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十話 旦那様の危機

 凄まじい咆哮のあと、何もかもをなぎ倒すほどの突風があたり一帯に襲いかかった。

 その場にいた騎士たちは人々を守るようにして立ちはだかる。ロベルトとオスカーもその場で剣を抜き放ち、上空を睨んだ。


「ちっ……タイミングの悪い奴め」


「あちゃー。とうとう関所まで出てきちゃいましたか」


 彼らが小声でぼやいたのち、上空から大きな影が降りてくる。


 影は巨大な羽根を羽ばたかせ、商人の荷車を押し潰すようにして着地。逃げ惑う馬たちを睥睨(へいげい)したあと、その場に居合わせる者たちへと目を細める。


《人間たちよ》


 頭に直接、不思議な声が響く。

 それを発していたのは、一匹の巨大な竜だった。


 全身が白銀のような鱗で覆われ、陽光を反射してまばゆいほどの輝きを放っている。


 瞳は血のように赤い紅。ずんぐりとした足は、人を踏み潰せそうなほどの大きさだ。それが蝙蝠のような羽を広げ、ぐぐっと鎌首をもたげている。


(まさかこれが噂のドラゴン……? なんて大きさなの!)


 アリアは下級貴族出身とはいえ箱入り娘だ。

 ドラゴンどころか、魔物なんてほとんど見たことがなかった。


 離れの魔道書の中には魔物を記したものもあったので、最低限の知識を備えているが……百聞は一見にしかず。実際に目にしたドラゴンは、本の挿絵とは迫力が桁違いだった。


 木立の影でごくりと喉を鳴らす。

 そんなアリアに気付くことなく、ドラゴンはロベルトへと視線を注ぐ。


《汝がここの長だな。今日は話があってきた》


「話だと……?」


《ああ。我への供物(くもつ)についてだ》


 ドラゴンはかぶりを振って、わざとらしくため息をこぼす。


《もう七日もの間、我への供物が捧げられておらぬ。我は寛大ゆえ、汝らの落ち度を責めるつもりは毛頭ないが……何か訳があるのかと、こうしてはるばる尋ねに参った次第だ》


「何が供物だ、クソトカゲ」


 ロベルトは吐き捨てるように言い放ち、ドラゴンへとまっすぐに剣を向ける。


「貴様が勝手に馬車を襲っていただけだろう。馬が十三頭に荷馬車が五台……被害総額は金貨百枚を下らない。おまけにおまえがこの山を占拠するせいで物流が滞る。迷惑千万甚だしい限りだ」


《人間どもの都合など知るものか》


 ロベルト以外の騎士たちも剣を抜いて構え、緊迫した空気が場に満ちる。

 だがしかし、ドラゴンはまるで意にも介さなかった。

 ただ目を細め、ニィッと笑うだけだった。


《我は腹が減った。七日分の供物と、遅れた詫び。それらを合わせて捧げてもらおうか》


「そんなものあるわけないだろう」


《なにを言う。ちゃんとそこに用意してあるではないか》


 ドラゴンが顎で示すのは、商人に囚われていた人々だ。

 彼らの中から押し殺したような悲鳴がいくつも上がった。


 騎士たちもどよめき、剣を握る手に力を込めるのが見て取れる。

 ドラゴンは前足を器用に使い、ひとりひとりの顔を指さし確認していく。


《獣人に亜人、ドワーフ……おお、エルフまでおるではないか。我は美食ゆえ、そうした珍味を口にしたことはないが、同胞らが言うには美味いらしい。ここらでひとつ、味見をしても――》


「《ヘイスト》!」


 ロベルトが素早く魔法を唱え、剣を振り上げた。

 高速移動を可能とする魔法だ。


 以前目の前で使ってくれた魔法で、アリアもすでに習得済みだった。常人の何十倍もの速度で繰り出される斬撃は、音を置き去りにして鋭く放たれる。


 キィイイイイイン!


