十七話 小さな懸念
声の方を見れば、恰幅のいい中年男性が尻餅をついているところだった。服装も杖も上等なもので、立場の高さが窺える。男はギンッと目をつり上げて目の前を睨み付けた。
「どこを見て歩いておるんだ! 服が汚れたではないか、どうしてくれる!」
「ご、ごめんなさい。わざとじゃないんです」
そんな彼にぺこぺこと頭を下げるのは青髪の少年だ。
どうやらぶつかってしまったらしい。
男はよろよろと立ち上がり、少年の鼻先に杖を突きつける。
「クリーニング代を請求させてもらおう。親はどこだ」
「そ、その、今日は僕ひとりで来ていて……」
「はあ!? ここは子供がひとりで来るようなところではない! 博物館という神聖な場所をなんと心得るか!」
縮こまる少年に向かって、男は唾を飛ばして怒鳴り立てた。
周囲の人々も眉を寄せ、困ったようにハラハラと見守るばかり。
その様子をしばし眺めた後、ロベルトはちらっとアリアに目線をやった。
「……行ってきてもいいだろうか」
「もちろんです」
アリアは力強くうなずいた。
こうしてロベルトが彼らに割って入ることとなった。
「その辺にしておくことだな」
「なんだ貴様、誰に向かって……騎士団長殿!?」
不愉快そうに振り返った男だが、ロベルトを見るなりギョッと目を見張る。
そのまま嘘のような低姿勢へと早変わりした。揉み手をしながら男はロベルトに頭を下げる。
「これはこれはシュトザイン騎士団長殿。本日は夕刻よりお越しのはずでは……?」
「今はオフだ。こちらの妻と回らせてもらっている」
「は……妻?」
男は怪訝な顔でアリアを凝視する。
その目は『こんなちんちくりんが……?』という疑念で溢れていた。
おかげでロベルトはあからさまにムッとするのだが、彼が何事かを言う前にアリアは優雅にお辞儀する。
「どうも初めまして。妻のアリアベルと申します。どうぞお見知りおきを」
「ああいや! こちらこそ初めまして。ここの館長を勤めております」
館長はぺこぺこと平身低頭する。放っておかれた少年はぽかんとしたままだ。
どうも、相手の地位で出方を変えるタイプの人間らしい。まま、よくいる手合いだ。
(こんなのがここの館長さん……? 高尚な場所に似つかわしくない俗物ねえ)
アリアは呆れつつも、ロベルトにウィンクする。
無礼を気にしていませんよ、という合図だった。
彼は申し訳なさそうに肩をすくめ、険しい顔で館長へと向き直った。
「来館者と揉め事を起こすとは感心しないな、館長殿。まして相手は子供だ。穏便に収めてみてはどうだろうか」
「し、しかし服が……」
「《クリア》」
アリアがぱちんと指を鳴らすと、男の服に付いた埃が綺麗さっぱりと消え去った。
おまけにアイロンをかけたようにしわひとつなくなる。
目を瞬かせる男に、アリアはにっこりと笑う。
「浄化魔法で綺麗にして差し上げました。これで怒りをお収めくださいな」
「ほ、ほほ……これは出来た奥様ですな」
男は顔を強張らせて愛想笑いを浮かべ、少年を振り返る。
「いいか、これに懲りたらもう二度と……って、いない!?」
いつの間にか少年の姿がかき消えていた。隙を突いて逃げたらしい。
おかげで男は頭から湯気を立ててぶつくさ言う。
「まったく、最近のガキはなっとらん! ともかく騎士団長殿、今宵は頼みましたぞ! 私は大事な用がありますので!」
「心得ているとも」
「ふん。ええい、邪魔だ邪魔だ! 私を誰だと思っている! どけ!」
こうして男は鼻息荒く、人混みを押しのけて去って行った。
それを冷たい目で見送って、ロベルトは鬱憤まみれのため息をこぼす。
「すまないな。手を貸してくれて助かった」
「いえいえ、いいんです。それより何かあったんですか?」
アリアにとっては男よりもそちらの方が気がかりだった。
博物館のエントランス付近から、鎧をまとった者たちがぽつぽつと立っていた。警備の兵士だと思っていたのだが……改めてあたりを見回して、それが間違いだったと知る。
「あちこちに立っている鎧の方々って騎士様ですよね。ロベルト様の部下の方もいらっしゃいますし、何かあったんですか?」
「その……すまない、アリア。実はこれも仕事の一環なんだ」
ロベルトはしゅんっと頭を下げてみせる。叱られた子供のような姿だ。
そのままぽつぽつと打ち明けることには――。
