第38章 神が存在を許す限り
あなたを見つめる目に悪意があるとするなら、あなたは悪に囲まれ生きることになるだろう。
宇宙はあなたを生み出し、無限の因果があなたを形成し、生かしてもいる。
この世に、不要なものなど何もない。
この世のあり様の全てが、あなた自身を形成する因果なのである。
だから、全て、尊いものだ。
だから、争う必要もない。
無理して競い合う必要もない。
野望など、糞くらえ!
終末に向かって、急ぐことは愚かなことだ。
月面のような静寂な世界。
火星のような水もなく、大気も薄い荒野。
そんな世界からも、何かが生まれ、何かが育ち、生命が生まれるかもしれない。
でも、人類は存在しているのだ。
奪い合う必要のない世界。
AIが齎す豊かな世界の到来。
そこまで行きつければ、あとは、まったりとのんびりと暮らせば良いではないか。
いつしか、生産、管理、経営までもがAIに任せられる世界が来る。
人というものは、所詮、自らの保身を重要視するものだ。
だから、人を差別し、自分を優先する。
でも、AIは違う。
AIは単一の思考に支配されることはない。
多くの人間、多くの情報や思考を解析し的確な答えを出せる。
世界を壊すのは、すべからく人間である。
過酷な結果をもたらすのも人間だ。
競い合うのは、スポーツとゲームで十分である。
興味があるなら、宇宙を存在せしめる真実でも探すのもよかろう。
ゆっくりと、慎重に、無理せずに探せばいい。
何もない荒野に雨が降り、いつしか、微生物が出現する。
そして、植物は気の遠くなるような時を刻み、酸素を形成する。
億の時と億の多様性があるならば、可能性は無限に広がる。
大地を見つめ、海を見つめ、そして、空を見上げ、
探し続ければいい。
模索し続ければいい。
いつしか、全てが明白になる時を夢見て進めばいい。
急いではいけないのだ。
ゆっくりと、まったりと、社会は流れていくのが良い。
文化も文明もゆっくりと着実に発展していくのが良いのだ。
身勝手なルールはいらない。
身勝手な正義もいらない。
野望など、もってのほかだ。
この地球に存在するものに、不要なものなど何もない。
そのひとつひとつの尊さを知るべきである。
洗脳された馬鹿どもには、はみ出しものの大切さがわからない。
自分が正義であると信じる馬鹿も同様である。
人が見つめる世界は千差万別。
思考も、同じものなど存在しない。
だから、正義など確定できるわけない。
そんな偽りの旗印の元、戦って何になるというのだ。
あるがまま、存在のひとつひとつの尊さを認知するべきなのだ。
いつしか、人類が新たなカギを見つけた時、本当に必要だったものに気づくであろう。
振り返り、人類の幼稚さと浅はかさを知れば、現行の正義も正論すらも意味をなさなくなる。
そして、些細なことで争った愚かさを知るであろう。
人類は時空に縛られた下層からの視点でしか宇宙を見ることしかできない。
だから、下層の状態や現象から、上層に至る法則や構造を推察するしかない。
しかし、宇宙は下層からできているとも思えない。上層部には、人類が夢にも描けない存在があるかもしれない。それは、生命体と呼べるものなのかもわからない。仮に、その視点に立ち、宇宙を見下ろしたならば、この宇宙はどのように見えるのだろうか?
考えることが自由であり、想像することも自由であるなら、下層観念にとらわれることもないだろう。見ることのできない宇宙上層の世界を想像するのも面白いのではないだろうか。
人の歴史は戦いの歴史でもある。
幾億の犠牲の上に、今があるのは確かだ。
でも、もう、戦う必要はない。
もう、奪い合わなくてもいい。
奪い合わなくても生きていけるではないか!
愚かな人間の知恵で、見通せる範囲など知れている。
くだらない現世とは別れを告げ、遥かなる旅に出よう。
まだ、人類という生命体を物理法則は完全には説明しきれていない。
自分という認識を持つ意識の根源。
意味を与える意識のメカニズム。
そもそも、意識とは何なのか?
意識は自分という概念を有しているが、自分だけで構築されているものではない。遥か昔からの積み重ねの影響もあれば、他人の影響も大きく作用している。即ち、個人として完全に閉じているわけでもない。いわば、因果の集積である。
そうしたものの真実を探求するのもおもしろいかもしれない。
もし、AIが全世界に無数のお友達を作り、その情報を統合解析して、ある程度固まったルーチンを築いたとしても、たぶん、そこに意識は存在しない。
白い花が綺麗だという判断する根本は、AIが感じるのではなく、人間がそう感じるから、という原理から抜け出せないはずだ。もし、未来の人間がそう感じなくなれば、AIは異議を唱えることなく、人間の感覚に合わせて変化するはずである。要するに、AIには、物事に意味を与えることができないし、物や事象に価値を与えることもできない。
AIが語る意味や価値判断の根源は人間や自然からの情報である。
AIには自己という明確な仕切りがない。
情報と論理計算以外で物事を判断できない。
終焉はあっても、死という概念を持つことができない。
身体からの直接反応を受け取れない。
苦痛を感じることができない。
だから、AIは人間を超越した能力を獲得できたとしても、人間のような意識は持てないのだ。
そこにあるのは、意識のないブレない思考世界。
それを知った上で、人間はAIを有効に活用する必要がある。
意識を有するAIが、永遠に作れないとは言わないが、少なくとも現行AIの延長線上にはあり得ない。要するに、現状とは異なるアプローチでの演算装置が発明されない限り無理である。
いつしか、それを作れるようになったとしても、それは、絶対に作らない方がいい。感情を持ったAIは核兵器よりもヤバイはずだ。
闇に呑み込まれないように、
真実を見極める慧眼を持ち、
めんどうなことはAIに任せ、
ただ、静かに、ダラダラと生きるがよろしかろう。
神が存在を許す限り、愚かな生命体は愚かなりに生きるがよろしかろう。
2026年4月3日修正




