表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/26

雪想花3

 私邸に収まった二人の家人は、毎日よく働いた。初老の庭師は本当に腕がよく、庭はどの家よりもきれいになった気がした。クラウスはその結果に満足していた。


 菓子作りのほうは、さすがにそこまで実力はなかった。クラウスは料理人を屋敷に呼び、菓子作りを習わせた。


「クラウス様、私を選んでいただき本当にありがとうございます」


 少女はことあるごとにそう言って嬉しそうに笑った。だんだん少女の慎ましやかで、溌剌とした素直なところがクラウスにも伝わってきていた。


 ある休日、この国では珍しいほどのあたたかな日に、クラウスが庭の木陰でお茶を飲んでいると、少女は焼き菓子を持ってきてくれた。


「これは旨いな。ありがとう」


 クラウスはそのときはじめて少女をまともに見て話しかけた。

 少女が素朴で優しい瞳をしているのを始めて知った。亜麻色の長い髪をおさげにしている。優しい翠の目が、うれしそうに輝いて恥ずかしそうに笑みに彩られるのを、好ましく思った。


 きらきらと陽光の降り注ぐ午後、くつろいだ庭で少女は微笑んだ。

 クラウスはとても満足していた。気の毒な境遇だったが、よい家人をもらったと思う。私邸に客があると必ず少女の作った菓子を振舞うようになった。


 クラウスには自覚がなかったが、少女を呼ぶとき、クラウスの表情が優しくなるのを家人たちは知っていた。誰も何も言わなかったが、気難しい性質の主人の微笑ましい姿を見ていた。


 急な政務のときや、忙しいとき、クラウスは宮殿に泊まることが多かったのだが、菓子を食べてから、どんなときでも私邸に帰ってくるようになった。


「フレアはいるか?」


 どんな遅くに帰宅をしても、クラウスは少女の存在を確認した。少女は寝ているときもあったが、なるべく起きていてクラウスに顔を見せていた。


「おかえりなさいませ」

 この一言をクラウスが聞きたがっていると、フレアは知っていた。


 フレアは身分違いを充分知りながら、この距離を嬉しく思っていた。


 クラウスが宮殿の広間で呼びかけたときから、フレアは知らずに恋していた。心から少しでも恩を返したいと願い、努力をしつづけた。


 蒼いやさしい色をした瞳も、きれいに整えられている長い白金の髪も、端正な顔も、いつも姿勢よく公平な態度で家人に接していることも、すべてが好きだった。


 公務に身が入らないなどということは、クラウスにはない。

 ただ、フレアがいないと何かが足りない気がするだけだ。あの声を聞かないと、安心できない。いっそのこと同衾してしまいたいくらいだった。


 けれど、家人とそんなことはできかねる。

 すこし不機嫌なクラウスは、それでもフレアをそばに置いておけば気持ちをやわらげることができた。




 クラウスは凍てついた庭園を歩きながら、なぜこんなに昔のことを思い出すのだろうと不愉快になっていた。しかもフレアのことは自分のなかで美しい思い出となり、大切にしてきたというのに。


 庭園は美しくよみがえったが、無数の炎に浮き上がるその姿はなぜだがとても切なかった。


 懐かしく思い出される記憶に、クラウスはとうとう立ち止まった。

 先に進もうという気持ちがなくなり、一歩が踏み出せない。

 「優雅な小屋」など、どうでもよかった。

 



 仕事場に泊りがけで四日ほど仕事をしたクラウスは、雪の降りしきる道を馬を駆って私邸に帰宅した。


「おかえりなさいませ、ご主人様」

「うん。フレアはいるか?」


 コートを執事にあずけて、すぐに問う。執事は主が雪まみれなのを気にして衣服から雪を払いつつ応える。


「はい、そこに」

 クラウスは執事の言葉に、一瞬だけ動きをとめてからゆっくりと振り返った。


「あ、おかえりなさいませ」


 フレアは馬の音を聴いて、きっと呼ばれるだろうと玄関先で待っていたのだ。まさか、こんなに主が帰宅早々に自分を呼んでいるとは知らなかった。


「うん」

 いつも通りそっけない態度でクラウスはうなずいたが、早足で立ち去っていく。いつもは「うん」と言ってから「ご苦労さん」くらいは言うのだが。


「お茶を、運んでくれないか?」

 クラウスは早口でそれだけ言うと、部屋へ早々と行ってしまった。


 執事が笑いを堪えている。目で問うと、声を出さずに笑っていた。


「かしこまりました」


 クラウスが照れているのだと知っているのは、執事と長年クラウスにつきそってきた家人くらいだが。


 お茶を淹れているフレアを見る家人たちは、何とはなしに和んでいた。


 いつものタイミングでフレアは焼き菓子とお茶を持って部屋へ行くと、クラウスは足を暖炉に投げ出して深々とひとり用の椅子に座り込んでいた。すでに湯に浸かった後で、部屋着になっている。


