十八話 怪盗黒猫
その日の夜。
アリアは早めの夕食をとり、日没頃に就寝した。
博物館に出かけた疲れが出たので早めに休みたかったからだ。
……とはいえ、それは建前だ。
今、アリアは満月が見下ろす博物館の屋根に立っていた。
あの衣装と仮面を身に付けて。
「怪盗シャノワール、ねえ……」
屋敷から持ってきた新聞を広げ、アリアはしみじみとつぶやく。
視界の下にはいくつもの建物が建ち並び、夜をはね除けるようにしてまばゆい明かりが瞬いている。まるで地上にも星空が広がっているような光景だ。天地がどちらか分からなくなり、空に向かって落ちていくような不思議な感覚を覚える。
「怪盗とはなんだ、主よ」
アリアのつぶやきに、肩にとまったガーくんが首を捻った。
屋敷で待っているように言ったのに、暇だからと付いてきたのだ。今日はずっとセバスに文字通り猫かわいがりされたらしく、その鬱憤を晴らししたいらしい。
「簡単に言うと泥棒さんのことよ」
怪盗シャノワール。
それは古い魔導具――しかも特定の制作者の品専門に盗みを働く犯罪者の名前らしい。
普通の泥棒と決定的に違う点は、盗みに入る前にその持ち主に『何日何時にあなたの持っているお宝を頂戴しに参ります』と予告状を出すこと。
そう説明するとガーくんは非常に渋い顔をする。
「そいつは阿呆なのか? わざわざ盗みに入ると教えては、仕事がやりづらくなるだけではないか」
「でも、これまで犯行に失敗したことはないそうよ」
怪盗シャノワールは狙った獲物を絶対に逃さない。
どんなに守りを固めた場所だろうと易々と侵入し、幾人もの守兵を翻弄して宝を奪う。
しかも一度盗みに入られたが最後、宝の持ち主は没落の一途を辿るという。
そのため不幸の象徴の名を借りて、誰が呼んだか怪盗黒猫。
当人もそれを気に入って自称しているらしい。
新聞には怪盗シャノワールのこれまでの犯行が仔細に記されていた。
昨年まではとある西の国で主に活動していたのが、最近になってこの国にも手を伸ばしてきたらしい。すでに二件、盗みを成功させている。
その活動が始まったのが、ちょうどアリアに結婚話が舞い込んだころだった。あのころはてんやわんやで新聞をろくに見る暇もなかったため、知らなくて当然だ。
「ふうむ、なるほど。よほどの実力者というわけか」
ガーくんは喉を鳴らして唸ったかと思えば、肩からふんわりと飛び上がる。
そうしてアリアの顔を至近距離から覗き込んでニヤリと笑った。
「主はそのコソ泥を取っ捕まえるつもりなのだな。ならばよかろう、暇潰しに力を貸してやろうではないか」
「違うわよ。ただちょっと様子を見に来ただけだってば」
アリアはガーくんを軽く押しのけ、慎重な足取りで目当ての窓に近付いた。
膝を突いて手を翳し、詳細に魔力を読み取る。
そうして出した結論は、目視したときと変わらなかった。
「やっぱりここだけ《ロック》の魔法がかかっていないわね」
「ほう? 何故分かったのだ」
「だって魔力が全然違うじゃないの」
隣の窓にはちゃんと《ロック》の魔法がかけられている。
魔力は安定し、岩のように堅固なもの。
しかしこちらの窓は風にそよぐ蝋燭の火のように、わずかな揺らぎが確認できた。
窓の下を覗き込めば、昼間に見た大ホールが見渡せる。
中央のガラスケースの中には、大粒の宝石が埋め込まれたネックレスが飾られていた。
あれが虹色の首飾りだろう。
怪盗シャノワールが今回盗むと予告した品だ。
(あら……? 思ったよりもちっぽけな輝きなのね。魔力もそれなりだし)
作成者とされるアスタロト・レメゲトンは名高い錬金術師だ。
今から二百年ほど前に活躍し、現代の魔導具技術の基礎を築き上げたとまで言われている。
そんな偉大な人物が作ったものにしては、少し拍子抜けの有様だ。
(……製作当時はスランプだったりしたのかしら?)
