第69話 ルクレールからの使者
ワトルの剣が、クランの剣を外へ押し流した。
クランは力で戻そうとせず、右足を半歩ずらす。
身体を開きすぎないまま剣を斜めに合わせ、向けられた線だけを杭の外へ逃がした。
そのまま返した剣を、ワトルがわずかに身を引いてかわす。
クランは追わなかった。
相手だけを見れば、もう一歩出られる。だが、背後には訓練場の端に立つ杭がある。
ワトルも踏み込まず、剣先を下げた。
「だいぶ形にはなってきたな」
クランは構えを解き、息を整える。
「ありがとうございます」
「礼を言うにはまだ早い」
ワトルはクランの足元を見る。
「最後は返す方へ意識が寄りすぎた。守る方を見て、自分の次が止まれば同じだ」
「はい」
「まあ、前よりはましだ」
クランも剣を下げた。
杭は前と同じ場所にある。
そこに誰かが立っているつもりで剣を振るうだけで、避けられる場所も、踏み込める方向も変わる。
自分だけ無事ならいい位置取りでは、守る線が残らない。
クランがもう一度そこへ目をやった時、屋敷の方から騎士が走ってきた。
「伯爵閣下」
ワトルが振り返る。
騎士は二人の前まで来ると、呼吸を整えるより先に告げた。
「ルクレールから使者が来ています。アランス侯爵の親書を持参したと」
「誰だ」
「フェルナンド副騎士長です」
クランの手が止まった。
エラールで剣を交え、自分を倒した男。
拘束された後に村を離れてから、顔を合わせていない。
ワトルはクランの表情を見たが、何も言わなかった。
「何人連れている」
「正門前に数名。使者本人と護衛は屋敷内で待たせています」
「分かった」
ワトルは稽古用の剣を戻すとクランに言った。
「おまえも来い」
「はい」
クランも剣を戻し、後に続いた。
◇
訓練場から屋敷へ続く渡り廊下へ入ったところで、向こうからプレデリカが歩いてきた。
別の騎士に呼ばれたらしく、二人の姿を見ると足を止める。
「クラン」
「隊長」
「聞いた?」
「はい」
プレデリカはそれ以上尋ねず、ワトルへ軽く頭を下げた。
三人で中庭を横切る。
正門の内側には、ルクレールの騎士が数名待機していた。
武器を抜いている者はいない。
隊列を組んでいるわけでもなく、表向きは使者の護衛に見える。
その前を通り過ぎようとした時、プレデリカの歩みがわずかに鈍った。
鎧も装備も、他の騎士と大きく違わない。
だが、そのうち何人かの立ち方に見覚えがあった。
重い装備を着けているのに、身体の芯がほとんど揺れない。
休んでいる時まで、次の命令を待つ姿勢だけが残っている。
グレース渓谷で見た兵たちが頭をよぎった。
同じものだと決めつけるには、まだ材料が足りない。
それでも、見過ごしていい違和感ではなかった。
「隊長」
クランが低く呼ぶ。
プレデリカは正門から目を離した。
「今はいいわ」
声量を落としただけで、表情は変えない。
ワトルも足を止めず、そのまま屋敷へ入った。
途中で近くの騎士を呼び止める。
「リアとガイゼルを呼べ。二人にも聞かせる」
「承知しました」
騎士が別の廊下へ走る。
アリシアは別室に残し、会談には同席させなかった。
◇
応接間では、低い卓を挟んでフェルナンドが待っていた。
後方の扉脇には、ルクレールの騎士が二人控えている。
フェルナンドの手には、アランスの封印が押された親書があった。
ワトルが入室すると、フェルナンドは立ち上がって礼を取る。
「ご無沙汰しています。ワトル伯爵」
「待たせたな」
「いえ」
それだけで挨拶は終わった。
ワトルが向かいへ座る。
少し遅れてリアとガイゼルも入ってきた。
リアはワトルの近くに座り、クランとプレデリカはその後ろへ位置を取る。
ガイゼルは壁際に立ち、巨大な両手剣は手を伸ばせば届く場所に置いた。
プレデリカの槍も反対側の壁際に立て掛けられている。
クランは、フェルナンドの顔を見た。
エラールで自分を処分対象と告げた時と、ほとんど変わらない。
怒りを見せず、必要なことだけを確認し、答えが出れば次へ進む。
その変わらなさが、かえって警戒を強くした。
フェルナンドは全員が揃ったのを確認すると、親書をワトルの前へ差し出した。
「アランス侯爵閣下からです」