 外の雪がしんしんと降っているのが、窓から見えた。火のはぜる音と、炎のまあるい灯りだけが部屋を占めている。


「お持たせいたしました」

 椅子のとなりにある机にカップと菓子を乗せる。


「ああ。待ち遠しかったな」

 クラウスは椅子に座ったまま視線だけフレアに向ける。しばらくぼんやりとフレアを見つめた。フレアは亜麻色の髪を邪魔にならないように二つに結いこんでいた。


 クラウスの視線にどうしたらいいか分からず、フレアは慌てて目を伏せた。


「さ、下がりましょうか?」

「なぜ?」


 意地の悪い声で、クラウスはフレアが退室をするのを制した。


「あの、ええと、何か御用があるのでしょうか?」


 おろおろとする少女のほそい手首をクラウスはつかんだ。

「特に用はないようだ。でも、ここにいたらいい。そこに座って」


 指し示した場所は寝台だったが、他にどうすることもできずにフレアは言われたまま座った。


「私が嫌いか?」


 お茶を飲んで、くつろいだクラウスがふいに言葉を発した。


「そんな、めっそうもございません! 私はいつも、本当にクラウス様のおそばにいられて幸せなのです」


「そうか」


 クラウスはフレアのそばに行くと、そっと抱き寄せた。抱きしめてしまってから、心の底から安心したように息をついた。

 その日、クラウスはただフレアのぬくもりの近くで寝たのだ。


 激務を重ねた後で、無理をして仕事を切り上げての帰宅だった。フレアも仕事で疲れていたのですぐに眠りに落ちた。

 健康な若者らしくはなかったが、二人ともとてもしあわせに朝を迎えた。


 フレアの立場はこれまでと何ら変わらなかった。


 クラウスに結婚の意志があるかは不明だったが、家人を嫁にとれるほど地位は低くはない。


 その日から、フレアはことあるごとにクラウスの私室で就寝した。

 クラウスは幸せそうに微笑むようになっていった。激務で不機嫌になることもないのだ。部下も上司も不可解そうにしていたが、クラウスにはどうでもよかった。


 ただ、家に帰るとフレアがやさしい瞳で待っていてくれる、このことが全てにすら感じられていたのだ。




 これ以上は思い出したくなかった。

 クラウスは庭園のベンチへ座り込んでしまった。虚空をぼんやりと見つめるその暗い蒼の瞳は深い悲しみの中に沈み込んだ。


 音もない闇に浮かんでいる庭園に、ただひとりクラウスは存在している。


「フレア……」

 懐かしい気持ちが膨れ上がり、思わず呼んだ声が自分でも泣きそうに聞こえて、己の未熟さにはがゆくなる。


 闇夜から舞い落ちる雪が炎に照らされてきれいに輝いている。

 あの時のことは、どう思い返しても後悔しかなかった。消しても消してもどうしても消せない悔しさが、心を蝕んでいた時期があった。闇に囚われたと言っていい。


 クラウスは完璧だった。仕事においても人間関係においても、慎重に行動をしていたつもりだ。なまじ権力に近いところに生を受けてしまったから、余計に気を使っていた。


 王に忠誠を、国家に尽くし誠心誠意、国民のために働いた。王が気にするあらゆる種類の心配を取り除いて、安定した政治を行なえるようにした。


 ひとつ、これだけは手出しできない歪みがあった。これは、前国王の后であり、クラウスの祖母についてだった。他国から嫁いてきた彼女は、心からこの国を嫌っていた。雪だらけになってしまう風土も、人の素朴なところも。


 彼女は南の国から嫁ぎ、息子を二人もうけたにも関わらず、この歳になっても故郷を愛してやまない人だった。そして、息子に対して我儘を言いたい放題していたのだ。


 晩年の彼女は心の病に蝕まれていた。

 クラウスは決してフレアのお菓子を宣伝したりはしていなかった。それなのに、祖母にフレアのお菓子の腕を知られてしまった。


 当然、フレアを宮殿へとお達しが出た。それは国王からの命令でもあった。


「フレア、祖母は何をお考えか分からない人だ。けっして逆らわず、大人しくしておくのだぞ。なるべく早く迎えに行く」


 フレアは不安そうに、けれども強くうなづいていた。


「クラウス様、私はクラウス様のおそばにいられるのが、とても幸せでございます。これ以上の幸せは、考えられないことです。・・・けれどクラウス様、私に子ができたとお知りになったら、どうされますか」


「子供?」

 フレアは嬉しそうに、頬を染めた。


「そうなのか?」

 驚いてクラウスは日ごろの冷静な態度を崩していた。


「……はい」

 側室としてフレアを置いておけると、クラウスは気がついていた。


「フレア、宮殿になど行かなくてもいいかもしれない」

「ずっとお側にいられますか?」


 儚げに微笑むフレアをクラウスは抱き寄せた。額に唇をあてる。そのままゆっくりと全身で彼女をやさしく抱きしめた。


「もちろんだ」


 翌日、クラウスは勇んで父親に子供ができたこと、祖母からの召還を断る旨伝えた。しかし、父はほぼ即答でその願いを、退けた。


「ならん。側室は特に問題はない。何、一週間かそこらだ、家人を貸してもすぐにお飽きになるだろう。この召還は、断れないぞクラウス。どんなことがあってもだ。なぜなら、母上は願いが聞き入られないと、何をしだすかわからない方だ」


「それは……」


 だからこそ、フレアを宮殿になぞ渡したくはなかったのだ。



 あの時こうしていれば、と思い返すことは容易なことだ。クラウスの場合、十数年ものあいだこの後悔にさいなまれた。


 フレアは気丈にも笑顔で宮殿へ行ってくれた。


 そして、帰っては来なかったのだ。フレアは体調を壊し、お菓子を作れなかった。それが祖母の怒りに触れたらしい。 彼女は祖母の狂気の怒りで階段で背を押されて死んでしまった。


 当初、クラウスには真実は伝えられなかった。

 思いのほか気に入られたようでな、どうしても手放したくないらしい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