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第42話 選ぶ理由


 クランが林道へ出る、少し前。


「伏せろ」


 クランが告げるのとほとんど同時に、リアはアリシアの肩を抱き寄せ、林道の脇へ身を低くした。


 アリシアは小さく息を呑んだが、声は上げなかった。

 灰色の外套の下で、白い帽子のつばを両手で押さえている。


 クランは二人の前に立ったまま、音のした方を見た。


 木々の向こうで、影が動いている。

 最初に分かったのは、数だった。


 一人ではない。

 二人でもない。


 金属の擦れる音。弓弦の軋む音。土を踏む足音。

 それらが林道の奥で、いくつも重なっている。


 誰かが追われている。

 そう判断するまでに、時間はかからなかった。


 クランは腰の剣に手を添えたまま、目を細める。

 包囲している側の装備には、見覚えがあった。


 銀の鎧。

 深い色の布地。


 乱れの少ない隊列。

 ルクレール騎士団。


 ならば、追われているのはベルダイル兵か。

 そう思った直後、包囲の中心にいる人物が、木々の隙間から見えた。


 肩口で切り揃えられた蒼い髪。

 囲まれてなお折れない背筋。


 泥に汚れた外套。

 そして、乱れの少ない槍の構え。


 槍が弧を描いた。

 正面の兵が止まる。


 別の兵が踏み込むより早く、柄がその足を払った。


 倒れた相手へ、穂先は向けない。

 すぐに槍を戻し、次の前進だけを止める。


 殺していない。

 あの戦い方を、クランは知っていた。


「……隊長」


 声は小さかった。

 だが、リアには届いたらしい。


 彼女はアリシアを庇ったまま、クランを見る。


「知っている人なのですか?」

「……ああ」


 プレデリカ・ヴァン・アズワール。


 かつての上司。


 平民出身の自分を、騎士として見てくれた人。

 エラール村で、最後に道を閉ざさなかった人。


 その人が今、同じルクレールの騎士たちに囲まれている。


 理由は分からない。

 分からないが、状況は見えた。


 プレデリカは不利だった。


 弓兵と魔術兵が距離を取り、前衛は槍の間合いへ不用意に入らない。

 包囲は一度崩れても、すぐに別の兵が穴を埋める。


 捕らえるための包囲だ。

 そして、プレデリカもそれを分かっている。


 本気で殺しにいけば、抜けられる場所はあったかもしれない。

 だが、彼女はそうしていない。


 倒す。

 退かせる。

 動けなくする。


 それ以上には踏み込まない。

 だから、包囲を抜けきれない。


 クランは歯を噛みしめた。


 助けたい。

 思った瞬間、その言葉だけははっきりした。


 けれど、今の自分は一人ではない。

 リアは、ワトル伯爵の書状を託された使者としてベルダイルへ向かっている。


 アリシアもいる。

 ここで戦闘に加われば、二人を危険にさらす。


 ルクレールの騎士に見つかる。

 戦闘になる。


 アリシアの存在を知られる危険もある。

 迷う理由なら、いくらでもあった。


 それでも、目を逸らす理由にはならなかった。


 見捨てれば、また同じだ。

 守れなかったものを数えて、何もできなかったと黙るだけの自分に戻る。


「クラン」


 リアの声がした。

 クランは振り返らない。


 視線は、林道の奥の包囲から離せなかった。


 リアは責めなかった。

 急かしもしなかった。


 ただ、静かに問う。


「貴方は、どうしたいのですか?」


 その言葉で、胸の奥にあったものが形を持った。


 正しいかどうかではない。

 勝てるかどうかでもない。


 命じられたからでも、許されたからでもない。

 自分が、どうしたいのか。


 プレデリカの槍が、大きく弾かれた。

 彼女は即座に腰の剣を抜く。


 だが、剣では包囲を制御できない。

 前衛が一歩、距離を詰める。


 クランは低く言った。


「……助けたい」

「はい」

「だが、二人を危険にさらす」


 リアはすぐには答えなかった。

 アリシアを抱く腕に、少しだけ力を込める。


 それから、クランを見た。


「アリシアは私が守ります」


 迷いのない声だった。


「貴方は、必要だと思うことをしてください」


 クランは少しの迷いの後に、静かに頷いた。


「……頼む」

