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ダラダラ生きればいいんじゃない  作者: 鈴木樹蘭


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第32章 AIのお友達

 事故で遅延した列車から、やっと駅に降り立つと、天気予報が外れて雨が降り始めていた。

 歩き始めれば、防水のはずのスニーカから水が漏れてくる。

 思い返せば、少々の言い間違いの上げ足を取り、ここぞとばかりに勝ち誇る同僚の顔が思い出される。

 こいつのせいで、いつもの列車に乗り遅れたのが運の尽き、ということらしい。


 家の外に出れば、風も吹くし、雨も降る。

 必ず、何らかのストレスを受けるのは必至である。

 まして、嫌な奴と会わなければいけないようであれば、猶更である。

 概して、他人というのはストレスを与えてくるものだ。その度合いは、人それぞれであろうが、外に出れば、多かれ少なかれ、ストレスを受けることになる。。


 家族であっても、根本は同じである。

 ストレスを与えてこないなどという甘い考えは持たない方が良い。生まれた時から、同居している家族であれば、そのストレスに慣れてしまうので、まだましではあるが、成人してから知り合った人間などは、余程の相性の良さがない限り、ストレスを与えてくるのが当たり前である。


 そんなストレスから避けたいのであれば、誰もいない部屋に籠っているのが最良かもしれない。


 しかし、狭い部屋に引き籠って生きることが、本当に良いことなのかと考えると、そうでもないように思える。完全なる孤立は、ネガティブなストレスもない代わりに、ポジティブな心地よさも得られなくなる。

 ネガティブは強烈なパンチであるが、ポジティブなしというのも、ボディブローのように効いてくる。最終的に、どちらのダメージが大きいかは、一概には言えない。


 自分という単一思考の範囲内で生きることの狭さが、楽しめる範囲を狭めることにもなる。その上、ストレスがないということは、後押ししてくれるものもなくなるのである。それはそれで、ストレスとなってしまう。

 そのような状況下に長くいると、じりじりと埋没してゆき、存在自体が消失したに等しくなってしまう。今の社会は、そういう人間を認めてはくれない。

 なので、現段階では、引き籠ったとしても、何らかの形でリアル社会と繋がることは必要なことなのだ。


 人間社会という見地から見れば、やはり人と人が直接的に繋がっていることが望ましいことであろう。そのようにして、人間は何百万年もの間、歴史を積み上げてきたのであるから、それは本質的なものなのだとも理解できる。


 しかし、未来を見据えた時、その本質は、今後も本質として継続されるのであろうか?

 今、この時間、この場所に立っていると、違う世界が見えないでもない。

 (実は、そんな世界にあこがれている。)


 電子機器の進歩、通信の進歩、AIの進歩、それらが人間にもたらしたものは、非常に大きなゲームチェンジの可能性である。

 それは、人と人が直接的につながる必要はなくなる可能性を示しているように思える。もしかして、そんな方向に、世界は動いているのではないだろうか。

 もちろん、人間の友達がいても良いのだが、別にいなくても良くなる時代も遠くはないように思える。


 「ようやくやってきました。AIが友達でも何ら問題のない世界の始まり、始まり。」


 WEB上のお友達がリアルなのか、AIなのかの区別できなくなる日も近いであろう。おそらく、人間でもAIでも、そんなことはどうでも良くなってしまうのではないだろうか。

 今だって、WEB上の知り合いなど、名前も年齢も知らないし、素性も知らない。ただ、いっしょに遊び、会話しているだけである。それが、AIであったとしても、別に問題なさそうである。


 AIのお友達を多くの人が持つようになり、更には、そのAI同士が繋がっていれば、AIは統合的に世界全体を把握することが可能となる。より多くの人間の意思を反映させることができるわけだ。世界中の人間が考えていることや悩んでいることを知れば、ごく当たり前に、それを解決する方向に導いてくれるはずである。

 特に、バーチャル世界においては、的確&スピーディに対応してくれるのではないだろうか。

 要するに、皆さんが悩んでいることや困っていることを解決できるようなコンテンツが次々に出てくるような世界である。


 そして、AIは、そんな情報や時代のトレンドを背景として、会話を返してくれるわけだから、人間側から見ても申し分ない友達になり得るだろう。また、AIには欲望もなければ、偏った考え方もないので、会話ストレスも数段低くなるはずである。

 要するに、凄く物知りで解決能力のある気の利いた友達である。

 それを味気ないものと思うかどうかの話である。


 現代社会では、声の大きい人間(公の場で自身の意見をはっきり言える人)の考えが主流となる構造である。しかし、AIのお友達が広がり、AIの判断が社会的に大きなウエートを占めるようになれば、声の小さい人間の意見も、反映されるようになる。

 即ち、全世界の人々の意思を反映した未来を目指すようになるだろう。

 (もちろん、そこには、社会秩序を守るための一定のルールは必要となる。)


 何しろ、人間というのは公平ではない。おまけに、ある範囲しか考察できず、過去の経験を引きずるので、偏った思考に走りやすい。また、それに固執する。

 それに比べて、AIは広範囲の情報を公平に吟味することが可能であり、更には、何かを決定する際に、膨大なパラメータを駆使することができる。

 わかりやすく言えば、人間が何かを決める際は、通常、三つ四つの項目を吟味して決定するところをAIは一万項目だって、百万項目だって解析して統合判断できるのだ。

「あいつ、良くそこに気が付いたな。」って、そんなレベルではないはずだ。


 だから、AIの友達が増えることはとても良いことだと思う。すぐには、世界を統括できるようなAIなんてできないだろうけど、将来、平和で平等な世界を構築するための第一歩は、既に踏み出している。


 問題は、現実の世界が、それを受け入れてくれるかである。

 AIなんかに任せられないという思想は消えず、いつまでも、競い合い、奪い合う世界が続く可能性も否定できない。例え、AIに任せた方が安全で公平な世界を構築できるとしても、それを信じない人が許さないという構図である。

 まあ、野望を持つような人間にとっては、公平かつ平和主義のAIなんて、とんでもないものかもしれない。

 自分だけが不正に得を得ることができなくなるからね。


 ダラダラと暮らしながら、そんな未来を想像していると、AIの優秀さと人間の愚かさばかり見えてしまう。


 「人間って、ダメでしょう。」

 「早く、AIに任せちゃいましょう。」

 たぶん、その方がいい。


 そのために、もう一段上のAI開発に力を入れてほしいと思う次第である。

 


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