思い出
「あれ?」
雪の降った日のことだった。
冬にしては暖かい日が続いたあとだったので、冷たい空気にユイは息が白くなるのを不思議に思った。いつもなら部屋の中は暖かいのだ。
常にある暖炉の火、本のほこりの匂い。
きれいなお水を好んで飲む、プラチナブロンドの魔導師の秀麗な姿。
「魔導師様?」
いつでも居る書斎にもいない。
どこに行ってしまったのだろう?暖炉に火も入れていないのははじめてだ。
ユイは寒くなって、暖炉に火を入れた。手馴れた作業でも久しぶりで、かえってうまくいなかった。
お茶を飲もうとすると、メイドが朝食を運んできてくれた。表情のあまりないメイドは、単に朝食を運んだだけでいなくなってしまう。
メイドは仕事がないときはどこにいるのか、ユイは未だに分からない。
ぬくまってきた部屋で、朝食をとり、本を一冊とる。魔導師がユイにくれた本だ。読みながら大人しく待っていようと考え付いたのだ。
ユイは心細くても、屋敷で働かされて寒い思いをしていたことを考えれば、ずっとしあわせだと思った。
「……はやくお帰りにならないかな~」
やはりメイドが朝食の片づけをして部屋から出て行くのを、なんだか不安に見送る。メイドでもいいから側にいてほしい。
足をうさぎ罠にかけられたときのことを思い出して、背の高い魔導師クライムのきれいな長髪や、切れ長の蒼い目を思い浮かべる。
あのとき瞳の奥にまぎれもなく優しい光を見て取ったのは、ユイの思い違いではない。
「ふぅ」
この邸に来て、どれくらい経っただろう?
十日くらいだろうか。
魔導師は本当に静かな人で、足音もほとんどしないくらいだ。
一緒に居ると幸せで、ほかの事はどうでもよくなってしまう。でも、お仕事の邪魔だけはしないのだ。
メイドがお昼を持ってきて、いつの間にか夜になってしまった。
夜になると、いつもと同じようにソファに寝転がる。ただし、今日は暖炉の火が消えてしまうかもしれないので、薪をくべてから毛布を三枚も持ってきて掛けてみた。
夜遅くに魔導師様はおかえりになるかもしれない。
ユイは眠いのをぐっとこらえた。こらえても、ランタンの火がゆれるように眠くなるのを必死で押しとどめた。
「大すき、魔導師様……」
それでも、睡魔はユイを眠りの世界へと連れて行ってしまった。眠る直前に、明日には戻るだろうとユイは考えていたのだ。
予想は大きく外れてしまった。
暖炉に火は入っていなかった。窓の外は雪がまだ降り続けている。
不安は徐々に大きくなる。けれど、メイドはやってくるし、なんだかよくわからない。ユイは、雪がたくさん降っているのにもかまわず、掃除を開始することにした。
書斎をきれいにし、階段を掃く。
なんて広い邸だろうか。こんな大きな邸に、今はメイドとユイしかいないなんて。
階段の手すりを雑巾がけして、ちょうどいいので扉の取っ手も拭いてしまう。気付くと手がかじかんでいた。ユイはこっそり笑ってしまった。
こんなのは何でもない。
辛くもなんともない。
「……まだかな」
午後は、窓を拭く作業だ。窓なら外を見ながら、待っていられるから。
けれど、その日も魔導師様はお帰りにならなかった。
ソファで一人寝るとき、いつもならば火が灯っている机を見て悲しくなる。
「ユイ、待ってるよ……?」
魔導師様はおやさしい方だから、ユイが待っていることは知っているはずだ。きっと、お仕事が長引いているに違いない。
それでも逢いたかった。すぐにでも、魔導師の灰色の長衣に抱きついて、安心したかった。
どこに行ったんだろう。
「魔導師様……」
悲しいのには慣れている。耐えるのにも。ずっと我慢できたのだ。どんなに辛くても、こんなに心が苦しくなることはなかったのに。
「あいたいよ」
大雪になっている窓の外は、真っ白な闇の世界。
今すぐに、外に飛び出して魔導師様を探しに行きたい。毛布を被ってユイは涙をこらえる。
どんなに辛くても、泣くのは我慢するのだ。
「だって、泣きたいときは、笑うのがいいって」
いつだったか、お婆さんに聞いた。笑うと、自然と気持ちがゆるんでくると。だから、ユイは何度か変な笑みを浮かべてみた。が、ちっとも効かなかった。
明日の朝、やっぱり魔導師様がいなかったら、ユイはどうしたらいいのだろう。
暖炉の火が消えてしまっても、ユイは放っておいた。
魔導師が邸から姿を消してから、三日たってしまった。
ユイは雪の中をぐるぐると歩き回った。外に行くが、邸に戻っているかもしれないと思うと戻ってしまうのだ。
「魔導師様―?」
手の届かない人だと分かっているが、ユイには、同じ場所に居てくれる唯一の人なのだ。いなくなってしまったのだろうか?お仕事じゃなくて?
不安が不安を呼び、食事も喉を通らなくなってしまう。
「あいたいよ」
大きな黒い目は涙でいっぱいになってしまう。飲み込んでも、飲み込んでも、すぐに涙でいっぱいになるのだ。
うずくまるように寝てしまった。
翌朝、はれぼったくなった目を開けると、暖炉に火が入っていた。
「あ……」
がばりと起きると、書斎の机を見る。そこに大好きな魔導師の姿を見つけた。
「魔導師様っ」
じわりと涙がこぼれる。ぬぐうこともせず、どんどんこぼれる涙を見て、魔導師は立ち上がった。
「これを……」
ホットミルクをいつの間にか持っていて、手渡してくれた。
「寒かっただろう」
謝りの声に、ユイは驚く。
暖炉に火が入っていないことなど、どうでもいいのだ!
コップをテーブルに置くと、そっと長衣をつかんで大泣きしてしまった。
魔導師クラウスは、当惑したようにユイを見ていたが、頭に手を置いてそっとなでた。ユイが一人で淋しかったのだと理解する。
心の底から安心したユイは、涙をふいてホットミルクを飲んだ。
「あいたかったよ」
無邪気に明るく、ユイは魔導師様に言った。
魔導師はほんの少しだけ苦笑したようだった。




