第61話 決戦、深湖竜ヴァルネス
奥の扉が開いた。
神官長は扉の向こうを確かめてから、クランたちを見る。
「中へ入った後も、こちらから封印を維持します。ただ、完全には抑えられません」
「ああ、頼む」
クランは短く答えた。
プレデリカが槍を構える。
リアも剣へ手を添えた。
エルフィーナの視線が一度、クランへ向いた。
「私もお手伝いします。支援魔術なら使えますので」
クランは短く頷いた。
四人は扉の向こうへ入った。
管理側から続く石造りの通路は、すぐに広い区画へ出た。
整った広間ではない。
壁の位置も、床の高さも揃っていなかった。
ところどころに古い石組みが残り、その間を青白い線が走っている。
奥には、閉じた石造りの水門があった。
その向こうから、かすかな水音がしていた。
だが、区画の中へ流れ込んでいる水はない。
クランは足を止めた。
大きな影が動いた。
あれが深湖竜ヴァルネスだろう。
床が震える。
ヴァルネスが、ゆっくりと身体を起こした。
頭が上がる。
その動きだけで、四人を見下ろすほどの高さがあった。
「来るわ」
プレデリカが槍を前へ出す。
次の瞬間、巨体が咆哮とともに動いた。
「散ってください!」
リアの声と同時に、四人がそれぞれに散る。
ヴァルネスの前脚が床を叩いた。
石が割れた。
砕けた破片がクランたちへ飛ぶ。
「《ホーリーウォール》!」
エルフィーナの声と同時に、淡い光が広がった。
石片が光の壁へ当たり、勢いを失って床へ落ちていく。
クランは光壁の脇を抜けた。
ヴァルネスの側面へ回り、剣を振るう。
──硬い。
刃は浅くしか入らない。
それでも、ヴァルネスの頭がクランへ向いた。
その隙に、リアが反対側から斬り込む。
プレデリカの槍が低く走った。
三方向。
ヴァルネスが一歩下がる。
その足が、床を走る青白い線へ重なった。
その瞬間、踏み込みが鈍った。
巨体が一度だけ重く沈む。
プレデリカが見逃さない。
槍の穂先が前脚の内側へ入る。
ヴァルネスが身体を振った。
「隊長!」
クランが声を上げるより早く、プレデリカは槍を引き、後ろへ跳んだ。
直後、尾が石床を薙ぐ。
リアがさらに距離を取る。
エルフィーナも壁際へ移った。
クランはヴァルネスを見る。
動けないわけではない。
だが、青白い線へ踏み込んだ時だけ、明らかに動きが鈍った。
神官長の説明を思い返すまでもなかった。
目の前で起きたことだけで十分だった。
封印は、まだ働いている。
ヴァルネスが低く身体を沈めた。
「また来ます!」
リアが叫ぶ。
巨体が前へ出た。
今度はクランたちではない。
進む方向が違う。
クランは視線を追った。
水門。
「あっちを狙ってる」
ヴァルネスが水を求め、水路側へ身体を向ける。
プレデリカが回り込んだ。
「行かせないわ」
槍が突き出される。
ヴァルネスは前脚でそれを払った。
プレデリカの身体が押し戻される。
石床を靴が滑った。
「《リインフォース》!」
エルフィーナが補助魔法を使用し援護する。
淡い光がプレデリカを包む。
ヴァルネスがもう一度前へ出た。
プレデリカは槍を斜めに立てる。
今度は押し切られない。
穂先で前脚の向きを水路から外へ逸らした。
巨体がわずかに逸れる。
その前脚が石床を削った。
水門側の古い溝の縁が砕けた。
石の継ぎ目から、細い水がにじみ出す。
ヴァルネスの前脚の先へ触れた。
一瞬だった。
だが、次の踏み込みが違った。
それまでより、明らかに速い。
リアが横から斬りつけ、進路をずらそうとする。
だが、押し返された。
「リア!」
「大丈夫です!」
リアは体勢を立て直しながら横へ退く。
ヴァルネスがもう一歩、水のある方へ出ようとする。
クランは剣を握り直した。
この程度の水で、これだけ変わる。
これ以上、先へ行かせるわけにはいかない。
水門の向こうには、もっと水がある。
ヴァルネスが再び踏み込む。
クランは横から飛び込み、剣を振った。
頭がこちらへ向く。
牙が見えた。
身体を捻って避ける。
左腕へ力を入れた瞬間、肩の奥に張りが走った。
激痛ではない。
だが、戦う前より重い。
「クランさん!」
エルフィーナがこちらを見る。
「肩ですか?」
クランは一度だけ左肩を動かした。
「……少しだけ張ってる」
