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第43話 槍と剣


 敵が詰めるより早く、二人は同時に動いた。

 動き出した方向は違う。


 先に間合いを支配したのは、プレデリカだった。


 槍の穂先が低く走る。

 正面の兵が、踏み込みかけた足を止めた。


 止められたのは一人だけではない。

 槍の長さを見た周囲の兵が、同時に半歩遅れる。


 その遅れへ、クランが入った。

 低い姿勢のまま、右から来た兵の剣を弾く。


 受け止めるのではない。

 刃の横を叩いて軌道をずらし、そのまま肩で相手の胸元へぶつかった。


 兵がよろめく。

 そこへ、プレデリカの槍の柄が入り、相手の膝裏を払った。


 倒れた兵を、クランは踏み越えない。

 横へずれ、次の相手の進路を塞ぐ。


「左」


 プレデリカの声が飛んだ。


「はい」


 クランは短く答え、言われた方へ身体を滑らせる。

 一瞬前までクランがいた位置を、槍の穂先が通った。


 踏み込もうとしていた兵の剣が止まり、腕ごと外へ弾かれる。

 クランはその横から入り、剣の柄で相手の腹を打った。


 殺さない。


 だが、動けなくする。

 それだけで十分だった。


 シストの目が細くなる。


「前衛、距離を詰めすぎるな」


 すぐに声が飛んだ。


「槍の間合いに入るな。剣の男は足元を狙ってくる。弓兵は右を塞げ。魔術兵、退路を潰せ」


 命令は的確だった。


 兵たちが一度下がり、弓兵が木々の間へ位置を変える。

 魔術兵の手元に淡い光が集まり、地面へ低く走った。


 湿った土が固まる。

 次に、別の場所がぬかるむ。


 足場を選ばされている。

 プレデリカはそれを見て、眉を寄せた。


「良い指揮ね」

「感心している場合ですか」

「だから厄介なのよ」


 そう言いながら、プレデリカは槍を引いた。


 ただ下がったのではない。

 クランの立つ位置を残し、敵が押し込みたい道だけを塞ぐ。


 槍の間合いが、林道の幅を支配していた。

 だが、プレデリカの呼吸は浅くなっている。


 走り続けた疲労。

 追い込まれた末の包囲戦。


 肩口に走った浅い傷から、血が銀鎧の縁を濡らしていた。


 それでも、槍は乱れない。

 乱れないからこそ、無理をしているのが分かった。


 クランは何も言わなかった。


 言えば、彼女は否定する。

 そして否定する分だけ、余計な力を使う。


 前衛の一人が、プレデリカの戻りの遅れを見た。


 突っ込んでくる。

 クランはその前へ出た。


 剣で受けない。

 相手の腕ごと身体を押し込み、近くの木の根へ足を引っかけさせる。


 兵の体勢が崩れる。

 クランはその肩を押し、泥の上へ倒した。


「無茶な受け方ね」

「通りました」

「そういう問題ではないわ」


 プレデリカは短く返しながら、倒れた兵を越えてくる別の剣を槍で止める。


 その声に、怒りはなかった。

 呆れと、わずかな確認だけがある。


 クランがどう動くのか。

 昔から、彼女はそれを見ていた。


 綺麗ではない。

 だが、止まらない。


 シストは手を上げた。


「焦るな。相手を倒そうとするな。進路を削れ」


 弓兵が動く。

 逃げ道を塞ぐ位置へ、矢が放たれた。


 クランが足を出しかけた場所に、矢が刺さる。

 魔術の光がその先の土を弾いた。


 泥が跳ねる。

 前衛が、その瞬間を狙って詰めてくる。


 シストは、クランたちを倒そうとしていない。

 動ける場所を減らし、向かわせたい方向へ追い込んでいる。


 上手い。

 クランはそう判断した。


 だが、読みやすくもあった。


 包囲は正確だ。

 正確だから、崩す場所も見える。


 クランは足元の泥を蹴り上げた。


 派手ではない。

 ほんの一瞬、前衛の視線を奪うだけの動き。


 だが、それで十分だった。


「今」


 プレデリカが言った。

 クランは動いた。


 泥で視界を乱した前衛の横へ入り、剣の腹で手首を打つ。

 武器を落とした相手を、プレデリカの槍が肩で押し返した。


 その兵が下がったことで、後ろにいた弓兵の射線が塞がる。


 撃てない。

 シストがすぐに気づく。


「右を塞げ!」


 兵が動く。

 だが、一手遅い。


 プレデリカの槍が、横へ広がろうとした前衛の足を止めた。

 クランはその内側へ入る。


 剣を振るう。

 斬るためではない。


 相手の剣を下から叩き上げ、空いた胴へ肩をぶつける。

 兵が後ろの者にぶつかり、隊列が詰まった。


 そこへプレデリカが踏み込む。

 槍の石突が地面を打ち、泥が跳ねる。


 穂先が、前衛の喉元寸前で止まった。

 兵が動けなくなる。


「下がりなさい」


 プレデリカの声は乱れなかった。


 兵が反射的に引く。

 そのわずかな隙間を、クランが抜けた。


「クラン」

「はい」

「そこは私の間合いよ」


 クランは身を沈める。

 頭上を、プレデリカの槍が通った。


 横から踏み込んだ兵の剣が弾かれ、肩口を柄で打たれる。

 兵は声を漏らし、膝をついた。


 クランはその横を通る。


 プレデリカの槍の内側へ入りすぎない。

 だが、離れすぎもしない。


 彼女が止めた相手を、クランが崩す。

 クランが乱した位置を、プレデリカが整える。


