第36章 最初の一歩
「寒い、起きたくない。」
「暑くて、動きたくない。」
「もう、疲れた。何もしたくない。」
人は何を原動力として、一歩を踏み出すのであろう?
闇に閉ざされた世界。
一歩も動かないのであれば、その狭く儚い世界だけが見える世界の全てになってしまう。そうなると、その世界が、あなたにとって生きにくい世界であっても、そこから抜け出せなくなってしまう。
なので、闇の向こうに何があるのか、探る必要もあろう。
自分では変えられないことに囚われ続けるのは愚の骨頂。
他人というのは、あなたの都合に合わせてはくれないのが当たり前なのだ。だから、変化を求めるのであれば、まず、自分である。
自分が変わる。
自分が動くしかないのだ。
誰もいない荒野に座り込み、長い時間、思い悩んでいた。
風が吹き荒れ、大地を削り、そして、静かな夜が帳を下す。
天を仰ぎ、女神の姿を捜しても見えやしない。
夢、希望、そんなものが叶うと思っていたことが愚かだったのかもしれない。
全てに従い、流されていれば良かったのだろうか?
しかるに、他人のために、自分の意思を押し殺すのも楽しくはないだろう。自らの感情を抑えて生きることも、馬鹿馬鹿しい限りである。
子供の頃から植え付けられたルールや規範に縛られ続けるのも愚者の選択。
ルールも規範も守るメリットとデメリットは常に存在する。どうするかはケースバイケースであろう。
そこは、自分で考えて、決めるべきことだ。他人の意見に流されていては自己を喪失する。
やりたいことを十分にやれないような人生はつまらない。束縛は、最小限で良いはずである。
思いのまま、生きていきたい。
しかし、言葉では語れても、実現するのは難しいことだ。人は一人で生きているわけでもなければ、魔法を使えるわけでもない。しがらみなるものもあるだろうし、社会の決まり事や風習、常識などが邪魔することもある。
人は誰も自由である。
しかし、その自由を実現させるのは、簡単なことではない。
基本的には、やりたいことをすれば良いのであるが、その結果が需要なのも、また真理である。
例えば、周囲の反対を押し切って、好きなことをした場合、家族や隣人の理解を得られずに、孤立するなんてこともあるわけだ。そうなると、好きに行動したことが良い選択とも言えなくなってしまう。
また、身勝手な行動をしたがために、他人に多大な迷惑や損失をあたえてしまうこともある。下手をすれば、逮捕されて投獄なんてこともあるかもしれない。
要するに、自由を貫く場合、その根拠や理屈などよりも結果が重要なのだ。そこを予測できない人間は失敗する。それも、やり直しの利かない失敗に至りやすいのだ。根拠や理屈は、相手を説得する材料にはなるが、判断するネタにはならない。
判断の基準は、結果の予測である。
そうかと言って、周りに遠慮ばかりしていても、楽しくはないだろう。自らの感情を押し殺し、他人の顔色ばかりを窺っていたら、それこそ、自由を失い、最後は、身動きすら取れなくなるのがオチである。
「嫌な奴だと思われたくない。」
「他人に批判されたくない。」
「大切な友人を失うかもしれない。」
過剰な心配ばかりしていると、何もできなくなってしまう。
少々嫌な奴だと思われても、他人に批判されても、それで窮地に陥らないのであれば、許容範囲だろう。時には、多少のリスクを冒してでも進むべき時もあるはずである。
自由というのは、常に結果との兼ね合い。
遠慮しすぎてもダメだし、突き進み過ぎてもダメなものだ。
生まれたばかりの頃。
その時点では、自由を阻害するものはない。
未熟な身体能力の限りを尽くして、やりたいこと、できることをするだけだ。
そんな純粋な思いを忘れてしまい、身動き取れなくなっているとしたら、実に悲しいことである。折角、自由があるのに、遠慮しすぎて、一歩も動けなくなるなど愚の骨頂である。
最初の一歩を踏み出す勇気。
最初の一歩を踏み出す億劫さ。
人の心というのは常に揺れ動いているものかもしれない。
それを律すればよいのだが、口で言う程に簡単ではない。
何もしなければ、何も見えてこない。
楽しいことが降ってくるなんて甘い期待は持たない方がいい。
楽しい人生にしようなどと、だいそれたことを考えてもいけない。
何もしなければ、どんどんと視界は狭まっていく。
掴み取ることができたはずの楽しさも、味わうことができたはずの心地よさも、見失ってしまう。
だから、例え、ダラダラと生きていても、最初の一歩を踏み出すことは必要なのだ。
そうやって、新しい世界を探しに行かなくてはいけないのだ。
何度でも、
何度でも、
それが生きる覚悟というものだろう。
別に、焦る必要も急ぐ必要もない。
ボチボチとやれば十分だ。
ダラダラと暮らしながら、たまに一歩進める程度でも、十分に平凡な人間でいられるはずだ。
凡人、それは、何と素晴らしいことだろうか?
普通の人と見られる幸せを満喫できるようになれば、一流である。




