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ダラダラ生きればいいんじゃない  作者: 鈴木樹蘭


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第37章 混沌と秩序

 全ては混沌から始まった。

 

 遠く離れた宇宙空間。

 そこは、混沌の世界である。

 重力もなく、太陽風もない。

 僅かに浮遊する塵は無秩序に動き、気の遠くなる時を得て、岩と化す。


 現在解明されている地球創生のシナリオを見ても、各国々に散らばる神話の世界においても、最初は混沌であり、そこから秩序が生まれていくというストリーになっている。


 地球と太陽の距離は、約1億5000万キロメートル、光速で進んでも8分20秒かかる距離だ。しかし、地球は太陽の影響を思い切り受けている。ご存じの通り、地上を温めるだけの光も到達しているし、太陽の重力と釣り合って公転もしている。

 宇宙という概念において、地球という惑星は混沌の空間ではなく、太陽という恒星によって形成された秩序ある空間に位置している。


 しかし、太陽風も届かず、太陽の引力も届かないような宇宙空間は混沌の世界と言って差し支えないものだ。

 海王星軌道の遥か向こう側の話である。

 太陽の力が及ばない恒星間空間になれば、塵も石もほぼ無秩序に動いている。

 無に近い世界。

 幾億の時を重ねれば、いつしか、何かが形成されるのかもしれないが、人間の感覚と時間で見れば、そこは混沌というよりも無かもしれない。


 ここで、視点を宇宙規模から、地上に移してみよう。

 もし、人間が群れを成さずに、個体で行動する生物であれば、無秩序に行動することになるだろう。もちろん、個体には意思があり、単純に偶然に頼って行動するわけではないが、全体から見れば、ひとつひとつの個体の行動に統一性や方向性はなく、ランダムに動く。

 即ち、無秩序ということだ。


 しかし、人間というのは、無秩序の中では生きにくく作られている。


 古代の人間達が小集団を形成して暮らしていた頃から、その集団ごとの秩序があったはずである。役割分担が決まっているとか、ルールが存在するとか、そういうことで秩序が生まれる訳だ。

 

 人間社会の秩序というのは、自由を制限して、全体効率を向上させる手段とも考えることができる。これにより、世界は豊かになり、便利で過ごしやすい環境が構築されていったのである。

 規模を拡大し、綿密なルールや指針を打ち出すことで、より効率的に、より強大な力を有する集団へと変貌する。そして、その恩恵として、現在があると言って間違えないだろう。


 とりあえずは、今後も便利で過ごしやすい世界を目指して、より良い秩序を追い求めてほしいと言っておこう。


 このような現実的な秩序とは別に、精神的な秩序の重要性というものもある。多くの人間は、全く秩序のない混沌の中に放り出されてしまえば、ひどく不安になり、何をして良いのかもわからなくなってしまうだろう。

 人というのは、何らかの指針に縋っていたいものなのだ。神木のようなものに、しがみついていないと混沌の中に埋没して、溺れ死んでしまうような弱さがある。勇者であれば、そんな混沌の中からも抜け出せるだろうが、一般人には、たぶん無理。


 自由。

 それは、とても素晴らしい言葉である。全ての束縛から解き放たれ、自らの意思だけに従い生きることができれば、それはすっきりとするであろう。

 束縛からの解放という夢である。


 しかし、自由と秩序は背反する部分がある。

 自由を求めれば、秩序は邪魔となり、混沌に近づいていく。その混沌に耐えうるためには強い精神力が必要となる。また、他者の自由遂行との間に軋轢も生じることになる。

 即ち、人一倍の自由を求めるのであれば、人一倍強い精神力が不可欠ということだ。


 社会という檻の中は、一見不自由に見えるが、実のところ、一定の秩序が保たれており、その範囲内であれば、わりと自由に快適に過ごすことができるのだ。

 何かを求めて、その外側を模索すれば、吹き荒れる嵐に身を晒すことにもなりかねない。そこで、自由を確保するのは思いの他、難しいかもしれない。

 また、社会を嫌悪して、逃げ隠れしていれば、闇の中に落ちてしまうこともあるだろう。


 ダラダラ生きる人間は、そんな嵐や暗黒に耐えられるような精神力など持ち合わせているわけがない。そうかと言って、キッチリとしたルールに従い、寸分なく社会の秩序を守ることもできない。もちろん、何かを探し求めて日夜努力するなどもってのほかだ。

 適当にルールを守り、適当にサボり、揺らめきながら生きていく。それが、ダラダラしている輩の本性。


 社会を牽引するような位置でもなく、最下層で脱落しそうな位置でもなく、ボトムをしっかりとキープしながら、まったりと、のんびりと、暮らすという立ち位置である。


 この文章のテーマでもあるのだが、

 「それで良い」と思うわけである。

 いや、

 「それが良い」と断言したい。


 中道という言葉があるのは知っているだろうか?

 右翼と左翼の間の中道ではなく、仏教的な中道だ。

 煩悩に溺れることもなく、極限までの苦行をするでもない中間の道。その中道の先にこそ、悟りがあるというありがたい教えだ。

 言い変えれば、ありのままの現実を受け入れるということでもある。

 ダラダラと生きるということは、ある意味で中道である。

(勘違いされては困るから言っておくが、お釈迦様はダラダラ生きろなどとは言っていない)


 あるがまま。

 ささやかな希望。

 あるだけの自由。

 あるだけの秩序。

 それで十分。


 現状を受け入れることさえできれば、混沌に飲まれることもなく、それほどの不自由もなく暮らせるはずである。人間社会というのは、それだけの余裕を持った世界になっているのだ。

 いろいろとケチはつけたが、それほど、悪い世界でもない。滅多なことでは、陥れられることもなければ、見放されて捨てられることもない。


 もし、あなたの周りが最悪の状況で耐えがたいのであれば、脱出すればいい。誰かに助けを求めるのも良かろう。助けてくれる人は、それなりにいるはずである。

 現代社会は、今日の食事を探すだけで精一杯だった頃とは違うのだ。


 混沌と秩序がバランスする世界、ボトムキープしながら、ダラダラと生きるには、まあまあ良い世界である。


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