十六話 黄昏の魔女
突然奇声を発してのけぞった妻に、ロベルトがオロオロとする。
「大丈夫か、アリア!? 急にどうした!」
「い、いえ、平気です。虫さんが飛んできて驚いてしまって……おほほ」
アリアは懸命に作り笑いを浮かべ、そっと探りを入れる。
「その、仮面の方……がどうされたんですか?」
「それが事件に首を突っ込んだあげく、問題を起こしたドラゴンをつれて逃げたんだ。事後処理だのなんだのを放棄してな」
ロベルトは頭をかきながら低い声で言う。
「そのあとは狩った魔物を騎士団本部に何匹も送りつけてきた。ドラゴンの被害弁済に充ててくれという手紙付きでな。冒険者ギルドから討伐依頼のあった魔物ばかりだったから、報奨金がたんまり出たんだが……」
「弁済に足りないんですか?」
「いや、多すぎたんだ。余剰金を返却しなければならないのに、連絡が付かずに困っている。冒険者ギルドも魔道連盟も心当たりがないと言うし……一体どこの誰なんだか」
「あ、あはは……世の中変な人がいたものデスネエ……」
アリアは半分片言になりながらも、なんとか相槌を打つことに成功した。
表情筋を酷使しすぎて口元が攣りそうだ。
嫌な汗をだらだらと流しながら、心の中でそっと懺悔する。
(ごめんなさい、ロベルト様……その変な人は私なんです……)
ロベルトの職場をこっそり覗きに行ったのが半月ほど前のことになる。
そこでアリアは旦那様のピンチを見過ごせず、覚えたばかりの魔法で首を突っ込んでしまった。連れて逃げたドラゴンは、今ごろ屋敷でセバスに猫かわいがりされているはずだ。
(それにしても、魔物さんの報奨金が多すぎたなんて予想外だったわ。小さくて弱っちい魔物さんばかりだったから、もっと安いかと思っていたのに)
弁済金を稼ぐため、アリアは複製体を離れに残して野外に繰り出し、魔物を狩った。
キマイラにエンペラースライム、コカトリスにバジリスク……等々。
どれもこれもみんなガーくんよりも格下だった。
だから気持ち多めにぶっ飛ばして、騎士団の前に山のように積み上げてみた。
一緒に来たガーくんは終始呆れ顔だった。
『主よ、その力を正しく使えば天下を取れるのではないか?』
『なにを言ってるの、私はただの騎士団長の奥さんよ。そんな器じゃないってば』
アリアはそう言って笑い飛ばしたものだ。
閑話休題。
(とりあえず余ったお金はどこかに寄付してもらうとして……これ以上ロベルト様のお手を煩わせないようにしないと! もう首を突っ込んだりしないんだから!)
ガーくんはああ言っていたが、アリアは天下なんて狙わない。
愛しのロベルトの隣にいられれば、それだけでいいのだ。
そのため、あの仮面を被ることは二度とないだろう。今もまだ離れの戸棚の奥深くに衣装一式と一緒に隠しているが、早い内に処分してしまおう。
そんな誓いを立てるアリアの横で、ロベルトが眉間のしわをふっと緩める。
「しかしあの仮面……やはりあいつもあの人のファンなんだろうか」
「へ?」
アリアはきょとんとしてしまう。
「それってどういうことですか?」
「あなたは知らないのか。昔……ああ、そうだ」
ロベルトはそこで言葉を切って、順路の先を指し示す。
「もう少し行った場所にあったはずだ。そこまで進もう」
「はあ……」
アリアは首を捻りつつもロベルトの後を追った。
順路の先は大いに賑わっていた。どうやら博物館が目玉とする展示が、ここにいくつも集中しているらしい。人混みでごった返す通路を、ロベルトに手を引かれるままに進んでいく。
そうして少し歩いた先に、その絵があった。
「ご覧。これが黄昏の魔女だ」
「こ、これは……」
金の額縁に納められているのは、仮面を付けた女性の絵だ。
真っ赤なドレスを身にまとい、自信とプライドに溢れた強い目で凜として前方を睨んでいる。
そしてその髪と目はアリアと同じ、燃え上がるような赤色だった。
(変装した私にそっくりじゃないの!)
ぽかんと口を開けたまま絵に見入るアリアに、ロベルトは続ける。
「二十年ほど前のことになる。当時、国のあちこちで魔物が凶暴化する事件があった」
普段ならば縄張りから決して出てこないはずの魔物たちが、どういうわけだか街まで積極的に繰り出して、人を襲うようになった。
しかもその魔物たちは通常個体よりも強く、騎士や熟練の冒険者たちが束になってかかってようやく討伐できるほどだった。
その混乱に乗じて様々な犯罪が起き、国家は混迷を極めた。
騎士団だけでは手が回らなくなり、大きな被害が出はじめた、そんなある日。
「黄昏の魔女が現れた。どこの誰かも、名前すらも分からない。だが、これだけは言える。彼女は凄まじい力を持っていた」
仮面を付けたその女性は凶悪な魔物たちを狩りに狩った。
そのついでとばかりに悪を討ち、弱き人々を助けに助けた。
やがて彼女はこう呼ばれるようになる。
黄昏の魔女、と。
「ひょっとして、前におっしゃっていた『とんでもなく強い魔女』って……」
「ああ、彼女のことだ。あなたと同じ赤髪だろう?」
ロベルトはいたずらっぽく笑って、アリアの髪をふんわりと撫でる。
その優しい手つきにぽっと頬が染まるが、頭の中は絵の女性のことでいっぱいだった。
(偶然、私がその伝説をなぞらえてしまったのね。でも、あの仮面って……)
女性が身に付けているのは、目元だけを覆い隠す赤い仮面だ。
アリアはそれに見覚えがあった。
「あのー……離れの二階で、あれと同じ仮面を見たんですけど」
「レプリカだろう。当時、仮面の聖女は義賊的な人気を博してな。一般市民の間で、あの仮面が大流行したんだ。子供たちはみんなあれを付けてごっこ遊びをしていたらしい」
「なかなかシュールな光景ですね……」
ともあれ、子供たちにとっては身近なヒーローだったのだろう。
現に、人々は優しい目で絵を見つめていた。なかには興奮気味に「俺は何度か遠目に見たことがあるんだぞ」と自慢する者もいて、相当な人気が窺えた。
ロベルトもそれを聞き、アリアにこっそりと耳打ちする。
「父上はその当時、騎士団長を務めていた。おかげで何度も彼女と出くわしたんだ。実を言うと、俺も一度だけ会ったことがある」
「えっ、そうだったんですか」
「ああ」
ロベルトはそこでそっと絵を仰ぎ見る。
館内は光量が絞られていて薄暗い。それでも彼はどこかまぶしげに目を細めてみせた。
「あの人は、俺の命の恩人なんだ」
吐息と一緒にこぼれたような、そんな小さな声。
それがアリアの心をかき乱した。彼が愛を囁く声と少しだけ似ていたからだ。
(もしかして、ロベルト様の初恋の人なんじゃ……)
なんの根拠もないが、当たっている気がした。妻の勘である。
アリアはほんのわずかな逡巡の後、そっとロベルトに尋ねようとする。
「ロベルト様。ひょっとして――」
「あいたっ!」
そこで大声が響き、アリアの問いかけをかき消した。