ワトルは封を確認し、最初から最後まで目を通した。
クランとプレデリカの所在確認。
両名の身柄引き渡しへの協力要請。
リアへの事情確認と、必要な場合の同行要請。
親書は、マルム側へ協力を求めるためのものだった。
ワトルの許可なく屋敷を捜索することも、ルクレール側だけの判断で身柄を押さえることも認めてはいない。
読み終えると、ワトルは親書を卓へ戻した。
フェルナンドの視線がクランへ向く。
「騎士クラン」
「……はい」
「エラールで命令を拒否し、騎士団員と交戦。その後、拘束された場所を離れ、現在までルクレールへ帰還していない。相違はあるか」
「ありません」
「そうか」
クランは答えながら、フェルナンドの声を聞いていた。
問い方も、返答を受けたあとの切り方も、昔と同じだった。
次にプレデリカを見る。
「プレデリカ隊長」
「はい」
「辞職は受理されていない。その後、書き置きを残して任務地を離れ、現在まで帰還していない。相違はあるか」
「いいえ、ありません」
フェルナンドは短く頷き、ワトルへ向き直った。
「侯爵閣下は、両名の身柄引き渡しについて、マルム側の協力を求めています」
「断る」
返答はすぐだった。
フェルナンドの表情は動かない。
「理由を伺ってもよろしいですか」
「親書に書かれていることは理解した」
ワトルは卓上の紙へ指を置いた。
「だが、ルクレールから求められたからといって、ここにいる二人をそのまま渡すつもりはない」
「両名はルクレール騎士団の所属です」
「所属の話と、他領で身柄を押さえて連れていく話は別だ」
「承知しています。親書の範囲を越える権限はありません」
ワトルの指が親書から離れる。
「なら話は早い」
「ただし、引き渡しを求めることは侯爵閣下の正式な要請です」
「だから断った」
フェルナンドはワトルを見た。
「両名への事情確認は」
「聞きたいことがあるなら、ここで聞け」
「承知しました」
ワトルは引き渡しを拒んだ。
それでも、話を聞くことまで拒んではいない。
フェルナンドは親書の内容を一つずつ処理するように、今度はリアへ視線を移した。
「グローリー卿」
「はい」
「貴公に対し侯爵閣下が求めているのは事情確認と、必要な場合の同行要請です。両名とは扱いが異なります」
リアはフェルナンドを見返した。
「それは、命令でしょうか」
「いいえ。要請です」
「でしたら、事情についてはお答えします。同行については、その理由を伺ってから考えさせてください」
「承知しました」
「それと、一つよろしいですか」
「何でしょう」
「クランもプレデリカも、私がここへ残るよう命じたわけではありません。二人とも、自分で決めています」
フェルナンドの視線が、クランとプレデリカへ移る。
「その点も確認します」
余計な反論はしなかった。
ワトルが親書を卓の中央へ押し戻す。
「他にあるか」
フェルナンドはクランを見る。
「騎士クラン。ルクレールへ戻る意思はあるか」
「ありません」
次にプレデリカへ向く。
「プレデリカ隊長。君も戻る意思はないか」
「ええ、ありません」
「辞職は受理されていない。それでもか」
「私の意思は変わりません」
「そうか」
声に熱はなかった。
確認すべき事実を一つ増やしただけのように、フェルナンドは視線をワトルへ戻す。
「確認します。両名の引き渡しには応じない。それが伯爵の返答ですか」
「ああ」
「承知しました」
「なら、その返答を持ち帰れ」
ここまでで、親書に対する返答は出ていた。
フェルナンドは立ち上がらない。
親書にも手を伸ばさなかった。
代わりに、もう一度クランとプレデリカを見る。
「騎士クラン。プレデリカ隊長」
二人が視線を返す。
「最後に確認する。自ら戻る意思はないか」
「ありません」
「私も同じです」
「そうか」
ワトルがフェルナンドを見る。
「返答は済んだ」
「承知しています、ワトル伯爵」
フェルナンドは扉の方へ顔を向けた。
「両名を拘束しろ」
廊下の向こうで、複数の足音が動いた。
鎧の金具が触れ合う音が、応接の間へ近づいてきた。
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