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推し活のために退寮したら、隣の部屋(103号室)に「推し(本人)」が住んでいた。 ~推しすぎたせいか、心の声まで聞こえます~  作者: しまじろう
第5章|能力編 ――一途がすぎると、女の子になるらしい――

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第56話 壁越しの、想い

※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。

 それから数日、俺は部屋に閉じこもっていた。


 仕事は在宅でこなし、食事は最低限。誰とも顔を合わせないようにして、ただ、自分の中のぐちゃぐちゃした気持ちと、にらめっこを続けていた。


 考えれば考えるほど、わからなくなる。


 俺は、誰が、いちばん大切なんだろう。この体質を治すために、一人を選ぶべきなんだろうか。でも、そう考えると、胸が苦しくなる。まるで、誰かを選ぶことが、他のみんなを、切り捨てることみたいで。


 ――こんこん、と。


 壁の向こうから、軽いノックの音がした。


 俺の部屋、102号室と、隣の103号室を隔てる、薄い壁。その上のほう、ちょうど収納の裏あたりに、古い建物ゆえの小さな隙間がある。以前、うっかりぶつけて空いてしまった、俺と華ちゃんだけの、秘密の穴だ。


「……ねえ、君。生きてる?」


 華ちゃんの声だった。素顔の、ため口。


「……生きてます」


「嘘くさい声。……ここ何日か、ぜんぜん出てこないじゃない。麻衣さんも葵も、心配してたわよ」


「……すみません」


「で? なにを、そんなに悩んでるのよ」


 壁越しの声は、いつもより少しくぐもって、そのぶん、やけに近く感じた。顔が見えないぶん、かえって、素直に話せる気がした。


 ◇


「……最近、自分が、よくわからないんです」


 俺は、膝を抱えて、壁にもたれながら、ぽつりと言った。


「ずっと、華ちゃんを、推し続けてきたはずなのに。……なんか、その気持ちが、よくわからなくなって」


「……ふうん」


「昔は、こう……華ちゃんのことを想うと、胸が、いっぱいになったんです。それこそ、この十年、ずっと。……なのに、最近は、その、“推し”の感じが……なんだか、遠くて」


 華ちゃんの、心の声が、聞こえない。その事実を、正体は伏せたまま、それでも、いちばん近い言葉で伝えようとする。


「……もしかしたら、俺、華ちゃんへの気持ちが、消えちゃったのかもしれない。ずっと憧れてたのに。……最低ですよね、こんなの」


 しばらく、壁の向こうは、静かだった。


 やがて、ふ、と、華ちゃんが笑う気配がした。


「……あのさ、君」


「はい」


「べつに、いいんじゃないの。それで」


「……え?」


「君が、私をずっと推し続けてくれなくても。……君と私が、一緒にいて、楽しければ。それで、いいじゃない」


 思いがけない言葉に、俺は、顔を上げた。


「そりゃあ、一方的に推されるのは、嬉しいわよ。十年もね、ずっと応援してもらって。……あんな一途なファン、そうそういないもの」


 華ちゃんの声は、いつものツンとしたものとは違って、どこか、やわらかかった。


「でも、ね。……最近、思うの」


「……なにを」


「その“推し”ぐらいに。……ううん、それ以上に。……私が、君を想う気持ちのほうが、強くなっちゃったのかな、って」


 ――どくん、と、心臓が、大きく跳ねた。


 ◇


「……え。それ、って」


「言わせないでよ、ばか」


 壁の向こうで、華ちゃんが、ぷい、とそっぽを向く気配がした。声が、少し、赤くなっている。


挿絵(By みてみん)


「……あのね。私、アイドルでしょ。ファンから“好き”を向けられるのには、慣れてるの。それが仕事みたいなものだし。……ずっと、そういう“推される側”で、生きてきた」


「はい」


「でも、君は違った。……最初は、ただの、しつこいファンだと思ってたのに。気づいたら、隣にいて。……私の、素顔も、だらしないところも、ぜんぶ知ってて。それでも、平気な顔で、そばにいて」


 小さな穴越しに、華ちゃんの息づかいが、すぐそこに聞こえる。


「……そうしてたら、いつのまにか。“推されて嬉しい”より、“この人のこと、もっと知りたい”のほうが、大きくなってた。……こんなの、初めてなんだから」


 俺は、言葉を失っていた。


 ――華ちゃんが。あの、ステージの上で、何万人ものファンに愛される、あの華ちゃんが。俺なんかを、想ってくれている。


 その事実は、聞こえなくなった心の声の、どんな数字よりも、まっすぐに、胸に届いた。嬉しくて、泣きそうなくらいに。


 ――だけど。


 その嬉しさと、同時に。俺の胸の奥では、別の感情が、じくり、と痛んだ。


(……俺は)


 華ちゃんの、この、まっすぐな想いに。……俺は、胸を張って、応えられるんだろうか。


 だって、俺は。


(……最近、麻衣さんといても、安らいで。……葵ちゃんといても、あたたかくて)


 華ちゃんだけを、想っているわけじゃ、ない。みんなのことが、大切で。みんなのそばに、いたいと思ってしまう。


(……そんなの。……ただの、浮気者じゃ、ないか)


 こんなに一途に想ってくれる華ちゃんに、俺は、一途を返せない。それがどうしようもなく、後ろめたかった。


 ◇


「……君? どうしたの、黙って」


「……いえ」


「……はっきりしないやつね」


 華ちゃんが、呆れたように笑う。けれど、その声は、責めるものじゃなかった。


「まあ、いいわ。……今すぐ、答えを出せなんて、言わない。……ただ、ね」


「……はい」


「ひとりで、抱え込むのだけは、やめなさい。……君の、悪い癖よ、それ」


 ――麻衣さんと、同じことを言う。


「私は、ここにいるから。……壁一枚、隔てただけの、すぐ隣に。……ちゃんと、待ってるから」


 こつん、と、壁の向こうから、指で叩くような音がした。まるで、そこにいるよ、と教えるみたいに。


「……じゃ、おやすみ。ちゃんと、寝なさいよ」


 そう言って、華ちゃんの気配は、壁の向こうへ、遠ざかっていった。


 一人残された部屋で、俺は、膝を抱えたまま、動けなかった。


 華ちゃんの想いは、嬉しい。飛び上がりたいくらいに、嬉しい。


 なのに、その想いを、まっすぐに受け取れない自分が、いる。みんなを大切に思う気持ちが、ぜんぶ本物で、だからこそ、一人を選ぶことなんて、できそうになかった。


(……俺は、どうすればいいんだ)


 答えは、やっぱり、出なかった。ただ、壁の向こうに、確かに感じた、あのあたたかな気配だけが、いつまでも、胸の奥に残っていた。



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