第70話 狂剣
廊下から近づいていた足音が、応接の間の前で止まった。
扉が開く。
入ってきたルクレールの騎士は二人だった。
フェルナンドは席を立たない。
「騎士クラン及びプレデリカ隊長を確保しろ」
二人の騎士が前へ出た。
クランは動かなかった。
プレデリカも壁際の槍へ手を伸ばさない。
まだ、剣は抜かれていない。
先に口を開いたのはワトルだった。
「やめろ」
騎士たちの足が止まる。
「ここは私の屋敷だ。引き渡さないと返答した相手を、私の目の前で勝手に拘束するつもりか」
フェルナンドがワトルを見る。
「両名はルクレール騎士団の所属です」
「その話はさっき聞いた」
「帰還命令にも応じませんでした」
「それも聞いた」
ワトルの声は変わらない。
「だからといって、お前の権限が増えるわけではない」
フェルナンドは否定しなかった。
代わりに二人の騎士へ告げる。
「続けろ」
騎士たちが再び動く。
片方がクランへ。
もう片方がプレデリカへ向かった。
クランの腕を取ろうとした手を、クランは身体を引いて外した。
「抵抗するな」
「お断りします」
「騎士クラン」
フェルナンドが呼ぶ。
クランはそちらを見なかった。
もう一度伸びてきた腕を払い、距離を取る。
隣では、プレデリカへ近づいた騎士が肩へ手を掛けようとしていた。
プレデリカはその手首を外側へ流し、一歩横へずれる。
「触らないで」
「プレデリカ隊長。抵抗は命令違反として――」
「辞職の話なら、もうしたでしょう」
騎士がもう一度手を伸ばす。
プレデリカは今度は退かなかった。
腕を取られる前に手を払い、相手の身体を押し返す。
騎士の踵が床を擦った。
フェルナンドが二人を見る。
「両名を確保しろ。抵抗するなら押さえろ」
命令を受けた騎士の片方が、腰の剣へ手を掛けた。
ワトルが立ち上がる。
「抜くな」
声が飛ぶ。
騎士の手が止まった。
だが、剣の柄からは離れない。
ガイゼルが壁際で身体を起こした。
「おい」
低い声だった。
巨大な両手剣の柄へ片手を掛ける。
「じじいが止めろって言ってんのが聞こえねえのか」
「ガイゼル」
ワトルが呼ぶ。
「まだ抜くな」
「……分かってる」
そう答えながらも、ガイゼルは剣から手を離さなかった。
リアも立ち上がった。
「フェルナンド副騎士長」
フェルナンドが視線を向ける。
「これ以上はやめていただけませんか。おじ様は、親書への返答をもうお伝えしています」
「グローリー卿。あなたは拘束対象ではありません」
「分かっています」
「でしたら、下がっていてください」
リアはその場に残った。
「ですが、ここで争う必要もないはずです」
フェルナンドは答えなかった。
クラン側で、再び身体がぶつかる。
ルクレールの騎士が肩を押さえようと踏み込み、クランが腕を外した。
今度は相手も引かず、腰を落として組み付こうとする。
クランは半歩下がった。
その背後には卓がある。
さらに退けば、リアたちのいる側へ近づく。
クランは横へ位置を変えた。
騎士が追う。
「やめろ」
ワトルが間へ入った。
騎士が足を止める。
「伯爵、下がってください」
「下がるのはお前たちだ」
フェルナンドが立ち上がった。
「ワトル伯爵。両名をこちらへ渡してください」
「断った」
「では、そこを空けてください」
「断る」
返答は変わらなかった。
フェルナンドは扉へ目を向ける。
「外の二名を入れろ」
護衛の騎士が廊下へ出る。
プレデリカの表情が変わった。
「クラン」
「はい」
「さっき外にいた人たちよ」
それだけでクランには十分だった。
ほどなく、別の騎士が二人入ってきた。
装備に大きな違いはない。
だが、プレデリカが中庭で感じた違和感は、近くで見るとさらに強かった。
足を止めても姿勢がほとんど崩れない。
指示を待つ間も、必要以上に身体へ力が入ったままになっている。
一人がフェルナンドを見る。
「命令を」
「騎士クランとプレデリカ隊長を確保しろ。殺すな」
「承知しました」
返答と同時に動いた。
速い。
クランへ向かった兵士が、一気に距離を詰める。
腕を取るための動きだった。