「分かりました。無理に大きく振らないでください」
「ああ」
ヴァルネスが水路側へ向き直る。
リアがその前へ入った。
「クラン」
剣を構えたまま、リアが言う。
「こちらは任せてください」
クランは水門とリアを見た。
自分が残って二人で止めることもできる。
だが、その間、中央へ回れる者が減る。
「……任せた」
クランは水路側から離れた。
リアの横には残らない。
中央へ回る。
背後で剣と爪がぶつかる音がした。
振り返らなかった。
◇
中央へ戻ると、見えるものが変わった。
ヴァルネスだけを追っていた時には見えていなかった。
水路側でリアが進路を塞いでいる。
プレデリカが正面からではなく、巨体の横へ回っている。
エルフィーナは壁際に位置を取り、三人を同時に見ていた。
床には青白い線が残っている。
ヴァルネスがそれを踏むたび、ほんのわずかに動きが重くなる。
完全に止まるわけではない。
それでも、その一瞬はある。
クランは剣を構えたまま、待つ。
ヴァルネスがリアへ頭を向ける。
リアは正面から受けず、半歩ずつ位置をずらしていた。
水門から離すように。
プレデリカの槍が右前脚を狙う。
ヴァルネスがそれを嫌って足を引く。
次の瞬間、胸側がわずかに開いた。
すぐ閉じる。
クランは目を細めた。
もう一度。
リアが剣を見せる。
ヴァルネスの頭がそちらへ向いた。
プレデリカが右前脚へ槍を入れる。
巨体がわずかに捻れ、胸側に隙間が生まれる。
「隊長」
クランが呼ぶ。
プレデリカは振り向かなかった。
「見えているわ」
それだけ返ってきた。
ヴァルネスが唸り、身体を沈める。
今までより深い。
水路へ一気に抜けるつもりだ。
リアが剣を上げる。
「止めます」
巨体が動いた。
リアが進路へ踏み込む。
その剣がヴァルネスの頭部の前を横切った。
ヴァルネスの頭がリアを追う。
水門へ向いていた進路がわずかに外れた。
そこへプレデリカが踏み込む。
槍を低く滑らせる。
穂先が右前脚の動きを捉えた。
真正面から止めるのではない。
踏み出す脚の向きを崩す。
ヴァルネスの前半身が傾いた。
胸側が開く。
今までで一番大きい。
「クランさん!」
エルフィーナの声が届いた。
「《フロウ・ブレス》」
淡い光が身体を通り抜ける。
呼吸が一つ深く入る。
握り込んでいた指から余計な力が抜けた。
剣先が静まり、視野が広がる感覚を覚える。
クランは踏み込んだ。
左肩を大きく振らない。
身体ごと前へ出る。
リアが頭を引きつけている。
プレデリカが右前脚を崩している。
ヴァルネスの胸側は開いたままだ。
剣を突き込む。
硬い感触を覚えたが止まらない──剣を、その先へ押し込む。
ヴァルネスの巨体が震えた。
頭がこちらへ戻ろうとする。
クランは剣を引かなかった。
一歩、さらに奥に踏み込む。
崩されていた右前脚が支えきれずに沈んだ。
巨体が傾く。
そのまま全身から力が抜けた。
石床を揺らしながら、ヴァルネスの身体が落ちる。
クランは剣を抜き、すぐに距離を取った。
誰もすぐには近づかなかった。
四人とも、その場で構えを崩さない。
しばらく待つ。
尾も、前脚も動かない。
ヴァルネスは完全に沈黙した。
リアがゆっくりと剣先を下げた。
プレデリカも槍を下げる。
クランは倒れた巨体を見た。
リアが頭を引きつけた。
プレデリカが脚を崩した。
エルフィーナが支えた。
だから、自分の剣が届いた。
「助かりました、クラン」
リアの声がした。
クランは彼女を見る。
「……俺もだ」
リアは小さく頷いた。
それ以上は言わなかった。
エルフィーナがすぐクランのそばへ来る。
「左肩を見せてください」
「ああ、頼む」
腕を大きく動かさないようにして向きを変える。
エルフィーナが肩へ軽く触れた。
「先ほどより?」
「少し強い」
「分かりました。後で薬をお渡しします。これ以上の無理は駄目です」
「ああ」
プレデリカが倒れたヴァルネスを見て小さく息を吐く。
「動きはないわ」
リアは水門へ目を向けた。
床の青白い線は、ところどころ細い。
だが、まだ消えてはいなかった。
閉じた水門の手前で、細い水だけが溝を流れていた。
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