表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/23

第7話 騎士の命令

「全軍停止。馬を降りて待機しろ」


 フェルナンドの号令が、開けた平原に響いた。

 クランは手綱を引き、馬を止める。


 ここまでの行軍に、大きな乱れはなかった。

 敵影もない。

 襲撃もない。

 斥候からの警告もない。


 ただ、順調だった。

 順調すぎた。

 エラール村は近い。

 見覚えのある地形。

 草の匂い。

 風の冷たさ。


 そのどれもが、自分が故郷のすぐそばまで戻ってきたことを、嫌でも思い出させる。

 馬を降りたクランは、無意識に村のある方角へ視線を向けた。


 この距離まで来れば、もし本当にベルダイル側の兵が村を押さえているなら、見張りか斥候の一人くらいはいてもおかしくない。

 だが、気配はなかった。

 静かすぎる。


(……やっぱり、何かおかしい)


 胸の奥に残っていた違和感が、少しずつ輪郭を持ちはじめていた。

 フェルナンドは隊列を見回し、淡々と指示を出す。


「回復術師は後方で待機。魔術師は指定位置へ移動し、合図があるまで近づくな。従騎士は選抜された五名を除き、後方の荷馬車周辺で待機」


 短い号令だった。

 従騎士たちは戸惑いながらも従った。

 回復術師たちも、荷馬車の周囲へ下がっていく。

 魔術師たちは互いに短く確認を交わし、草地の左右へ散っていった。


 その動きに、プレデリカの目が細くなる。

 作戦説明の前に、人を下げた。

 それが何を意味するのか、彼女も気づいたのだろう。

 その場に残されたのは、各隊の指揮を担う者たちだった。


 フェルナンド。

 プレデリカ。

 ラッセル。

 クラン。

 数名の上級騎士。

 そして、少し離れた位置に立つ、小柄なフード姿の人物。


 騎士とも、従騎士とも違う。

 黒灰の外套を深く被り、顔は見えない。


 隊列の中にいるのに、そこだけが妙に浮いていた。

 気配が薄い。

 いるのに、見落としそうになる。

 だが一度気づいてしまうと、目を離せない。

 クランは一瞬だけ、その影を見た。

 フードの奥は見えない。

 それなのに、見られているような感覚だけが残った。


「目的地には十分近づいた」


 フェルナンドが口を開く。


「ここで、あらためて今回の作戦を説明する」


 その一言に、クランはわずかに身構えた。

 ここまで、説明が少なすぎた。

 ようやく話すつもりになったのか。

 そう思う一方で、嫌な予感は消えなかった。


「エラール村は、このまま南へ進んだ先にある。規模は小さいが、村の周囲は柵で囲まれている。出入りは南北の門に限られる」


 そこまでは普通だった。


「よって、我々は三隊に分かれる」


 フェルナンドは杖の先で、地面に簡単な図を描いた。


「北門封鎖。南門封鎖。そして、村内突入だ」


 クランは黙って聞いていた。


「北門封鎖の指揮は私が執る」


 フェルナンドは一度言葉を切り、視線を横へ流した。


「南門封鎖はプレデリカ隊長。君に任せる」

「承知しました」


 プレデリカは短く答えた。

 だが、その目は話の先を警戒している。


「では、突入部隊の指揮は誰が?」


 当然の問いだった。

 フェルナンドは、まっすぐクランを見た。


「騎士クラン。君だ」


 ざわり、と空気が揺れた。


「選抜した従騎士五名を連れ、村の中へ入れ」

「……俺が、ですか」


 クラン自身より先に、周囲の騎士たちがざわついた。

 当然だった。

 村の地理を知っているという事情を考慮しても、突入部隊の指揮を、叙任されて間もない騎士に任せる理由にはならない。


 しかも、同行するのは経験の浅い従騎士だけだ。

 危険すぎる。

 見かねたように、プレデリカが一歩前へ出た。


「副騎士長、それは無理があります」


 声は静かだが、はっきりしていた。


「村の中では待ち伏せの可能性もあります。その役目を、騎士になって間もないクランと従騎士だけに任せるのは危険です」


 フェルナンドは一瞥だけを返した。


「危険はない」


 即答だった。

 プレデリカの眉が、かすかに寄る。


「……どういう意味でしょうか」

「そのままの意味だ」


 フェルナンドは淡々と続けた。


「村の中に、ベルダイル軍などいない」


 一瞬、誰も言葉を発しなかった。

 クランは、意味を理解できなかった。

 いや、理解することを、身体が拒んだ。


「それでは、今回の任務は……」


 プレデリカの問いに、フェルナンドは静かに告げた。


「エラール村の住民を、一人残らず処分する」


 風の音だけが響いた。


「……今、何と」


 漏れたのは、クランの声だった。

 フェルナンドは表情一つ変えない。


「他言無用だ。この件を知るのは、ここに残した者と、ごく一部の騎士団上層のみ。下の者には、村内確認および避難誘導とだけ伝える」


 騎士たちを見渡す。


「余計な情報は判断を鈍らせる。必要な者だけが知っていればいい」


 淡々と。

 まるで、兵站の数を読み上げるように。


「ベルダイルとの戦を始めるには、民の結束が要る」


 フェルナンドは、地面に描いた図を杖の先で叩いた。


「必要なのは、怒りを一点に集める材料だ」


 誰も動けない。