クランは身体をずらしてかわしたが、男は止まらない。
そのまま方向を変え、もう一度手を伸ばす。
クランが腕を払う。
重い。
剣ではなく腕同士が触れただけなのに、押された側の肩が後ろへ流れた。
「……こいつ」
反対側では、プレデリカが槍へ手を伸ばした。
兵士が先に間合いへ入る。
プレデリカは柄を掴むと同時に槍を横へ出し、相手の胸元を押し返した。
兵士の身体が止まる。
だが、退かない。
プレデリカがさらに力を掛ける。
ようやく一歩下がった。
だが、その次にはもう踏み込んでくる。
「やっぱり……」
プレデリカの声が低くなる。
グレース渓谷で見た強化兵たち。
こちらが崩れるほどの力を掛けても、自分の身体の使い方が変わらない。
「同じね」
ガイゼルが巨大な両手剣を取った。
今度はワトルも止めなかった。
鞘から抜いた剣身を両手で構える。
「だったら俺が相手してやる」
一人がガイゼルへ向きを変えた。
「対象ではない。下がれ」
フェルナンドが命じる。
強化兵は動きを止め、すぐにクラン側へ戻る。
命令そのものには従っている。
だが、その移動のたびに床へ落ちる足音が重い。
クランは剣を抜いた。
相手が素手のまま距離を詰めてくる。
斬りつけるのではなく、腕を取るための踏み込み。
クランは剣を横へ置き、刃を当てずに進路を塞ぐ。
強化兵は構わず腕を伸ばした。
クランが剣の腹で押し返す。
そこでようやく強化兵の身体がずれた。
力を逃がす。
正面から受けない。
訓練場でワトルに何度も言われたことを、考えるより先に身体が使っていた。
それでも相手の腕が近い。
クランは一歩ずつ場所を変える。
自分の後ろへ誰も置かない位置へ。
もう一人の強化兵はプレデリカへ迫っていた。
槍の穂先を向ければ殺傷になる。
プレデリカは柄の中央を使い、相手の肩を外へ押す。
強化兵が槍を掴んだ。
「離しなさい」
返答はない。
腕に力が入る。
槍ごと引かれ、プレデリカの足が床を滑った。
そこへ巨大な剣身が横から入った。
刃ではない。
ガイゼルが剣の腹を強化兵の腕へ押し当て、プレデリカから引き離す。
「人の得物を勝手に掴むんじゃねえ」
強化兵がガイゼルへ顔を向ける。
「対象外だ」
フェルナンドが言う。
強化兵は再びプレデリカへ向き直った。
ガイゼルの眉が動く。
「気に入らねえな」
「ガイゼル」
ワトルはすでに剣を抜いていた。
派手に構えることはしない。
リアと卓の前に立ち、前へ出てくる者だけを見る。
「前へ出すぎるな」
「分かってる」
ガイゼルは巨大な両手剣を構え直した。
リアがワトルの後ろからフェルナンドを見る。
「もう十分ではありませんか」
フェルナンドの視線は、部屋の中を順に追っていた。
クラン。
プレデリカ。
ガイゼル。
ワトル。
そして、自分の指示で動く兵たち。
「抵抗が止まれば、こちらも止めます」
「先に拘束をやめれば済む話だ」
ワトルが言った。
フェルナンドの返答はなかった。
クランの前で、強化兵が踏み込む。
クランは剣を合わせず、身体を斜めに外した。
強化兵の腕が空を切る。
クランはそのまま肩口へ剣の腹を当て、進む方向を横へ変えようとする。
普通なら、それで一歩は流れる。
強化兵は踏み止まった。
次に出した足へ、力が集中する。
クランは剣を引いた。
押し切ろうとすれば、自分の方が崩れる。
別の方向へ逃がす。
強化兵の身体が横を向いた。
その勢いのまま、伸ばした手が石柱へ当たった。
鈍い音が響くと同時に、柱の角が欠けていた。
小さな石片が床へ落ちる。
誰もすぐには動かなかった。
強化兵は自分が壊した場所を見ている。
痛みより先に、命令を待っているような顔だった。
フェルナンドが立ち上がる。
「止まれ!」
強化兵の身体が止まった。
「下がれ。前へ出すぎだ」
強化兵は指示どおり二歩下がった。
フェルナンドは床へ落ちた石片を見る。
それから、欠けた柱へ視線を上げた。
僅かに不愉快そうな顔を浮かべる。
次の命令の言葉はすぐには出なかった。
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