第65話 盗まれたもの
クランが一歩前へ出た。
わずかに開いた玄関扉を見据えたまま、右手を剣の柄へ添える。
リアもすぐにアリシアの肩へ手を置き、自分のそばへ寄せた。
「アリシア、ここにいてください」
「うん」
クランは扉の前で一度動きを止めた。
中から声はしない。
物が動く音も聞こえない。
ゆっくりと扉を押す。
蝶番が小さく鳴った。
人ひとりが通れるほど開いたところで、クランはその先を確かめた。
人影はない。
剣の柄から手を離さず、一歩、中へ入る。
リアはアリシアを前へ出さないようにしながら、少し間を空けて続いた。
窓は閉じている。
大きく物が動かされた様子も、何かを探して荒らしたような跡もない。
曲がり角では、クランが先に足を止めた。
その向こうを確かめ、振り返って目だけで二人へ合図する。
リアがアリシアの手を引いて追いつくと、また前へ出る。
普段なら気にも留めない扉や物陰へ、リアも目を向けた。
そうして屋敷の中を進んでも、人の姿はなかった。
クランが足を止め、しばらく周囲へ耳を澄ませる。
やがて、剣の柄に置いていた手を少し緩めた。
「誰もいない」
「はい」
リアもようやく息を吐いた。
けれど、玄関の鍵が開いていた事実は残っている。
改めて、普段使っている場所へ目を向けた。
いつもそこにあるものを、記憶と照らし合わせていく。
クランが尋ねる。
「なくなった物は?」
リアはすぐには答えなかった。
もう一度周囲を確かめてから、首を振る。
「今のところは、何も」
「なら、何のためだ……」
リアは答えなかった。
目立って壊されたものも、荒らされた様子もない。
持ち去られたと分かるものも、今のところ見つからない。
それでも、出る時に掛けたはずの鍵は開いていた。
短い沈黙の中で、アリシアがリアの袖を引く。
「りあ」
「はい?」
「もう、だいじょうぶ?」
リアはアリシアを見下ろした。
「今は、誰もいないようです」
「そっか」
アリシアは頷いた。
リアは玄関へ戻ると、扉を閉めて内側から鍵を掛けた。
錠の収まる音が、静かな屋敷の中に響く。
取っ手を一度確かめる。
今度は動かなかった。
「おじ様には知らせておきます」
「ああ」
クランが短く返した。
それ以上、二人は推測を口にしなかった。
◇
グレース渓谷、リュゼル砦。
机の上には、周辺の戦線図が広げられていた。
その向こうで、シャルロットがノエラの報告を聞いていた。
「騎士クランとアズワール隊長の動向を確認しました」
シャルロットがノエラへ目を向ける。
「二人の所在は?」
「最後に確認した地点はマルムです。その後の移動までは追えていません」
ノエラはそこで言葉を切り、続けた。
「ただ、二人がリア・グローリーと行動を共にしていることは確認しています」
シャルロットはわずかに目を細めた。
クランとプレデリカ。
二人の所在と、行動を共にしている者については、ノエラに確認を命じていた。
「リア・グローリー本人で間違いありませんか」
「はい」
迷いのない返答だった。
「確認できた範囲では、継続して接触しています」
「具体的には?」
「ベルダイル領で、リア・グローリーはワトル伯爵の使者としてベルダイル侯爵と面会しています。その際、騎士クランが護衛として同席していたようです」
シャルロットは黙って続きを待った。
「アズワール隊長は、その面会には同席していません。その後、二人と合流しています」
ノエラは事実だけを区切るように報告していく。
「その後、三人は元ベルダイル騎士の強化兵と交戦しています」
「強化兵がベルダイル領に?」
「はい。ゲイツが調整を行った者です」
シャルロットの表情がわずかに引き締まった。
「結果は?」
「倒しています」
短い沈黙が落ちる。
所在を確認するだけなら、それで終わる話だった。
だが、クランとプレデリカは一時的に行動を共にしているだけではない。
その二人とリアとの接点も、継続している。
シャルロットは一度、机上の戦線図へ視線を落とした。
「グローリー邸についても確認したのですね」
「はい」
ノエラは短く答える。
それから、わずかに間を置いた。
「その屋敷について、もう一つ報告があります」
シャルロットが顔を上げた。
「何ですか」
「グローリー邸の奥に、肖像画がありました」
「肖像画……ですか?」
「王家の肖像画です」
シャルロットの表情が変わった。
「描かれていたのは?」
「トライアス王と王妃、それにリシュア王女殿下です」
シャルロットはすぐには答えなかった。
王と王妃、そして行方の分からなくなった王女。
その三人を描いた肖像画が、グローリー邸にある。
「……なぜ、グローリー邸に王家の肖像画が?」
「分かりません」
ノエラは首を横に振った。
「奥の私的な部屋に置かれていました。布が掛けられていて、普段は見えないようになっていたと思います」
シャルロットは眉を寄せた。
少なくとも、人目につく場所に飾られていたものではない。
「それと、もう一つあります」
「何ですか」
「リシュア殿下が、リア・グローリーによく似ていました」
シャルロットが僅かに息を飲んだ。
「……似ていた?」
「はい」
グローリー邸の奥にある王家の肖像画。
その中のリシュアが、リアに似ている。
それが何を意味しているのか、シャルロットは考えずにはいられなかった。
「どの程度ですか」
「髪と瞳。それだけではありません。顔立ちも似ていました」
「肖像画のリシュア殿下は?」
「今のリア・グローリーより幼く見えました」
シャルロットは少し考えた。
リシュアが行方を絶ったのは、およそ五年前だ。
肖像画がそれ以前に描かれたものなら、現在のリアより幼く見えても不自然ではない。
しかも、髪や瞳だけでなく、顔立ちまで似ているという。
シャルロットはノエラへ目を戻した。
「これだけで、リア・グローリーがリシュア殿下本人だと断定することはできません」
「はい」
「ですが、確認せずに済ませることもできません」
ノエラが頷いた。
シャルロットは続ける。
「確認が取れるまで、この件は他言しないでください」
「わかりました」
ノエラはそれ以上尋ねなかった。
短い沈黙のあと、シャルロットが告げた。
「フェルナンド副騎士長を呼んでください」
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