十四話 夫婦の初デート
馬車の窓からそっと外を覗き、アリアはほうっと吐息をこぼした。
「なんて素敵な建物なの!」
大通りに面してそびえるのは、見上げんばかりに巨大な建造物だった。
建物全体が乳白色の石材で造られており、真正面に大きな薔薇窓が飾られ、太く荘厳な柱がいくつも建ち並ぶ。周囲には衛兵が何人も控えているし、重要な施設であることがひと目で分かった。
膝に乗せていたガーくんもまた背伸びして窓を覗く。
「我より巨大とは生意気な。踏んづけてぺちゃんこにしてやろうか」
「ダメよ、ガーくん。きっと大聖堂か何かの神聖な場所よ。バチが当たっちゃうわ」
ガーくんをたしなめていると、御者席からセバスがにこやかに声を掛けてくる。
「いかがでしょうか、アリア様。お気に召していただけましたかな?」
「は、はい。素敵な大聖堂ですね」
「いえいえ、宗教施設などではございません」
セバスはすっと洗練された手つきで建物を示し、朗々と告げる。
「こちらはフリューリング王立博物館。美術品や文化資料などを集めて収蔵した、我が国が誇る最大の博物館にございます」
「博物館!? ここってもしかして入っていい場所なんですか!?」
「もちろんでございます。広く一般市民に開放されております」
セバスが指し示す方を見れば、たしかにエントランス近くにチケット売り場があった。多くの人々がそこに並び、チケットを片手に中へと吸い込まれていく。
あまりのことにアリアは目を丸くするしかない。
(都会ってすごいわ……!)
生まれ育った田舎にここまで大きな建造物は皆無だった。
もっと言えば博物館というのも初めてだ。
胸の高鳴りが大きくなるに従って、建物もさらにキラキラと輝いて見えてくる。
そんなアリアに目を細めていたセバスだが、ふと大通りの方を見やって声を上げる。
「ああ、坊ちゃまがいらっしゃいました」
「ロベルト様が!?」
窓を開けて身を乗り出せば、ロベルトがこちらに歩いてくるのが確認できた。鎧はないが、軍服を着て胸にはいくつかの勲章を飾っている。
「素敵……まるでおとぎ話の王子様だわ……」
気品溢れるその姿に、アリアは完全に首ったけだった。もはや博物館など目にも入らず、ただただ愛しの人を網膜に焼き付けた。
そんなアリアを、ガーくんは呆れたような目で見やる。
「本当に、主はあの男が絡むとポンコツになるな」
「あら違うわよ。こっちが私の通常モードなんだから」
小声で反論していると、馬車の扉が開かれる。
そこにはロベルトが立っていて、ほんの少し眉を寄せて恐縮したような顔をしていた。
「すまないな、アリア。急に呼び立ててしまって」
「いえ。お誘いありがとうございます」
ロベルトの差し出す手を取り、もう片方の手でガーくんを抱っこしたままアリアは馬車を降りる。
今日の朝、彼から連絡が入り、ここまで呼び出されたのだ。
本当に突然のことだったのでアリアは大慌てだったが、セバスがヘアセットから化粧まで、何から何まで爆速で準備を整えてこうして連れて来てくれた。執事の頼もしさに、ひたすら頭が下がる思いだ。
ロベルトに向き合うものの、アリアはもじもじしてつま先に視線を落としてしまう。
呼び出された理由にはなんとなく予想が付いていて、それがどうもむず痒くて堪らなかった。
「その、本日のご用件は……」
「え、えっとだな……」
ロベルトもどこか声を強張らせ、緊張した様子だった。
それでも彼はアリアの手をそっと取り、真剣な顔で言う。
「少し時間が取れたんだ。俺とデートしてくれないか」
「はい……!」
アリアは一も二もなくうなずいて、そのままがばっと頭を下げる。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」