「今夜、ここの警備を第一騎士団が受け持つことになってな。万全を期すため、一般客の視点から配置などを見直そうと考えたとき、あなたの顔が浮かんで……騙すつもりはなかったんだが、気を悪くしたのならすまない」
「お顔を上げてください。謝る必要なんてありませんよ」
そんな彼の手を握り、アリアはにっこりと言う。
「お仕事のときでも私を思ってくださるなんて光栄です。私でよければお付き合いしますよ」
「アリア……仕事の間と言わず、俺は四六時中あなたのことだけを考えているよ」
「ロベルト様……私もです」
アリアとロベルトは手をつないだまま見つめ合った。
しかし、すぐにハッとすることになる。他の来館者たちの注目を集めてしまっていたからだ。みなヒソヒソと「あれが噂の奥様ね!」だの「お優しくて有能だなんて、なんてできた奥様なんでしょう」だの「お似合いのご夫婦ねえ」と褒めそやす。
おかげでアリアたちはどちらともなくさっと手を離し、少しよそよそしく話を続けることになる。
「それにしても人が多いですね。みなさん何を見に来ているんでしょう」
「おそらく目当てはあれだ」
ロベルトが順路の先を指し示す。
聖女の絵が飾られた隣の部屋は円形の広いホールになっていて、天井部分が尖塔となっている。塔には明かり取りの窓がいくつも付いており、ホール中央にある大きなガラスケースを照らしていた。
人々はケースを覗き込んで、感嘆のため息をこぼしたり拝んだりしている。
アリアの場所からでは人の頭が邪魔をして何も見えなかった。低身長が憎い。
かわりにロベルトが解説を加えてくれた。
「さっき炎の剣を見ただろう。あれと同じ錬金術師が作ったペンダントが収められているんだ」
「アスタロト・レメゲトンの……虹の首飾りですかね?」
「さすがあなたは詳しいな」
「書物で読んだことがあります。七色に輝く宝石が、持ち主に幸運を授けるとか! うう、私もひと目見てみたいですけど、この人混みじゃあ無理ですよね……」
「む、そうか。では俺が肩車すれば――」
「謹んでお断りいたします!」
真顔のロベルトが抱き上げようと手を伸ばしてきたので、アリアは慌てて身を引いた。
こんなところで肩車なんてされたらいい見世物だ。ふたりきりのときなら文句はないけれど。
じりじりと後退すると人混みから出てホール全体が見渡せた。
ここにも十人ほどの騎士が立っていて、入館者らに目を光らせている。天井の窓もすべて《ロック》の魔法がかかっているし、見るからに厳重で――。
「……あら?」
アリアはそこではたと気付くことがあった。
天井にいくつも並ぶ窓には《ロック》の魔法がかかっている。この魔法をかけた窓やドアは、特殊な合い言葉やアイテムがないと開けられなくなる。防犯に役立つ魔法だ。
しかし天井の窓のひとつにだけ、魔法がかかっていなかった。
上手く魔力を偽装して《ロック》が掛けられているように見せかけているものの、他の窓と比べると違和感があからさまだった
(ええ……騎士様たちは気付いていないのかしら)
アリアはちらちらと騎士たちを見やる。
彼らは窓に一切の注意を払っていなかった。少し怪しい人物に「すみませんが、その鞄の中を拝見させていただけませんか?」と職務質問する程度だ。
(ロベルト様に言う……? で、でも、そんなことをしたら実力がバレちゃうかもしれないし……)
そうなれば、先日の騒ぎの犯人だと勘付かれる可能性がある。
離縁の文字がまたも脳裏をよぎる。
アリアは少し逡巡したあと、勇気を振り絞った。
「あの、ロベルト様。あの窓なんですけど」
「窓がどうかしたのか?」
ロベルトがひょいっと窓を見上げた、そのときだ。
「あっ、隊長いた! 今すぐ来てください! 匿名で重要な情報が入りました!」
「なに!? すまないアリア! 至急迎えを寄越させるからそこで待っていてくれ!」
「あっ、ちょっとぉ!?」
呼び止める間もなく、ロベルトはオスカーを伴って去って行った。
アリアはぽかんとそれを見送るしかない。
周囲の人々も遠ざかる騎士たちを見てひそひそと話し合う。
「やっぱり騎士団が来てるんだな」
「そりゃそうだろ」
興奮気味の誰かは唄うようにして、その名を口にした。
「なんたってあの怪盗シャノワールから、予告状が届いたんだからな!」