 (かね)の鳴るような澄んだ音が響く。

 ロベルトの剣はドラゴンの鱗に弾かれて、わずかな傷を付けることも適わない。

 それでもその体勢を崩すことはできた。のけぞり、目を丸くするドラゴンへと、ロベルトは再び剣を向ける。


「彼らを傷付けさせはしない! 貴様はここで俺が討つ!」


《面白い! 人間風情が吼えるではないか!》


「くっ……!」


 ドラゴンが咆哮とともに羽根をはためかせ、突風に煽られる形でロベルトが後退する。


 白銀色の巨体が大きく伸び上がり、口を開いて天高く吠える。その喉の奥で、青白い光が十字に瞬くのをアリアはたしかに見た。


《我が名は白銀竜ガオルザーク! 我を甘く見たこと、後悔させてやるぞ!》


「おまえたち、備えろ!」


 ロベルトが後方へと叫ぶと同時、ドラゴンの口から白いブレスが放出された。


 ブレスはロベルトならびに後ろにいた騎士たちに襲いかかり、ぶわっと見渡す限りに濃霧が広がる。霧は春の日差しを遮るほどの分厚さで、あたり一帯が真冬のような寒さに包まれた。


 アリアの隠れる灌木(かんぼく)はブレスが直撃しなかったものの、その余波だけで凍り付き、足下の地面も一面霜が生えはじめるほどだった。


 悲鳴を堪えた自分を褒めてやりたかったが、アリアは戦慄するしかない。


(白銀竜って、たしかドラゴンの中でも一、二を争うほどの高位種よね!? そのブレスは灼熱の炎ですら凍てつかせるっていう……!)


 ドラゴンはただでさえも強力な魔力と、強靱な肉体を持る最強格の魔物だ。

 その中でも白銀竜はトップクラスの力を有しているという。


 今のブレス一発で、本に書いてあった知識が真実だと身に沁みて理解できた。

 あんなものが直撃すれば人体はひとたまりもないだろう。

 アリアは全身の血が瞬く間に凍り付くのを感じた。


(ロベルト様はご無事かしら……あっ!)