ともかくホールには多くの騎士が詰めていて、賊への警戒を強めている。
だがしかし、ロベルトの姿は見えなかった。今は別の場所にいるらしい。
それにホッとするアリアの隣で、ガーくんはわずかに目を丸くしてみせた。
「主にはこの魔力の違いが分かるのか。非常に優れた目を持っているようだな」
「そうなの?」
「普通の人間はそこまで仔細に魔力を目視することはできぬはずだ。血の滲むような鍛練を積むか、特殊な道具か魔法でも用いぬ限りはな」
「そんなわけないでしょ。だって、魔法を勉強する前から見えていたもの」
「ならば、生まれ持っての才というわけだな。だから魔法を覚えるのも早かったのだろう」
「そうなのかしら……」
アリアは自分の手をそっと見下ろす。
なんの才能にも恵まれず、日影で生きるだけだったアリアベル。
それが急に『あなたには魔法の才能があります』なんて言われても戸惑うしかない。
(あっ、でもロベルト様も『赤毛の人間は魔法に秀でる』って言ってたし……ううん、でも私なんか普通の奥さんだしなあ……)
そんなアリアの心中を見抜いてか、ガーくんが肩にそっととまる。
「たった一ヶ月の鍛錬で我と渡り合ったのだろう、そんな傑物にはあとにも先にも覚えがない。主は特殊だ。三百年という長きを生きた我が保証しようぞ」
そう言って彼はふんぞり返る。
サイズこそ小さいが、そうするとなかなかどうして様になっていた。
しかしアリアは眉を寄せ、こてんと首をかしげるのだ。
「寝惚けて縄張りの洞窟をカチンコチンに凍り付かせて、お家をなくしちゃったドラゴンさんに保証されても、説得力がないわよね……?」
「ぐぬう……!」
ガーくんは言葉に詰まって思いっきり顔をしかめた。
爬虫類然とした顔のくせに意外と表情が豊かである。
ともかく彼はそういう顛末で家をなくした末、あの山に居着いたらしい。
何が『穏やかに生きたい……それだけだったのに……』だ。
完全なる自業自得である。
その顛末を聞き出したとき、アリアは彼に肩入れしたことを少しだけ後悔した。
「ううう……そこまで言わずともよいではないか……三百年生きれば、誰しも一度や二度やらかすこともあるのだぞ……いじいじ」
しかしガーくんが思ったよりもしょげてしまったので、アリアは慌ててしまう。
「ああっ、ごめんなさいね!? 傷付けるつもりはなかったの! ただちょっと純粋に疑問に思っただけで……」
「ふん、我はひどく傷心した。この傷はそう易々とは癒やせぬぞ」
「分かった。分かったわよ。明日の朝ごはんをとびっきり豪勢にしてもらえるよう、セバスさんに頼んでみるから」
「朝食だけでこのガオルザークを懐柔しようなど――」
「だったら大奮発! 私のおやつを分けてあげるわ!」
「……ふむ?」
そこでようやくガーくんの表情が和らいだ。
だらんと落ちていた首を持ち上げて「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「ならば許してやらんこともない。この調子で我の主として励むといいぞ」
「あはは、ありがとね……?」
アリアが頭を撫でると、満更でもなさそうにぐるぐると鳴く。
すっかり猫が板に付いていた。
(生意気なところもあるけど、なんだかんだで可愛いのよねえ)
飼い主の欲目というやつだろうか。
目を細めるアリアの顔を覗き込み、ガーくんは例の窓を指し示す。
「それよりどうするのだ、その窓」
「せっかくだし《ロック》の魔法を上書きしちゃうわ。それから帰りましょ」
「騎士団の連中に教えなくてもいいのか?」
「もちろん伝えるつもりだけど……」
どこからどう見ても、賊はここを侵入経路とするつもりなのだろう。
となればこの場に現れる可能性が非常に高い。
騎士団にとっては有益な情報になるはずだ。
だがしかし、アリアはとても気が重かった。盛大なため息をこぼすくらいには。
「この前の騒ぎを起こしたばっかりだし、職質待ったなしなのよねえ……」
「まあ、どこからどう見ても先日と同じ衣装だものな。せめて出で立ちを変えたらどうだ」
「次からはそうしないとね……いや、次なんかないけど……」
今回は時間がなかったので、前回の衣装を使ったのだ。
次また騎士団と接触することがあれば、変装を考えなければならない。そんな機会が訪れないことを祈るばかりだが。
そんな憂慮を抱えていると――。
リーン……ゴーン……。
遠くから鐘の音が聞こえてくる。王城の時計台が時刻を報せているのだ。それにアリアはハッとして顔を上げた。
「いけない、あと一時間で予告の時間だわ。急いで魔法を――」
「動くな!」
澄んだ夜の空気を切り裂くような、鋭い声が響く。