「ベルダイル軍による虐殺。その事実があれば、領内は迷わない」


 プレデリカの顔から、わずかに血の気が引いた。


「エラール村には、その役を担ってもらう」


 あまりにも静かな声だった。

 だからこそ、その言葉は重く落ちた。


「領民を……私たちが、自ら殺すと?」


 プレデリカの声は崩れていない。

 だが、その底には明らかな拒絶があった。


「戦のためだ」


 フェルナンドは揺らがない。


「加えて、あの村に戦略的価値はない。税の滞納も多い。切り捨てるには十分だ」


 クランの頭の中で、何かが崩れた。


 戦のため。

 結束のため。

 税を払えないから。

 あまりにも軽く、人の命が並べられていく。


 喉が乾いた。

 呼吸が浅くなる。


「副騎士長」


 プレデリカが、さらに一歩前へ出た。


「確認します。南門封鎖とは、民を逃がさないための封鎖ですか」

「君の任務は南門封鎖だ」


 フェルナンドは即座に返す。


「外部からの接近を防ぎ、作戦終了まで門を押さえる。それだけでいい」

「同じことです。逃げる者を塞げば、結果は変わりません」

「ならば理解しているはずだ」


 フェルナンドの声に熱はない。


「君が持ち場を放棄すれば、南門隊全体が命令違反となる」


 プレデリカの手が、槍の柄にわずかに近づいた。

 だが、そこで止まる。


 彼女は部隊長だ。

 自分一人の感情で、部下を巻き込むことはできない。

 プレデリカは、ゆっくりと息を吐いた。


「南門隊には、外敵遮断として命令を出します」


 フェルナンドの目が細くなる。


「民への攻撃命令は、私が出すまで認めません」

「解釈で逃げるつもりか」

「部隊長として、正しい任務範囲を確認しているだけです」


 プレデリカは目を逸らさなかった。


「私の部下を、虐殺の実行犯にはしません」


 空気が、さらに冷えた。

 数名の騎士が、互いに視線を交わしかける。


 だが、誰も声を出さない。

 フェルナンドは、しばらくプレデリカを見ていた。

 怒りはない。

 不快感すら薄い。

 ただ、予定外の動きを記録するような目だった。


「南門隊への命令は、南門封鎖だ」


 やがて、フェルナンドは言った。


「外敵遮断。門の制圧。作戦終了までの維持。それを果たせ」

「承知しました」


 プレデリカは短く答えた。

 その声に、安堵はなかった。


 勝ったわけではない。

 ただ、部下の手を汚させないための細い線を、どうにか引いただけだった。

 そのやり取りを、クランは遠くで聞いているようだった。


 騎士団。

 命令。

 正しさ。

 どれも、自分が信じようとしてきたものだった。

 だが今、それらは村人を殺す理由として並べられている。


「……騎士長は」


 気づけば、口が動いていた。


「騎士長は、この命令をご存じなのですか」


 フェルナンドの目が、冷たく細まる。


「騎士団上層の判断だ」


 それだけだった。

 シャルロットの名は出ない。

 アランス侯爵の名も出ない。

 だが、クランの胸を揺らすには十分すぎた。


 あの人が。

 あのシャルロットが。

 本当に、これを認めたのか。


 分からない。

 だが、一瞬だけ考えてしまった。

 もしこれが、騎士団としての正しさなのだとしたら。

 命令に従い、全体のために動くことが、騎士の役目なのだとしたら。


(……それでも)


 違う。

 そんなものは、自分が守りたかったものではない。

 震える拳を、強く握る。


(……また、見て見ぬふりをするのか)


 それだけは、できなかった。

 クランは、ゆっくりと顔を上げた。


「……俺は、殺しません」


 ざわめきが止まった。

 フェルナンドがクランを見る。


「村人を殺すために、騎士になったわけじゃありません」


 声は低かった。

 だが、はっきりしていた。


「たとえ命令でも、殺せません」


 ラッセルが息を呑む。

 信じられないものを見るようにクランを見た。


 騎士が命令を拒む。

 しかも、相手は副騎士長。

 誰一人として想定していなかった事態だった。


「理由は、それだけか」


 フェルナンドの声が低く落ちる。

 クランは一歩も引かなかった。


「……あの村の人たちは、本当に貧しいんです」


 一瞬だけ、脳裏に浮かぶ。

 連れて行かれる少女。

 何もできなかった自分。


「税は、払えないんじゃない。払いたくても払えないんです」


 低く、押し殺した声だった。

 フェルナンドは、それを冷たく聞いていた。


「騎士クラン」


 一言。

 温度のない声。


「その価値を決めるのは、君ではない」


 冷たく、言い放つ。


「最後の警告だ。命令を遂行しろ」


 それは最後通告だった。

 だがクランは、もう止まれなかった。


「……何度言われても変わりません」


 拳を握り締める。


「命令には従えません」


 その瞬間。

 ルクレール騎士団の中で、一人の騎士が、命令の外へ踏み出した。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

続きが気になりましたら、作品フォローや応援をいただけると励みになります。

次回もよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