷たかった。
彼は抜き身のナイフを思わせる鋭利な殺気を放ちながら、細い指先でアリアの肩――ガーくんを指し示す。
「あなたこそいったい何者でしょうか。可愛いドラゴンさんをお連れのようですが」
「っ……!」
アリアは小さく息を呑んだ。
ガーくんには強力な認識阻害魔法をかけてある。
普通の人間には白い仔猫にしか見えないはずなのだ。
それをこの人物はひと目で見破ったことになる。
(……主よ、こやつ相当なやり手だぞ)
(見れば分かるわよ)
ガーくんが囁くようにしてよこした忠告に、アリアは小さくうなずいてみせた。
相手は莫大な魔力を放っていた。しかもそれは様々な魔力が幾重にも折り重なったものだ。
(自前の魔力にしては妙だし……魔導具ね)
多くの魔導具を身に付けているせいで、それらの魔力が混ざり合っているのだろう。
そして、件の怪盗は魔導具を専門に盗みを働くという。
アリアは相手を見据えたまま問いかける。
「おまえが怪盗シャノワールだな?」
「そうだと言ったら?」
彼――怪盗シャノワールは優雅に会釈し、眼光を強める。
「そろそろわたくしの質問に答えていただきましょうか。騎士団でもなさそうですし……いったいどこのどなたですか?」
「ただの通りすがりだ。昼間に見たとき、そこの窓が気になったものでな」
「ほう。いい目をお持ちのようで」
怪盗シャノワールはわずかに眉をはね上げた。
新しいおもちゃを見つけた子供のような表情のまま、あごに手を当ててぼそっとこぼす。
「本当にただの通りすがりか、それとも奴の客か……」
「奴?」
「いいえ、確認の時間も惜しいですしね」
怪盗シャノワールは右手を軽く振る。
そのたった一瞬で、手のひらには古びた懐中時計が生まれていた。いつぞや夜会の余興で見た、奇術師を思わせる鮮やかな手際だ。
「どうぞごゆるりと……お休みなさいませ」
「っ……!?」
怪盗シャノワールが懐中時計を翳した瞬間、強烈な閃光が視界の全てを塗り潰した。
思わず目を瞑ってしまったが、すぐにまぶたを開いてハッとする。
夜空の下の博物館にいたはずなのに、いつの間にか真昼の草原に立っていたのだ。
ガーくんの姿も見えない。風は穏やかで、真上に昇った太陽が心地よい日差しを投げかける。
だがしかし、その感覚はどこか作り物めいていた。
「これは……《ミラージュ》ね」
幻覚を見せる魔法だ。
短時間しか効果がないが、相手の五感を支配するため抜け出すのは容易ではない。
ためしに足下の花を摘んでみる。花の手触りも、甘い香りも感じられる。だがしかし、博物館の屋上に花が咲いているはずはない。これらはすべて幻だ。
アリアは腕を組んでうーんと唸る。
「魔導具が便利なのはこういうところなのよね。詠唱や印の必要もなくて、魔力を流し込むだけで即時の魔法発動が可能なんだもの。そりゃ欲しがる人は多いわよ」
アリアも仮面に認識阻害魔法の魔法式を定着させているのだが、魔力を流し込んでいる間は自動で効果が続くのでたいへん楽だ。呪文をカットできるし、持続時間を考えなくて済む。
今の奇襲も、魔導具の利便性あってのものだ。
「ただ……」
アリアはすっと目を閉じる。
偽りの視覚という邪魔な情報がシャットアウトされ、自分を取りまく術式の仕組みや魔力の流れが手に取るように読み取れた。
(教本からかけ離れた、自己流にもほどがある癖の強い魔法式ね。でも洗練されていて無駄がない。これを作った錬金術師は天才だわ)
解析完了。
次にやることはひとつだけだ。
アリアは素早く魔法を組み立てる。呪言と印を即興で組み合わせ、無駄のない魔力をそこに流し込む。そうしたのちに右手を伸ばし、高らかに唱える。
「《アンチ・ミラージュ》」
「なっ!?」
パキィッ!
