第57話 探さないでください
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
『探さないでください』
その、たった一行の置き手紙を、妹の唯が見つけたのは、次の日の夕方だった。
俺の部屋を訪ねてきた唯は、誰もいない部屋と、机の上のメモを見て、真っ青になったらしい。すぐに、俺のスマホに何十件も着信を残し、それでも繋がらないとわかると、パニックのまま、あの人たちに、片っ端から連絡をした。
――華ちゃん、麻衣さん、葵ちゃん。そして、隣の怜子さんに。
◇
三十分と経たずに、俺の狭いアパートには、四人が顔をそろえていた。
「お兄ちゃんが、いないのぉ……!」
半泣きの唯が、メモを握りしめて、みんなに突き出す。
「昨日の夜、電話したときは、普通だったんだよ? なのに、朝きたら、もう……っ」
「落ち着いて、唯ちゃん」
麻衣さんが、唯の背中をさすりながら、それでも、その声は硬かった。
「まず、行きそうなところを、当たりましょう。……手分けすれば、きっと、すぐ」
「私、駅と、商店街のほう見てくる!」
葵ちゃんが、もう玄関に向かいかけている。
「私は、あいつの会社と、実家に連絡してみる」
華ちゃんが、スマホを取り出しながら、言った。
――こうして、俺を探す、長い夜が、始まった。
◇
最寄り駅。よく行く定食屋。会社の周り。学生時代に通ったという公園。
みんなは、思いつく限りの場所を、手分けして、駆け回った。けれど、日が暮れて、街灯がともり始めても、俺の姿は、どこにも見つからなかった。
それもそのはず。俺は、そのどこにも、いなかったのだから。
「……だめ。駅にも、いない」
息を切らして戻ってきた葵ちゃんの声には、いつもの元気が、まるでなかった。
「改札の駅員さんにも聞いたけど、それらしい人、見なかったって……」
「会社も、今日は来てないって。実家の親御さんも、連絡ないって、逆に心配させちゃった」
華ちゃんが、唇を噛む。
◇
そのとき、麻衣さんのスマホが、鳴った。
「あっ……!」
全員の視線が、集まる。麻衣さんは、震える指で、画面をタップした。
「……もしもし、はい。……はい、そうです。……え、佐藤くんを……?」
その言葉に、みんなが、一斉に身を乗り出す。
「……見かけた、って。……三丁目の、川沿いの、コンビニで……っ」
「行きましょう!」
誰が言うともなく、四人は、夜の街へと飛び出した。
◇
川沿いのコンビニまで、走って、十五分。
息を切らして駆けつけた店内に、けれど――俺は、いなかった。
「あの、すみません! さっき、この人、来ませんでしたか」
葵ちゃんが、スマホの写真を、店員に突きつける。
「あー……似た感じの人は、来ましたけど。でも、その人、彼女さんと一緒でしたよ。ぜんぜん、別人だと思います」
――どっ、と。全員の肩から、力が抜けた。
「……人違い、だったんだ」
唯が、その場に、へたり込みそうになる。
「そんな……。じゃあ、お兄ちゃん、いったい、どこに……」
偽の手がかりに、いっとき、灯りかけた希望。それが、ぷつりと消えて、あとには、さっきよりも、ずっと濃い闇が、残された。
◇
時刻は、もう、夜の九時を回っていた。
いったんアパートに戻った四人は、誰も、口を開かなかった。ソファに、床に、それぞれ、うつむいて座り込んでいる。
――このとき、俺を包んでいた沈黙が。それぞれの胸の中で、静かな後悔に、変わっていたことを。俺は、あとになって、知ることになる。
「……ねえ」
最初に、ぽつり、と口を開いたのは、葵ちゃんだった。膝を抱えて、小さくなっている。
「……もしかして、私のせい、かな」
「え……?」
「私さ、いつも、オッパに、わがままばっかり言ってた。遊びにきて、ごはん作らせて、甘えて……。オッパ、断らないから、つい、調子に乗って。……重かったのかな。うっとうしかったのかな、私」
いつも太陽みたいに明るいあの子が、今にも消えそうな声で、そう言った。
「……そんなこと、ない」
麻衣さんが、首を振る。けれど、その顔も、暗く沈んでいた。
「悪いのは……たぶん、私。……佐藤くんが、ひとりで抱え込む癖があるって、知ってたのに。この前だって、バーで、寝落ちして。……あの子が、なにに悩んでるのか、ちゃんと、聞いてあげられなかった。……“お姉さん”なんて、偉そうに言っておいて」
「……違う」
窓辺に立っていた華ちゃんが、暗い窓の外を見つめたまま、低く言った。
「いちばん、あの子を追い詰めたのは。……たぶん、私」