 整った槍と、泥臭い剣。


 同じ形ではない。

 それでも、進む先だけは重なっていた。


 泥の上で、ラッセルが小さく呻いた。

 だが、起き上がる気配はない。


 誰も振り向く余裕はなかった。


「二人を離せ!」


 シストの声が飛ぶ。


「前衛は左右へ広がれ。弓兵、奥の人影を確認しろ」


 その言葉に、クランの意識が一瞬だけ林道脇へ向く。


 リアとアリシアがいる。


 木の陰。

 灰色の外套。

 白い帽子の、わずかな輪郭。


 このまま時間をかければ、見つかる。

 プレデリカも同じことを理解したらしい。


「長引かせないわ」

「はい」

「正面を薄くする。貴方は右を崩しなさい」


 クランは答えるより先に動いた。


 右へ出る。

 弓兵がそちらを狙う。


 前衛が止めに入る。

 クランは踏み込むと見せて、足を止めた。


 追ってきた兵の足元に、さっき倒れた兵の剣が落ちている。

 クランはそれを蹴った。


 剣は泥の上を滑り、前衛の足元へ入る。

 兵が足を乱した。


 そこへ、クランの剣が横から入る。

 刃ではなく、柄。


 肘を打つ。

 武器が落ちる。


 クランは相手を押しのけた。

 その瞬間、プレデリカが正面の薄くなった場所を抜いた。


 槍の穂先が低く走り、前衛二人の動きを止める。

 深青の外套が、泥を払うように翻った。


 彼女は一人を倒したのではない。

 道を作った。


「抜けるわ」


 プレデリカが言う。


「はい」


 クランは、彼女の後ろに続いた。

 背後から来る剣を受ける。


 重い。

 受けきらず、身体ごと横へ流す。


 相手の剣が木の幹へ当たった。

 その腕をクランが掴み、肘を押し込む。


 兵が呻く。


 プレデリカの槍がその前方を塞ぎ、別の兵を近づけない。

 二人はそのまま、包囲の薄い場所へ押し出た。


「魔術兵、止めろ!」


 シストの声。

 魔力の光が走る。


 クランは足を止めかけた。

 だが、プレデリカが先に槍を地面へ突き立てる。


 光が槍の柄をかすめ、土を弾いた。


 泥が跳ねる。

 プレデリカの腕がわずかに揺れた。


 疲労が出た。

 クランは前に出る。


 プレデリカの前ではない。

 横だ。


 倒れた前衛の盾を拾い上げる。

 まともには構えない。


 ただ、投げた。

 盾は回転しながら泥を散らし、魔術兵の足元へ落ちる。


 魔術の光が乱れた。


「無茶ばかりね」

「間に合いました」

「本当に、そういう問題ではないのよ」


 それでも、プレデリカは止まらなかった。

 二人は林道脇へ抜ける。


 リアがアリシアを庇ったまま、こちらを見ていた。

 アリシアの顔が上がる。


「くらん」

「戻った」


 クランは短く答えた。


 リアはすぐに周囲へ目を向ける。

 安心するより先に、次の動きを見ている目だった。


「話は後にしましょう。今はここを離れるのが先です」


 プレデリカの視線が、リアへ向く。


 金髪の若い騎士。

 整った立ち姿。


 その振る舞いは、一介の騎士には見えない。

 だが、今は問う場面ではなかった。


 次に、プレデリカはアリシアを見る。

 灰色の外套の陰から、白い髪が少しだけ見える。


 小さな手が、リアの袖を握っていた。

 プレデリカの目が、わずかに細くなる。


「……その子は」


 クランは答えた。


「エラール村にいた子です」

「やはり、あの時の少女なのね」


 それ以上は聞かなかった。

 今、立ち止まれば、追いつかれる。


 シストが前方で手を上げた。

 追おうとした兵が足を止める。


「追うな」


 シストの声は、苦いほど冷静だった。


「負傷者を回収し、隊列を立て直せ」

「しかし、シスト卿」

「今の状態で森に入れば、こちらが崩される」


 シストは泥のついた林道を見た。


 倒れた兵。

 落ちた武器。

 乱れた射線。


 そして、森へ消えようとしている二人の騎士。


「追跡は立て直してからだ」


 兵は反論しなかった。

 シストは倒れた兵たちを見て、それから林道の奥へ視線を向ける。


 そこにいた者たちの姿は、木々の影で完全には見えない。


 金髪の騎士らしき人影。

 小柄な少女。


 元ルクレール騎士。

 そして、離脱した上級騎士。


 十分すぎるほどの異常だった。

 それでも、今すぐ追える状況ではない。


 プレデリカは一度だけ背後を見た。


 泥の上に倒れた兵。

 指示を出すシスト。

 いまだ起き上がらないラッセル。


 戻れない場所が、そこにあった。


「隊長」


 クランが呼ぶ。

 プレデリカは前を向いた。


「分かっているわ」


 追手の声は、まだ森の向こうに残っている。

 それでも、今は足を止めるわけにはいかなかった。


 クランは後方を警戒しながら、リアたちの後を追う。

 プレデリカも、何も問わずに槍を握り直した。


 四人は、林道の奥へ急いだ。


 ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


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 次回もよろしくお願いいたします。

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