「お任せください」


 アリシアが、小さくクランを見上げる。


「くらん」


 その声は震えていた。

 けれど、止める声ではなかった。


 クランはアリシアを見る。


「……すぐ戻る」


 それだけ言って、身を低くした。


 まだ、こちらには気づかれていない。

 正面から飛び込めば、ただ囲まれるだけだ。


 まず、一つ崩す。


 足元に石があった。

 拳より少し小さい。角があり、雨を吸って重い。


 クランはそれを拾った。

 狙うのは、プレデリカに最も近い前衛。


 剣を構え、彼女へ踏み込もうとしている兵。

 呼吸を止める。


 投げた。

 乾いた音がした。


 兵の兜が横から弾かれる。

 身体が傾き、そのまま泥の上へ崩れ落ちた。


 包囲の全員が、こちらを向いた。

 もう隠れている理由はない。


 クランは林道へ出た。

 プレデリカが目を見開く。


「──クラン」


 その声には、驚きと疑問が混じっていた。


 けれど、クランはすぐには答えなかった。

 今は話している時間がない。


 シストがこちらを見る。

 その顔には、見覚えがあった。


 ルクレール騎士団にいた頃、訓練場や報告の場で何度か見た騎士だ。

 親しいわけではない。だが、名前と顔を知られていてもおかしくはない。


「クラン……元第七騎士団の」


 シストの目が鋭くなる。


「なぜ、ここにいる」


 クランは答えない。

 視線は、地面に落ちている槍へ向いていた。


 プレデリカの槍だ。


 深青の柄。

 銀の穂先。


 泥の上に落ちても、それはまだ、ただの武器には見えなかった。


 クランは走った。


「止めろ!」


 シストの声が飛ぶ。


 ルクレール騎士団が動く。

 クランは剣を抜かないまま、低く身を沈めた。


 迫ってきた兵の足元へ、残っていた小石を投げる。

 兵が一瞬だけ踏み込みを乱した。


 その隙に、クランは槍のそばへ滑り込む。


 蹴って動かすこともできた。

 だが、そうはしなかった。


 彼女の槍を、そんなふうには扱えない。

 クランは石突の近くを掴み、泥の上を滑らせるようにして、槍をプレデリカの足元へ戻した。


「隊長、槍を」


 プレデリカは一瞬だけ眉を寄せる。

 それでも迷わず、柄を掴んだ。


「……後で、槍の扱いについて話すわ」

「……すみません」

「謝るのは後にしなさい」


 プレデリカの声は乱れていなかった。

 だが、その手に槍が戻った瞬間、林道の空気が変わった。


 彼女は剣を腰へ戻し、槍を構え直す。

 穂先が前を向く。


 その横で、クランはようやく剣を抜いた。


 低く構える。

 正統の型ではない。


 足場を見る。

 敵の数を見る。


 プレデリカの間合いを邪魔しない位置を取る。

 シストは、クランへ視線を向けた。


「元第七騎士団、クラン。脱走したことは聞いている。貴方も捕縛対象だ」

「……そうか」


 返事は短かった。

 シストは次に、プレデリカを見る。


「アズワール隊長。元部下まで巻き込むおつもりですか」

「私が呼んだわけではないわ」


 プレデリカは槍を構えたまま答える。


「でも、彼が自分でここに立ったのなら、その判断は無駄にしない」


 シストの目がさらに細くなった。


「ならば、二人とも拘束する。極力殺すな。だが逃がすな」


 兵たちが動く。


 弓兵が位置を変える。

 魔術兵の手元に光が集まる。


 前衛が、今度は二人分の間合いを測るように広がった。

 プレデリカが、わずかにクランを見る。


「手伝ってくれるのね?」

「はい」

「なら、私の間合いに入らないようにしなさい」

「分かっています」

「本当に?」

「……癖は覚えています」


 プレデリカが小さく息を吐いた。


「なら、信じるわ」


 シストの号令が飛ぶ。


「前衛、詰めろ!」


 濡れた林道に、兵たちの足音が重なった。


 ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


 皆様からいただく、応援やコメント、ブックマークが執筆への励みになります。

 良ければ、ポチッとしてくださると嬉しいです。


 次回もよろしくお願いいたします。

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