「それを言うなら俺の方こそ。女性のエスコートなんぞしたことがないから、何をどうしていいかさっぱりだし……」
「ふふ、私も殿方とのデートなんて初めてですよ」
アリアは顔を上げ、ふんわりと笑う。
強くて逞しい騎士団長様にも苦手なことがあるのだ。幻滅はしなかった。むしろ、そんな一面を見せてくれたことが心の底から嬉しいと感じる。
つないだままの手を握り返してアリアは言う。
「初めて同士、気軽にデートを楽しみましょうね」
「そんなわけにはいかない。人生一度しかない初めてのデートだ。万が一にもあなたを退屈させてしまったら、俺は自分を許せなくなる」
「心配ご無用ですよ。ロベルト様が一緒なら、それだけで私は幸せですから」
「アリア……! 俺もあなたがいてくれたら何もいらない……!」
「ちょっ、ロベルト様!? 待ってくださいここ外ですよ!?」
感極まったロベルトがガバッと抱きしめてきたので、アリアは慌てて彼の背中を叩く。
博物館は大通りに面していて、人通りが多い。
そんな場所で男女が抱き合っているとたいへん衆目を集めた。
中には「あっ、騎士団長様だ」「ということは、あれが噂のお嫁さんか?」「噂通りラブラブなんだなあ……」なんて声が聞こえてくるしで、非常によろしくなかった。
「ぐうっ……は、離せこの図体のデカい×××の×××めが!」
ふたりの間に挟まれたガーくんも苦しげな声を上げている。
猫の声に翻訳されるからいいものを、内容はスラング全開の罵詈雑言だった。
苦しさと恥ずかしさでアリアも顔が真っ赤に染まる。
(でも……これはこれでいいかもしれないわ!)
新しい扉を開きかけたところで、ロベルトがハッと気付いて解放してくれた。
「すまない。つい胸が一杯になってしまって……」
「坊ちゃまもまだまだですな」
セバスがくすりと笑い、御者席からこちらへ一礼する。
「それではどうぞご堪能ください。また夕刻にお迎えに上がりましょう」
「はい! それじゃ、ロベルト様。行きましょうか」
「ああ、待ってくれ。アリア」
博物館に向かおうとするアリアのことを、ロベルトがやんわりと引き留める。
そうして指さすのは、ぶすっとした顔のガーくんだった。
「ペットは入館不可だ。猫はセバスに預けるといい」
「あらやだ私ったら……! すみません。セバスさん、お願いできますか?」
「もちろんでございますとも。私めがガーくん様をしっかりお守りいたしましょう」
セバスは胸を叩いてうなずく。
ガーくんを屋敷に迎え入れてはや半月あまり。
その間、セバスはなにかとガーくんの世話を焼いてくれていた。
食事の準備はもちろんのこと、ふかふかのクッションで寝床を整えたり、入浴やブラッシングまで請け負ったりしてくれている。アリアよりも熱心なお世話係だった。
しかしガーくんはいまいち彼に心を許していないらしい。
ますます渋い顔をして、アリアにひそひそと小声で語りかけてくる。
(主よ……我、あの男はどうも好かんのだが)
(そんなこと言うんじゃありません。たくさんお世話になっているくせに)
(いや、なんというか時折じっと真顔で見てきてな……まるで監視されているようで、尻の据わりが悪いというか……)
(セバスさんったら、よほど猫ちゃんが好きなのかしら。ともかく、ちゃんといい子に留守番してるのよ。お土産を買って帰るからね)
(ふむ……そうか? ならば美味いものがいい。人間の食い物はなかなか舌に合うからな)
少し機嫌を直したガーくんをセバスに預け、彼らの馬車を見送ってから、改めてアリアはロベルトに向き直る。くすぐったさは据え置きで、ついつい締まりのない笑みが浮かんでしまう。
「それじゃ……今日はよろしくお願いします」
「ああ。もちろんだとも」
ロベルトも頬をわずかに赤く染め、ぎこちなく笑った。
こうしてふたりでチケットを購入し、博物館に入ることになった。