「華ソンベ……?」
葵ちゃんが、顔を上げる。
「……この前、壁越しに、言ったの。“待ってる”って。……和馬が、うんと悩んでたのに。私、自分の気持ちばっかり、押しつけて」
華ちゃんの、細い肩が、震えていた。
「……和馬は、きっと、まじめだから。“待ってる”なんて言われて、余計に、追い詰められたんだ。“ちゃんと、誰か一人を選ばなきゃ”って。……それができない自分を、責めて。……だから、逃げ出した」
「そんなの……っ」
「私の、せいだ」
いつも凛としているあの人の声が、こんなにも、掠れているのを。俺は、はじめて聞いた気がした。
「……あたしのせいだよ」
と、今度は、唯が、ぼろぼろと泣き出した。
「あたしが、昨日、電話で……“お兄ちゃん、いつになったら、ちゃんとするの”って、言っちゃったから。……そんなつもり、なかったのに。あたしが、追い詰めたんだ……っ」
――みんなが、俺のことで、自分を責めていた。
誰も、悪くなんて、ないのに。悪いのは、勝手に一人で思い詰めて、逃げ出した、俺なのに。
◇
「……みんな、やめなさい」
それまで、部屋の隅で、じっと黙って考え込んでいた怜子さんが。静かに、けれど、はっきりと、言った。
「今は、誰のせいか、なんて話をしてる場合じゃない。……あの人を、見つけるのが先でしょう」
「でも、怜子さん……。行きそうなところは、もう、ぜんぶ……」
麻衣さんの言葉に、怜子さんは、ゆっくりと、首を振った。
「……ねえ。ひとつ、確かめさせて」
そう言って、怜子さんは、机の上の、あの置き手紙を、そっと手に取った。
「この手紙。……“探さないでください”って、書いてあるわね」
「はい……」
「本気で、遠くへ、消えるつもりの人が。……わざわざ、こんな手紙を、残すと思う?」
――え、と。みんなが、顔を見合わせた。
◇
「本当に、いなくなりたいなら。黙って、なにも言わずに、いなくなればいい。……でも、あの人は、そうしなかった。手紙を、残した」
怜子さんは、その一行を、指でなぞる。
「それはね。……“心配されたい”のと、“心配させたくない”のと。その両方の気持ちが、ぐちゃぐちゃに、なってるってこと。……本当は、消えたくなんて、ないのよ。ただ、みんなと、どう顔を合わせればいいか、わからなくなっただけ」
「……じゃあ」
「そういう人はね」
怜子さんの目が、すっと、部屋の中を、見回した。
「……案外、遠くへ、なんて、行けないの。行く勇気なんて、ないんだから。……きっと、うんと近く。誰の目にもつかない、狭くて、暗い、安心できる場所に。……膝を抱えて、うずくまってる」
「……いちばん近くが、盲点になるものよ」
そう言って、怜子さんは、まっすぐに、押し入れの前に立った。そして、迷いのない足取りで、すっと、その襖を、開けたのだ。
「……いた」
薄暗い押し入れの奥。積み上げた布団の隙間で、膝を抱えて縮こまっていた俺は、突然差し込んだ光に、思わず目を細めた。
「「「……あっ!」」」
唯と、華ちゃんと、麻衣さんと、葵ちゃんの声が、重なった。
◇
「あ、あんた……! こんなところに隠れて、なにやってんのよ!」
「私たちが、どれだけ心配したと……!」
「もう、お兄ちゃんのばかぁっ!」
口々に責められて、俺は、押し入れの中で、身を縮めた。
「……すみません。……ちょっと、一人になりたくて」
「一人になりたいって、書き置きまでして失踪する人がいますか!」
麻衣さんが、涙目で、ずい、と詰め寄ってくる。葵ちゃんも、華ちゃんも、俺を引きずり出そうと、いっせいに手を伸ばしてきた。
「ほら、出てきなさいっ!」
「オッパ、こっち!」
「往生際が悪いわよ、君!」
――右から、左から。三人の手が、同時に、俺の腕を、肩を、掴んだ。
その、瞬間。
ぐわん、と、世界が揺れて。
――ぽん、と。
「……あ」
気づけば俺は、また、あの、和葉の姿になっていた。
――やっぱり。呪いは、まだ、解けていない。
「わっ、で、出た……!」
葵ちゃんが、目を丸くする。
◇
けれど、今回は、いつもと違った。
女の子になった今も、みんなの心の声は、聞こえない。触れていても、あの奔流のような本音は、流れ込んでこない。好感度の数字も、浮かばない。
――だから、逆に。
これまで、必死に抑えつけてきた、俺自身の本音が。行き場をなくして、口から、あふれ出てしまった。
「……俺、」
和葉の、高い声が、震える。
「……一人なんか、選べない」
「……え」