 少しだけ霧が晴れ、人々の姿がぼんやりと浮かび上がってくる。

 はたしてロベルトや他の人々は無事だった。

 間一髪で後方の騎士たちが紡いだ防護障壁魔法が間に合ったのだ。


 しかし何重にも築かれた障壁には大きなヒビが入っており、ブレスの凄まじさを物語っていた。さらなる追撃を受けてしまえばあっさり砕けてしまうことだろう。


 ロベルトは白い息を吐いて剣を構え直す。


「こうなったら討伐規則も何もないな。今いる人員で対処するぞ」


「仕方ないっすね……ちなみに団長、白銀竜との戦闘経験は?」


「ない。せいぜい紫宝竜止まりだ」


「ほう? オレは昔、先代団長と一緒に戦ったことがあるぜ」


 ロベルトとオスカーの話に口を挟むのは、眼帯を付けた壮年騎士だ。

 彼はあごに手を当てたまま、地面を浸食し続ける霜をちらりと見下ろす。


「あのときは出現した街一個が丸々凍り付いたもんだ。避難を優先させたから、死者は出なかったが……今回もできるだけ民間人を遠ざけた方がいいだろうな」


「分かった」


 ロベルトはドラゴンを睨め付けたままうなずく。


「俺ひとりで奴を引きつける。おまえたちは人々の避難を頼む」


「団長だけで大丈夫ですか? あんた《ヘイスト》以外の魔法はからっきしなのに……」


「やるしかないだろう。人命優先だ!」


 ロベルトが地を蹴り、ドラゴンへと立て続けに剣戟を浴びせかける。


 剣が鱗とぶつかる度に耳を聾するほどの大音声が上がった。アリアの目にも分かるほど一撃一撃が非常に重い。しかしドラゴンの鱗には傷ひとつ付かなかった。


 ドラゴンは哄笑を上げ、丸太のように太い尻尾を鞭のように振るう。


《クハハハ、我と渡り合う気か! ならば少し遊んでやろう!》


「抜かせ!」


 ロベルトは尻尾の一撃を前方に跳躍して回避。

 その勢いを利用してドラゴンの懐に潜り込み、伸び上がるようにして垂直に突きを放つ。


 喉付近の鱗、逆鱗を狙ったのだ。


 ドラゴンの全身は硬い鱗に覆われているが、逆鱗だけは例外だ。そこは鈍ですら刃が通るほど脆く、唯一無二の弱点である……と魔道書には書かれていた。


 しかし切っ先が逆鱗をかすめる寸前、ドラゴンは慌てて身をよじってそれを回避する。

 攻撃が不発に終わっても、ロベルトは不敵に笑うだけだった。


「ふっ、白銀竜でも逆鱗は怖いか。ならば殺せるな」

《人間風情が生意気な……!》


 ドラゴンは目の色を変えて猛攻に転じた。

 尾や爪を振るい、小規模なブレスを立て続けに浴びせかける。


 しかしそのすべてをロベルトは紙一重で回避して、隙を与えることなく逆鱗を狙い続けた。

 体格の立派なロベルトだが、ドラゴンと比べれば羽虫のようなちっぽけな存在だ。だがしかし、舞うように剣を振るって果敢に敵を討たんとするその姿は、獰猛な蜂を思わせる。


 アリアは手に汗を握って、その猛追のすべてを目に焼き付けた。


(ロベルト様が押しているわ!)


 そうする間にも騎士らが民間人の避難を遂行していた。ろくに立てない者も多く、ブレスのせいで地面が凍って歩きにくい。それでも騎士らは迅速に彼らを担いで運んでいった。


 手が空いた者からロベルトの加勢に入り、魔法で火炎を打ち出すなどして援護する。

 おかげでドラゴンは決定打を打つことができず、目に見えて苛立ちはじめていた。


(これならいける……!)


 アリアが確信した、そのときだった。


「終わりだ!」


《っ……!》


 ロベルトが再び間合いを詰め、逆鱗めがけて鮮烈な刺突を繰り出した。ドラゴンは体勢を崩して回避できない。背後には他の騎士たちが放った火炎球が迫り来ていた。

 王手、と思われたその瞬間。


《舐めるなよ、下等生物が!》


 ドラゴンが目をかっと見開いて吼える。

 その瞬間、白銀の体が小さく萎んだ。


「なっ!?」


 剣と火炎球は虚しく宙を切る。

 ドラゴンは今や仔猫くらいの大きさに縮んでおり、宙空にふんわりと浮かんでいた。

 それだけ見れば可愛らしい光景だったが、ドラゴンはニタリと笑って勢いよく羽根をはためかせ、ロベルトめがけて体当たりを食らわせた。


「ぐはっ!?」


「団長!」


 騎士たちが驚愕の声を上げ、アリアも小さな悲鳴を漏らしてしまった。

 地面に転がり呻くロベルトの真上にドラゴンが舞い降りる。ふたたび元の大きさに戻るのも一瞬だった。

 ロベルトは自身を片足で押さえつけるドラゴンを憤怒の表情で睨み上げる。


「くっ、変化の術とは小賢しい……!」


《我の隠し球だ。使わせたのは汝で百年ぶりだぞ》


 ロベルトに顔を近付けて、ドラゴンは低い声で言う。


《我と渡り合ったこと、褒めて遣わす。人間はマズいと聞くが……せっかくだ。汝から味見といこうか》


「誰がトカゲのエサになるものか! クソッ! この足をどけろ!」


 ロベルトはもがくが、ドラゴンの足はびくともしなかった。


 かくして宣言通り、ドラゴンが大きく口を開けた。

 その巨大な口腔から粘つく唾液がしたたり落ちて、ロベルトの鎧を汚す。

 鋭い牙がゆっくりと、まるでギロチンの刃のようにロベルトの首筋へと迫り来る。


 騎士たちが慌てて加勢を行う。火炎球がドラゴンの羽根に直撃したが、鱗を煤けさせるだけで終わる。オスカーと眼帯騎士が全速力で走るが、間に合いそうもない。


(ダメ! このままじゃロベルト様が食べられちゃう……!)


 アリアの全身に震えが走る。


 ずっと日影で生きるしかないのだと、そう思っていた。そんな自分を日向に引きずり出してくれたのがロベルトだ。愛も、喜びも、切なさも、すべて彼が教えてくれた。


 そんな大切な旦那様が目の前で、命の危機に瀕している。

 

 妻にできることは何か。

 祈ること?

 嘆くこと?

 泣くこと?

 アリアは、そのどれも選ばなかった。

 

「させるかああああああああああああああああああ!」


 そのかわりに、姿を隠していた木陰から猛然として飛び出していった。

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