驚愕の声と何かが砕ける小さな音。
その直後、冷たい夜風がアリアの頬を撫でた。
幻覚が解けたのだ。
まぶたを開けば怪盗シャノワールがすぐ目の前にいて、件の窓に手を掛けたところだった。
完全に油断しきった彼に当て身を食らわして、馬乗りになって動きを封じる。
もっと抵抗されるかと思ったが、怪盗シャノワールは目を丸くして困惑するばかりだった。
「……あなた、いったい何をしたんですか」
「なにって、幻覚魔法を解析して、即興で打ち消しただけだが」
「何重にもプロテクトをかけてあるので、解析不可能のはずなんですが……こちらの品、かの魔法隊にすら通用したのですよ?」
「そうなのか? 特に妨害など感じなかったがな」
「ははは。なるほど、ただの規格外のお方でしたか」
怪盗シャノワールはおどけた様子でからりと笑う。
追い詰められているというのに、余裕の態度を崩さない。
アリアは眉をひそめて問う。
「おまえ、どうして本気を出さない。本気を出せば、私を殺せるはずだろう」
「おや、どうしてそう思われるので?」
「おまえはまだ魔導具を隠し持っている。中には殺傷能力の高い品もあるはずだ。たとえば……左胸のナイフとか」
「……やはりよい目をお持ちだ」
怪盗シャノワールが右手を軽く振ると、大ぶりのナイフが出現する。
むき出しの刃は赤黒い錆で覆われているが、禍々しいオーラをまとっていた。強力な呪詛が付与された魔剣だとひと目で分かる。
「むにゃむにゃ、もう食べられな……はっ、貴様! 主に何をするつもりだ!」
幻覚から覚めたガーくんが気色ばんで突っ込んで来そうになるが、それより早く怪盗シャノワールはナイフをぽいっと投げ捨てた。
カランと澄んだ音が夜空に響く。
目を丸くするアリアとガーくんに、怪盗シャノワールはあっけらかんと言う。
「あなたにこれを向けたら、本気で使わざるを得なくなる。だから出しませんでした」
「……本当におまえ、殺しはしないんだな」
新聞には怪盗シャノワールが大々的に取り上げられていた。
そんな中でも目を引いたのは、彼は不殺を信条としているらしい、ということだった。
立ちはだかる障害を、命を奪うことなく無血で無力化して、易々と獲物を盗む。
その鮮やかな手口に、多くの民衆が魅せられているらしい。
怪盗シャノワールはやけに真面目ぶった様子でうなずく。
「当然です。殺してもいいのなら盗みなど簡単そのもの。無血で獲物を奪うからこそ美しいのです」
「その理屈はよく分からないが……ただのクズではないようだな」
かぶりを振って、アリアは彼の上からそっと退いた。
「今宵のところは見逃してやる。これに懲りたら、虹色の首飾りは諦めることだな」
「主よ、敵に情けをかけるつもりか。甘いにもほどがあるぞ」
「それはお互い様だろうな」
ガーくんのツッコミに、アリアは肩をすくめてみせる。
怪盗シャノワールが本気を出していたら、アリアも無事では済まなかった。そしてそうなればこちらももっと本気で迎撃を行っていたので……被害は甚大なものになっただろう。
それがアリアにはもちろん、怪盗シャノワールにも分かるはず。
しかし彼はやけに優雅に立ち上がったかと思えば、軽やかにお辞儀する。
「せっかくのご提案ですが、お断りいたします。このまま帰るわけにはまいりませんので」
「強情だな……そんなにあの首飾りがほしいのか?」
アリアは窓からホールを覗き込む。
依然として騎士たちが詰めているが、高さがあるせいかこちらの騒ぎに気付く様子はない。
首飾りもガラスケースの中にきちんと収まっている。
しかし怪盗シャノワールはそれを見やり、わずかに眉をひそめてみせた。
「あんな出来の悪い偽物、こちらから願い下げでございます」
「……はい?」
思わずアリアは素で聞き返してしまう。
怪盗シャノワールは平然と首を捻るばかりだ。
「おや、あなたならひと目見てお分かりだったのでは?」
「い、いや……確かに、アスタロトの作品にしては質が悪いと思っていたが……」
「ほう? それはまた嬉しいお言葉ですね」
「……何がだ?」
急に相好を崩した怪盗シャノワールに、アリアは怪訝な目を向ける。ついでに人差し指を突きつけて弾劾開始だ。
「あれが偽物なら、本物はすでにおまえが盗んだんだな? ならばもう容赦はしないぞ。このままボコして騎士団に突き出してやる」
「いいえ。そもそも此度の予告状、わたくしの仕業ではございません」
「下手な言い訳だな。それを証明できるのか?」
「ええ。おそらくは」
そう言って怪盗シャノワールは跪いた。
まるで踊りに誘うかのようにして右手を差し伸べ、穏やかに微笑む。
「仮面のお嬢さん、わたくしはあなたが気に入りました。騎士団に突き出す前に、少しだけお付き合いいただいてもよろしいですか?」
「あいにくだが、名乗りもしないような男と連れ合う趣味はない」
アリアはその手をにべもなく払い落とした。
しかし怪盗シャノワールはますます笑みを深めてみせる。
「おっと、わたくしとしたことが。これはたいへん失礼いたしました」
そうして彼は跪いたまま、恭しく口にする。
アリアが書物で何度も見た、その名前を。
「わたくしの名はアスタロト・レメゲトン。しがない錬金術師にございます」