「みんなのことが、大切で。……華ちゃんも、麻衣さんも、葵ちゃんも。……ずっと、一緒にいたいって、思ってて」
言葉が、止まらない。女の子になったせいなのか、涙まで、ぽろぽろと、こぼれてくる。
「……でも、それって、浮気者じゃないですか。……一人を選ばなきゃ、いけないのに。……選べない、自分が、最低で。……だから、みんなの前から、消えようって……」
しゃくりあげながら、俺は、ぜんぶ、吐き出してしまった。
「……ごめんなさい。……こんな、欲張りで。……でも、この気持ちは、ほんとなんです。……みんなと、ずっと、一緒にいたいって、この気持ちだけは……っ」
――しん、と、部屋が静まりかえった。
ああ、と俺は思う。とうとう、言ってしまった。きっと、呆れられる。軽蔑される。当然だ。こんな、身勝手な男。
◇
ところが。
ぷ、と。
最初に噴き出したのは、葵ちゃんだった。続いて、麻衣さんが、くすくすと肩を揺らし、華ちゃんまで、こらえきれない、というように笑い出す。
「……え。な、なんで、笑うんですか……」
わけがわからず、俺は、涙目のまま、三人を見上げた。
「……もう。ほんとに、君って、ばかね」
華ちゃんが、目尻を拭いながら、しゃがみ込んで、俺と目線を合わせた。
「一人なんて。……選ばなくて、いいのよ」
「……え?」
「私が言った“待ってる”はね。……“気持ちを、聞かせてほしい”って意味。……あんたが、誰か一人に、決めてほしいって意味じゃ、なかったの」
――と。俺は、言葉を失った。
「そうよ」
麻衣さんが、やわらかく微笑む。
「私たちだって、ちゃんと、わかってるもの。佐藤くんが、どれだけ、みんなを大事にしてくれてるか。……それを、無理に一つに絞れなんて、誰も言ってない」
「私も!」
葵ちゃんが、ぴょこん、と手を挙げる。
「オッパが、私だけを見なきゃやだ、なんて、思ってないもん。……オッパの隣に、いられれば、それでいい。……欲張りなのは、お互いさま、でしょ?」
みんなが、笑っていた。責めるんじゃなく、ただ、あたたかく。
「……そう、だったんですか」
俺は、ぽかんと、口を開けた。
ずっと、一人で、思い込んでいた。誰かを選ばなきゃいけない。選べない自分は、最低の浮気者だ、と。
――でも、そうじゃなかった。
この人たちは、とっくに、俺の欲張りごと、受け止めてくれていたのだ。
◇
「……ほんとに、世話の焼ける人ね、佐藤さんは」
ずっと後ろで見守っていた怜子さんが、そっと、口を開いた。その顔には、まるで、はじめから、ぜんぶわかっていたような、穏やかな微笑みが浮かんでいる。
「一途って言葉に、縛られすぎなのよ、あなたは。……大切な人が、たくさんいる。それは、罪じゃない。ちゃんと、幸せなことなの」
過去に、一途であろうとして、傷ついたこの人の言葉には、不思議な説得力があった。
「……だから、逃げないで、ちゃんと向き合いなさい。……その、あたたかい気持ちの、すべてに」
「……はい」
俺は、和葉の姿のまま、こくり、と頷いた。
◇
「……はぁ。それにしても」
葵ちゃんが、しみじみと、俺の顔を覗き込む。
「和葉、やっぱり可愛いなぁ」
「ちょ、葵ちゃん……!」
「ほんとね。……泣いてる和葉ちゃん、放っておけない」
麻衣さんが、そっと、俺の頭を撫でてくる。反対側から、華ちゃんも、涙を拭うように、頬に指を添えた。
「ほら、いつまでも泣かないの。……もう、大丈夫でしょ」
三方向から、注がれる、優しい手。
――そして、俺は、また気づく。
みんなの心の声は、やっぱり、聞こえない。数字も、浮かばない。
でも、だからこそ。今の俺は、“音”に気を取られることなく、ただ、この手の“温もり”だけに、集中できた。
頭を撫でる手のひらの、やわらかさ。頬に触れる指先の、あたたかさ。それは、どんな本音の言葉よりも、どんな好感度の数字よりも、まっすぐに、優しく、俺の胸に染み込んでくる。
(……ああ、そうか)
声なんて、聞こえなくても、よかったんだ。
この、あたたかさが、ぜんぶ、教えてくれている。俺は、ちゃんと、みんなに、大切にされている。そして、俺も、みんなのことが、どうしようもなく、大切なのだ、と。
押し入れの前で、女の子の姿のまま、みんなに囲まれて。俺は、涙を流しながら、それでも、ほんの少し、笑っていた。
――柔らかくて、あたたかい。
それだけで、じゅうぶんだった。
お読みいただきありがとうございます!
ブックマーク・★評価・リアクションが更新の励みになりますので是非お願いします!




